第12話 最終組

 風の影響もあってか、二日目はあまりスコアが伸びなかった。

 ただ早めにスタートした組は、あまり風が強くなかった時間である。

 すると予選を通過するため、ガンガン攻めてきた選手が、風に遊ばれることなくスコアを伸ばしてきたりする。

 逆に遅めのスタートである小鳥たちなどは、この日をオーバーパーで回ったりもする。

「1アンダーかあ。まあ潜っただけでもええかな」

 ルイはトータル6アンダーで、3位タイから5位タイへと後退。

 また恵里もオーバーパーで順位を落としている。


 その中で小鳥は、3アンダーでトータル8アンダー。

 単独3位で最終日を迎えることになったのであった。

 首位を走るのは10アンダーの氷室綾乃であり、2位には9アンダーの琴吹玲奈。

 独走態勢に入っていない試合の最終日は、お互いの駆け引きが大変になる。

 そこに入ってしまったのは、小鳥にとってはやや不利かもしれない。


「氷室プロ、怖いんだよねえ」

「今から弱気になってどうすんの」

 小鳥の素直な感想に、叱咤激励の澄花である。

 この子は本当はプロの世界に向いていないのでは、と思ったこともある。

 だが上手くメンタルをコントロール出来れば、トップ10でフィニッシュ出来る能力は持っているのだ。

 

 ただ過去に最終日を最終組スタートした試合は、大崩れしたものばかりである。

 最終組以外でからなら、この間のようにいい結果が出ているのだが。

 ジンクスと言うよりは、プレッシャーなのであろうか。

 だが最終組もその一つ前も、さほど変わらないのでは、と澄花は思うのだが。

 こればかりは選手でないと、分かるものではない。

 そもそも試行回数がまだ多くない。

 



 翌日は最終日であるのだが、プレイが終わってからも練習をする選手はいる。

 特に今日の順位でカットされ、予選落ちとなってしまった選手だ。

 もちろん予選通過の選手も、自分の状況を確認して練習をしたりはする。

 だがこのあたりは人それぞれで、調子を確認しただけで早くゴルフ場を去り、最終日に備える選手もいる。


 小鳥たちは若さもあるが、かなりの時間を練習にかける。

 特に恵里は二日目でオーバーパーであったため、ショットもパットも微調整を入れていく。

 特にショットを曲げたのが、今日のスコアの結果につながっていた。


 小鳥は昔は、パットが一番得意であった。

 しかし今ではそれほどでもなく、むしろアプローチの方が上手い。

 もちろん下手になったわけではなく、他のクラブがより上手くなった。

 そのパットは二種類の打ち方を持っている。

 2m以内の普通のパットに、遠い距離のオープンスタンス(※1)である。

 距離を合わせるだけなら、こちらの方が打ちやすいのだ。


 ゴルフはパットが四割。

 そしてパットの打ち方も、大別して三つある。

 ジャストタッチで重力により落とす方法、フチにかかって転がり落ちる方法、そしてフチにぶつけて落とす方法だ。

 ラインを読むのが苦手であれば、強く打ってラインを消してしまえばいい。

 だがピンのポジションによっては、絶対に強く打てない時もあるのだ。


 夕方になる前に、別に合わせるでもなくそれぞれ、やり切った時間で練習場を去っていく。

 最後まで残っていたのは、ぎりぎり50位タイで予選通過したイチカ。

 ゴルフ場の練習場で練習できる時は、その機会を逃さない。

 早めスタートでスコアを伸ばした彼女は、イーブンパーで明日の最初の組。

 ただ二日目の今日で、肉体的にも精神的にも、スタミナを使いすぎている。


 アマチュアの試合であっても、スコアの伸ばしあいというのはある。

 ただトップと10打差なので、常識的に考えて優勝の可能性はない。

 まして相手はプロなので、崩れるにしても限度がある。

 それでもプロのプレイに衝撃を受けて、最終日に備えている。

 他の理由としてはプロの試合で成績を残すと、アマチュアのポイントも加算されてナショナルチームに選ばれやすくなる。

 12月には来年度のナショナルチームが結成される。

 大学の進学に際しても、ナショナルチームメンバーであることは、かなり有利に働いてくれる。

 そして将来的にはプロになるにおいても。


 今日もプロと回っていて、イチカはプロの強さを知った。

 だが絶望に至るほどには、その力は圧倒的なものではなかった。

(百合花ちゃんに比べれば、普通の人が多い)

 小鳥の強さだけは、百合花と似たものを感じたが。


 来年は百合花も、高校生でナショナルチーム入りしてくるだろう。

 彼女と合宿などで過ごせば、自分もあの強さの片鱗を身に付けられるかもしれない。

(ただプロになるだけじゃ、まだ充分じゃない)

 レギュラーツアーを回る、小鳥たちのようなプロを目指して、少女はクラブを振っていた。




「スポンサーのいる生活、最高です~」

 これまでは遠征費などを経費として、自腹で払っていた小鳥である。

 もちろんスポンサーから契約金は得ていたが、そこからホテル代などを出していたのだ。

 今回の遠征からは、SSホールディングの指定したホテルに宿泊している。

 広いツインの部屋は、一番高いグレードから二番目の部屋であった。


 食事などの手配も含め、全てをフォローしてくれる。

 ただのスポンサーではなく、主催者スポンサーでもある会社が、契約してくれているというのがこの待遇だ。

 おかげで澄花もキャディの役割に専念出来て、それがこの試合の結果につながっているとも言えるだろう。

「ほら、マッサージしてあげるから」

 澄花はそう言っていたのだが、ここもちゃんと予約がしてある。


 ゴルフの運動強度は、他のスポーツと比べても控えめである。

 だがカロリーの消費という点では、しっかりと補給が必要だ。

 バナナを食べたりチョコレートを食べたり、補給食は準備してある。

 これが予選の朝一番のスタートだと、むしろ昼までには終わってしまったりする。

 だが最終組のスタートは、途中で昼を迎えてしまう。


「極楽~」

 しっかり女性のマッサージ師によって、小鳥は溶けている。

 三日間の試合であって、ラウンド後に練習をするような体力があっても、体の芯の部分にはまだ疲れが残っている。

 明日はアウトの最終組で、テレビ中継もはっきりと入るだろう。

 そういった点に関しては、特に緊張のない小鳥である。


 むしろ優勝を意識しているのは澄花だ。

 SSホールディングスは小鳥に、ツアー最後のツアーチャンピオンシップへの参加を期待していた。

 小鳥はこの試合か、あるいは翌週の試合で勝つしか、出場する方法はない。

 国内メジャーの最終戦。

 優勝したらスポンサーは、賞金と同額のボーナスを約束していた。

「あ、明日最終組ってことは、賞金五割増しじゃないの!」

 そういう契約もあったのだが、すっかり忘れてプレイしていた。


 最終組は中継でよく映るため、それだけ宣伝効果がある。

 銭ゲバのように聞こえるかもしれないが、ゴルフを続けるにはお金が必要なのだ。

 もっとも小鳥としては、ツアーに出られなくなったなら、レッスンでもして食べていけばいいとも考えている。

 元々人と話し、人に教えるのも好きなのだ。

 だが天才肌のため、実は教え方自体は下手だったりする。


 マッサージの途中で、もうぐっすりと眠ってしまう小鳥。

 澄花はそれに布団をかけて、明日のコースの最終チェックを行う。

(トップとはたったの2打差だから、爆発ゴルフをすれば追いつく)

 それに期待しているあたり、親の欲目であろうか。

 だがこの二日間、スタミナは充分に残っていると思う。

(メジャー(※2)に挑戦させてみせる)

 そのための献身こそ、母親として娘にしてやれることだと思うのだ。




 コースに出る三時間前には起きて、準備に取り掛かる。

 ゴルフは非常に繊細な動作のスポーツのため、試合当日もしっかりと準備をしておかないといけない。

 試合のない日は10kmは走るが、試合の当日でも何kmかは走っている。

 そしてまずは血液を循環させるのだ。


 ゴルフにおいて重要なのはロードワーク。

 さほど速すぎなくてもいいから、ジョギングぐらいのペースは保つ。

 試合も終盤になって、いろいろ優勝争いともなれば、自然とプレッシャーで心臓の鼓動が早くなる。

 日頃からランニングをすることで、その状態を体に覚えさせるのだ。

 能天気な小鳥でも、自分への期待だけは消すことは出来ない。

 だからこうやって、心身を整えるのである。


 練習場に入ってみれば、既に前の組の選手たちは来ている。

 今日を一緒に回る、琴吹玲奈と氷室綾乃もほぼ同時だ。 

「よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 トップと1打差であっても、玲奈は表面的には変わらない。

「よろしくお願いします」

「……」

 視線をついと向けてきただけで、返事も返さないのが氷室綾乃。

 この二人は玲奈が一歳年上だが、おおよそライバルとして見られている。

 実績だけを見れば、かなり玲奈がリードしているのだが。


 二人と同じ組であっても、互いに動向を探るのはこの二人。

 二週前には二人よりいい成績であった小鳥であっても、あれはしょせん一度だけの結果である。

 残り数試合になってようやく、来年のシードを得られるような選手は、まだまだ相手ではない。

 そう思って牽制をし合っていたからこそ、この間は小鳥が玲奈を上回った。

 漁夫の利を得られるかどうか、それがこの試合の勝敗を左右するかもしれない。


「先に行って来るで~」

 一つ前の組であるルイが、練習場から去っていく。

 パットの感覚を最後まで試して、その10分後に小鳥も1番ホールに向かう。

 玲奈と綾乃もそれに付いてきたので、小鳥が先頭を行くような形になってしまっている。

(先頭歩きたくないよ~)

 自然と背中を丸める小鳥に、澄花はため息をつく。

 だがこんな状態の時も、小鳥はしっかり結果を残してくれたりするのだ。




 最終日の最終組は、初日とは比べ物にならない観客が、1番ホールから待っている。

 同じ関東ということで、栃木からここまで応援に来てくれている、ゴルフ場の従業員仲間もいるのだ。

 ただ最終組のジンクスを、小鳥は今のところ破れていない。


『最終組一人目は昨年度賞金女王、今年度6勝、琴吹玲奈プロ』

 女王の人気は健在で、大きな拍手に迎えられる。

 そんな彼女でも最終日の第一打は、ある程度緊張するものだ。

『二人目は今年度4勝、氷室綾乃プロ』

 メンタルを攻撃するのが得意な綾乃も、表面的にはお利口さん。

 軽く手を振ってファンに応える。

『三人目は今年度四菱レディス2位、小鳥遊小鳥プロ』

 今年はまだ1勝もしていないと言うか、プロ転向後まだ1勝もしていない小鳥である。

 それでも女子の300ヤードオーバードライブで、ある程度の人気はあるのだ。


 緊張を同伴競技者に悟られてはいけない。

 玲奈はまずドライバーを、フェアウェイ左の低位置に飛ばしていった。

「ナイスショット」

 小鳥はそれを見て声をかけ、玲奈は微笑を返す。


 最終組は優勝を争う敵である。 

 だがそこにおいて、どうやって戦うかは選手によって違う。

 綾乃は同じくフェアウェイ左をキープしたが、距離は玲奈に負けている。

 もっとも彼女は、これも戦略としているのだ。


 そして小鳥の番である。

 とんとんとジャンプしてみるが、やや違和感があった。

(ん~)

 グローブをしてティーを刺すが、差し出されたドライバーを抑える。

「こっち?」

「ううん、5Wで」

「え? まあ最初からパー狙いならそれでもいいけど、3Wでもなく?」

「ピン位置も厳しいし、ちょっと短めのクラブで振っていきたいんだよ」

 飛ばし屋として知られる小鳥が、自ら飛ばないクラブを選ぶ。

 これを消極的過ぎるとは、澄花は思わなかった。


 小鳥が打った球は、当然のように三人の中では一番飛ばない。

 しかも左にフックして、ラフに入ってしまったのだ。

「う~ん」

 しかしながら本人は、それほどダメージを受けた顔も見せず、澄花にクラブを渡している。

 2打目に向かって、最終組の三人が動き出す。

 それに合わせて多くの観衆も、2打目地点へと動き出すのであった。




×××



解説


1 オープンスタンス

体が全体的に、飛ばす方向に向けて構えられたもの。普通は両足の爪先の延長がそのまま、ボールの出る方向となっている。

ただ他のスイングはともかく、パットは本当に個人で打ち方が違う。

要するに入ればそれでいいのである。


2 メジャー

日本国内の権威ある女子プロゴルフの大会は四つ、実際の名称ではワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ、ソニー 日本女子プロゴルフ選手権大会、日本女子オープンゴルフ選手権、JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップがメジャーとも公式競技とも呼ばれている。ただスポンサーはそれなりに頻度で変わっているため名称も変わる。


潜るという表現について

この回でもルイが「潜った」という表現を使っていますが、これはバーディやイーグルなどでアンダーパーになった状況を示します。

ただ人によっては一日だけの結果ではなく二日トータルで潜ったとか、二日目は潜ったとか、そういう使い方もしたりします。

ルイの場合は初日5アンダー、二日目も1アンダーなので両方とも潜ってはいます。

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