さらば戦友
第35話 兵隊温泉
マムシ高地占領後、第二大隊は他の部隊と交代して飛行場まで後退する事となった。これまでの戦いでかなりの大損害を受けたので予備兵力に編入されるらしい。
高地からは中隊ごとに下りる事になり、最初に下るのは大隊の中で一番損害の大きかった第五中隊となった。
あの険しい山道をまた下りると思うと憂鬱である。せめて一休みくらいはさせて欲しい。
そんな事を考えていたが、なんと数日程度で下りれてしまった。落伍者もない。工兵隊が新たに道を整備していたとはいえ拍子抜けである。半月近くかけてえっちらおっちら登ったのが嘘のようだ。
「……敵の妨害が無ければ、たったこれっぽっちで登れる山だったんスね」
飛行場から高地を見上げながらアカツキが言う。
「戦争っていうのは無駄に時間だけ掛かるんだな」とアサキ。
「時間だけじゃないわ。物も人も無駄に使う」とキクリ。
何しろこんな小さい島一つのために万単位の兵力で取り合っているのである。なんとも莫迦らしい話しであった。
整列の号令が掛かり、第五中隊全員で点呼を取る。点呼の掛け声は上陸した時の半分で終わった。
点呼後は新しく作られた兵舎に向かい、そこで全員の装具を解く。最近作られたのか真新しい木製の兵舎で、驚いた事に内部構造などは内地の物とほとんど変わりはない。そのため損害を被った今の状態の第五中隊で入ると、なんだかガランとしていて寂しかった。
とにかく装具を下ろし、小銃を銃架に並べる。先ほどまで戦場にいたのに別世界に飛んできたような気分だ。全く現実味がなかった。
「そのまま寝台に寝転がるなよ」
誰かに言われ、ミキは慌てて寝台から離れる。もう少し言われるのが遅ければ今の格好のままで寝ているところだった。
改めて自分の服装を見ると酷いものである。軍服は汚れるどころか所々破れたり解れたりしており、とてもでないが地方人には見せられない。貧乏人か、あるいは乞食か。少なくとも「凱旋して来た兵」の格好には見えなかった。
とりあえず連隊の行李に預けていた作業衣袴が返され、全員がそれに着替える。本来であれば作業に使う服を軍服代わりに使うのだからあべこべだ。
「お疲れ様でした。麦茶をどうぞ」
飛行場所属の炊事兵が二つほど薬缶を持ってきてくれた。途端に「麦茶!」と兵舎内の全員が薬缶に飛びつく。
「湯のみ持って来い、湯呑!」
「莫迦! 薬缶に口付けて飲む奴があるか!」
まるで砂漠で水を得た難民のような有様だ。炊事兵は驚いたらしく、逃げるように兵舎から出て行くと替わりの炊事兵が追加で薬缶を持てるだけ持ってやってきた。
何しろ麦茶など飲むのは久しぶりであるし、山では水を飲む事自体が制限されていた。みんな美味い美味いとガブガブ飲む。
ひと段落すると食事が用意された。配膳は例によって炊事兵たちがやってくれたのでミキたちは座るのみである。
「おぉっ、ご馳走だ」
思わず声が出た。
食卓には通常の麦飯と味噌汁、漬物の他に魚や野菜の天麩羅、薄っぺらいがステーキに加給食でドーナツまで並んでいる。出来立てなのか未だ湯気が立っており、甘い匂いにミキは生唾を飲み込んだ。
いただきます、の号令と同時に箸が突撃し、みんな何一つ言わずにご馳走を平らげていく。
何しろ魚も揚げ物も山の中にはない。ましてドーナツなど夢想した事すらなかった。そんな事だからご馳走は文字通りあっという間に次々と消えていく。しかし肉だけは誰も手を付けなかった。
食事の後片付けをしようとしたところ、そちらも炊事兵たちがやってくれるというのでお言葉に甘える。
この時点ですでに「至れり尽くせり」という状態だったが、それだけではない。まさかのお風呂にも入れるという。
「まぁ、どうせ烏の行水になるだろうけどな」
それはそうだろう。何しろ一個中隊の兵士が一つの風呂に入れ替わり立ち代わりに入るのだ。どうしたって一人当たりの入浴時間は短くなる。
「小隊ごとに別れていく。まずは我々第二小隊からだ」
第一分隊長の言葉に全員で「はーい」と返答する。
いつもは貧乏くじを引かされることの多い第二小隊だが、今日ばっかりは大吉を引き当てたらしい。ついでに洗濯物も出すというので、洗濯する物を配られた袋に突っ込んだ。
全員揃うと第一分隊長引率の下で一列縦隊を組み、並んでいる兵舎の横をノソノソと歩いていく。
どうやらミキたちが留守の間に飛行場は完全に出来上がったらしい。出発した時は滑走路しかなかったのに、今では航空関係の設備だけでなく居住区まで完璧に整備されている。
「おい、温泉だとさ。勿体ぶった名前だ」
風呂があるという大きな天幕の前にはアサキの言ったとおり「孤島の温泉」と書かれた看板が立てられている。
「ドラム缶風呂に随分と大袈裟っスね」
アカツキも呆れたような声を出す。
どっこい、天幕の中に入って驚いた。
そこにあったのは広い浴場である。
流石に銭湯というほど立派ではないが、木造の仮設プールのような折りたたみ式の湯船にお湯がタップリと張られている。
「洗濯物は各自まとめて籠に入れておくように」
驚いているミキたちを余所に第一分隊長より指示が出る。もっとも出している方もこんな立派な風呂だと思っていなかったのか、それなりに驚いているようだった。
全員投げ込むようにして籠の中に洗濯物を入れる。ミキも同じようにして服を全て籠の中に突っ込んだ。
全員素っ裸になって整列。石鹸の欠片と新品の手拭いが配られたが、こっちとしてはそれどころではない。さっさと飛び込みたいような気分でソワソワしていた。
「入浴前には必ずよく身体を洗うこと」
諸注意が並べられるが、全員そんな事を聞いている余裕はない。さっさと入浴させてくれ、とばかりに皆ソワソワきょろきょろしていた。
入浴許可が出ると、並べられている風呂椅子に座って身体を洗う。何しろ入浴時間は十五分なので寒風摩擦でもするような勢いで全身を洗うというよりも磨く。
しっかり身体を洗ったのが久しぶりである。石鹸を付けて手拭いで擦れば擦るほど垢が出てくるという具合であった。
髪は女の命などと言うが、ゆっくりと洗っている時間はない。そもそも他の隊も入浴するのでお湯の使用自体に制限があるので髪まで丁寧に洗っている余裕などなかった。
「おぉおぉおお~ッ」
風呂に入ったら変な声が出た。
身体にお湯がそのまま染み込んだような感覚である。必然的に誰も彼もが「ふへー」だの「ヒョー」だの変な声を出していた。若い女しかいないというのに色気のイの字もない。
まさか湯船に浸かれるとは思ってもいなかったので、みんな湯に浸かりながら呆けていた。
肩まで浸かりながらふとミキは周囲を見渡す。当然ながら周りは女体だけなのであるが、みんな大なり小なりの怪我をしており、傷だらけで「艶のある白い肌」という煽情的な物は一切存在しなかった。
戦ってきたのだなァという実感がしみじみ湧く。それと同時に見知っていた顔が随分と少なくなっている事にも気が付いた。
「随分寂しくなったね……」
「ん」
聞いているのか、いないのか、アカツキは曖昧な返事をする。
上陸した時、第二小隊だけでも五十余名の兵士がいた。だが今は二十数名しかいない。確かに第二小隊は先鋒ばかり勤め、それ故に損害も大きかった。しかしそれでも半分の損失は大き過ぎる。改めて激戦であったのだと認識した。
「感傷的になっても仕方がない。今は気楽にいこーぜ」
「……そうだね」
アサキに窘められ、感情を切り替えるためにミキはお湯で顔を洗う。
しかし天国の時間は無情にも直ぐに終わった。交代の時間である。次に入浴する第三小隊の連中が早くもすっぽんぽんになって「さっさと出ろ」とブーブー文句を言っていた。
「はーいはい」
名残り惜しいが仕方がない。全員湯船から上がって第三小隊と交代する。
「あれ?」
身体を拭き、服を着ようとしてミキは気が付いた。
さっき脱いだ服を洗濯籠に入れたのだが、洗濯物と勘違いされたのか一緒に持っていかれている。周囲を見渡すと、どうやら事前に棚の上に置くようにと指示が出ていたらしい。みんな棚から着替えを出していた。風呂に入りたい気ばかり焦って、第一分隊長の説明が耳に届いていなかったのだ
「お前まだ入浴する気か。いつまですっぽんぽんでいる気だ」
シラセに言われたが、無い物を着る事は出来ない。
「あのぅ……」
仕方がないので着替えまで洗濯に出してしまったと言うと、途端に「阿呆!」と頭を引っ叩かれた。
「ボサッとしているからだ」
「どうしたら良いでしょう」
「どうしたもこうしたもない。このまま居ても邪魔になるからそのまま行くぞ」
「いやいやいや!」
思わずミキは手を前に出して拒否した。
「流石に全裸で外歩くのはマズいですよ!」
「無いのだから仕方がないだろ」
「何か代わりに着る物とか……」
「仕方がないな」
ホレッと何故かタオルを渡される。
「それ巻いてけ」
「は?」
「何か問題でもあるか」
問題しかないのであるが。
だがシラセはもうそれで議論はお終いとばかりに行ってしまった。
「私たちで隠してあげるから」
「自業自得ッスね」
ぐうの音も出ない。
仕方がなくタオルで身体を巻いて隠して、キクリとアカツキに挟まるようにして隠れながら兵舎に戻る。
その間に四方八方から好奇の視線を向けられたのは言うまでもない。
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