第5話 小鳥と百合花
世界有数のゴルフ場数を誇る日本で、数ならば北海道が一番多い。
だが人口一万人あたりのゴルフ場という数え方なら、一位は栃木県となる。
小鳥の出身であり、ホームであるゴルフ場も、その栃木にあった。
祖父はグリーンキーパーとして働きながら、アマチュアゴルファーとしても名の知れた存在。
そして母はキャディであり、小鳥もこのコースで育ったと言っていいだろう。
まだ日も昇る前から、10kmのロードワークを終えた小鳥は、練習用グリーンに向かってウェッジを振る。
場所はバンカーからであり、グリーンの上部には、回収用の籠を置く。
そして飽きもせず何球も、その籠に向けてショットしていた。
先週の試合において、二位となった小鳥。
今週も試合はあるのだが、小鳥には出場資格がない。
しかし来週と再来週の試合は、また出場出来るものだ。
(結局繰り上がりの一位)
アマチュアが優勝したため、賞金はそのままプロで最もスコアの良かった、小鳥が手にすることとなった。
(優勝カップを持ってはじめて、本当の一位だと胸を張って言える!)
アマチュア時代には勝っているし、プロとしてもこれで二度目の二位であるから、あと一歩なのだ。
来週の試合は準地元とも言える千葉のコース。
またトッププロの中でも本当のトップは、アメリカツアー(※1)の一環でもある今週の大会に出ている。
四日間競技なので、それなりに消耗してくるだろう。
琴吹玲奈もそちらに出場し、その翌週には疲労が残っているはずだ。願望。
そういう状態であるからこそ、小鳥にも優勝の可能性が回ってくる。
もっともそんな小鳥は、未だに自分の弱点を分かっていない。
ハマった時には逆にその弱点が、一気にスコアを伸ばすからだ。
ゴルフは運のスポーツである、とも言われる。
その自分の調子がいい時を、運の一言で済ませてしまうのが今の小鳥だ。
「97球か……」
アプローチで籠の中に放り込むが、ノンプレッシャーのトッププロなら、これぐらいはやってくる。
プレッシャーがかからない状態や、むしろ力になる状態を作りたい。
プレッシャーを知らない小鳥は、それを課題としている。
朝練が終わったら、本当の朝食である。
168cmという女子にしては長身の肉体から、300ヤードショットを打つ。
そのためにはまずパワー。
パワーを出すのは筋肉であるが、女子プロの場合は下手な筋肉よりも、その柔軟性を活かして飛ばす選手がいる。
賄い飯を食べていると、同じ食事を持ってきて、母の澄花が語る。
「今日のあんたのラウンドを頼んでる人だけどね」
「また地元の社長さんだよね?」
「プレイを見て気に入ったら、所属契約も結んでくれるってさ」
思わず噴出しそうになった小鳥であったが、かろうじて耐える。
「ほんと!? ほんとに!? どこの会社!?」
「SSホールディングっていう、ツアーの共同スポンサーにもなってる」
「ああ……」
確かに最近のトーナメントツアーで、スポンサーとして名前を見ることが多い。
先週の試合で優勝した、白石百合花のバイザーに、しっかりとその名前があった。
「百合花ちゃんといい勝負したから、注目されたのかな?」
「あっちはまだアマチュアだしね」
メディアの露出は多いが、アマチュアの出られる試合は限られている(※2)ため、宣伝のためのプロ選手を探していてもおかしくはない。
小鳥の実績からすれば、所属契約があってもおかしくはなかった。
だがアマチュア時代の実績が少なすぎたこと、プロへの転向が急すぎたことが、大手企業の動きに間に合わなかった。
あとは予選落ちが連続したことも関係している。
もっとも地元の会社が、いくつかスポンサーにはなってくれている。
このコースでゴルフをするのが趣味の、中小企業の社長たちなどである。
しかし所属契約となれば、全く規模が変わってくる。
ゴルフは個人競技である。
そしてとんでもなく金がかかる。
ツアープロとして年間を回るなら、経費1000万円はかかるだろう。
使う道具だけではなく、試合にエントリーするにもエントリーフィとして金が必要になる。
またキャディを雇えば、そこでも金がかかる。
遠征にかかる移動も宿泊も、全てを自費で賄わなければいけない。
そのためプロゴルファーというのは、むしろレッスンプロの方が稼いでいたり、副業でレッスンもする。
予選落ちすれば賞金は0で、完全な赤字になるのだ。
所属契約というのは基本的に、そういった費用を活動費として全て払ってくれた上で、契約金までくれる存在だ。
細かく言えば大会の成績上位に入れば、ボーナスを出す企業もある。
テレビで社名が表示されて、宣伝効果があるからだ。
極端な話、年間10億を賞金で稼いでいたタイガー・ウッズなどは、その五倍以上の収入を、スポンサーとの契約で稼いでいたという。
石川遼はプロになった時、スポンサーとの契約だけで25億となった。
「そういう嬉しい話は、もっと早くに言ってくれればよかったのに」
「言ったらあんた、緊張するでしょーが」
試合にはあまり緊張しない小鳥だが、スポンサーとの契約がかかっているとなると、ダイレクトに生活に直結する。
プロゴルファーは上位の一部を除いて、金に困った存在なのだ。
女子の場合は海外メインで戦っているのを除くと、シード権を持つ50人前後が実質的なトップ。
ゴルフの試合だけで食っていける存在だ。
小鳥はおそらくこのままなら、今年40位前後に入るだろう。
来年もシード権は持ち、JLPGAのツアーに参加することが出来る。
だが残る二試合のどちらかで優勝出来たら、選ばれし者の最終戦に参加することが出来る。
ツアー最終戦の出場資格には、その年のツアーの試合いずれかの優勝者という条件もあるからだ。
ラウンドの予定時間までに、小鳥はまた練習を続けていた。
無風状態のティーショットで、キャリーで270ヤードを飛ばすドライバー。
基本的には真っ直ぐに飛ばすが、どちらかというと左に曲がりランが出やすい、ドローボールを打つようにしている。
もちろん右に曲がるフェードを打てないわけでもない。
子供の頃から祖父に、右に曲げたり左に曲げたりと、遊びのようにクラブの扱いは習ってきたのだ。
祖父の時代であるとまだ、日本人選手の器用さが目立つ時代であった。
今はとにかく飛距離を出し、二打目以降をいかに簡単にするか、が重要になっている。
ショートホールもあるが、基本的にはコースに四つまで。
そういったところでは、短く正確なショットが求められる。
小鳥には才能がある。
それは肉体的な素質だけでなく、練習に没頭する集中力である。
重要なラウンドが控えていても、手元のボールがなくなるまで、ずっと練習を続けてしまう。
分かっている澄花がやってきて、小鳥に声をかけた。
「あんたシャワー浴びてきなさいな」
母親からすると分かりやすい娘だ。
スポンサーになるかもしれないお客様に、汗臭い格好で会うわけにはいかない。
さっぱりとした小鳥は着替えて身なりを整える。
そして予約していた三人がやって来たのだが。
「え、佐藤様、白石様、それと……百合花ちゃん?」
「先日はお世話になりました、小鳥遊プロ」
男性一名に女性二名であるが、その中の一人はプロよりも強いアマチュア。
プロ・アマチュア公式戦21戦18勝の怪物が、やってきたのである。
コースを回る前に、練習用グリーンでパットなどを調整する。
「お母さん、あの人って元プロ野球選手の佐藤さんだよね?」
「白石アマはあの人の姪っ子だよ」
「お父さんが元メジャーリーガーっていうのは知ってたけど……」
「佐藤さんも元メジャーリーガーだったけどね」
小鳥の記憶では、投げるたびにニュースになっていたプロ野球のピッチャー、という印象が強い。
スポーツ選手としてはレジェンドだが、それでも過去の人だ。
「それとあの女の人は、お母さんなのかな?」
「そうそう。佐藤さんの妹さんで、白石さんの奥さん。昔は色々騒がれた人だけど」
百合花はもちろんだが、二人もパットが上手い。
ドライビングレンジ(※3)の打球を見ていても、まるでプロのような打球である。
「え、なんだかものすごく上手いんだけど、ハンデいくつ?」
「二人とも片手ハンデ(※4)」
「すごー」
それはもう下手なプロに勝つこともあるだろう。
もっともアマとプロとでは、コースセッティングが大きく違う。
百合花は各種クラブを軽々と振っていた。
ドライバーは真っ直ぐ300の標識近くまで飛んでいく。
あとは200ヤード以下の距離は、ほとんど10ヤードごとにボールを集めていく。
精度の凄さは、確かに世界最強アマと呼ばれるだけはある。
先週のツアーは、彼女にとって二度目のプロのツアー参戦であった。
初めてのプロの試合でも、いきなり二位になって話題になったものだ。
海外も含むアマチュアの大会で、ほとんどが優勝。
琴吹玲奈も世界ジュニアなどで優勝したものだが、さらに派手な活躍をして、プロ入りが待たれる才能が、白石百合花である。
さすがに中学生がプロの世界に入ることは難しい。
ただでさえゴルフは、短くても三日間の競技。
練習日までを含めれば、ほぼ一週間が潰れてしまう。
アマチュアの大会を荒らしまわって、次には進学先が注目されている。
そんな選手がまた、小鳥と回ることになった。
ゴルフ場を回るのは、おおよそ四人一組だ。
別にそれより少なくてもいいが、料金は頭割りというコースが多い。
「全員レギュラーティー(※5)からでいいんですか?」
「構わないよ」
年齢としてはアラフィフぐらいのはずなのだが、とてもそうとは見えないほど、百合花の伯父と母は若々しい。
「それで君のスポンサーになる件だけど、決めるのは姪にしてもらう」
話を振られた百合花は、既に聞いていたらしい。
「1ラウンドを回って君が勝っていたら、SSホールディングスがバックアップする」
「ちなみに条件は……」
「年間専属契約3000万に活動経費。ギアなどにかかる費用もこちら持ちで、最終日に最終組であれば賞金の五割をボーナス、優勝したら同額をボーナスとして支給する。期間は三年」
さすがツアーに協賛する企業は違う。
百合花との勝負は圧倒的に、小鳥に有利である。
実力差の問題ではなく、ホームでのプレイであり、重要ポイントも全て分かっている。
むしろ負ける方がおかしいからこそ、勝たなくてはいけない。
試合で予選落ちした後などは、そこを修正するのに、このコースを使っている。
「契約期間は一年単位にしてくれませんか」
ケチをつけたのは澄花であった。
「下手に安心すると、気を抜いてしまう性質なので」
「お母さん……」
ひどい。
「そういう考えもありますが、今では複数年契約を結ぶことが、プレッシャーを軽減させて成績を上げるというデータもありますが」
「この子にプレッシャーがかかるような繊細な神経があったらねえ」
「お母さ~ん」
「それにいい結果を出せば、契約条件はどんどん良くなっていくだろうし」
それは確かにある。
スポンサー側が頷いて、その主張が通った。
ただ今回の相手は、史上最強のアマチュアとも言われている。
さすがに全ての試合を優勝しているわけではないが、負けた試合が海外メジャーの二位であったりするので、ほとんどのプロより強いと言えるだろう。
オナー(※6)はその百合花である。
一番ホールはさほど難しくなく、お客様に楽しんでもらえるという構造。
基本的にはアマチュアゴルファー向けであり、その中でコースのセッティングも、たまに試合に合わせて難しくする程度。
小鳥はわざと難しくなっている場所から、いつもは練習をする。
百合花のドライバーは、フェアウェイど真ん中。
(やっぱり飛ぶ)
しかし小鳥もドライバーは、それよりもさらに飛んでいくのであった。
×××
解説
1 アメリカツアー
日米双方共催の試合になっている日本の試合。優勝賞金はUSドルで払われる。アメリカのトッププロなどが参加してくることも多いのでレベルは高く、他の試合に出られるシード選手でもこれには出られなかったりする。
日本のランキングポイントだけではなく、アメリカランキングのポイントも順位によって加わる。
2 アマチュアの出られる試合
かつては無制限に強いジュニアアマが招待選手としてプロのツアーに出ることが出来た。現在は年間8試合までとなっている。ただし招待選手ではなくマンデーと呼ばれる予選を勝ち抜いたり、他の条件で出場出来る場合は除く。
百合花の場合はツアーで優勝しているため、実は制限がなくなっている。
3 ドライビングレンジ
打ちっぱなしの練習をするところ。ゴルフ場は基本的に他にアプローチをする場所とパターをする場所が備わっている。
4 片手ハンデ
ゴルフはアマチュアの場合、ハンデをつけて試合を行う試合が多い。このハンデが9打までだとシングルという上級者。片手シングルだとさらなる上級者である。
5 レギュラーティー
ゴルフは全員が楽しめるよう、あえてハンデをつけて行うスポーツである。打球のカウントのハンデもあるが、最初のティーショットを打つ場所も女性やジュニア、お年寄りなどによって場所が違う。レギュラーティーは比較的上級者向け。
6 オナー
ホールの最初にティーショットを打つ人。2ホール目からは前のホールで一番いい数字の人から打つが、最初のホールのみはクジなどで決まる。
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