第3話 女王と挑戦者

『さあいよいよラストの18番ホール、どう見ればいいでしょうか?』

『本来なら先に打ってしまえる小鳥遊選手が有利ですが、あとは彼女の経験の問題でしょうね』

『経験ですか?』

『バンカーを軽く越えてフェアウェイのいいライを確保したのですから、3打目を簡単に打てるところに置きたいわけです』

『すると花道の細くなる前あたりですか?』

『そうですね。グリーンと同じくやや受けている傾斜の前からなら、アプローチも簡単ですからね』

『小鳥遊選手は今日、ラフやバンカーからの難しいアプローチを成功させています』

『無理をすればイーグルも狙えるでしょうが、バーディで充分と考えるべきでしょうね。後ろの琴吹選手に、大きなプレッシャーを与えますからね』


 たとえば練習ならばこのホール、そこそこの確率でイーグルを取ってくるのがプロの飛距離を出せる選手だ。

 しかし練習と本番の違いが、そこで出る。

 また最終日の今日は、ピンの位置も変わっている。


『二段グリーンの上がってすぐのところに、ピンが切ってありますからね。この小さな上りのゾーンにアプローチで寄せられれば、バーディは確定でしょうが』

『かなりのピンポイントになりますね』

『上につけるとオーバーすればスリーパットまでありますし、下の段からではこれもラインを読むのが難しくなります』

『あとはアンジュレーションですか』

『下の段に長い距離を残せば、それはノーチャンスでしょうね』


 実際にこのホール、バーディで上がった選手は、今日はわずかにしかいない。

 上手くパーセーブをするか、精密機械のようにボールを置いて、なんとかバーディーを取っている。

 イーグルの選手はおらず、スコアを崩す選手が多かった。

 最終ホールなだけはあるのだ。

 1打差なら逆転もある、と選手に思わせるコースセッティング(※1)である。




 ティーイングエリアから最終組は、小鳥たちの組の2打目を待つ。

 小鳥以外の二人はフェアウェイを刻んでいった。彼女たちの1打目の飛距離では、18番ホールではそれ以上のリスクを負う必要はないからである。

 まだ少し距離が残ってが、ウェッジで寄せられるだろう。

 残る小鳥は、5Wを手にする。

 300ヤードを飛ばせるということは、2打目でグリーンオンが狙えるということだ。

 グリーンは受けているので、ある程度球は止まる。

 ただアンジュレーションで、落下の時に弾かれて、グリーン外に転がる可能性も高い。


 本当はガードバンカーのギリギリ手前に止める、というのが一番いい。

 万一バンカーに入ってしまっても、この手前のバンカーから脱出するのは難しくない。

 だがアプローチでピンそばに付けるのは難しいから、やはりバンカーの前に球を置くのが妥当。

 花道から転がして2打目でピンを狙うのは、リスクがありすぎる。


 小鳥の飛距離なら、2打目でピンには届く。

「イーグルなら勝てるよね」

「けれどバンカー手前から刻んで、バーディを狙うのが常識よ」

 女王もその攻略をする飛距離を持っている。

 先に小鳥がグリーンに置いてしまえば、あちらも攻めてくるしかない。


「イーグル狙いはリスクが高すぎるわ」

 成功したら確かに勝てる。

 小鳥の気持ちも分かるが、リスクが高すぎるのは確かだ。

「グリーンを外したらラフはかなり深いし、ポットバンカー(※2)もいくつかある」

 ラフからでは寄せても、ピンそばに止めることは難しい。

「でもイーグルを取れば勝てる」

 それを止める言葉を、澄花はもう持たない。


 スイングするクラブのヘッドが、大きな弧を描く。

 そして強烈なインパクト音を残して、ボールはグリーンへ。

 手前の花道から、転がしていくはずだった。

「大きい!」

「ぎゃー!」

 優勝を意識したプレッシャーが、逆方向に働いた。

 アドレナリンが出すぎて、普段よりも距離が出たのだ。


 グリーンをオーバーするか、と思われた。

 だがここは幸運の女神が、ほんの少し働いてくれた。

 ボールはピンフラッグにそのまま当たり、右方向に跳ねる。

 そしてグリーン周りのラフに入って、そこに止まったのであった。




 ティーイングエリアからもそれは確認出来た。

 ポットバンカーに入っていれば、パーも難しくなっていたろう。

 だがラフからであるなら、まだパーで上がれる可能性は残っている。

 それでも玲奈のプレッシャーは軽くなった。

(私はバーディを取ればいい)

 玲奈の飛距離なら充分に、スリーオンのワンパットは計算の範囲内だ。

 さすがに小鳥のイーグル狙いというのが攻めすぎであったのだ、と結果が出てからなら言える。


 バーディで充分であった。

 もっとも立場の違いが、無理な攻め方をさせたのかもしれない。

(確かあの子、まだシード権は持っていなかった)

 玲奈はポイントランキングでも、また今年のツアーの勝利でも、来年のツアーシード権を獲得している。

 しかし予選を通ることも珍しい選手は、この試合で優勝し来年のシード権を確実としたかったのだろう。

 そういう余裕のない心が、ここで無理な攻め方をさせたのかもしれない。


 玲奈もまた大学時代にプロのツアーで優勝し、そのままプロ宣言した人間だ。

 ただそれまでに日本女子アマなど、多くの大会で優勝してきた。

 プロ転向二年目に、早くも5勝して賞金女王。

 そこから二度の賞金女王となり、天才と呼ばれてきたがゆえに、小鳥の気持ちを正確に察することなど出来ない。

 だが一応は想像も出来る。


 ゴルフはメンタルスポーツだ。

 焦った方が負けであり、ミスショットも出てくる。

 攻める時も必要ではあるが、今はバーディを取れば充分に、玲奈にプレッシャーを与えられた。

 イーグルを取りたいというのは攻めではなく、早く勝負を決めたいという焦りである。

「スリーオンワンパットでバーディを取ればいい」

 キャディの言葉に、玲奈も頷いた。

 フェアウェイバンカー前にティーショットで球を置く。

 2打目のグリーンオンを考えなければ、それで充分だと思ったからだ。


 だがそれはそれで消極的すぎた。

 同組には1打差で追っている選手もいた。

 ここまで的確なポイントで攻められてきたが、玲奈は2打のリードを保ってきた。

 それが16番ホールで、1打差にまで縮められている。


 同組のアマチュアは体格の割には飛ばせる。

 ここで小鳥には及ばないまでも、バンカーを越えた第1打でフェアウェイに球を止めてくる。

 2打目でグリーンに乗せられる距離を残している。

(それでもミスをしなければ、この子に負けることはない)

 一応は注意をしながらも、玲奈は小鳥の様子を見ながら、2打目以降を考えていくのであった。




 グリーン周りの芝は伸ばされて、深いラフになっている。

 趣味でゴルフをする人は体験しないような、プロの試合用の長いラフである。

 小鳥はこういう難しいところからも、しっかりと球を出すことが出来る。

 しかしこの場合、ただ出すだけでは不充分なのだ。


 この3打目を、どうにかピンのワンパット圏内に止めたい。

 だがラフからでは草が邪魔でスピンがかかりにくいし、草の抵抗もあるため手前に落として転がすのも、距離を合わせるのは難しい。

(結果だけを見れば、やっぱりグリーンの手前から、アプローチしていった方がよかった)

 澄花はそう思うが、終わったことを責めても仕方がない。


 同組の選手二人は、3打目でグリーン手前にボールを止めた。

 そして4打目でワンパットの位置につけたのだ。

 消極的であるが、確実にワンパットで入れる距離へのアプローチは、少しでも順位を保つためのプロとしての戦略だ。

 マークをすることもなく、お先にとカップにショートパットを入れていった。

 両者共にパーで上がり、順位を確定させる。

 そして小鳥の3打目である。


 グリーンの上段に、どうにか止めることが出来るだろうか。

 下手をすれば傾斜で転がり、下の段まで転がっていってしまうだろう。

 そうするとツーパット以上が必要となり、バーディは取れない。

 小鳥がパーで上がれば、玲奈は少ないプレッシャーで、確実にバーディを取ってくる。

 だがラフから出すのは、力でどうにかなるものでもないし、技術だけではなく運も問題となる。


 素振りでラフを確認する。

「重たい……」

 後ろの組から玲奈は、2打目を既に打ってきた。

 グリーンまではまだ少しあるが、充分にピンに寄せられる距離。

 次に一人、2打目をショートアイアンの距離に打ってきた。

 だが最後の一人は、フェアウェイバンカーを越えた地点で、こちらを待っている。

 つまり彼女も、2打目でのグリーンオンを狙っているということだ。


 1打差で負けているのだから、彼女はイーグルを狙ってきてもおかしくない。

 玲奈がバーディを取ったら、イーグルを確保しなければプレーオフに持ち込めないのだ。

「アマチュアの子は無視していいわよ」

 澄花はそんなことを言う。

「優勝しても賞金はもらえないんだから、2位までには入れるし」

「そうだった!」

 小鳥は忘れていたが、澄花も直前まで忘れていたのだ。


 アマチュアは賞金が受け取れないので、彼女が2位になったとしても、小鳥が繰上げで2位の賞金をもらえる。

 アマ時代に小鳥がツアーで勝った時も、それが悔しくてプロ宣言したようなものである。

 小鳥のアマチュアキャリアは、大きな大会で華々しい実績を残しているわけではない。

 プロのツアーで優勝したのも地元枠で、さらに有力選手がかなり参加していなかったという、そんな条件もあったのだ。

 もっとも次の試合も2位になったので、完全なフロックでもない。


 880万円が確定したと言っていいだろう。

 そう考えれば、ここから3打を使っても問題はない。

「3打目はグリーンオンで充分だから」

 澄花がそう言うのは、4位との差があるからだ。

 そう考えれば、プレッシャーも減ってくれる。

 もっとも下手に打ってしまって、グリーンオーバーのOBなどになる可能性はある。

(2打目で欲張った罰だ)

 そんな小鳥は3打目、ラフからはふわりとグリーンに乗せるだけにした。


 グリーンオンしたが、下りの長いパットが残っている。

 これでバーディを狙うのは、段の下まで転がる可能性があり、危険すぎる。

 小鳥のコースマネジメントは、あまりにも攻撃的過ぎた。

 距離を合わせたつもりで、10cmほどオーバー。

 しかしグリーンの上の段に止まったからこれで充分。

 ようやく入れてパーで上がり、13アンダーでフィニッシュしたのだった。


 暫定1位でクラブハウスリーダーとなる。

 あとは後ろの組の、二人がどうなるかを見守るだけ。

 すぐスコアをアテスト(※3)して、この勝負がどうなるかを見る。

 同じ組の二人も、ロープの向こうで見物している。

 しかし最後に2打目を打ったアマは、飛距離がそこそこ出て、花道ではなくバンカーへボールが入った。

 脱出はそれほど難しくはないが、次でピンに寄せるのはさすがに難しい。

 一応は次を直接放り込めば、まだイーグルにはなるが。


 対して玲奈はショートアイアンで、グリーンを狙う。

 わずかにピンをオーバーして、ちょっと難しい下りのパットが残った。

 それでも充分に、バーディのチャンス。

 外してくれれば小鳥とプレーオフになる。

 まだ優勝は決していない。

 小鳥はやや弛緩しかけた集中力を、再び高めていくのであった。




×××


解説


1 コースセッティング

基本的に三日や四日の大会では毎日カップの位置が変わる。特に最終日は難しいところにカップが作られる傾向である。この位置だけで難易度が変わる。


2 ポットバンカー

通常のバンカーとは違う、コップのような蛸壺のようなバンカー。初心者だと大叩きしてギブアップしてしまうこともある。プロでもここに落としたら確実にスコアを落とすと言われるような嫌らしいバンカーである。


3 アテスト

スコアを記録した同組競技者のサインを確認して、プレーヤーが承認のサインを行うことでスコアが成立する一連の作業。ここでうっかり誤記が発覚したりもする。提出する前に修正すればいいが、提出した後から発覚すると失格となる。なお間違って実際より悪いスコアで提出したら失格にはならない。

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