一章 メジャーへの道

第7話 練習ラウンド

 加藤茶レディストーナメントは、11月の上旬から中旬に行われる、JLPGAツアーの試合の一つである。

 賞金総額は一億円で、優勝者賞金は1800万円。

 この前の四菱レディスと、試合の格としては同じものだ。

 開催地は千葉で、栃木からは車で二時間半ほどと、近隣の強みはある。

 小鳥がこの試合に参戦するのは、去年に続いて二度目だ。

「去年は予選落ちだったね」

「うるさいよ!」

 帯同キャディとして澄花も車の運転をしてくれる。


「優勝狙うんだよ」

 小鳥よりもむしろ、母の澄花の方が熱心である。

「副賞の車がもらえたら、貸してもらう必要がなくなるしね」

 普段は支配人の好意で、ゴルフ場の車で近隣に遠征している小鳥なのだ。

「どうせなら外車狙いの方がよくない?」

「いや日本車。日本車が一番なのは世界の常識」

 今回の副賞はセダンなのである。

 なお副賞が車であった場合、ベンツであることが一番多い。

 JLPGAのランキングが、メルセデス・ランキング(※1)と呼ばれていることと関係している。

 この間の試合で副賞として、家電をもらえたことで味をしめたらしい。


 日程は三日間開催で、水曜日には練習に入っており、木曜日にはプロアマ戦(※2)。

 百合花や女王と最後まで接戦を繰り広げた小鳥は、実はプロとしての価値が上がっている。

 元々アマがプロの大会で優勝すれば、それだけで注目されるものなのだ。

 以前からツアープロとしてクラブなども、スポンサーから無償提供を受けている。

 だが実力もともかくとして、丸っこい愛嬌のある顔が可愛い、というのがスポンサーのおっさん受けする理由だとは、本人には言えない。


 練習ラウンドは、一緒に回ってくれる人間があまりいない。

 小鳥はそのプロ入り過程が特異であり、しかも色々とすっ飛ばしているのでプロの親しい人間が少ないのだ。

「小鳥遊プロ」

 そんな小鳥に声をかけてきたのは、まだ若い女の子だった。

 小鳥も充分に若いのだが、さらに若い。

「スポンサーから、一緒に練習ラウンドを回れって言われたんですけど」

 彼女が着ているシャツには、ナショナルチーム(※3)のロゴが入っていた。




 小鳥のゴルフ歴は、ほとんど立ち上がった頃から始まっている。

 だがホームのコースでは楽しんでも、他のコースの試合に出ることなどは少なかった。

 祖父から学んだ技術を元に、キャディをしながらティーチングプロ(※4)を目指すという具体的な将来像を考えていた。

 高校もゴルフ部のない公立校を選んだし、大会にも積極的にはでていなかった。

 せっかく上手いのだから、ジュニアの選手権に一度ぐらいは出てみないか、と周囲に言われたのが高校三年生の時。

 そこでいきなり関東ジュニアを優勝し、今までどこにいたんだ、と注目された。


 現代のプロゴルファーは多くが、ジュニアの頃から知名度が高い。

 おおよそは12~14歳の部と15~17歳の部のジュニア大会で嫌でも名前が知られていく。

 小鳥はそこに、いきなり現れた。

 さらにプロの試合に招待選手として参加し、初出場で初優勝。

 プロテストをすっ飛ばしてプロになった選手など、過去に10人もいない。


 ジュニアの大会とは別に、学生の大会などもあるのだが、栃木県にはゴルフ部のある学校は少ない。

 小鳥は公立の商業科に通ったので、そこでもゴルフとは無縁であった。

 もっともゴルフ部がなくても、登録さえすれば高校の試合に出場することは出来たのだが。

 本人にそのつもりがなかっただけで、天才はそこにいたのだ。

 ただこの経歴が、逆に弱点にもなっている。



 

 村田イチカは高校二年生である。

「今年の日本ジュニアで2位だったんだ。すごいね」

「いえ、そんな」

 謙遜しているわけではなく、純粋に小鳥の方が実績は上なのだ。

 イチカは子供の頃からゴルフをやっていて、中学生の頃から頭角を現した。

 クラブのモニター提供を受けていて、ジュニアの選手権でも実績を残している。

 またSSホールディングとスポンサー契約を結んでいて、活動費を全額負担してもらっている。


(この人が、百合花ちゃんの言ってた天才……)

 イチカは百合花と共に、地元の競技会に出たことがある。

 そして一度も百合花には勝てていない。

(いきなり関東ジュニアに優勝して、日本ジュニアでも3位……)

 そして招待されたプロの試合で、優勝してしまったという経歴。

 公式戦三戦目で、プロの試合で優勝しているのだ。


 百合花でさえプロの試合では負けている。

 アマチュアなら世界レベルでの負けで、それも2位であった。

(練習日だからかもしれないけど、ゴルフが粗くない?)

 ナショナルチームで学んでいるイチカからすると、リスクの計算が出来ていないと感じる。


 入れてはいけない深いラフに入れる。

 だがそこからウェッジで、あっさりといい位置までリカバリー。

 バンカーに入れたと思ったら、そこからまるでフェアウェイのように、ウッドでクリーンに打ってしまう。

 ドローだけではなくフェード、あるいはフックやスライスの曲げる球を、状況に応じて使ってくる。


 百合花に似ている。

「使ってるアイアンもマッスルバックなんですね」

「そうそう。あたしはお祖父ちゃんからゴルフを習ったから、使ってるのが男子基準なんだ」

 練習日なのでピンを切ってある位置も、さほど難しくはない。

 グリーンをしっかりとチェックしているのは、キャディの澄花である。

 そんな澄花にイチカは、渡されていたノートを差し出す。

「これが小鳥遊さんの分の攻略ノートです」

 同じスポンサーの所属ということで、渡されているものだ。


 長いホールは薄いドローとフェードを使い分ける。

 ラフやバンカーからは、あっさりと出していく。

 とにかく少しでもピンの近くに、というアマチュアおじさんのようなゴルフ。

 しかしそれでボギーが出ても、それ以上にバーディやイーグルが出てくるのだ。


 2イーグル、9バーディ、2ボギー、1ダボ(※)。

 9アンダーでフィニッシュしたが、付き添ったイチカは2オーバーである。

 事前に何度か回ったことがあるが、その時はアンダーパーで回ることが出来た。

 完全に小鳥の勢いに、圧倒されていた。

(これがツアープロの実力……)

 それも澄花の指示を無視して、粗い攻め方をしてこの結果である。


 イチカから見たら、百合花は怪物である。

 まだ中学生であるのに、日本女子アマを優勝し、ジュニアを連覇。

 最初のプロのツアーではさすがに勝てなかったが、二位でフィニッシュ。

 そしてついに先日、史上最年少優勝を果たした。

 だが怪物は一人ではない。

 

 このコースを何度も回っているイチカに、小鳥の案内を頼んである。

 逆に小鳥にも、初めてプロの試合に出るイチカの、フォローを頼んでいるスポンサーである。

 だがマイペースで楽天的な小鳥は、プレッシャーを感じる神経が鈍い。

 イチカの不安にも気付いていない。

 なので自然と、澄花がその世話を焼いてしまっていたりする。


 小鳥と違ってイチカには、帯同キャディというものはいない。

 なのでコースキャディについてもらうわけだが、コネで一番いいキャディについてもらえる。

「やっぱりツアープロは違いますね……」

 ラウンドの終わった後、クラブハウスのレストランで、食事をする三人。

 そしてコース戦略を考える。




 今日のスコアはあまり、参考にならない。

 重視すべきはラフの深さやグリーンのスピードといったあたりだ。

 どのみちピンをグリーンのどこに切るかで、ゴルフのコースの難易度は極端に変わる。

 そしてプロの試合ならおおよそは、最終日が一番難しくなるのだ。

 もっともアマチュアであっても、大きな大会ならそれが普通である。


 明日にはプロアマ戦があるので、ラフやバンカーもそこで確認できるだろう。

 シードを持たない現地プロなどは、前の週からずっとここで、練習をしていたりする。

 数千のプロの中で、ツアーシードを持つ選手こそがトッププロなのである。

 だが現実には予選のさらに予選となるマンデーを突破してきたり、ステップアップツアー(※5)の結果から参加してきている選手もいる。


 今回の試合では、小鳥は優勝を狙っている。

 だが琴吹玲奈をはじめ、トッププロもしっかりと参加しているのだ。

 前の週で四日間開催の試合をしてきたため、スタミナが戻りきってはいないかもしれないのが有利な点。

 あとはスポンサーから提供された攻略ノート。

 これだけの援護があれば、またいい勝負は出来るだろう。


 ゴルフは本来、とんでもなく運の要素も強いスポーツである。

 だが技術があればその運においても、選択肢が増えてくる。

 先日の試合の敗北は、攻めすぎた後に攻めなかったことにある。

 だが下手に攻めていったら、二位もキープ出来なかったかもしれない。

「コース戦略~」

 四次元ポケットから出すノリで、澄花はノートを開く。

 なお娘とイチカは無反応である。


 ゴルファーは賞金を稼いでこそプロゴルファーである。

 よほど実力差があれば別だが、プロのレベルとなるとほんのわずかな差で、勝ったり負けたりするものだ。

 先日の試合においても、小鳥の選択ミスがなかったら、三人でのプレーオフになっていたかもしれない。

 そして事前にどれだけ、コースのことを調べておくか。

 試合中にお互いのアドバイスは出来ないため、前日までに情報交換はしておくのだ。




 6769ヤード、パー72というのは距離としてはやや長めである。

「毎年それなりにスコアは出てるね」

 過去の情報も見れるので、荷物の中にはパソコンもある。

 天気予報などを見ても、雨が降る確率は低い。

 風もそれほど出ないのでは、と思われる。

「するとスコアは伸びるかな」

 飛距離のある小鳥としては、恵まれた条件であろう。


 コース自体はとんでもなく難しい、というものでもない。

「でも去年のスコアを見てみると、難しいホールは分かるわね」

「7番と8番、あとは17番かな」

 17番は小鳥がダボを叩いたホールである。

 池ポチャをしてしまうと、さすがにパーセーブも難しいのだ。

 パー3のコースではあるが、その中では一番距離がある。

 バーディを狙わない方がいいコースと言えよう。


 だいたいコースセッティングは、6ホールはバーディを狙ってはいけない設定にすることが多い。

 予選などは人数が多いので、さっさと進行してほしいが、それでも難易度調整はするのだ。

 7番も池を避けて距離を残した。

 8番も一番距離のあるパー4であった。

 ノンプレッシャーの練習ラウンドはともかく、試合では9アンダーは出せないであろう。

「3ホールに一つバーディを取っていけば、計算上は勝てると思うけど」

 最適のショットを続けていても、アクシデントに見舞われるのがゴルフなのだ。


 澄花はコースキャディと話をして、情報収集をしてきた。

 いくらコースだけを見ても、それだけでは分からないものがあるのだ。

「とりあえず1番ホールから、ボギーのあるコースね」

 朝一番のホールは、パーで発進するのが重要なのだ。


 コースの特徴は小鳥のホームと似ているところがある。

 少なくともリンクスのような、極端な風があるコースではない。

 もっとも小鳥は風のあるコースでも、それなりに打ててしまう。

 計算ではなく感覚で打つ。

 意外とそれが馬鹿にならないのが、ゴルフというものなのである。



×××


解説


1 メルセデス・ランキング

試合の順位に応じて配分されるポイントによるJLPGAのランキング。年間50位までは翌年のシード権を獲得し一部を除くツアーの試合に出場出来る。

なお三日競技、四日競技、国内メジャー、USメジャーなどによってその得られるポイントは違う。

名称はJLPGAのオフィシャルパートナーでランキングの創設をサポートしたメルセデス・ベンツ日本株式会社に由来する。


2 プロアマ戦

試合の前日に行われる、スポンサー関係者などとプロによって行われるファンサービスの一種。スポンサー接待の側面も持つ。

ここで企業の役員に気に入られて契約を果たした選手もいたり、失礼な行動をして大問題になったりした選手もいる。


3 ナショナルチーム

各種アマチュア選手権の結果からポイントが与えられ、上位の中から選ばれる日本代表メンバー。アマチュアがプロの試合で実績を残すと、それも大きなポイントになる。毎年12月に選考されて期限は一年。国内外の国際戦に派遣されるメンバーはここから選ばれる。他にも各種のエリート教育を受けられるが、当然ながら小鳥は知らない。


4 ティーチングプロ

プロゴルファーの資格には二つがあり、一つは賞金を獲得するツアープロを目指すものだが、教える技術を保証するティーチングプロというものがある。

なお別にこれを持っていなくても金銭を受け取って指導をするのは誰でも出来る。小鳥の祖父はその例である。


5 ダボ

ダブルボギーの略。ゴルフはコースを決められた打数で回ればパー、1打少なければバーディとなるが、逆に1打多ければボギー、2打多ければダブルボギー、3打多ければトリプルボギー、4打多ければクアドラプルボギーとなる。

あとはパー4で8打を叩いた場合はダブルパーなどとも呼ばれ、さらに叩いた場合は単純にその数字だけを呼ぶことがある。プロはともかくアマチュアでは、9打や10打を叩くことは珍しくない。……珍しくないんだよ?


6 ステップアップツアー

事実上のJLPGAツアーの下部ツアー。プロテストに合格しても、選手はそのままレギュラーツアーに参加出来るわけではなく、クォリファイングトーナメント(通称QT)やステップアップツアーで成績を残し、レギュラーツアーに参加出来るようになっていく。つまり小鳥はこのあたりを完全にすっ飛ばしているのである。

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