第4話 花開く

 小鳥は18ホールを終えた。

「けど試合はまだ続くかもしれないよ」

 玲奈が同じくパーで上がれば、プレーオフが始まるのだ。

 女王のショットは正確無比だが、完璧はないのがゴルフという競技だ。

 16番ホールで1打落としたのも、小鳥のミラクルリカバーを見た影響で、わずかにメンタルが揺らいでしまったから。

 それでもここはしっかりと入れてくるであろう。

 小鳥がパーで上がってしまったからだ。


 小鳥は攻めと守りを間違えた。

 イーグルチャンスを作って、なおバーディで控える自制心が必要であった。

 対して玲奈は3打目を、上の段のピンから2mの位置に付けた。

 あまり芝目は難しくないが、それでも下りのパット。

(あれを外してくれないかなあ)

 小鳥がバーディで上がっていれば、プレッシャーでより難しくなっていたかもしれない。


 そしてバンカーに入れてしまったアマの3打目。

 バンカーの中とはいえ、ライは悪くない。

 だが縦の距離を上手く出せるのか。

 これをピンそばに寄せればワンパットでバーディが取れる。

 彼女がバーディを取って玲奈が外せば、三人でのプレーオフだ。


 手にしているウェッジは、砂に埋まっているわけでもないので、サンドウェッジでなかった。

 バンカーのアゴ(※1)も低いので、普通に打っていける。

 バンカーだからと避けていくと、必要以上に集中力が消耗する。

 2打目がバンカーに入るまでは、想定内のショットだった。




『岡村さん、これはどうでしょうか』

『バンカーからですがライは悪くないので、寄せることは充分に可能でしょうね』

『ここでバーディを取れれば、暫定首位の小鳥遊選手と並ぶことになります』

『ただ琴吹選手が2mのパットを入れれば優勝というのは変わりません』

『2mのパット、下りですが難しいでしょうか?』

『距離を合わせるつもりで打ってもいいでしょうね。そしたら最悪でもプレーオフに持ち込むことが出来ますから』


 だがここで決めてくるのが、真のトッププロなのである。

 現在は小鳥が13アンダーでホールアウト、玲奈が13アンダーでバーディパットを残し、今から打つアマは12アンダーで3打目である。

 寄せてワンパットでも、小鳥とのタイまでしかスコアを伸ばすことは出来ない。

 ただ玲奈がこの距離を、ツーパットする可能性はそれなりにある。

 すると三人でのプレーオフになるかもしれない。


「すみません、マーク(※2)をずらしてもらえますか」

 そう言われた玲奈は素直にマークずらしたが、少し意外ではあった。

 確かにアプローチするならば、マークをずらすべき場所だ。

 玲奈のボールに当たる可能性があるということは、オーバー気味に打つということだろう。

 バンカーからではあるがあのライなら、バックスピンをかけることも出来る。

 奥からバックスピンで球を戻し、ピンそばに止める。

 確かにそういう技術を持っているのは、今日のラウンドで何度も見てきた。


 現在のゴルフは、単純化させることが重要になっている。

 いかに真っ直ぐ飛ばしてグリーン近くに運び、2打目を簡単に打つようにするか。

 リスクを避けるコースマネジメントをして、その通りに打っていく。

 アマチュアのトップなどは、ナショナルチームに選ばれたりして、そういった教育を受ける。

 だがスコアを伸ばすためには、無理をしなければいけない場面もある。

 小鳥はもちろんこのアマも、リカバリーショットが上手い。

 もちろんリカバリーが上手いのは、プロとしてのスコアを維持するために重要なことではある。

 だがそもそもリカバリーに陥らないショットを打つのが、一番いいのだ。


 追いかける立場の彼女は、今日はかなり攻めてきた。

 そしてフェアウェイを外し、ラフやバンカーからも打っている。

 しかしそれでも、パーセーブをしているのだ。

 玲奈との2打差が広がることは、一度もなかった。

「アプローチで2回バウンドするぐらい?」

 キャディに助言を求める。

「落としどころは二段グリーンの入って30cm内ぐらいだな。そこからは真っ直ぐなラインだ」

「分かった。ピンを抜いて」

「ああ」


『岡村さん、キャディがピンを抜くようですが』

『方向を合わせると、当たってしまうからでしょうね。最後まで攻めてきますよ』

『ここでバーディを取ると、小鳥遊選手と同じ13アンダーになりますね』

『琴吹選手もバーディを取らないといけないとなると、2mのパットでも難しくなります』

『賞金女王を何度も獲得した岡村さんでも、そういう経験がありますか?』

『むしろ勝てば勝つほど、そういうプレッシャーは大きくなりますね』


 彼女が難しいアプローチを、何度も決めてきたのを、玲奈は見てきた。

 だが1打差があるのだから、自分はあの2mを決めればいい。

 あるいは自分のパットのラインの参考になるかもしれない。

 そう思ってショットを見守る。




 一打集中の場面。

 軽く素振りをした後、スタンスを取ってアドレスに入る。

 集中力を特に高めると、音が消えて色が消える。

(あそこに落とす!)

 スイングはほとんど、バンカーの砂を散らすことがなかった。

 そしてボールは、狙い通りのところに飛んでいく。


 狙ったピンポイントに着地し、2回バウンドしてから少し進む。

 そこにカップがあって、カツーンという音がした。

 わずかな静寂があって、その後に怒号のような歓声がコースに満ちる。

 チップインイーグル。

 これで14アンダーとなり、小鳥を抜かして暫定トップに立ったのだった。


『いや~、これは素晴らしい! ミラクルショットですね、岡村さん!』

『……ええ、フェアウェイからのチップインは何度か見ていましたが、これは少しカップの位置もあそこからでは高低差がありましたからね』

『これでホールアウト! 琴吹選手が次のパットを入れても14アンダー! これはプレーオフの可能性が高くなってきましたよ!』

『琴吹選手は、かなり難しくなってきました。入れないと負けという意識は、大きなプレッシャーとなります。下手に下まで外すとスリーパットまであります』

『琴吹選手が外せば、その瞬間に逆転優勝! ええと、日本女子ゴルフのプロツアーの最年少記録を更新することとなります!』

『15歳と……122日ですか。またとんでもない記録が生まれますね』

『これがプロツアー二度目の参戦でしたが、全日本女子アマを歴代2位の若さで優勝し、アジア・パシフィックアマも制した白石百合花。また伝説を作るのか!』

『私、この子の負けた試合、リアルタイムでは見たことないんですよね……』

 

 30ヤードはあったバンカーからのアプローチである。

 イメージ通りに打てた球は、イメージ通りにカップインした。

「よし、これで最低でもプレーオフだ」

「2mだし入れてくるでしょ」

「そうとは限らないのがゴルフなんだよなあ」

 自分よりもずっと、ゴルフ歴の長いキャディの言葉にも、いまいち納得しない百合花。

 彼女はプレッシャーに対して、とんでもなく強い自分を、まだ自覚していなかった。




(外せば負ける)

(最悪でもプレーオフのはずだったのに)

(下にまで転がっていけばスリーパットさえある)

(ラインは真っ直ぐ、そのまま打てばいい)

(いや、ほんの少しスライス)

(少し強く打てば、その曲がりは消せる)

(でもそれでカップを外せば)


 2mのパットなど、練習なら100球のうち99球は決めるのがプロである。

 残りの1球も、何かおかしなことがない限り、外すことなどない。

(私がアマチュアに負ける? 中学生に?)

(これで負けたら記録が残るってこと?)

 思考の網に縛られた玲奈に、果たしてどう声をかけるべきか。

(プレーオフを覚悟で合わせていかせるのか?)

 キャディからの助言は、普段は必要としない玲奈だ。 

 集中してアドレスに入っているここで、下手に声をかけるのもまずい。


 プレーオフを覚悟するべきなのだ。

 あんなバンカーからのミラクルショットの後で、しっかりと打てるわけがない。

 ダークホースの大逆転や、女王の優勝を見ようと思っていた観客が、全てプロツアーの最年少記録達成に、期待が変わってしまっている。

(プレーオフで勝てばいいんだぞ)

 それはキャディの見方であって、選手の見方ではない。

 それでも声をかけるべきであったろうか。


 玲奈の打った球は、想像以上に強すぎた。

 パンチの入った球は、カップの淵を舐めて下のグリーンまで下っていく。

 2mどころか、もう5mはあるような距離になってしまう。

 プレーオフになることを恐れた。

 それを挑戦という肯定的な感情にするのに失敗した。

 結局玲奈はこのホール、返しのパットも外し、スリーパットでボギー。

 2位タイですらなく、3位でホールアウトしたのであった。




 ニューヒロインの劇的な誕生である。

 去年の賞金女王を破って、18番での奇跡の大逆転。

 だがそれはそれとして、小鳥はともかく澄花はガッツポーズをしていた。

 アマチュアは賞金の対象外。

 つまり優勝賞金1800万円は、2位の小鳥のものとなる。

 ついでにポイントランキング50位以内もほぼ確定。

 来年のツアーシード権も獲得できたのだ。


 悪い試合ではなかった。

 特に最終日は、11アンダーで上がったのだ。

 この日だけを見れば、小鳥がトーナメントリーダーである。

 しかしゴルフの試合というのは、一日だけで終わるものではない。

 初日は我慢のゴルフで、スコアを伸ばせなかった。

 だが予選突破は絶対に必要であったのだ。


「勝てたんじゃないかなあ」

「敗因分析は、またこれからね」

 今日の16番ホールまでは、小鳥が主人公のような大会であったのだ。

 初日は女王が貫禄のトップであったし、二日目は百合花が女王に猛追を開始した。

 最終日は息切れしたように見せながら、わずかな隙に1打差に詰め寄った。

 そしてあの長くて高低差もある難しいアプローチを、見事に決めて逆転優勝。


 あれは入らない。

 そう玲奈も思っていたからこそ、衝撃が大きかったのだ。

 寄せてワンパットのバーディまでなら、充分に覚悟していたであろう。

 だがあんなショットを決められてしまえば、動揺を抑えるのは難しくても当然である。

「あれはちょっと入らないかなあ」

 だが小鳥も3位以内はもう確定していたのだから、ラフからのアプローチなり、その次のパットなりは、もっとリスクを取ってもよかった。

 もっともこの結果を見れば、二位を確保出来たので正解だったのだ。

 攻めるべきでない時に攻め、攻めるべき時に攻めなかった。

 今なら冷静にそれが分かるが、それも結果論だ。


 勝者がまだ長いインタビューをしている間、小鳥は既に練習をしていた。

 今日は圧倒的に、優勝者にインタビューが集中する。

 あとは最終ホールを落とした玲奈で、小鳥はほとんどなかった。

 敗因分析はまだと言いながら、コースマネジメントだとは分かっている。

 今年はもう来年のシード権を手に入れた。

 プロゴルファーの中でも、上位50位に入るのが、このシード権の持ち主である。

 女子プロゴルファーは多いと言っても、シード権を持ってこそ本当の食べていけるプロと言える。

(次の試合こそ、本当の1位になる!)

 50ヤードの標識に、ウエッジでぴたりと当て続ける小鳥。

 バンカーからあの距離、あの高さに合わせて打てたのは、実力だったのか運だったのか。

 おそらくはその両方だ。

(あたしも練習でなら、100%出来るようにならないと)

 技術を高め続ける小鳥は、上手くなるためにひたすら、貪欲であるのだった。



×××


用語解説


1 アゴ

バンカーの淵の部分であり、これが極端に立っているとものすごく打ちにくい。基本的にグリーンに向けてはアゴが高くなっている。なので状況によっては後ろに打ち出すという選択も必要であったりする。


2 マーク

グリーン上にボールがあった場合、他の競技者のショットがそのボールに当たると考えると、なんらかのマークでボールをグリーン上から除く。さほど邪魔ではない場合でも、習慣的にマークする人は多い。



クラブの種類について

ドライバーなどの距離を稼ぐウッド、距離を合わせるアイアン、寄せるためのウエッジ、グリーン上で使うパター。かつてはクラブはこの四種類が、また微妙に分かれていました。

しかし現在はウッドとアイアンの中間的な役割を果たすユーティリティというクラブも女子ゴルフでは多く使われています。

男子ゴルフでも普通に使う人はいて、飛距離を出すためや高さを出すため、あるいは他の理由で色々なセッティングをしています。

また素材についてもかつては、ウッドは木材でしたが現在は金属を使っています。名前はウッド(木)のままなんですけどね。

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