第15話 メンタルスポーツ
ゴルフというのはメンタルのスポーツである。
観客の言葉からも影響を受けるし、キャディの言葉にも影響を受ける。
だが何より影響を受けるのは、同伴競技者のプレイであろう。
それが優勝争いなどをしていれば、より大きくプレッシャーを与えてくる。
自分が狙っていることを、先にやられてしまうこと。
あるいは逆に思ってもいなかった幸運が訪れること。
色々な要因が心を揺らして、普段通りのプレイを出来なくさせてしまう。
普段通りにしようと思った時点で、それはもう普段通りのプレイではないのだ。
基本的に玲奈は、バランスよくプレイをする。
自分の調子を確認し、同じ組の選手も観察し、コース状態も把握する。
ゴルフは穴のない選手が、安定していい数字を残せる。
まさに玲奈はそういう、穴のない選手である。
メンタルの駆け引きも、さほどは仕掛けていかない。
自分の技術に自信があるからこそ、余計な仕掛けをしていかないのだ。
対して綾乃は、駆け引きで勝負をするタイプだ。
もちろん根本的な力がなければ、駆け引きに持ち込むことも出来ない。
そして駆け引きで勝負するタイプは、相性が悪いタイプがいる。
繊細な神経を持たないタイプである。
「よっしゃ~!」
「またイーグル!」
「今日三つめ!」
「でもバーディがないぞ!」
ボギーを二つ叩いておきながら、アルバトロスの後、イーグルを三つ。
そして観客が笑う通りに、バーディが一つも出ていない小鳥だった。
超攻撃的ゴルフと言えようか。
当然のようにミスもあるのだが、リカバリー能力が高い。
そのためパーセーブに成功したり、ボギーで済んだりする。
あそこからどうしてボギーで収まるんだ、と思われるナイスボギーである。
かつてゴルフの古い時代は、ボギーでも充分に素晴らしい打数であったので、ナイスボギーとは言われていたらしいが。
綾乃が仕掛けていったのは、セカンドオナー戦法(※1)というものである。
わざと相手よりも先に打って、ベタピンのチャンスを作る。
自分も負けていられないと、焦った相手はコントロールミスをする。
だが小鳥はそんなことを意識せず、直接狙ったアプローチで、イーグルを二つ。
最初のイーグルと合わせて、7打潜った計算となる。
こうなるとボギーが惜しいが、打てると思って打ったボールは、ミスしても引きずらなければいいのだ。
相手にナイスショットをされるのは、当然ながらメンタルにダメージが入ってくる。
だが同時に、自分が集中して攻撃したショットが、相手にまるで効いていないのも、やはりダメージになってしまう。
小鳥は神経が太いと言うよりは、もうほとんど無神経である。
そして深いラフや目玉になったバンカーからでも、しっかりとリカバリーをする。
プロゴルフにおけるショットは、パットが40%強。
リカバリーショットは5%ほどでしかない。
だからパットと、グリーンへのアプローチこそが、スコアを作ると言われている。
間違いではないのだが、ではリカバリーショットはどうするべきなのか。
単純な話で、アンプレアブルでペナルティを払うか、フェアウェイに戻すのだ。
ゴルフとはミスをしたら、無理にそれを取り戻そうとするのではなく、ミスを認めて簡単に打てるライまで戻すのが基本である。
これをインポジションとアウトポジション(※2)と言う訳であるが、実は小鳥もこのミスはちゃんと元に戻すようにしている。
そしてもう一つ、池ポチャ(※3)だけは積極的に避けている。
バンカーやラフと違って、打ちようがないからだ。
バンカーやラフを恐れすぎるな。
小鳥は祖父にそう教えられて育った。
バンカーもポットバンカーとフェアウェイバンカーは違うし、ただバンカーに入っただけと、砂に潜っているのとは違う。
ラフでもセミラフとヘビーラフ、コースによってホールによって、またグリーン周りによってラフが違う。
攻略できるラフやバンカーがあれば、入れてはいけないラフやバンカーがある。
もし入れてもそこから何打使って上がればいいのか、計算しておけばいい。
完全に今の主流とは、考え方が違っている。
ただ小鳥はバンカーやラフを必要以上に恐れない。
そして恐れる心に鈍感であれば、変なプレッシャーとは無縁なのである。
ハーフの9番ホールが終わった時点で、小鳥はスタートから七つ潜って15アンダー。
玲奈は13アンダー、綾乃も13アンダーである。
玲奈は順当にバーディを二つ取ったのだが、綾乃はバーディ二つを取りながらも、ダボを叩いてしまった。
よって今、この二人は2位で並んでいる。
この時点で一番、精神的なスタミナを使っているのは、間違いなく綾乃である。
自分の攻撃が相手に通用していないというのは、ボクシングでいう空振りに近い。
スタミナを削られる、というのは間違いないのだ。
自分のミスによるダブルボギーも、それに拍車をかけた。
ライバル視している玲奈と並んでしまって、もうこれを無視するわけにはいかない。
だが玲奈の思考は、競争と切り離されている。
(初日8アンダーなら首位になれると思ってた)
実際には不運もあり、6アンダーであった。
(二日目は風の影響を考慮して、4アンダーが限界だと考えた)
事実3アンダーでフィニッシュしている。
(風の影響がなくなった今、16アンダーまで伸ばせば優勝だと思ってた)
その16アンダーまであと一つ、というのが小鳥なのである。
ここから玲奈は残り9ホールでどこまで伸ばせるか。
(どのホールも一応、バーディの取れる可能性はある)
また短いパー5はイーグルの可能性もある。
(守らなければいけないのは、17番と18番)
この2ホールはここまで、多くの選手がバーディを取れていない。
特に最終日の今日は、その傾向が強いらしい。
コース自体を見た場合、およそどれもイーグルかバーディが取れるとイメージが出来る。
しかしグリーンのどの位置にピンが切られているかで、そのイメージは一気に変わってしまうのだ。
(この10番もバーディは狙えるけど、どちらかというと守った方がいい)
ピンの位置はまだ、グリーンの面が受けている。
300ヤードほど飛ばし、そこからウェッジを使えばピンそばに付けられなくはない。
(けれど2打目を転がしていったら、奥のバンカーに入ってアウト)
「よ~し、今度こそバーディ取るぞ~」
小鳥のわざわざ口に出して自分を鼓舞していることも、綾乃にはそれがプレッシャーになってしまっているらしい。
メンタルの駆け引きをするプレイヤーには、逆にメンタルの駆け引きが効果的だ。
小鳥は無意識のうちに、ダメージを与える言動をしている。
ルール上は問題ないが、マナー上はちょっとと思わないでもない。
だがそのビッグマウスに、ティーイングエリア周りの観客は喜ぶのだ。
玲奈は小鳥と同じく、プロツアーをアマチュアで制してプロになった。
だがナショナルチーム時代に、コース戦略はしっかり学んでいる。
他にも優秀なコーチについて、まず戦略を考えているのだ。
(けれどこの子は)
百合花に似ているところが多い。
攻撃的でありながら、ミスからのリカバリー能力が高いのだ。
だが爆発力は百合花以上と言えるだろう。
「300ヤード飛ばして、そこから80ヤードを58だけど……」
正確にはエッジから、14ヤードの距離が加わっている。
「52で少しだけ短く、打てる?」
「2打目のライ次第かなあ」
「打ちますよ!」
アドレスに入っている玲奈のキャディが声をかける。
お静かに、というのが出来ていない。
玲奈はそこでも余裕を持っていた。
残りの9ホールで、小鳥が落ちてくるのを待つ。
あるいは自分も二つは確実にまだ潜れる。
それでも追いつけないかもしれないが、無理をする場面ではない。
(バーディを安全に取るなら、次の11番)
それがはっきり分かっているので、このホールは安全策を取って、心をフラットな状態に保つのだ。
フェアウェイど真ん中。
次はレイアップし、3打目でワンパット圏内に。
あるいは状況が、ここから変化するかもしれないが、まずはこれでいい。
「むうん!」
小鳥のドライバーは玲奈をオーバードライブし、300ヤードオーバー。
本当にこの飛距離は、今の時代の武器ではある。
最後の綾乃も一度はダボを打ったが、そこでまだ崩れない。
ミスショットからすぐに立ち直るメンタルも、またプロには必要なことだ。
小鳥の場合はミスショットをしても、まだリスクを取る。
そこでスコアを崩すことが多い。
10番ホールはグリーンの右奥にピンが切られている。
右と奥にバンカーがあり、ピンをややオーバーすればそこで、バンカーに流れていってしまうだろう。
2打目をレイアップして、3打目をピンそばに止めるのが王道。
玲奈はそう考えていたし、2打目を最初に打った綾乃もそう考えたらしい。
しかし玲奈は自分の2打目地点から、レイアップポジションを考える。
「9番を」
「グリーンオンを狙うのか? バーディは難しいと思うが」
「パーのために、グリーンオンさせるのよ」
この言葉の意味が分かったのは、小鳥も2打目でグリーンにオンさせた後である。
玲奈はグリーンセンターにボールを止め、小鳥はピンデッドであった。
バーディ確実な距離であり、ようやく今日初めてのバーディが取れそうだ。
そしてグリーン手前、綾乃の球である。
それは目土(※4)こそされているが、ディボット跡に埋まっていた。
考えてみればこのホール、最終組なのである。
この三日間のみならず、練習ラウンドやプロアマ戦で、どれだけの選手がここにレイアップしたことか。
玲奈の観察眼が、綾乃を上回っていた。
綾乃はここから3打目を、ピン2mの距離に止めた。
一応はパーを取れる距離だが、想定よりも悪い。
ここは確実にパーが取れる、ピンそばに止めたかったのだ。
目土の上からであると、微妙にアプローチの感覚が違う。
突っ込みきれなかったことが、メンタルを削っていく。
小鳥は10番で今日初めてのバーディ。
玲奈は2パットのパーで、綾乃は気合で2mを入れてきた。
自分のメンタル戦が効果がなかったり、不運に見舞われたりもしている。
だがそれで崩れないのが、トッププロなのである。
小鳥はイーグルから綾乃のボギーでトップに立ち、さらに一つ差をつける。
残り8ホールで3打差は、かなり優勝に近づいた。
ただ優勝を何度も経験している者は、そうは考えない。
(トップに立つのが早すぎる)
綾乃としてはそう考えていた。
(残り8ホール、3打も差があったらどこかで自滅する)
それが初優勝のプレッシャーだ、と綾乃は考えている。
特にイーグルを連続で取るようなスコアの作り方は、どこかで大怪我をするはずなのだ。
実際に小鳥は優勝した試合も2位になった試合も、どんどんと差を詰めていっての好成績なのである。
ここから8ホールは、自分の中の欲と弱気と戦っていかなければいけない。
「次の11番は、かなりバーディが出てるからね」
「ピンポジも最終日にしてはたいしたことないね」
「だからって甘く見たらいけないよ」
「うん」
やっとバーディが取れたのだ。
イーグルはかなり運が左右するが、バーディは実力で取るものだ。
11番ホールは小鳥がオナーである。
右ドッグレッグのホールであり、1打目の着地点あたりには、左にフェアウェイバンカーがある。
もっとも小鳥の場合は、バンカーよりもその先に、ラフまで飛んでしまうことを考えるべきだ。
「ドライバーかな」
「風もないし、フェードをかけて」
「あとは、右の木がスタイミー(※5)になるぐらい?」
「フェアウェイ左側をキープすれば、グリーンも見えるわね」
このコースの攻略は、それほど難しくもない。
ゴルフコースはだいたいが、バーディを取れるホールを六つは用意しているのだ。
女子プロの場合は飛距離が足らず、難しくなったりもするが。
それでもミドルホールでいくつか、バーディを取れるホールを作る。
難しいピンポジばかりではなく、簡単なピンポジを確実に入れてくるか。
そういうホールも作らなければ、スコアが伸びずに見ていても面白くない。
小鳥のショットはフェードがかかっていたので、ランはあまり出ない。
バンカーと並ぶような位置まで飛んでいるので、完全にウェッジで入れられる距離だ。
(17アンダーになれば、たぶんパーキープで優勝出来る)
玲奈の考えていたスコアに、小鳥は到達しそうである。
綾乃は焦りが顔に出てきたが、玲奈はまだ待てる。
相手のミスをじっくり待てる精神力も、ゴルフでは必要なのだ。
(その点ではあの子は強かった)
果敢に攻めていって、ラフやバンカーから平然と出してくる。
(あの時とは違って、私が追う立場だけど)
ここから下手に守ることを意識すると、逆にスコアを落としたりする。
メンタルスポーツのゴルフを、ここから小鳥は体験するのかもしれない。
×××
解説
1 セカンドオナー戦法
2打目以降はピンから距離の遠い順に先に打つのが基本である。これを利用してピンそばバーディ確実なポジションなどに球を止め、後から打つ相手にプレッシャーを与えていく戦法。
2 インポジションとアウトポジション
当初の攻略予定通りのポジションに球を置いていけるのがインポジション。そこから外れてしまったものがアウトポジションである。おっさんの趣味ゴルフでは「ここからでもグリーンは狙える!」などと思って無理に打ってしまうが、ほぼ結果は悪くなる。この場合はまずフェアウェイのインポジションに戻すのが鉄則である。
ただし平気でアウトポジションから打ってくる選手もいる。そういうプロにとってはアマのアウトポジションが、プロにとっては充分なインポジションなので勘違いしないように。
3 池ポチャ
文字通り池や海にボールが入ってしまうことで、確実な1打ロスト。だが小川に少し浸かってボールが見えている場合もあり、これを打ってしまうことはある。
水の抵抗は強烈で、ラフよりもさらに経験する機会が少ないので、素直にアンプレアブルで1打ペナルティを払ったほうがいい。
4 目土
フェアウェイから打った場合、クラブが芝を削ってしまう場合がある。この時に用意していた目土袋から砂をディボット跡に入れて後の人のために少しでもライを戻す。
ゴルフの基本的マナーの一つであるが、しっかりやってない人も多い。
5 スタイミー
木などによってグリーンが一直線に狙えない状況であること。
曲がる球で攻めてやる、などとおっさんゴルファーは思うが、素直に横に1打使ってポジションをインポジションに戻すべきである。
曲がる球を丁度よく曲げるのは、とんぼちゃんでも難しい。
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