第33話 一夜の出来事

 総攻撃開始より早や数時間以上が経過していた。

 敵の抵抗は予想以上であったが、こちらは既に砲兵の布陣と連絡線の確保が完了している。少しでも障害となるものがあれば砲兵支援で吹き飛ばし、歩兵隊は砲撃で生き残った敵を掃討しながら前進というような形になっていた。

 だがそれも頂上間際までである。

 上に登れば登るほど、陣地は深く、入念に作られており、追い詰められた敵は死に物狂いで抵抗を繰り返す。陣地が深く構築されているので砲撃も効き難く、そのうえ至る所に掘られた小さなタコツボからの奇襲は脅威だった。

 文字通り命懸けで足止めを行っていた敵部隊が稼いだ時間が陣地構築に有効に使われていたわけだ。

 文字通りの一進一退の激闘を繰り返している間に、すっかり周囲は夜になっていた。

「大隊より現状維持の命令が出た」

 月明かりの下の塹壕内でシラセがマイハマからの言葉を知らせる。

「明け〇六○○時(六時)に総攻撃を再開する。交代で歩哨を立て一夜を明かす。敵味方識別のために白の襷か鉢巻を着用しろ」

 そんな事を言われても白い襷や鉢巻など持っていない。仕方がなくミキは雑嚢カバンから使用期限の切れた包帯を取り出し、それを折って鉢巻代わりにする事にした。

 他も概ね同じだろう、とミキは思っていたのだが、どうしてかみんな自前の鉢巻を持っていたらしく、ミキのような情けない事をしている者はいない。アカツキに至っては大きく「肉弾」と書かれた鉢巻を頭に巻いている。

 星明かりのみであっても夜に真っ白い鉢巻は目立つ。狙撃されないだろうか、と不安になったが目立たねば敵味方の識別にもならないので意味がない。しかし頭を狙われたら怖いので、ミキは頭ではなく腕に巻く事にした。

「合言葉は桜、咲いた。忘れるなよ。忘れたら撃たれても文句は言えないぞ」

 そうして暗闇の中で攻撃各隊は休みを摂る。休みと言っても敵前であるから休まるものも休まらない。むしろ気が張ってしまい、さっさと朝にならないかと思ってしまうくらいだった。

 そんなわけだから炊事班が持ってきてくれた握り飯と漬物の味も感じない。せっかく斜面を這いつくばり、必死に持ってきてくれたのに申し訳がなかった。

「これで眠れるわけないっスよ」

 実際に眠れないらしく隣で横になっているアカツキが呟く。一応は「寝ろ」という命令が出ていたが、こんな状況であるから眠れる筈もない。

 敵前の緊張感もあるが、そもそも毛布の一つも何もないのに寝ろという方が無理だ。そのためほとんどの者が寝転がっているだけで起きていた。

「流石に敵も攻撃はして来ないと思うッスけれどね……」

「いや、解らないよ」

 何しろあれだけ砲撃喰らっても白旗を揚げない連中だ。追い詰められて夜襲をしてきてもおかしくはない。

「しかし獣耳族コボルトの連中はさっさと降伏したのに、ここの連中はあれだけ砲撃を受けても徹底抗戦をするって意識の差が酷いッスよね」

「まぁ、民族的な問題もあるみたいだしね」

 特に公国や王国の上流階級者は誇り高く降伏よりも死を選ぶ事が多いと聞く。そんな連中が指揮官に据えてあるのだから徹底抗戦を選ぶのも必然と言えるだろう。むしろ自分たちに選択肢が与えられているだけ「置き去り」にされた兵隊たちの方が幸運だったのかもしれない。

 そんな敵であるから最後の巻き添えを狙って再び毒ガス攻撃をしてくる可能性もある。そのため防毒面はいつでも付けられるように準備していた。

「……眠れん」

 誰かがボヤく。

 こんな状態なのでウトウトとも出来ない。そうこうしている間に歩哨の交代でミキの番となった。

 小銃に銃剣を着けたまま、ミキは敵の残していった塹壕から半身を乗り出して周囲を見張る。今夜は星も月も出ている上に、何も遮る物のない高地であるから視界は悪くない。それでも夜間であるので少し距離が離れるとほとんど見えなかった。

 何もかもが不明瞭であると見える物全てが疑わしく思えてくる。ドウメキ島に上陸してから繰り返し夜間の歩哨は担っているが、こればっかりは何度やっても慣れなかった。

 それでも三十分を過ぎた頃から徐々に警戒心が薄らいでいく。心身の疲れで集中力が乱れてくるせいだろう。こうなるともう歩哨どころではなく睡魔との戦いになってくる。

 あれだけ眠れないと嘆いていたのに、歩哨についたら眠たくなるのだから莫迦らしい。

 しかしうっかり居眠りでもして、その間に夜襲でも遭えば二度と目を覚ます事は出来なくなる。ミキは懸命に瞼を閉じないようにして、何度も腕を抓っては捻った。おそらく随分と痕になっているだろうが、寝てしまうのよりは良い。

 ふと。

 何かが動いているのが見えた。

 慌てて傍に置いてある双眼鏡を取り、動いた物体が何であるかを確認する。しかし暗い上に草に隠れてしまってサッパリ見えない。しかし何かが動いているのは確かだ。

「桜」

 ミキは合言葉を言う。味方であれば即座に「咲いた」という返答がある筈だ。

 しかし返事はない。ただ草陰をガサゴソと動いているのみだ。

 ミキは小銃の安全装置を外し、動いている物体に狙いを付けた。

「桜!」

 もう一度合言葉を怒鳴る。

 だがそれでも返事はない。

「桜!」

 再度合言葉。これで返答が無ければ発砲して良い事になっている。

 やはり無言。

 そして動いていた物はピタリと止まった。ミキは引き金に指を伸ばしたが、動いている物が何だか解らないのに撃つわけにもいかない。もしかしたら野生動物かもしれないし、下手に撃って敵に位置を露見するのも困る。

 静かに深呼吸をして、不明な物体の次の動きを待つ。

 何分そうしていたか解らない。ただ使い慣れている筈の銃が重く感じるほど、ずっと同じ姿勢で狙いを定めていた。

 瞬間。

 草陰から何かがバッと立ち上がった。

 間髪おかずにミキは引き金を引く。ターンッという乾いた音が響き、続いて何かが草陰の中に倒れ込んだ音が耳に届いた。

 しかし発砲時の銃火のせいで目が眩んだ。今まで真っ暗闇だったのにいきなり発砲時の光が目を襲ったのだから当然である。そのせいでミキの視界は少しの間、全く何も見えなくなってしまった。

 こんな時に襲われでもしたら万事休すだ。ミキは見えないままで壕の中に伏せる。

「敵襲かッ!」

 即座にシラセが駆け付けると「大丈夫か」とミキの肩を揺さぶった。銃声の後に壕の中で縮こまっていたので何処かやられたと思ったのだろう。

「大丈夫です、ただ銃火で目が眩んで……それよりも近くに何かがいます」

 その報告で即座にシラセが双眼鏡で周囲を見渡す。

「何処だ」

「発砲した後に倒れた音がしたので、おそらく何処かに転がっている筈です。あそこの辺りでした」

 ようやく少し見えるようになった目をパチパチしながらミキは先ほどの場所を指差す。

 双眼鏡でシラセが確認をしたが草陰なのでほとんど見えない。

「いや、何か倒れているな」

 ミキの撃った弾がどうやら命中したらしい。

 全く動かないので恐らくは死んだのだろう、という事になったが迂闊に壕から出れば危険なので確認する事も出来ない。仕方がなく確認をするのは明日という事になり、歩哨は二人に増やされた。

 そして朝になった。

 幸いにして夜襲はなかったが、ほとんどの者が眠れずにいたので疲労が凄まじい。それでも攻撃直前であるので休憩などは出来ない。日が昇っているので給食も難しく、朝食抜きでの総攻撃再開と決まった。

 ミキはアカツキを連れ、昨晩何かが倒れた場所の確認へと向かう。

 草陰を這いながら進むと、不意に何かの声が聞こえた。

 何を言っているのかは解らないが、ただブツブツと何かを繰り返している。

 しばらくして、それが聖書の一節であるという事に気が付いた。

「耳長共のッスね」

 アカツキの言葉にミキは頷く。

 王国圏の国々が信仰している宗教の聖書の一節だ。当然ながらヨモツ国にはソレを信仰している者はいないに等しい。従って唱えているのは敵だという事になる。

 声を頼りに草を掻き分け掻き分け進むと、予想していたとおり敵兵が倒れていた。とはいってもほとんど死に体である。腹部が真っ赤に染まり、息も絶え絶えで今にも死にそうであった。

 昨晩の発砲で倒れたのだとすると、既に六、七時間は経過している。それまで死ねずにずっと苦しんでいたのだろう。

 敵兵は虚ろな目でミキの顔を見た。もはや驚く気力もないのか、それとももう見えていないのか、ミキを見ても敵兵は何の反応も示さない。

 ふと近くを見ると、旗が落ちているのが見えた。

 白旗だ。

「……降伏する気だったの?」

 旗を取りながらミキが訊ねたが敵兵は何の返答もしない。改めて顔を見ると、もう既に息絶えていた。

「……戻ろうか」

 旗を折りたたみ、敵兵の胸元に置いてミキは言う。

 総攻撃が始まる。ミキたちは未だ籠城している敵を一掃しなければならないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る