第13話 流れを変える
最終日の1番ホール、小鳥は5Wを持ってもまだ、フックがかかってラフに入ってしまった。
ラフから打った2打目は、芝によってスピンがかかりにくいため、比較的真っ直ぐ飛んだ。
あとはウェッジでちょこんと乗せて、パターで転がせばパーキープ出来る。
二日目までと同じ攻略で構わないが、今日のピン位置はバンカー越えの右に切られている。
しかも下手に手前に止めると、バックスピンでバンカーに戻ってしまうというものだ。
このバンカーに入れたら、ボギーは覚悟しなければいけない。
玲奈と綾乃はグリーンセンターを狙って、安全なポジションにボールを運んだ。
小鳥の3打目はアプローチとなるが、昨日までと違うのはバンカー越えであるということだ。
「よっと」
ピン手前から転がして、あわやチップインバーディ。
10cmほどオーバーしただけの、見事なショットであった。
玲奈と綾乃は2オン2パット、小鳥は3オン1パット。
せっかく2打でオンしても、同じパーである。
もっとも今日のピン位置では、センターから狙ってオーバーすれば、ダボまであるという状態なのだ。
ここはこれでいい。
2番ホールに入るが、ここはパー3である。
前の二人がどう打つか、それを参考にしていけばいい。
「と言っても今日も、バーディは難しいピン位置ね」
二段グリーンになっており、上ったすぐ先にピンが切ってある。
しかもここからはまた、下っていくというグリーンなのだ。
下の段は受けているが、大きなマウンドに微妙なアンジュレーション。
ここを攻めていくのは、リスクが高いと考えるべきであろう。
実際に玲奈は、グリーン前の安全なポジションにレイアップ(※1)した。
だが綾乃は、ここで1オンを狙ってくる。
手に持ったクラブで、それは分かる。
首位の現在、同じ組の玲奈を引き離そうとしているのか。
だがゴルフという競技は、我慢比べでもある。
先に楽になりたいと思った方が、負けるスポーツでもあるのだ。
相手が安全策を取ったからといって、そこで安易に攻めていいものではない。
ゴルフはリスクとリターンの計算のスポーツでもある。
リスクを許容して打てるなら、打ってしまってもいい。
実際に綾乃は、ここで相手の弱気に付け込むつもりであった。
そういったメンタル戦が、得意なのが氷室綾乃というゴルファーだ。
相手を崩すのに長じているため、同伴競技者殺しの面がある。
ミドルアイアン(※2)を振りぬいて、二段グリーンの下へ。
受けている面でバウンドしてから、二段目へと転がる。
そこでスピンが利いて止まり、ピンから1mほどのバーディチャンスにつけた。
この2番ホールでも、小鳥はショットの前にぴょんぴょんとジャンプする。
普段とは違うルーティンだが、澄花は口を出さない。
ゴルフは精密機械のように、スウィングを作っていくもの。
だが同時に感覚だけに頼るゴルフも、存在するのだ。
特に小鳥のように、幼少期からゴルフをやっている者にとっては。
小鳥が選択したのは、玲奈と同じ7鉄(※3)である。
この二人の飛距離は、平均すればほんの少しだけ、小鳥の方がよく飛ぶ。
グリップの位置で飛距離を調整し、打ったボールは玲奈のボールの1ヤードほど先に止まった。
これで玲奈の打つショットを見て、自分も対応出来る。
(そこまで考えてるのかなあ)
澄花は疑問であるが、これで玲奈にはプレッシャーがかかるだろう。
ゴルフは相手の邪魔が出来ないスポーツである。
しかし同伴競技者のプレイは、最もプレイに影響を与えてくる。
邪魔は出来なくても、プレッシャーを与えることは出来る。
その一つが、相手よりもほんの少し近くに打つこと。
これで相手の選択を見てから、自分もそれに対応していくことが出来る。
だがこれは諸刃の剣なのである。
先に打たれてベタピンなどにつけられれば、むしろ後から打つ方にプレッシャーがかかる。
相手のプレイに影響を与えられてしまう。
あるいは相手のプレイに影響を与えるのが、競技ゴルフというものだ。
これがアマチュアの趣味のゴルフだと、腕前に差がありすぎて、素直にノンプレッシャーにもなるのだが。
玲奈はウェッジを持って、短い距離をピンデッドに狙う。
だがほんの少し手前に落として、そこから転がすというアプローチだ。
本当にピンデッドに狙うと、ピンに弾かれることがある。
そして弾かれてしまえば、バンカーに落ちる可能性が高いのが、このホールであるからだ。
「58(※4)でいい?」
「うん」
ウェッジを渡された小鳥は、フェースを開く。
玲奈のような打ち方とは、ならないような開き方だ。
澄花は声をかけたいが、既にアドレスに入ってしまっている。
それに小鳥の狙いもおおよそは分かっている。
玲奈が打ったよりも、はるかに強く打っていた。
だが距離は出ない。高さが出ただけだ。
バンカーからのリカバリーが上手い小鳥は、その相乗効果として、ロブ(※5)も上手くなっている。
ぴたりとピンそばに付けて、30cmほどの距離となった。
1mのバーディパットを入れて、綾乃が11アンダー。
小鳥と玲奈はそれぞれ、まだ今日はイーブンで進む。
綾乃がまず攻撃を仕掛けてきて、スコアを伸ばした。
だが玲奈は平然としているし、それどころかナイスバーディとさえ微笑んでいた。
小鳥としてはさすがに、そこまで素直に称えることは出来ない。
こういったところで相手を誉めて、ダメージを見せないのもメンタル戦。
だが綾乃が歪んだ笑みを浮かべたのを、小鳥は見逃さなかった。
3番ホールに向かう途中には、順位ボードがあって現状を知らせてくれる。
今のところ上位で、大きな順位の変動はない。
「恵里ちゃんが一つ潜ってる」
「あんたも頑張んなさい」
「まあ次はパー5だしね」
ここまで二日間、両方ともバーディを取っているホールである。
ロングホールは飛距離のある選手が、絶対的に有利になる。
実際にバーディやイーグルも出やすいのだ。
しかし同時に、ボギーやダボが出やすいのもロングホールが多い。
小鳥のような飛ばし屋であっても、ドライバーを少し曲げただけで、ラフなどに入ってしまう。
そうすると2打目が、飛びすぎてしまうこともあるのだ。
とはいえここは全員が、ドライバーを使う簡単なパー5。
綾乃と玲奈も、ドライバーで300ヤード近く飛ばしていった。
小鳥はここでもまだ、ティーショットでのジャンプを繰り返す。
そしてここで、かちりと噛み合うのを感じた。
「ドライバー」
今日初めてのドライバーショットとなる。
体の中のバランスが、2ホールを過ごしたことで調整された。
小鳥がチャージしていくのは、この状態になってからこそ。
予選落ちをする試合では、上手くこの状態にならなかったりする。
ジャンプはルーティンではあるが、確認するのは体全体の筋肉やバランス、そういったものが全てはまった状態なのだ。
小鳥はスタンスを、ほんのわずかに右に向ける。
狙いは強烈なドローボールを打つため。
そのスタンスから、今までにない気迫を感じさせる。
空気が変わる。
静寂の中では、観衆が喉を鳴らす音さえもが聞こえた。
インパクトの瞬間から、芯を食った感触が手に残っていた。
キャリーで300ヤード近辺まで飛び、そこからさらにランで転がっていく。
下り斜面ということもあって、前の二人を簡単に抜いていった。
およそ350ヤードほども飛んだドライバーショット。
このホールでバーディではなく、イーグルを狙える第1打であった。
「秘打、マックスインパクト!」
「恥ずかしいから声にするのやめなさい」
澄花のツッコミはもう慣れて淡々としたものであった。
パー5は飛距離のある選手なら、イーグルが狙える。
もっともこれまでの二日間は、安全にバーディを取っていた。
風の影響があった二日目でも、問題なくバーディを取ってしまう。
それが飛距離と、弾道の力である。
風の影響というのは当然、高く上げた球こそより影響が強い。
二日目の小鳥は転がして飛距離を伸ばし、それでもバーディを取った。
この三日目は、完全に狙って芯を食った当たり。
それによって残り200ヤードの近辺まで飛ばしてしまったのだ。
プロでもドライバーは基本、八割の力で打つ。
飛距離は重要だが、フェアウェイのライのいいところを確保するのが、それ以上に大切であるからだ。
小鳥のこの全力と言うのも、本当の意味での全力ではない。
ゴルフは肩に力を入れたら、むしろ飛ばないスポーツである。
それでも他と違い、スイングを大きくする。
それによって飛距離を稼いだのである。
50歩も先に飛ばされたが、玲奈も綾乃もそれ自体では、特に動揺もしない。
今は目の前の自分の1打に集中する。
二人とも2打目で、グリーンに届く飛距離は持っている。
もちろん少しだけ、気をつけないといけないのは確かだ。
昨日までのこのホールは、ピンの位置はグリーンセンターか奥まったところで、バーディの取りやすいボーナスステージであった。
今日もバーディはそれなりに出ているが、逆にダボなども出やすくなっている。
それはピン位置がグリーンエッジに入ってすぐ、左側にあるから。
四つのバンカーに囲まれたグリーンで、センターからそこを狙っていったら、ピンをオーバーすればバンカーに入る可能性があるからだ。
2打目でグリーン近くに運び、ウェッジでパットを打ちやすいところに付ける。
それでも充分にバーディが狙える。
小鳥は残り200ヤードという、ユーティリティで狙える距離としたが、それで上りのパットを打てる場所に止められるかというと、難しいのである。
2オンして2パットというのが、二人の見方である。
確かに1パットも狙えるが、それでイーグルが決まったとしても、リスクを大きく取った場合のみ。
ここで無理をする必要はないな、というのが二人の選択だ。
ゴルフというのは技術のスポーツだが、思考のスポーツである。
そして才能は肉体の才能や精神の才能もあるが、選択の才能もある。
ラウンド開始からは、綾乃が一つ潜っただけ。
玲奈は2打差であり、小鳥も3打差と、まだ充分に逆転が可能なのだ。
そういう展開では無理な攻めはしない。
相手のミスを待って、そこを攻めるというのが、僅差のゲームだ。
もっとも相手との実力差があれば、もっと楽に考えていくのだが。
小鳥は二人に比べれば、まだまだ格下の選手である。
一応はデータを知っているが、崩れる時には一気に崩れる。
伸ばす時には一気に伸ばすが、ゴルフは三日を通じて戦うのだから、安定感がないと絶対に勝てない。
一度はアマチュア時代に勝っているが、それきりというのが実力なのだ。
もちろん2位2回というのも、爆発力の証明ではあるが。
毎試合のようにトップ10に入り、優勝争いをする選手。
そしてかなりトップ10には入るが、優勝争いには届かない選手。
この間には大きな壁がある。
アマチュア時代の優勝など、プレッシャーなどが違う結果である。
だから二人は、小鳥の脅威度を高く評価しない。
ついこの前、小鳥に上回られたが、年間30試合以上もやっていれば、そういうことはあるのだ。
玲奈も綾乃も、3打目で簡単なアプローチが出来るよう、グリーン前のフェアウェイにボールを止めた。
そして小鳥が持つのは、5UT(※6)である。
「届くのかしら」
「オーバーするよりはいいんじゃないですか」
綾乃とキャディはそんな会話をしているが、ほぼ無風の今ならば、小鳥なら届くだろうなと玲奈は見ている。
ここで澄花は、あえて口を挟まない。
小鳥はピンデッドを狙っている。
5UTで小鳥が出す高さなら、充分に止まると思えるからだ。
「ふ~」
深呼吸した小鳥は、スムーズにアドレスに入った。
そしてそこから、2打目を打っていった。
少し低いのではないか。
そう見た人間もいただろうが、小鳥のイメージには合った軌道だ。
そしてボールはグリーンに着地。
一度そこで大きな歓声が上がった。
わずかに間があって、それを大きく上回る大歓声。
「ん?」
「何?」
さざなみのように、情報が伝わってくる。
「入った?」
「え、マジ? 今の?」
「2打目って、アルバトロス?」
ワンパット圏内にボールが止まっていれば100点であった。
しかしわずかにバウンドしたボールは、そのままカップに入っていた。
パー5のホールで、2打目を入れるアルバトロス。
8アンダーの小鳥は一気に、11アンダーとなってトップタイとなったのであった。
×××
解説
1 レイアップ
グリーンまで距離がある場合や直接グリーンを狙えないときに、次のショットが打ちやすい位置に距離を合わせて打つこと。
またグリーンのアンジュレーションがカップ周辺以外複雑な場合は、あえてグリーン手前のフェアウェイからピンそばに付けるために、そうすることもある。
2 ミドルアイアン
5番から7番までのアイアンを指す。かつては4番から6番であったが、ユーティリティクラブの進化などもあって、1番から3番のアイアンがあまり使われなくなったため、年代によっては区分けが違ったりする。
女子ゴルフの場合は普通、ロングアイアンを使わない選手が多い。
3 7鉄
7番アイアンのこと。アイアンがそのまま鉄という意味なため、こう呼ばれる。
ただ人によっては7番とだけ言ったり、差異がある。
7Wを使う人もいるため、7番だけでは区別がつけられない。
4 58
58度のロフトのウェッジのこと。分類的にはサンドウェッジである。
ウェッジは何本を何度に分けて入れているか、人によってかなり違う。
クラブのセッティングについては、いずれ語るかもしれない。
5 ロブ
ロブショットのこと。高く打ち出すことによって、傾斜のあるグリーンなどに止めるための打ち方。
芝が短くて止まらないグリーンに止める方法でもある。
なお高さを出すため、当然ながら風には弱い。
6 5UT
5番ユーティリティのこと。
ユーティリティはウッドとアイアンの中間的な役割を果たす。
昭和のゴルフ漫画などを読んでいると、誰も使っていなくてびっくりする。
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