第2話 不可思議な占領

 浜辺を出発した先鋒の部隊は静かに、しかし確実に森の中を進んでいた。

「なんだか貧乏くじ引いたみたい」

 ミキは率直に不満を口にする。

「なんでッスか?」

「だって折角無傷で上陸出来たのに、また敵がいそうな場所に入っていくわけじゃない。悠々と上陸できる後続の連中が羨ましいよ」

「でも一番乗りって栄誉は私たちが全部貰いッスよ」

「はいはい。真面目な事で」

 呆れながらミキは口をへの字に曲げる。職業軍人ならさておき、ミキのような下っ端兵隊は「栄誉」なんて大層なものに興味はない。もっともそれを言うならばアカツキも同じ下っ端兵隊なのであるが。

 当初はミキたちもずっと文句を言っていたが、木々の密集する森に一歩足を踏み入れると文句を言う者はおろか口を開く者すらいなくなった。

 森の中は日光が薄っすらとしか入って来ないので昼間だというのに暗い。至る所で木の根が隆起しており、うっかりすると足を取られて転びそうになる。木々が密集して視界が悪いので尚更だ。

 何処からか鳥の鳴く声が聞こえてくる。

 耳障りな甲高い泣き声であるが、しかし何処にいるのかは皆目見当がつかない。そもそも木々に反響して、どの方向から聞こえてきているのかすら解らなかった。

 誰かが枝を踏み、折れる音がする度に飛び上がりそうになる。

 うっかり撃つといけないので指は引き金に当たらないように伸ばし、その代わり銃剣が即座に突き出せるような構えでゆっくりと進んでいく。

 とにかく視界が悪い。少し気を抜くと周囲を歩いている戦友たちすら見失いそうになる。

 不意に。

 何の前触れもなく視界が開けた。

 あまりにも唐突に日の光の中に飛び込んでしまったものだから目が眩み、ミキは慌てて木々の陰に転がり込むように戻る。

 そこは森の中に突如現れた小さな広場のような場所であった。

 木々を切り倒した形跡があり、一目で自然に自然に出来たものではなく人の手で作られた場所であるという事が察せられる。

 この島は敵の上陸以前は無人島であったという話しだから、必然的に人工の物は全て敵が作り上げたものだ。

 一瞬にして緊張が極限にまで達し、全員が持っている小銃を広場に向ける。

 ミキも小銃を広場に向け、ゆっくりと引き金に指を伸ばした。もっとも照準を合わせるような物はない。ただ人が隠れていそうな場所を狙う。

 しばらく小銃を構えたまま、誰も何も言わず、行動もしなかった。

 ただ先ほどの耳障りな鳥の鳴き声だけが聞こえてくる。

 ……静かだ。

 鳴き声以外なにも聞こえず、ただ沈黙だけが流れていく。

「第二分隊は右翼、第三分隊は左翼より前進して広場を確保。第一分隊と第四分隊は現在位置で待機。小隊長現在位置。復唱省略」

 思い出したかのように小隊長が指示を出し、指示を出された兵隊は左右に展開しながら広場に踏み込んでいく。

 予想していたような反撃は一切なかった。否、それどころか敵の姿かたちすらない。所々に塹壕のような埋没式の兵舎らしき物があったが、そこにも人影は見当たらなかった。

 しかし放り出された寝具や食べかけのスープが入った食器など、先ほどまで生活をしていたかのような痕跡だけは残されている。

「……まるで夜逃げしたみたいね」

 ミキの戦友であるマイカゼ・キクリがポツリと呟く。兵隊にしては珍しいスラリとした美人であり、澄んだ声をしているので小声でもよく聞こえた。

「うちらが来たからッスかね?」

 兵舎の中を覗きながらアカツキは言う。

「それにしたって何もせずに?」

 しかし現実に何もしないで、まるで大慌てで逃げていったような様相だ。

 ふと見ると、広場の中央にある一際大きな樹に梯子が掛かっている。

「分隊長、梯子です」

「よし、登ってみろ」

 うぇっ、とミキは変な声を出しそうになった。

 梯子の上には敵がいるかもしれない。しかし登っている最中では即座に反撃をする事は不可能だ。

 下で戦友たちに見守られながらミキは梯子を登っていく。

 幸いにしてミキの心配は杞憂で済み、登った先には誰もいなかった。

 ホッと安堵の溜息を吐く。

 そしてそこから見渡せる景色で、ミキはこの大樹が見張り台として使われていたであろう事に気が付いた。周囲の樹海の中は木々が邪魔で何も見えないが、浜辺の方は一望出来るのである。

 どうやらこの広場は監視哨の類であるらしかった。

「それなら何故逃げた?」

 小隊長は首を傾げる。監視哨であるならば上陸した鬼軍の状況を司令部か何処かに逐一報告すべきなのだ。

 ところがミキたちが広場に来た時点で誰もいなかった。それはつまり監視を放棄して逃げた事を意味している。

「しかし我々の上陸が敵に知られている事に間違いはない。小隊は現在地を確保。敵の逆襲に備えるぞ」

 小隊長の命令で、ミキたちは広場の中を改めて確認する。

 その最中、ミキは大樹の下にあった木箱の中に一丁の銃を見付けた。

 拳銃大の大きさであるが、口径が莫迦みたいにデカい。発光信号や発煙信号などを打ち出すための信号銃だ。

 何らかの異常を発見した場合、これで信号弾を打ち出して合図をする手筈だったのだろう。だがどういうわけだか信号銃は発砲した形跡がなかった。

 みんな首を傾げる。

 なぜ何もしないで逃げたのか。考えれば考えるほどに謎は深まるばかりであった。

 それはとにかくとして、小隊長の命令は「現在地を確保」する事であり、なぜ敵が逃げたのか等という事はミキのような下っ端兵隊が気にするところではない。

 ミキは信号銃の事を分隊長に報告すると、命令通り広場を確保するために戦友たちと安全確認を行う。


 この日、帝政ヨモツ国陸軍、歩兵第四六三連隊の先遣隊五百余名は一滴の地も流さずに「ドウメキ島」上陸に成功した。

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