大狼原野の戦い
第18話 吉報と凶報
カーン、カーンと空のドラム缶を叩く音が何度も響き渡った。
「空襲警報ーッ」
陣地全域に空襲を知らせる声が響き渡る。
しかし陣地内にいる兵士たちは「やれやれ」といった体で逃げる素振りすらしなかった。
「敵さんも仕事熱心な事で」
呆れ顔をしながらアサキが土嚢を重ねる。
敵による強行偵察があってから数日。今のところ敵襲は無いが備えておくに越した事はないので各陣地で補強作業が行われていた。
そんな最中での空襲であるが、敵航空隊の狙いは遥か離れた飛行場である。
樹海の中にある歩兵陣地など目もくれないどころか、見つけすらしていないのは誰もが知っており、わざわざ防空壕の中に逃げ込む者は一人もいなかった。
「珍しく昼間だね」
空を見上げながらミキは言う。
いつもなら嫌がらせを兼ねて夜間での空爆なのだが、今日はどういうわけだか真昼間である。
「豆鉄砲が当たんねーって事が解ったンじゃねぇの?」
ミキたち歩兵は飛行場にある高射砲つまり対空用の大砲の事を「豆鉄砲」と呼んでいた。音ばっかり派手でサッパリ当たらないからである。
花火でも撃ち上げているのか、と文句を言いたくなるほど命中率が低く、今のところ敵爆撃機を撃墜しているのを見た事がない。
実を言うと高射砲部隊も砲弾が欠乏しているせいで効果的な砲撃を出来ずにいたのであるが、そんな事はミキたちが知る筈もなかった。
「たまにゃあ一機くらい撃墜してくれよなァ」
ブツブツとアサキが文句を言った時、ミキはふと気付いた。
「なんか聞いた事のない音が聞こえるけれど……」
上空から聞こえてくるソレは、明らかにエンジン音の類だ。
航空機は詳しくないミキであるから、エンジン音で飛行機の機種を聞き分けるなんて芸当は出来ない。
しかしそんな素人のミキでも解るくらい敵爆撃機のエンジン音とは異なる音であった。
「あれ? なんか上空にいるけど」
中隊の誰かが空を飛んでいる爆撃機の、さらに上空を指差す。
言われてみると、確かに二十に近い爆撃機の上から九つの点が急降下している。
「これ、キハル三号エンジンの音だな」
耳を澄ませていたアサキが言う。
「キハル三号エンジンって確か……」
ミキがそこまで口に出した時、横で見ていたアカツキが「あっ」と素っ頓狂な声を出した。
見上げると上空の爆撃機から真っ赤な炎が噴き出ている。
最初は小さな火だったが、やがて機体全体を覆い尽くす程に燃え広がると爆撃機は遂に爆散した。
「キハルは……うちの軍のエンジンだ」
アサキの言葉で中隊は一瞬、シンッと静まり返る。
そして理解が追い付くと、全員再び空を見上げた。
爆撃機を屠った飛行機は、翼を翻して再び爆撃隊に襲い掛かる。
一斉に歓声が上がった。
「やっちまえー!」
「どんどんやれーッ!」
「待ってたよーッ!」
口々に歓喜の声を上げ、見えていないであろうにも関わらず上空で戦う友軍の戦闘機隊に向けて手を振る。
これまで一度も迎撃などなかったので敵の爆撃隊は慌てたのだろう。散り散りに解れ、爆弾も投下せずに離脱を始める。
しかし戦闘機隊は逃がさないとばかりに食いつき、爆撃機は二機、三機と落ちていった。
ワァーッと歓声が上がる。
僅か十分にも満たない戦闘であったが、ミキが見ただけでも爆撃隊の半分が撃墜されていた。
地上から皆で手や旗を振ると、戦闘機も気付いたのかバンク――翼を左右に振って水平線へと帰っていく。
再び歓声が上がり、ミキたちは飛行機が見えなくなるまでずっと手を振り続ける。
久しぶりの痛快な出来事に、みんなしばし興奮が醒めなかった。
「作業止めーッ。当直を残して全員中隊指揮所前に集合」
唐突に集合命令が掛かり、ミキたちは手を振るのを止めて中隊指揮所にゾロゾロと集まる。そもそも作業など端からしていなかったので集合はいつもより随分と早かった。
「中隊指揮官殿に敬礼ッ! かしらァ中!」
全員が敬礼し、マイハマが答礼する。
「全員楽にしろ。良い知らせと悪い知らせがある」
一度全員の顔を見渡してからマイハマが前置きをする。
「まず良い話だ。先ほど水軍より連絡があった」
非常に上機嫌で、嬉しそうにマイハマは言う。
「我が海の荒鷲、水軍航空隊が敵主力艦隊を撃滅した。報告によれば我が空母航空隊による波状攻撃で空母一隻を含む二隻の軍艦を撃沈、一隻を大破せしめたそうだ」
先ほど空戦を観戦していた時と同様に大きな歓声が上がる。
だがミキの隣に立っていたキクリだけは固い表情を変えなかった。
まだ「悪い知らせ」が何であるか伝えられていなかったからだ。
「中尉殿、悪い知らせというのは?」
キクリが訊ねるとマイハマは気まずそうに一度視線を逸らした。それから深い溜息を吐く。
「敵の第三派が上陸した」
全員の顔から笑みが消えた。
「おそらく上陸第二派の連中と合流、それから攻撃に出る事が予想される」
笑みが失せたどころか血の気まで失せていく。
予想が正しかった場合、敵は河川での戦いの時を遥かに越える規模で総攻撃を仕掛けてくる筈だ。
その場にいる全員が絶望したような暗い表情を浮かべていたが、マイハマだけは平然としていた。
「確かに敵は強大だ。しかし敵主力艦隊を撃滅した事によって、ようやく我が軍の輸送船も大々的に荷揚げを再開している」
もう少しの辛抱だ、とマイハマは全員を励ました。
「もう少しすれば交代要員や増援も来る。それまでは何としても持ち堪えろ。貴様らならそれが出来ると信じている。以上だ」
「中隊指揮官殿に敬礼ッ! かしらァ中!」
敬礼。答礼。
マイハマが中隊本部に戻ると、残された兵士たちはみんな曖昧な表情を浮かべていた。
喜ぶべきなのか、それとも悲観するべきなのか解らなかったのだ。
ミキもどういう感情を抱いたら良いのか解らず、自分たちの壕に戻ってからも補強作業が手に着かなかった。
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