第14話 爆発力

「いや~、狙ってはいたけど、まさか入るとはね~」

「はしゃぎすぎだよ、あんた」

「お母さんだって笑ってるじゃん」

「そりゃ笑うわ~」

 大観衆に両手を振って、小鳥はフェアウェイを歩いていく。

 アルバトロスは本来なら5打で上がるホールを、たったの2打で上がるというもの。

 女子プロならば、出るのは100万回から200万回に一度というもの。

 当然ながらこの大会、初めてのアルバトロスである。

「これで3回目だっけ?」

「他のコースでは3回目だね」

 普通はプロであっても、一生お目にかからないのがアルバトロスである。

 だが小鳥はホームコースなら、10回以上は達成している。


「参ったわね」

 玲奈は憮然とした口調ながら、あえて微笑んでいる。

「イーグルまでは予想してたけど、アルバトロスは」

 ピンまでの距離は550ヤードほどなので、確かに玲奈も2打で届くことは届くのだ。

 だが普通の女子プロならば、まず大前提として届かない。

 届くにしても2打目がドライバーならば、ピンに当ててショットイン(※1)でもないと入らないだろう。


 2打目に止まるクラブを持てた。

 もしも入っていなくても、次でイーグルにはなっていただろう。

「昨日まで、3番でイーグルを取ってたのは何人?」

「いや、一人もいない」

 情報を集めているキャディの返答。それが事実であるのだ。


 コースと選手には相性というものがある。

 そしてどのホールなら得意か、というのもはっきりするのだ。

 小鳥はここまで3番ホール、自信を持ってバーディを取ってきた。

 なのでより貪欲にイーグルを狙っていった。

 アルバトロスはあくまでも、結果的に出ただけである。

「これでトップだよ」

「でも氷室プロ、どうせアプローチしてちょんのバーディだろうし」

 小鳥は本気で言っている。

 だがそれが綾乃には、確実に聞こえてしまった。


 おやおや、と玲奈はその発言が、どういう意味を持つのか理解している。

(彼女の性格からすると、標的が向こうに変わるかしら?)

 綾乃がマークしているのはあくまでも、玲奈の方である。

 アマチュア時代のフロック一勝などという、綾乃からすれば比べるのもおこがましい実績。

 ナショナルチームになったことさえなく、海外経験もない栃木の田舎者が、自分とライバルの間に割り込んでいる。

(またすぐに差をつけてやる)

 そう考えているあたり、わずかではあるがメンタルが揺れている。


 ここで3打目を打つのが、わずかに綾乃が先であったのは、玲奈には幸いであった。

 正直なところ自分でも、驚愕で心が揺れているのは分かっていたのだ。

(氷室さんが失敗したら、こちらはそれで安心する。成功したらそれを見て、難しくないアプローチだと安心する)

 綾乃が崩れてくれたら、玲奈は並ぶか逆転出来る。

 こういう考え方が出来るのも、プロの自身のメンタルマネジメントなのだ。


 パワーではなく、器用さでもなく、コース戦略でもない。

 心の持ち様にも、テクニックというのがあるのだ。

 綾乃のアプローチは、やや大きかった。

 だがバンカーに落ちるほどの傾斜はなく、一応はバーディ圏内。

(もう少し、心を穏やかにすればいいのに)

 もっとも負けん気というのも、ゴルファーには必要である。




 玲奈はこのホール、ベタピンにボールを止めてバーディ。

 そして綾乃は2mの距離を外した。

 上りのラインではなく、下りのラインを残したのも、彼女の失敗であろう。

 2mは試合であるなら、プロでも外すことはあるのだ。

 30cmの上りをタップイン(※2)して、パーでこのホールを終えた。


 これにて順位が変わった。

 小鳥と綾乃が11アンダーで並び、玲奈は10アンダーでそれを追う。

 コースのあちこちにあるリーダーボードが、リアルタイムで更新されていく。

 また今は観客が、スマートフォンなどで情報を拡散する時代。

 普通に小鳥のアルバトロスは、コース上の全選手に広がっていく。


 アルバトロスなど滅多に出るものではない。

「まあ、小鳥ちゃんならあるよね」

 この日しっかりと潜っている恵里は、それを聞いても動揺しない。

 現在のスコアを計算すると、恵里はもうこの試合の優勝は厳しい。

 だからあとはどれだけ自分のゴルフをし、一つでも上の順位を狙うかだけ。

 プロというのはそういうものである。


 前の組であったルイは、それを聞いても呆れるばかりだ。

「また頭おかしなことを」

 小鳥は当たりだすと止まらないと言うか、連続6とか7のバーディを出すし、1ラウンドに3回もイーグルを決めたりする。

 出入りの多いプロゴルファーは、人気も出やすいものなのだ。

 もっともそれでは最後に勝てないか、勝てても一勝だけだろうに。

 その一勝をプロツアー初挑戦でもぎ取るあたり、主人公体質と言うべきかどうか。


 


 この時間帯はまだ、地上波での放送はしていない。

 だがゴルフ専用チャンネルでは、当然のように放送している。


『いや~、もう一度見てみましょうか』

『最終組3番ホール、小鳥遊選手の2打目です』

『ティーショットが上手く斜面でランが出て、残り約200ヤードといったところですね』

『これは普通、狙いますか?』

『いや、アルバトロスは狙って取れるものではありませんから。ただ小鳥遊プロの飛距離なら、イーグルは狙えるんですよね』

『ただこの大会、ここまで3番ホールでは、イーグルさえありませんでした』


 女子プロのパー5としては、かなり長いホールなのだ。

 解説しながらも、他のスタッフが確認をする。

 そしてメモを渡されて、感心したような声が出る。


『今確認したところ、このアルバトロスはJLPGAの過去のアルバトロスと比べても、一番距離が長いものでした』

『それはまあ……500ヤード越えのパー5でアルバトロスなんて、男子でもまずないですからね』

『記録に名前が残りますね』

『いや、アルバトロスの時点で、記録に名前は残るんですけどね』


 距離の長いアルバトロスというのも、今後はある程度増えていくだろう。

 ゴルフクラブメーカーは日進月歩で技術を高めている。

 より遠くに飛ばす、より鋭くスピンをかける。

 より使いやすく、というものもあるのだ。


『けれどゴルフは、飛ばすスポーツではありませんから』

 いかに少ない球数で、カップに入れることが出来るか。

 アプローチとパットこそが、スコアを作るのである。

 もっとも不思議な話もあり、フェアウェイにちゃんと球を置けるなら、飛距離はあればあるほどいい。

 後に打つ球こそ正確性が必要となり、それは距離が短ければ短いほど有利なのだ。




 氷室綾乃はサディストである。

(先にこいつを潰すか)

 自分に並んできた小鳥を、先に潰してから玲奈とのマッチレースにする、という考え方にシフトすべきか。

(ただ琴吹を早めに叩き落しておかないと、賞金女王が決まる)

 最後の最後まで、玲奈との賞金女王争いを、諦めていない綾乃である。

 自分が優勝したとしても、玲奈が高い順位で終われば、結局は逃げ切られるのだ。


 どちらを優先するべきか。

(さっさと消した方が、この先は楽になる)

 一位と二位とでは、賞金に大きな差が出る。

 だが賞金女王とそれ以外では、一位と二位という以上に扱いが違うのだ。


 単純な賞金の差というものではない。

 肩書きの差が間違いなく存在する。

 CMに招くにしても、ただのトッププロと賞金女王では、そのギャラに違いが出てくる。

 そういったものも含めれば、年収の差は倍にも三倍にもなる。


 綾乃の家も裕福であるので、単純にこれは金の問題のわけではない。

 彼女よりも目立つ人間が、同じ世界にいるのが我慢ならないのだ。

 やるからには頂点に立っていないと、気が済まないというタイプ。

 もっとも彼女も、矜持は持っている。

 単純な不正などで足を引っ張ろうとか、そんなスマートではない方法は取らない。


 ゴルフはメンタルのスポーツであり、メンタルを崩すと負ける。

 崩さなければ勝てるというわけではないが、崩すと必ずと言っていいほど負けるのだ。

 そして綾乃は同伴競技者殺し、という面が言われている。

 同じ組で回ると、スコアを落としていってしまうのだ。

 事実恵里が、それで二日目は落としていった。


(琴吹はどうやっても崩れないか)

 玲奈の安定感は、トップ10決着が全プレイヤー中最高であることも示す。

 これを倒すことを考えれば、小鳥のことなど考えていられない。

(今から崩しても、どうせオフには調整してくる)

 ならば今年は、この面倒なことをしてくれた格下を、潰すことに集中してしまえ。

(その方が気持ちいい)

 気分よくプレイするというのは、ゴルファーにとって重要なことなのだ。




 ゴルフは同伴競技者のプレイに、最も影響を受ける。

 特にこんな僅差の勝負となっていると、駆け引きが重要になるのだ。

 単純に自分の成績を良くするのではなく、最終的に相手より1打上回っていればいい。

 そういう戦いが上手いのが、トッププレイヤーである。


 小鳥はトッププレイヤーではない。

 その精神性はまだ、アマチュアめいたところがある。

 正確に言えばアマチュアでもさらに、競技ゴルファーですらない。

 目の前の1打を打つのを上手くなりたいという、子供のようなところがあるのだ。


 4番ホールのパー4は二段グリーン。

 ピンの切ってある位置が、二段目を上がってすぐという、分かりやすい性悪を感じさせるセッティングだ。

 もっとも最終日ともなれば、これも普通のことである。

 一日目や二日目と違って、予選落ちした選手の分、じっくりと時間をかけて回ることが出来る。

 

「320ヤード打ってウェッジで上の段を狙いたい」

「グリーンエッジ(※3)まで100もあるなら、ちょっと難しくない?」

 小鳥のウェッジは2本で、PW(※4)を含めれば3本。

 単純に距離なら充分である。

「そもそも320ヤードも飛ばせる?」

「たぶん」

「ラフに入れたらパー狙いに変更ね」

 そして澄花の予想通り、300オーバーを打ちながらもラフに入れてしまう小鳥である。


 2打目をPWで打ってフェアウェイに戻し、そこから短い距離をグリーン上段のピンそばに付ける。

 簡単に入れてパーキープし、5番ホールへ向かう。

「さっきより短いホールだから、2オン狙いはしていいよね」

「ここも二段グリーンだから、上の短い距離に付けられたらいいけど」


 フェアウェイがさほどランも出ないので、小鳥のドライバーも300ヤード。

 アルバトロスを決めてから、やや飛距離は伸びているのだが、正確性が犠牲になっているか。

 ただここはフェアウェイに幅があるため、小鳥ならバーディは狙えるホール。

「ふっ!」

 ドライバーは八割で振れなどと言われるが、小鳥は全力で振っている。

 そして320ヤード近くランで距離が出る。


 基本的にはドローボールなので、距離は出やすいのだ。

「本当なら池もあるし、レイアップしてバーディ狙いでいいんだけどね」

「奥のグリーンの方がアンジュレーションもないし、狙っていくよ」

 上に止めれば、パットは下りが残る上に、オーバーすれば下の段まで転がっていく。

 かといって下に止めれば、ラインを読むのが難しい。

 それでもこの三日、一番バーディが多く出ていて、イーグルも出ているのだ。


 プロはスコアメイクをバーディで考える。

 イーグルというのはプロでさえ、条件が整っていないと狙わないのだ。

 今日のピンポジであると、グリーン手前のバンカーと池の前から、ウェッジでいかに寄せるかがポイントとなる。

 風もないので出来るだけ、ピンデッドに狙っていくアプローチが重要なのだ。


 安全運転の玲奈と違って、綾乃は4番を攻めてバーディを取っている。

 ここでは100%の自信でもって、バーディを確保するのだ。

(2打目で奥のグリーンを狙うのは……)

 先日の四菱レディスの最終ホール、あの失敗を思い出す澄花である。

 もちろん小鳥はすっかり忘れている。


「エッジまで200でピンまで12だけど、これって狙えないんじゃない?」

 グリーン下の段はしっかり受けているが、アンジュレーションでどう転がるか分からない。

 かといって上の段は、あまり受けていないので、5Wでも止まらない。

 4UTでも微妙で、5UTなら確実に小鳥は止められる。

 ただそれだとわずかに距離が足りないかもしれない。

「さっきから少し距離が出すぎてるから、届くはず」

 確かに1打目もそうであったので、澄花としては反対しきれない。


 4番で綾乃がバーディを取ったので、また1打差をつけられている。

 このホールはバーディ狙いならボーナスホールなので、攻めるか守るかの判断は難しいのだ。

 最終日ともなると、アドレナリンが出てきて飛距離が伸びてしまう。

 それはこの間の試合でも、最終ホールで体験したことだ。


 今の小鳥が暴走状態なのか、それとも勢いに乗っているのか、澄花は見極めないといけない。

(まあオーバーすることはあっても、池ポチャはないか)

 そう考えて渡した5UTで、小鳥はまさにピンまで2mのところに止めたのであった。

 入れればイーグルであるが下りのラインで、オーバーすれば下の段まで行ってしまう。

 そして小鳥よりも後に打った二人は、3打目をピンそばに止めて、お先にバーディ。

(この2mは外す)

 綾乃はそう思っていたのだが、小鳥はジャストタッチで決めた。

(パットは苦手じゃなかったの!?)

 特に今のような、先に二人に入れられたパットは、普通なら難しいもののはずだ。


 イーグルでまたもバーディの綾乃に並ぶ。

 これで13アンダーであるが、今日はアルバトロスとイーグルだけで5アンダー。

 バーディが一つも出ていない、奇妙なスコアメイクをしている。

(そっちに注意していたら、私にチャンスが回ってくるわね)

 二人とは2打差となった玲奈は、むしろこの2打差を楽にキープし続けようとしていた。




×××


解説


1 ショットイン

ショットがそのまま入って、イーグルやバーディとなること。アプローチから入るのはチップインと呼ばれていて、微妙に使い方が違う。

つまりパターを使わずにホールを終えることで、場合によってはチップインボギーでも上手い上がり方であったりする。


2 タップイン

パットを外して10cmぐらいしか残っていないものを、こつんと簡単に入れてしまうこと。

緊張してくるとこの距離でも、普通に構えて打って普通に外すことがある。


3 グリーンエッジ

グリーンのフチのこと。ティーイングエリアからグリーンエッジまでの距離がパー4やパー5のコースの表記である。

なおパー3の場合はグリーンセンターまでを表記しているはず。


4 PW

ピッチングウェッジ。ロフトはおおよそ45度で、プロならこれでピンデッドを狙える人間が多い。ウェッジを持ってピンを狙えないならプロではない、とイガイガも言っている。状況によっては狙えないし、ラフからの脱出などに使うこともある。

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