第6話 コースレコード
アウト(※1)から始まって、序盤の6ホールが終了する。
ここまでに小鳥は1イーグルの4バーディの6アンダー。
そして百合花は4バーディの4アンダーである。
小鳥の全コースアンダーペースというのは、いつも以上の調子を出していると言えるだろう。
残りの二人もイーブンパー(※2)という、とんでもないレベルでコースを回っていく。
あまりの早さに前でプレイしていた組に、追いついてしまう具合だ。
小鳥と百合花が二人で前に出て、澄花は最後からカートを押していた。
「なるほど、素晴らしい」
小鳥のスイングフォームをそう評するのが、SSホールディングの代表者である。
「ただ、今のジュニアゴルフのスタイルとは、かなり違いますね」
「ええ、私の父が教えたものですから」
澄花はそう言うが、現代流のテクニックも加わっている。
一つの世界の頂点に立ち、今は国家すら動かそうとしている人間。
威張ったところはなく、プレイにもスマートなところが見られる。
「私の姪は、ちょっととんでもない目標を持っていて」
全米や全英の制覇を目指していても、不思議ではないほどの実績は持っている。
「そのためには、一人では難しいと言っているんです」
これは不思議なことである。
「ゴルフは個人競技ですよね」
キャディのアドバイスはあっても、最後には自分で決めるのだ。
「三人は仲間が欲しいと言っていて、小鳥さんは二人目かもしれない」
これも不思議なことである。
ゴルフも一応、国別対抗戦のようなものがある。
特にアマチュアなどでは、海外に日本代表として派遣される大会があるのだ。
だが小鳥は既にプロ。
またそういった団体戦はゴルフでは、そこまでメジャーなものではない。
「ただ彼女、コース戦略やディフェンスの判断が未熟ですね」
「お恥ずかしい限りです」
「いえ、課題が明確な人は、伸び代があるということですから」
そう言われるとそうなのかもしれない。
小鳥のゴルフは基本が祖父のものだ。
アマチュアであるが全日本アマの上位に、何度も入ったという実績を持つプレイヤー。
このゴルフ場は、数名の研修生(※3)なども在籍している。
それに混じって子供の頃から、プレイしていたのが小鳥である。
百合花はその小鳥の、プレイの本質を見極めようとしていた。
「小鳥遊プロ、ひょっとしてクラブのシャフト、硬いのを使ってますか?」
「そうだよ。よく分かったね」
見ていれば分かるのは当然である。
基本的にパワーのないアマチュアや女子は、シャフトが柔らかいものを使う。
しかし硬いシャフトを撓らせるほどのパワーを持っていれば、それだけボールを操る範囲が広くなる。
また飛距離を出すのも、パワーさえあるならシャフトは硬いほうがいい。
小鳥はその可愛らしい名前とは裏腹に、パワーがすごい。
今日のコースセッティングはプロ仕様のものではない。
そして小鳥のホームである。
それでもここまでのスコアで回ったことはない。
百合花と競い合うことで、自分の限界を超えたプレイをしている。
そして百合花も小鳥に追いつこうとしている。
百合花も試合ならばもっと、楽に回ることが出来る。
練習ラウンドで確実に、一周はコースを回るからだ。
しかし今回はコース図と、キャディの澄花の情報のみから攻略していく。
出来るだけ小鳥に先に打たせてショットを参考にしたいが、安全地点を知っている小鳥は、危険地点ぎりぎりまで攻めてくる。
アマチュア仕様であれば、スコアは潜っていく。
ラフの深さもさほどではなく、リカバリーも難しくはない。
だから最初の6ホールでコースの特徴をつかんだ百合花は、少しリスクを多く取るようになっていった。
基本的には全てバーディ狙いで、パー5はイーグル狙い。
グリーンを外したとしても、浅いラフからなら上手くアプローチ出来る。
プロのセッティングにおいては、ラフからよりもバンカーからの方が打ちやすいのが百合花だ。
だが小鳥もまた、その攻略をしてくる。
前半が終わったところで食事の休憩。
小鳥は8アンダー、百合花は5アンダー。
差は広がっているが、百合花に焦りの色はない。
どんな勝負であっても、勝利を目指す百合花だが、勝つことばかりに執着していると勝利からは遠ざかる。
雑念が混ざるのだ。
純粋にどこに、ボールを置くかを考える。
そこへの正解のルートを、逆算していく。
単純にゴルフを考えるが、それは注意力が散漫になることではない。
(一日だけのラウンドでは、見切ることは出来ないか)
ただ素質とボール操作に関しては、間違いない。
今は女子ゴルフにも、飛距離が求められる時代である。
また女子ゴルフの人気が、男子よりもあるのが日本だ。
単純にアイドル的な人気もあるが、それ以上に女子はパワーがないので飛ばないし、コースセッティングもアマに近い。
つまりアマチュアゴルファーが、見習うべき点が多いのだ。
昼は普段なら、従業員用の食堂で食べる。
だが今日はお客さんとのラウンドのため、一緒にレストランで食べる。
「今年はあと二試合ですね」
「うん、でもシードは取れたからね」
「二試合のどちらかで優勝して、ツアーチャンピオンシップに出ませんか?」
「えええ……」
JLPGAツアーチャンピオンシップは、その年のツアー最後の試合であり、国内メジャー(※4)の一つでもある。
通常のシードだけでは参加することは出来ず、年内のツアー優勝者や、ランキング上位の選手が出場を許される。
小鳥は残りの二試合、ポイントを加算すれば出場できるだろう。
なお優勝賞金は3000万円と、かなりの高額になっている。
「あそこって、宮崎だから飛行機かあ……」
新幹線などを乗り継いで行けなくもないが、現実的ではない。
「百合花ちゃんも出るよね」
「……」
「受験勉強があるから、今年は無理ね」
母に言われて拗ねたような顔をするのは、まだ子供っぽさが残る。
「受験……」
小鳥からはもう、遠くなってしまった言葉である。
百合花のホームは千葉であり、多くの試合が行われる。
先日のツアーは埼玉であったが、宮崎となると遠い。
まだ中学生のアマチュアなのに、既に日本女子ゴルフのトップにいる。
全米の大会ではアマチュアながら、プロに混じって二位にもなったのだ。
「でもこの実績なら、いくらでも特待生の声とかあるんじゃない?」
自身もあまり勉強はしなかった小鳥だ。
「学校の部活に合わせていると、時間が無駄だから」
それはそうかもしれないが、練習環境は整っているのではないか。
しかし彼女の野望は、それでもまだ足りないのだ。
18ホールを回って、小鳥は16アンダーの56という、とてつもないコースレコードを更新した。
レギュラーティーのコース距離でそれだから、さらに驚異的である。
だが慣れている小鳥はともかく、百合花も12アンダーと、ビッグスコアを記録している。
そしてプロテインを飲んでから、先に汗を流す。
ゴルフ場には広い風呂がある。
そこでは体を見られるわけだが、百合花の裸身は引き締まっていて、腹は見事に割れている。
それに比べると小鳥は、うっすらと脂肪が乗っている。
だが足は太ももからむっちりと太い。
「いい体してますね」
「鍛えてますから」
小鳥は上腕の筋肉を膨らませるが、ゴルフに必要な筋肉はそこではない。
背中の筋肉が盛り上がっている。
他には胸部装甲もかなり立派である。
「身長も体重も、私より上か」
それでも百合花の飛距離は、コントロール重視でも290ヤードは飛ぶ。
上手く風やアンジュレーションを利用すれば、300ヤードも普通に飛ばしてくる。
小鳥とは持っている技術が似ている。
だがプレイスタイルは違うし、判断の安定感も違う。
風呂上がりにはまたレストランで、今後の話を進める。
「それでは今年の残りと来年、SSホールディングスの所属で大会に出るということで」
百合花の判断は、そういう結果を導いた。
「ただしキャディは澄花さんを帯同するか、それが無理ならこちらの指定のキャディを使うこと」
それが小鳥の弱点を埋めてくれるだろう。
来週は千葉のコースで三日間の競技が行われる。
キャディは既に、母の澄花にお願いしている。
かつては夫と共に、あちこちのコースを回った澄花だ。
残りの二試合は千葉と愛媛で行われるが、愛媛は四日間開催である。
小鳥の集中力を考えれば、千葉の加藤茶レディスの方が、優勝の可能性は高い。
百合花のホームからもコースは近いので、彼女は出場しないがコースのデータは渡してくれる。
「ジャパンクラシックの四日間競技の後だから、優勝争いをした選手は消耗しているはずです」
「ここで勝って、ツアーチャンピオンシップに出る……」
そうなると小鳥のランキングポイントは大きく上昇する。
来年の出られる試合は、さらに多くなるだろう。
百合花はプロ宣言さえすれば、今年と来年のツアーをほとんど、回れるはずであった。
だが優勝してもプロには行かず、アマチュアの身軽さで全米やオーガスタに出場するのだ。
本当なら今年の全日本女子アマ優勝の実績で、全日本オープンに出場することも出来た。
出場しなかったのは軽視していたわけではなく、単純に急病になっただけであった。
後日改めて契約は結ぶということで、百合花たちはゴルフ場を去る。
その車内で一緒にプレイしていた感想を、百合花は求められる。
「難しいクラブを簡単に使ってた」
単にシャフトが硬いだけではなく、他にも操作性の難しい部分があったのだ。
「パワーや技術だけなら、私よりも上」
百合花がそんなことを認めるのは、はっきり言って珍しい。
「だけど出来ることが下手に多いだけに、リスクの取り方が間違ってる」
メンタルにしても、少なくとも1ラウンド回るだけなら、全く問題はない。
「すると何が問題なんだ?」
「リスクとコストを判断する思考力と、気力のペース配分」
百合花は先日の試合で、どうして小鳥が伸びたのか、それもはっきりと分かる。
「いつものコースが台風のせいでまだ復旧されてなかったでしょ? 違うコースだったからこそ、他の選手のアドバンテージもなかった」
つまり練習ラウンドで回っただけで、適応するだけの力が小鳥にはあるのだ。
「天才だね」
少なくとも蓄積してきたものは、百合花よりも大きい。
赤ん坊の頃から、小さなクラブで球を転がしてきた。
クラブの先端まで、自分の神経が通っているようなショットをする。
リカバリーの力などが、ほぼ百合花に等しい。
「それでいて本人には、欲がないんだから」
それが不思議なことなのだ。
元々の話を聞いた限りでは、小鳥はキャディをしながら、レッスン専門のティーチングプロを目指していたらしい。
プロになったのは成り行きが大きく、そもそもトップ10フィニッシュが可能な時点で、充分にトップの実力だ。
「なんで才能のある人に限って、野心がないのかなあ」
勝利ではなく楽しみを優先している限り、小鳥のスコアは伸びないだろう。
そんな百合花の秘めている野心を知っている伯父や母は、ひそかに苦笑するのであった。
×××
解説
1 アウト
ゴルフ場は1番ホールから始まる組と10番ホールから始まる組がある。アウトというのは1番ホールから始まる組のことである。全ての組を1番から始めていたら、待機している時間が長くなってしまうため、インスタートの組がある。
プロの場合は早い時間のインスタートはあまり注目されない選手が多い。
2 イーブンパー
ゴルフはほとんどのコースが18ホールを72打で回ることが基準になっている。イーブンパーはまさに72打で回ること、つまりパーで全コースを回った計算となる。
オーバーの場合はオーバーパー、アンダーの場合はアンダーパーである。
3 研修生
ゴルフ場に所属し、日々の業務をこなしながらプロを目指す者たち。給料は安いが衣食住がおおよそ保障され、何より客のいない時間はコースや設備で練習をすることが出来る。研修生になる前に練習生が存在し、ゴルフ場のコンペなどの成績優秀者が研修生となっていったりするシステム。いわば下積みの期間である。
4 メジャー
試合の中でも特に権威があり、出場資格も限られた大会。小鳥の場合は通常のツアーの種類は出られるが、これらの大会には出る条件が足りなかったりする。
国内メジャーと国外メジャーがあり、国内メジャーは四つの大会である。このメジャーに優勝すると、長期シードを獲得出来たりする。
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