第2話 猛禽のように
『17番ホールのパー3のコースは、トップ三人が全員バーディ。分からなくなってきました』
『厳しいピンの位置を果敢に攻めてきましたね』
『優勝は完全に三人に絞られました』
『他は振り落とされましたね』
小鳥の初日は平凡な安全策で取ったスコアであった。
しかし二日目の途中からは、勝負所でバーディを取り、一気に上位まで伸ばす。
そして今日は1番ホールからバーディ発進で、3番ホールはイーグル。
これを目の前で見せられて、スコアを落とした同伴競技者も、今は持ち直している。
小鳥は今年の試合、半分以上予選落ちしていた。
しかしトップ10にも数回は入っている。
調子に波があるタイプで、それが極端。
ゴルフというスポーツは、その波をどう抑えるかが、重要なスポーツのはずだ。
一日5時間のラウンドを3日、あるいは4日も続ける。
どこかで集中力が途切れたりすることもある。
メンタルのスポーツで、目の前でとんでもないプレイを見せ付けられると、焦りもするわけだ。
小鳥の同伴競技者二人は一度スコアを落とし、今はそのメンタルを元に戻して、ボギーを叩くことはなく4位タイに戻している。
そんな彼女たちから見る小鳥のゴルフは、アマチュアゴルファーの攻撃ゴルフに近い。
今どきはジュニアアマでも、ここまで極端な攻撃偏重はない。
実際に先ほどの林だけではなく、ラフに入れたりバンカーに入れたりと、ミスショットも多い。
だがそこからリカバリーして、ボギーまでには抑えるのだ。
そしてティーショットが、一番おかしい。
「最後のパー5、506ヤード(※1)あるから、思い切り叩きなさい。ラフに入ってもそれほど深くないから、林に入れなければOK」
「了解」
キャディをやっている澄花は、250ヤード付近にあるバンカーを無視した。
小鳥は迷いなくドライバーを手にする。
身長も170cm近いが、それよりも目立つのが腕の長さ。
つまりドライバーのヘッドの加速する距離が長くなり、それだけショットのスピードも上がる。
長く撓るそれを、迷いなく振り切った。
(音が!)
まるで男子プロのドライバーショットのような、そのインパクトの音。
ティーから見るとバンカーはおろか、広くなった部分のフェアウェイにまで到達していた。
キャリー(※2)で290ヤードは必要なはずだ。
そこからさらに少し転がり、300ヤードを越えたのではないか。
「打ち下ろしでフォローの風が吹いているからって……」
「普通は刻むのに」
確かに飛距離が出せるなら、絶好の2打地点となる。
しかし女子のトッププロでも、コースであの飛距離が出せるのは、片手で数えるほどしかいないだろう。
唖然とはしたが、もうここは自分のゴルフに徹する二人。
既にコースアウトした選手のスコアを見れば、ここはパーをキープすれば5位以内になる。
最終組の残り一人が、スコアを落としていったからだ。
18番ホールはパーキープするのは簡単な設計になっている。
バーディを取りにいくとグリーンが難しく、そのためには2打目を近くから打ちたい。
だがパーでいいのなら、刻んでからアプローチで、安全にフィニッシュ出来る。
バンカー手前の地点に、しっかりと抑え目に打つ。
重要なのはあまり手前過ぎると、そのあたりはフェアウェイが荒れているということ。
240ヤード付近というのは、女子プロゴルファーのドライバーで、そこそこ飛ぶ距離だ。
だからもう少し手前に置かないと、2打目を打った時のスイングで、フェアウェイをえぐるディボット(※3)跡が残っていたりする。
さらに手前に置くと、そこはクリーンなライ(※4)から打てるのだ。
「グリーンまで200ヤード、フロントエッジからピンまで30ってとこね」
それが小鳥の第2打地点である。
普通にウッドで飛ばして転がして、花道からピンに寄る、という手段が使いにくいグリーンだ。
理由としては二段グリーンになっていて、ピンがその奥の二段目にある。
また二段グリーンの下の段に、壁のように盛り上がった起伏もある。
バーディを取るならグリーン手前に刻み、そこからウェッジでグリーン奥のピンそばに付ける、というのが一般的な攻略法だ。
小鳥の飛距離なら、充分に3打目を安全なところから打てる。
ただ首位に並んでいる今、どういう選択をするかが重要になる。
「グリーンに下手に落とすと、コブで跳ねる可能性もあるよ」
「周りにもしっかりとバンカーだしね」
そこからリカバリーするのは難しいだろう。
(どう攻めさせるべきか……)
澄花が悩んでいるのに対し、小鳥は普通にウッドを手にしていた。
「ちょっと待った。そのままグリーン狙いで行くわけ?」
「この距離なら届くし、グリーンも縦長だからいいでしょ」
二日目まではティーショットも刻ませていたので、このホールの攻め方が分かっていない小鳥である。
最終日はピンの位置もかなり厳しい。
澄花はティーショットからここまで、どちらを取るか考えてきた。
しかし小鳥はずっと、その選択しかないと考えていたわけである。
「せっかくドライバー使ったんだから、ここも飛ばすしかないよ」
「より正確な刻みを考えていたんだけどね……」
後ろがどう打つのかが分かれば、こちらとしても選択しやすい。
だが当然ながらフェアウェイ上にいる、こちらの2打目を待っている。
下手にグリーンの下側に乗せるより、グリーン手前から奥にアプローチした方がいいピン位置だ。
小鳥の技術なら、それも可能だ。
(なんとか単独2位でフィニッシュさせたい)
いくら叩いても3位までにはフィニッシュ出来る差がある。
賞金の金額は、優勝が1800万で2位が880万。
そして3位が700万で、1位と2位の差は大きくても、2位と3位の差は小さい。
(勝負させる?)
このままスコアが並んでプレーオフになれば、経験の少ない小鳥の不利になるだろう。
賞金女王と並んで戦うことになり、注目もここまでの比ではない。
(おそらく集中力が途切れて、すぐに決着はついてしまう)
ならば賭けに出ることも必要だ。
だが優勝を決めるイーグルというのも、確率はかなり低い。
バーディでも充分、プレッシャーを与えられる。
「お母さん、ここはイーグルを狙うよ」
こんな言葉を簡単に言ってしまう、娘の無鉄砲さが恐ろしい。
確かに先にイーグルで上がられてしまえば、いくら最強女王と言っても、巨大なプレッシャーはかかるだろう。
攻めることによって、相手のミスを誘うことも出来る。
「まあ、仕方ないわね。けれどこのショットは、ミスになる可能性が高いことを、ちゃんと意識しておきなさい」
「なんで打つ前からそういうこと言うかなあ」
「ミスした時のショックが少ないでしょ」
「そっか」
あっさりと納得して、アドレスに入る小鳥である。
女子プロゴルファーで、このホールをツーオン出来る選手はそうそういない。
またオンするだけではなく、狙ってチャンスに出来る選手はさらに限られる。
小鳥のショットを見守る観衆は、彼女が果たしてどこまでスコアを伸ばすかも期待している。
朝一番のスタート時点では、最強アマチュアと賞金女王の争いが、どうなるかに注目していた。
しかしダークホースによる最終日の大逆転劇というのも、ゴルフ観戦の楽しみの一つではあるのだ。
女王琴吹玲奈と並んだこの最終ホール、澄花は我が子のことながら、本当に才能に恵まれていると思う。
飛距離が正義の現代ゴルフにおいて、男子プロ並の距離をまっすぐ打てる。
そして肉体的な才能だけではなく、精神的な才能も持っている。
普通なら優勝を意識して、緊張して失敗するという場面だ。
しかしティーショットを、これ以上ないぐらいに真っ直ぐに打ってきた。
問題なのは経験である。
一つ一つのショットは、間違いなく高い技術を持つ。
だが攻めるホールと守るホール、攻めるショットと守るショット、その見極めが出来ていない。
帯同キャディが禁止であった関東アマの優勝はともかく、その後のプロツアー推薦も、またプロになって最初の試合も、澄花がキャディを務めたものだ。
澄花の予定がつかず、コースの所属キャディに担当してもらった時は、全て予選落ちしている。
(支配人が許してくれてるからいいけど……)
本業はゴルフ場の普通の専属キャディなのだ。
今日は有給を取って、こうやって娘のキャディをやっている。
小鳥は子供の頃からずっと、あらゆるショットをしてきたし、グリーンでも遊んできた。
アマチュアながら名人芸と言われた祖父と、早くに亡くなったプロの父。
この二人から技術と素質を受け継いだ。
そしてプレッシャーにも強い楽天的性格。
だがその楽観主義が過ぎて、必要以上のリスクを取ってしまう。
(考え方がもう少し変えれば、トッププロにもなれるかもしれない)
親馬鹿目線と言われるかもしれないが、今日の猛チャージを見ていると、パワーと技術は備わっているのは確かだ。
打ったボールはグリーン手前に着地し、花道を通ってグリーンを上るだろう。
だがグリーンのアンジュレーション(※5)によって、ワンパット圏内で止まるかは運になる。
そもそもバンカーに挟まれた細い花道を狙うより、その手前で止めてからアプローチで二段グリーンの上、ピンへの上りの位置に止める方がいい。
せっかくの飛距離を活かすなら、短い距離のアプローチの精度も活かし、短いパッティングを狙うべきなのだ。
だが女王にしても、ここはバーディが狙えるホールのはずだ。
そして彼女にもプレッシャーがあると思いたい。
小鳥が崩れたと思った16番で、スーパーショットを見せた。
長いパットも決めて、追いつかれてしまったのだ。
そして今もティーショットで、300ヤードオーバー。
あちらはメンタルの駆け引きをしているつもりかもしれないが、こちらは小鳥がひたすら自分のスコアだけを考えている。
精神の疲労度は、小鳥がいいプレイをしている限り、後ろの集団の方が厳しい。
そして小鳥が負担する分の思考の疲労は、澄花が肩代わりしている。
(2打目をグリーンに乗せてもワンパット範囲内には入らないし、グリーン手前に球を置いて、そこからウェッジでピンそばに)
それでワンパットのバーディが取れる。
2打目を下手にグリーンに乗せると、コブなどに弾かれて周辺のバンカーに落ちるかもしれない。
技術ではなく判断力で、ここは勝負する場面なのか。
だが小鳥は積極的に、グリーンを狙う気満々であった。
×××
用語解説
1 ヤード
ゴルフで使われる距離の表記。1ヤードはおよそ91cmである。ただしグリーン上では普通にmやcmで判断したりもする。世界基準に統一しろとも思うが、今さら全て変更するのは大変なためこうなっている。
2 キャリー
ゴルフの飛距離の中で、ボールが着地するまでの飛距離を示す。これにランという転がりが加わって飛距離となるが、バンカーなどに打ち込むとランが出ないので、キャリーの飛距離が重要になったりする。
3 ディボット
フェアウェイなどでボールを打ったとき、クラブで地面を削った時に生じる穴。普通はしっかりと目土といって埋めるのだが、マナーの悪い選手はそれが不充分であったり、埋めても完全な芝の上からとはならないので打ちにくい。
4 ライ
ボールのある状況のこと。フェアウェイにあるボールは、基本的にライがいい。しかし極端に傾斜したところであると、フェアウェイでもライが悪いなどと言われる。状況によってはバンカーからのショットでも、普通にライがいいと言われる。
5 アンジュレーション
フェアウェイやグリーン上の起伏のこと。これに当たって変な方向に行くこともあれば、これを利用して距離を稼ぐこともある。日本のコースはアンジュレーションは控えめなところも厳しいところもあるが、控えめなところが初心者向けである。
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