復讐者

第24話 つかの間の休暇

 白い湯気が立ち昇っていた。

「ばばんば~♪」

 ドラム缶に入れられたお湯に浸かりながら、ミキは鼻歌を歌う。

 簡素なドラム缶風呂とはいえ、入浴をするのは上陸して以来である。例え立ちっ放しで身体をゆっくり休められなくても、湯に浸かるのはただひたすらに気持ちが良かった。

「早く代わってくれ」

 うずうずした様子で素っ裸のアサキが催促する。

「まだ入ってから一分も経ってないんだけれど」

「でももう皆行列作ってるぞ」

 見てみれば、なるほど、確かに長蛇の列が出来上がっている。

 ドラム缶風呂は五つなのに対して、第五中隊は百名近くいるのだから列が出来上がるのも当然だ。

 名残り惜しいがミキは風呂から上がった。

 僅か一分程度の烏の行水のような入浴だったが、それでも身体中に溜まっていた色々なモノが流されたようで気分は良い。

 いつもなら鬱陶しく感じる風が心地よく感じる程だ。

「おーい、誰か手空きの奴いないかー? あ、お前で良いや」

 見慣れない古兵に手招きされ、まだ頭から湯気の出ているミキは首を傾げる。

「なんでしょう?」

「ちょっと付いて来い」

 なんだか解らずに付いて行くと、到着した場所は下士官浴場であった。

 軍隊では何でも階級で区別する。それは前線でも同様であり、所有物や使用出来る施設などが明確に別けられていた。

 当然のように風呂も下士官と兵では別である。

 もっとも別けられているといっても何か特別な風呂があるわけではない。ミキたち兵隊と同じドラム缶風呂である。それでも長蛇の列を作らず、ゆっくり入れるわけだからかなり優遇されていると言えるだろう。

「シラセ軍曹」

 古兵に付いて行くと、一つのドラム缶風呂に着いた。それが当然であるかのように、ドラム缶風呂には女性の下士官が入浴している。

「んぁ? どした?」

 余ほどリラックスしていたのだろう。入浴中の女性下士官は変ちくりんな声を出した。

「当番兵をつれて来ました。お背中でも」

「いいって。自分でやるよ」

「駄目です。下士官としての威厳が示せません」

「わーったよ」

 面倒臭そうに言いながら女性下士官はドラム缶風呂から出て、地面に敷かれている茣蓙に置かれた椅子に座った。

「では自分は失礼します」

「おーう」

 立ち去っていく古兵。どうやら体よく仕事を押し付けられたらしい。

「じゃあ流してくれ」

「はぁ」

 ミキは腕を捲り、石鹸と手拭いを取った。

「背中流させないと示せない威厳ってなんだよなぁ?」

「はぁ」

 曖昧に返事をして、ミキは石鹸を付けた手ぬぐいで女性下士官の背中を洗う。

 女性兵には大きく別けて二つの人種が存在している。

 一つは「女性であろう」とする兵士で、髪を伸ばしたり、外出の時は化粧やお洒落をしたりして意識的に女性である事を忘れない。そしてあくまで「女性」である事に強いプライドがある。

 そしてもう一つは「男化した」兵士だ。

 前者に対し、こちらは「女性」としての身嗜みに無頓着であり、髪や服装なども利便性を優先している。そのせいか動作や口調も何処となく男っぽくなっており、時折り自分が女である事を忘れているような態度を見せる事すらあった。

 件の女性下士官はまさしく後者の典型で、口調は男そのもので髪もバッサリと切った短髪である。

 女性下士官――彼女はシラセ・キリカといい、戦死した第二分隊長の後任としてやって来た新しい指揮官だ。

 大狼だいろう原野の戦いで第五中隊は敵の飛行場への突入と旅団の全滅を救う活躍をしたが、同時にそれだけの犠牲も出していた。

 正確な損失数は知らないが、ミキの体感では二割か三割の兵士がいなくなっているように思える。

 第二分隊の被害も甚大で、分隊長である軍曹が戦死しただけでなく、半分以上の分隊員を失っていた。実質的にいつもの四人以外いなくなったようなものである。

 見知った顔がいきなりゴッソリといなくなったわけであるからミキが受けた衝撃は小さくない。しかしそれは他の分隊も同様である。一人だけメソメソ哀しんでいるわけにもいかなかった。

 そんな中で着任したのがシラセである。

 元々は他の分隊で分隊長の補佐をしていたが、今回の人員不足を補うために急きょ昇進させられた出来立てのホヤホヤの下士官だ。もっとも戦前より優秀な兵士は下士官候補として教育を受けているのをミキも知っていたので不安はあまりなかった。

「この休暇はいつまでなんでしょうか」

「さぁな。そこは中さんにでも訊いてくれ」

 大狼だいろう原野での活躍を認められ、中さん――中隊長の地位にはマイハマが収まった。今まで仮だったのが、正式に中隊をまとめる立場になったのである。

 これまでは「女士官は……」と文句を言っていた者もいたが、原野での戦い以降は誰もがマイハマを認めており、彼女が中隊長になったのに異論を挟む者ような莫迦はいなかった。近く大尉に昇進するという噂もある。

 また第五中隊は再編成の為に一度飛行場近くまで後退。疑似的な「休暇」が与えられていた。

 防御陣地から僅かに数キロも離れていない場所であるが、ここには仮とはいえ兵舎が存在する。野戦陣地に比べると乞食村と高級住宅地くらいの差があった。

「誰かがいなくなったと思ったら誰かが偉くなって……戦争っていうのは忙しいですね」

「まぁなぁー。敵さんにも合わせないといけないし、色々と面倒な事が多……いてて」

 シラセは眉間に皺を寄せて振り返った。

「そこ怪我してんだ。あんまり石鹸付けないでくれ」

「あっ、申し訳なくあります」

「そこまで口調堅くなくて良いぞ。どうもくすぐったい」

 言ってからシラセは欠伸をした。

「ねみーな」

「今日は嫌がらせ爆撃が無ければいいですが」

 少し前よりドウメキ島周辺に哨戒網が作られ、近海に空母が常駐するようになっていた。そのおかげで空襲があっても迎撃出来るようになったのであるが、敵は懲りずに夜間の嫌がらせ爆撃を続けている。

 邀撃も空母の艦載機が行っているため、敵機が爆弾を落とすまで間に合わない場合も多々あった。夜間の離着艦は危険だというので、そもそも飛んでこない時すらある。

 飛行場設営隊の連中いわく飛行場修繕の資材も到着しており、飛行場の修復が終われば陸上航空隊も来る。そうすれば敵が空爆する前に撃墜出来る……らしいのだが、今の様子だと飛行場修復が完了するのは未だしばらく掛かりそうだ。

 お湯で石鹸を洗い流し、身体を拭く。例によって「いいよ」と言われたが、やらないと怒られるのはミキなのである。半ば無理やり身体拭きをした。

「では片付けしておきます」

「悪いな」

 バツが悪そうに後頭部を掻くシラセ。

 何しろ今まで兵隊だったのが、いきなり世話係が付くような階級になったわけだから勝手がイマイチ解らないのだろう。

 シラセがいなくなるのを確認し、さらに周囲を見渡す。

 他の下士官たちも引き揚げており、残っているのはミキのような当番兵しかいない。

 周囲を確認してからミキは服を脱ぎ、たっぷりと残り湯のあるドラム缶風呂の中に飛び込んだ。

「あ~生き返る~」

 風呂を早々に引き上げて、背中流しをやらされたのである。これくらいの役得はあっても良い筈だ。他の当番兵たちも同様に、皆これ幸いとドラム缶風呂に飛び込んでいる。

 ゆっくりと湯に浸かり、少しウトウトした。陣地構築をしていた時などは夢想すらしていなかった風呂だ。まさに天国にいるような心地であった。

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