第22話 原野の決闘

「テーッ(打て)!」

 号令と同時に鬼軍の速射砲が砲声を上げた。

 速射砲とは対戦車砲の隠匿名であり、歩兵第四六三連隊には四門装備されている。

 そして今まさに敵戦車を撃っている砲はその虎の子の一門であった。

 夜に出した斥候の「履帯の音を聞いた」という不確定情報を重く見たマイハマは事前に連隊本部に応援要請を出しており、今しがたようやく速射砲中隊から到着したのである。

 しかし勇ましく放たれた砲弾は敵戦車の装甲を穿つ事はなかった。

 装填手が対戦車用の徹甲弾を装填、再び発砲するが敵戦車は無慈悲に弾き返す。

 これは全く想定外の事であった。

「鐘突いているんじゃねーんだぞ!」

 歩兵たちから野次が飛ぶ。

 全くの期待外れであった上に、敵戦車は速射砲を探して手あたり次第撃っている。そのせいで巻き込まれる歩兵も少なからず居たのだから仕方がない。

 しかしミキやアカツキは助かった。戦車が速射砲とやり合っているお蔭で、なんとか穴の中から這い出る事が出来たのだ。

 大砲同士の撃ち合いであるから敵の歩兵たちも立ってはいられないと伏せている。砲弾の小さな破片が通り過ぎただけでも、人体はゴッソリと持っていかれるのだ。砲弾が飛び交う中をとても立ってはいられなかった。

 その隙を突いてミキとアカツキは匍匐前進で味方の所まで逃げる。

 這いずり回る姿はまるで虫けらのようで惨めだったが、そんな事は今のミキにはどうでも良かった。それよりも無事に生きて戻れるかの方が重要である。

 敵戦車と速射砲と撃ち合っているミキたちの周りはともかく、他の場所では敵による総攻撃が開始されていた。

 旅団司令部の方では北部に攻撃が来るだろうと予測していたが、敵は第五中隊のいる東部から飛行場まで突破しようとしてきたのである。

 この予測の外れが、判断の遅れを招いた。

 司令部の方では敵の攻撃を陽動の可能性もあるとして、なかなか予備兵力を動かさなかったのである。そのうえ戦車の攻撃に動揺した第六中隊が命令を待たずに独断で撤退。第五中隊の左側面はガラ空きになっていた。

 勢いに乗り、敵は戦車と歩兵による攻撃を強める。

 重機関銃は休む事無く撃ち続け、歩兵砲や擲弾筒が次々に榴弾を発射したが敵の進撃は納まるどころか勢いを増していた。

 負傷者が続出し、引っ切り無しに衛生兵を呼ぶ声と悲鳴が響き渡る。

 しかしマイハマは第五中隊を下げようとはしなかった。

 下手に下がれば右側面で死闘を繰り広げている第四中隊が孤立してしまう。それだけではなく、敵は勢いのままに飛行場まで突破するだろう。そうなれば全てが終わりだ。

 例え多勢に無勢、勝ち目が見出せなくても戦いを続けるしかない。

 そんな混乱の中をミキとアカツキは隙を見て走り、味方の所にまで何とか到達。タコツボの中に転がり込む事ができた。

 小銃は逃げる時に置いて来てしまったので、そこら辺に放置されていた小銃を代わりに使う。

 持ち主は負傷したのか、あるいは戦死したのか、銃床にベットリと血が付いていたが気にしているような余裕はなかった。

「二人とも無事だったか」

 先に戻っていたのだろう。アサキが驚いた様子でミキとアカツキの顔を見る。

「良かった。てっきり戦車に潰されたのかと」

 やはり先に戻っていたキクリが心配そうに言う。

 しかし返事は出来なかった。

 直ぐ近くで砲弾がさく裂したからである。舞い上がった土砂が降り注ぎ、四人とも半ば埋まる。

 頭の土を振り払い、口の中に入った土を吐き出しているとアカツキが呻き声を上げているのに気付いた。見れば角が折れ、真っ赤な鮮血が出ている。

「衛生兵ッ!」

 叫びながらミキは包帯を取り出してアカツキの頭に巻く。

「大丈夫ッス。それよりも敵を」

 そこまで言った時、派手な爆発音と爆炎が上がった。

 遂に速射砲が吹き飛ばされたのだ。砲弾が誘爆し、花火のように周囲に火花を撒き散らす。

 歩兵砲や擲弾筒も弾切れを起こし、撃ち続けたせいで重機関銃にも異状が出始めていた。

 ほとんどの者が大なり小なりの怪我を負い、携行している武器にも弾切れや故障が多発する。

 予め準備された陣地ではなく、前進地点での襲撃だったのが災いしたのだ。

「総員着け剣ッ!」

 号令が下り、全員が銃剣を取り付けた。

 しかしどう見ても多勢に無勢である。ひとたび白兵戦が起これば成す術なく押し潰されるのは間違いないだろう。

 だが中隊の兵士たちは逃げなかった、否、逃げようという考えすらなかった。

 なんとしても戦い抜く。

 死んででも守り切る。

 例え銃弾が切れ、身体や武器の何処かに不具合が起きても、闘志を棄てる者は一人もいなかった。

 先ほど戦車で戦意を失いかけたミキとアカツキですら闘志を取り戻して小銃の引き金を引く。

 この場にいる誰もが臆病者で、卑怯者で、そして勇者だった。

 戦場に一際大きな号笛の音が鳴り響く。遂に敵が仕上げの総突撃を開始したのだ。

 蛮声が轟き、民族楽器による演奏が行われ、原野を埋め尽くすほどの兵力が第五中隊目掛けて走り出す。吐き気を催すような光景だった。

 深呼吸をして、ミキは小銃を強く握る。

 死にたくはない。しかし覚悟を決める他にない。

 敵戦車が大地を踏み締める音を発しながら速度を上げ、歩兵たちが銃剣付きの小銃を槍のように持ちながら原野を横断する。

 勝敗は決した。

 誰もがそう思った。

 瞬間。

 何の前触れもなく、敵戦車の砲塔が吹き飛んだ。

 何が起きたのか理解するよりも先に敵の周辺で次々と爆発が起こり、敵兵士たちが成す術なく吹き飛んで行く。

 敵も味方も、何が起きたのか解らなかった。

 だが砲撃は続き、敵兵士たちが次々と吹き飛ぶ。情けも容赦もない。流石に敵兵も前進を止め、後退りする者や伏せる者、中には既に逃げ出している者まであった。

「なにが、起きてるの?」

「……解らない」

 第五中隊の全員が何が起きているのか解らずに困惑する。

 そして状況を把握するのは敵の方が早かった。

 敵戦車が停止し、砲塔を旋回させる。そこでようやく側面から何かが来ているという事にミキたちは気付いた。

「戦車だ!」

 誰かが歓喜の声を上げる。

 木々を押し倒し、原野に現れたのは戦車だった。

 しかし敵の物ではない。砲塔には大きく飛龍旗――鬼軍の国章が描かれている。

 キチ車――鬼軍の主力戦車だ。

 轟々と勇ましいエンジン音を響かせながら、キチ車は戦車砲と機関銃で次々と敵兵を薙ぎ倒していく。さらに護衛の随伴歩兵が続き、圧倒的な火力を以て敵を制圧する。

 予期せぬ救援に四人は顔を合わせて大きな声で笑った。例え一攫千金のお宝を手に入れた時でもここまで喜ぶ事はなかっただろう。

 中隊の誰もが笑い、肩を叩き合い、歓声を上げた。

「逃げろ逃げろ森人族エルフども! 戦車隊のお通りだ!」

 今までのお返しとばかりに中隊の小銃、機関銃が残り全ての銃弾を撃ち尽くすかのような勢いで敵を撃つ。

 敵の戦車も後退しながら応戦したが、何しろ海上での輸送優先で運ばれた小型の軽戦車である。本格的な戦車戦を想定した中戦車のキチ車が相手では話しにもならない。

 先ほどの速射砲のようにキチ車は全ての砲撃を弾き、対して敵戦車はキチ車の一撃で吹き飛んだ。

 敵戦車のハッチが開き、炎上する車内から逃れた敵兵が飛び降りる。そんな脱出者にも容赦なく銃弾は叩き込まれた。

 敵は突撃の最中だったので、周囲には戦車の攻撃を防げるような物は何一つない。一転して戦闘は鬼軍優勢になった。

 逃げ惑う敵も、負傷者を助けようとする敵も、何もかも容赦なく撃ち倒す。

 ミキも敵を撃つ事に対する嫌悪感や躊躇いなどを忘れていた。むしろ痛快ですらあった。

 次々と敵が倒れ、吹き飛び、あるいは戦車の履帯で蹂躙される。

 それは「虐殺」と呼んでも差支えの無いような、あまりにも一方的な戦いであった。

 成す術もなくなった敵が完全に撤退し、戦闘が終わると黄色い歓声が上がる。

 中には降りて来た戦車兵に抱き着いたり、キスをしたりする者までいた。

「吃驚したッス」

 呆然とした顔でアカツキは言う。

「ええ」

 キクリが頷く。

「戦車隊が、こんな良い男ばかりだったとは知らなかったわ」

「全くだ」

 笑顔を浮かべながらアサキが煙草の箱を差し出す。

 アカツキとキクリが一本ずつ取り、ミキも迷うことなく一本抜いた。

 燐寸を擦って四人で煙草に火を点け、大の字になって寝転がる。

 初めて吸った煙草は苦かったが、とても美味しく感じた。

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