鬼人兵談

矢舷陸宏

敵地上陸第一歩

第1話 敵前上陸

 突き抜けるような晴天だった。

 真っ青な空のキャンパスに白い絵の具を落としたかのようにポツポツと雲が浮かび、緩やかな風によって至極ゆっくりと流れている。蒼穹の下の海も同じくらいに青々としており、燦々と降り注ぐ日光が反射して眩く輝いていた。

 そんな青い世界を掻き乱すかのように、洋上を多数の船舶が喧しく波を立てながら横切っていく。

 空き箱にエンジンとスクリューを取って付けたような奇妙な外観をした船である。箱の蓋に該当するような屋根はない。波の飛沫が吹き込むままになっており、その「箱」の中にはお菓子のように兵隊が詰め込まれていた。

 上陸用舟艇。

 敵地などへの上陸を行う軍隊を運ぶための小型船舶である。

 実際、上陸用舟艇に乗り込んでいる三十余名ほどの兵隊はいずれも完全武装であった。着用している軍服は濃緑で、腰には弾薬盒ポーチや銃剣などの装備を付けた帯革ベルト。肩からは必需品をパンパンに詰めた雑嚢カバンと水筒を下げ、背中には背嚢リュックサックを背負っている。

 大きな装具を付けた兵隊は船が波で揺れる度にぶつかり合い、まるで満員のバス車内のようになっていた。乗り心地よりも、とにかく「載せる」ことを優先したが故の余裕の無さである。

 そして揺られる兵隊の額には奇妙な突起物が生えていた。

 角、である。

 比喩でも何でもなく、艇内にいる兵隊の額には牛のような二本の短い角が生えていた。

 軍事国家「帝政ヨモツ国」に住む「鬼人オーガ族」と呼ばれる民族の身体的特徴である。

 鬼人族はヨモツ国の人口の八割を占めており、それ故にヨモツ国は「鬼国」とも呼ばれ、国軍は「鬼軍」と呼ばれる事が多かった。

 そして洋上を奔る上陸用舟艇はいずれも鬼軍の物である。必然的に乗り込んでいる兵隊は例外なく角を生やしていた。現在、その角は革や厚い布製の保護具で覆われており、遠目から見ると鉄帽ヘルメットの装飾であるようにも見える。

「……吐きそう」

 大きく揺れる艇内で一人の兵隊が呟いた。

 切れ長の目をした女性兵である。他の兵隊同様、黒髪に金色の瞳であるが顔立ちは良く整っていた。

「吐きゃ良いじゃないスか。楽になるッスよ」

 少年のような顔の兵隊がやや訛りのある喋り方で受け答える。先の兵隊同様の若い女性兵だ。というよりも、この上陸用舟艇に乗り込んでいる者はそのほとんどが女性兵であった。さもありなん。彼女たちの属する部隊は実験的に女性ばかりを集めた「女性部隊」なのである。

「吐くわけには……いかないよ……」

 船の動きに合わせてグラグラと揺れる切れ目の兵隊。彼女だけでなく上陸用舟艇に乗り込んでいる者の大半が船酔いになっていた。

 上陸用舟艇は船の前面が渡し板になっており、上陸する際にはソレが下りて即座に兵隊が展開出来るようになっている。そこまでは効率的で良いのだが、平らな船首は凌波性が悪過ぎて波がぶつかるともろに揺れるのだ。そして輸送船から移乗して三十分以上、揺れに揺られている状態なのである。

 そのため兵隊はみんな顔面蒼白であった。

 もっともそれは船酔いのためだけではない。これから彼女たちは敵のいる島に上陸するのである。船酔いでなくとも気分は悪く、吐き気がするような心境であった。

「酔い止めあるよ」

 前の方で揺られている兵隊がそう言って、後ろの兵隊に「ベニキリに渡して」と酔い止めの錠剤を渡す。伝言ゲームのように錠剤が回され、少年顔の兵隊がそれを受け取ると切れ目の兵隊――ベニキリ・ミキに差し出した。

「ほら、酔い止めッスよ」

「ありが…………ぅおェッ」

 受け取ろうとした瞬間、ミキは我慢できずに胃の内容物を全部吐き出してしまった。

「きったな!」

 ブチ撒けた嘔吐物が少年顔の兵隊の手に容赦なく襲い掛かる。

 慌てて手を引っ込めたものだから錠剤は何処かに飛んで行き、そのまま行方知れずになってしまった。

 ミキが吐いたのに釣られて、今まで我慢していた者まで一斉に吐き出す。何しろすし詰め状態であるから避ける場所などない。床にブチ撒けるなら未だマシで、中には前に立っている兵隊の服に吐く者までいた。

 一瞬にして艇内は大惨事になったが、振り込んで来る海水によってブチ撒けられた嘔吐物は洗い流されていく。

「流石に手に吐くのは勘弁して欲しいッス」

 入り込んでくる海水で洗い流し、ミキの軍服で拭いながら少年顔の兵隊は言う。

 彼女の名前はアイカヤ・アカツキといい、ミキとは同年兵の間柄である。

「ごめ……オぇッ」

 再びミキは吐く。

「早く、着いて……死んじゃう……」

 浜辺で待っているのは銃弾か、それとも砲弾か。

 しかし今のミキにはそんな事を考える余裕はなく、この地獄から逃れられるなら今すぐにでも海に飛び込みたいような心境であった。

「浜に着く前に死ぬンじゃないっスか?」

「ホントに死ぬかも……」

 絞り出すような声で返事をしながらミキは頷く。

「上陸一分前!」

 操舵員からの報告。

「弾込めッ!」

 小隊長の号令。

 艇内にいる全員が弾薬盒ポーチから弾薬を取り出して自分の小銃ライフルに装填する。

「上陸したら即座に展開し、そのまま予定通り集合地点に向かえ。途中で止まると後続がつかえる。とにかく脇目も振らずに走れ」

 それだけ言うと小隊長は部下たちを見渡して頷く。

「訓練どおりにやれば問題無い」

 何人かの兵隊が手を重ね合ってお互いに声を掛け合う。

 上陸寸前になったからか、ミキの吐き気も消えた。というよりも極度の緊張で自分が酔っていたという事すら忘れたと言った方が正しい。

 今は不安と恐怖が膨らみ、思わず叫び出したくなるような心境になっていた。

「ミキ」

 アカツキがミキの肩を小突くように叩き、ミキも彼女の顔を見て小さく頷いた。

「うん。後で会おう」

 ピーッという警笛と同時に艇首の渡し板が下り、小隊長が「前へッ!」という号令と共に真っ先に飛び出す。僅かに遅れてミキたちもそれに続き、一斉に集合地点にまで駆けて行った。

 とにかく脇目も振らずに無我夢中で奔る。

 予想していたような銃弾や砲弾は来ない。それでも必死になって浜辺を駆け抜ける。

 鋲付きの編上靴ブーツが重くて砂浜を上手く走れない。うっかりすると転びそうになってしまう。それでも懸命に、無我夢中でミキは走った。

 集合地点まではそれほど遠くなかったが、それでも重い装備、走り辛い足元、そして何より全力で駆け抜けた事によって目的地に着いた時は誰もが息絶え絶えになっていた。

 しかしそんなミキたちを嘲うかのように内陸からは何も反応がない。銃撃も、砲撃もなく、ただシンッと浜辺は静まり返っている。ただ波打ち際で後続の部隊が上陸している音だけが喧しい。

 少し小高い斜面から僅かにミキは顔を出す。

 目前に広がるのは鬱蒼とした森だ。中は暗く、遠くまで見通す事がまるで出来ない。

「妙に静かっスね」

 いつの間に来たのか、ミキの隣に伏せていたアカツキが言う。

「うん」

 ミキは小さく頷いた。

「静かだ」

 木々の立ち並ぶ森の中から今にも撃って来そうな雰囲気であるが、しかし銃弾はおろか人が動いている様子すら見えない。

 静かな緊張感が浜辺を支配する。いっそ撃ってきてくれとすら思ってしまい、極度の恐怖で口から心臓が飛び出しそうな気分であった。

「機関銃前へ!」

 命令で重機関銃が指定された射撃位置まで前進する。

 数十キロもある鉄の塊を数人掛かりで神輿のように担いで波打ち際から運び、ようやっと集合地点に着いたらいきなりの射撃命令だ。銃手達の苦労は傍目から見てもよく解ったが、命令とあれば即座に従うのが兵隊である。

「銃を据え」

 機関銃班の指揮官の号令で重機関銃が地面に下ろされ、続いて弾薬が装填される。

「目標前方の森。距離三〇〇、一回薙射」

 銃手が復唱。指揮官の「撃てッ!」と号令で機関銃が鳴き声を上げる。

 上陸から初めての射撃だ。小気味の良い連射音が鼓膜を刺激し、今まで身体を覆っていた不安や緊張を緩めてくれる。

 機関銃は百発近くの銃弾を森の中に撃ち込んだが、しかし森の方からは何の反応もなかった。

「上手く奇襲上陸になったのでしょうか?」

 ミキが分隊長の軍曹に訊ねる。

「だとしたら好都合だ」

 そうは言うものの軍曹も不安なのだろう。先ほどからチラチラと小隊長の顔を見ている。

 しかしその小隊長も不安らしい。先ほどから合流した中隊長や他の小隊長と小声で協議している。

 全くの無抵抗、というのは小隊長を始めとする指揮官たちにとっても想定外であったらしい。

 とりあえず浜辺周辺の安全確保が急務であるとして、ミキの属する第五中隊を先鋒にして上陸部隊第一波は浜辺を出発した。

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