天と地の狭間で ~メンタルを殴り合う世界へようこそ!~

草野猫彦

序章 小鳥と花

第1話 小鳥の羽ばたき

 秋口の樹木の間を、大勢の人間が移動する。

 ロープの向こうとこちらに、明確に分けられた空間の違い。

 そう、ここはゴルフ場である。

 紳士淑女の社交場と言えば、何やらそれらしく聞こえるかもしれない。

 だがプロの世界であるなら、まさに鉄火場なのである。


『さあJLPGA(※1)ツアー四菱レディスゴルフトーナメントも、最終日いよいよ最終組が16番ホールに入ってきますが、先にその前の組、ものすごいことになってきましたね、岡村さん』

『そうですね。今日のスタートは2位から3位までは6打差もあったので、トップ二人のマッチプレーを予想していましたから』

『今日ここまで10バーディの1イーグルというとんでもないスコアをたたき出したのは、プロ二年目の小鳥遊小鳥。まだプロ転向後勝利はありません』

『彼女の場合、調子が良ければトップ10、悪ければ予選落ちと極端ではありましたからね。三日目まで耐えて爆発すると、こういうスコアにもなるんです』

『本日は4位タイの3アンダーから、9個もスコアを伸ばしています』


 実はしっかりボギーも3個出しているのがご愛嬌。


『集中力のスタミナの問題なんでしょうね。予選はぎりぎり通って、一気に三日目で優勝争いというのがパターンですから』

『高校時代にプロツアーに推薦出場して優勝し、プロ入り宣言していきなり次も2位でした。ただそれ以降はトップ10に入ることがせいいっぱいですね』


 それでもプロの世界では、上澄みとは言えるのだ。


『いいリズムで来てたのですが、このホールの第1打は、右の林の中に打ち込んでしまいました』

『こういうところで無理して崩れるのが、ずっと続いているパターンですね』


 このトーナメントは三日間開催であり、小鳥は一日目終了時は中盤辺りの順位につけ、二日目終盤にスコアを伸ばしてきた。

 そして三日目は1番ホールからバーディ発進。

 打ち込んだ林から右ドッグレッグ(※2)のコースは、林の間からグリーンの方向が見える。

「よし! 狙える」

「狙わないの」

 差し出したウェッジで頭をぽかりとするキャディは、この大会のために帯同してくれた母の澄花である。

「でもお母さん、ちゃんとグリーンは見えてるんだよ! ここは挑戦の一手でしょ!」

「あんた、もう三日目なんだから、筋肉だけでゴルフするのはやめなさい」

 ひどい言い方である。間違っていないのがよりひどい。

「この方向からだとグリーンの手前にバンカーがあるし、そもそも30m先の1mの幅を、確実に抜けられないでしょ」

「それぐらいは出来るよ」

「普通の時ならね」

 娘の才能と技術を、認めていないわけではないのだ。

 

 上手くメンタルをコントロール出来ていた。

 二日目の中盤から調子を上げ、体力と気力を存分に温存した上で最終日を上位スタート出来たのだ。

 優勝のチャンスはあるが、他にシード(※3)の問題もある。

(ここで3位以内に入れば大きい)

 澄花は小鳥にプレッシャーを与えないため口に出さない。

 一般的なプロと違い、アマチュア優勝でプロになった小鳥は分かっていない。


 高校三年生の時に推薦出場したツアーで、フロックじみた優勝をしてしまった。

 その次のツアーの試合も2位で決着し、確かな実力を示した。

(けれど今年はまだ、ポイントが足りない)

 去年のランキングを参考にすると、この試合で2位以内ならシード権の範囲内。

 優勝したら翌年のツアーシード権は自動的に取れる。小鳥が今年ほぼフル参戦出来ているのは、去年の優勝によるものだ。

(この試合で3位以内に入れば、残りのどちらかで20位以内でも、まず大丈夫なはず)

 澄花はそう計算している。


「駆け引きが出来てたらねえ」

 ため息と共に呟く澄花である。

 小鳥は誰かとのスコアの競い合いをせず、自分のゴルフだけを考える。

 相手を見ずに関東ジュニアを制したり、プロのツアー参戦で優勝したりと、才能も技術もあるのだけは間違いない。

 だが足りないところも大量にある。

(プロ宣言(※4)は早すぎたかなあ)

 階段をいくつもすっ飛ばしてプロになったので、澄花としても悩ましいところであるのだ。


 キャディとして冷静に見ても、ここはグリーンに止まらない。

「グリーンの斜面が、受けていない」

「高いボールを打てば」

「どこにそんなスペースがあるの」

 この林の中からでは、木々の葉が邪魔して不可能である。

「低く打っても転がりすぎてグリーンに止まらないでしょ。届けばいいってもんじゃないんだから」

「そりゃそうだけど……」

「でも手がないわけじゃないし」

 コースなりに進めていけば、ちゃんとグリーンが受けているコース。

 単に横に出す安全策以外も、澄花は与えられる。




 16番ホールのティーイングエリアから、前の組を見る最終組の3人。

 その一人がこの試合の首位で、賞金女王ランキングも独走している、琴吹玲奈である。

 今日の開始時点では2位に2打差、3位とは8打差の12アンダーと、3位以下を大きく引き離した首位でスタートした。

 最終日は完全にマッチプレーの状況か、と周囲も予想していたのだ。


 ゴルフは駆け引きのスポーツである。

 スタートの時点で12アンダーであったが、今日はここまで一つしか潜っていない13アンダー。

 同じ組になった2位とは、今も変わらない2打差。

 この一人だけに注意し、隙を見せなければ勝てる、というのを想定していた。

 同じ組の3位の選手は、二人の駆け引きの気配に負けて、ずるずるとスコアを落としていった。


 下手に自分からは仕掛けないと決めていた。

 2打のリードがあるのだから、向こうの出方を見て、それに対応すればいい。

 実際に同伴競技者の2位の選手は、かなり無理な攻め方をして、どうにかリカバリーしてついてきている状態だった。

 このままパーキープをしつつ、簡単にバーディが取れるコースだけを狙えばいい。

 そう思っていたら、前の組から一気に1打差に迫られてしまった。

 

 2位の選手はアマチュアとは言え、大きな大会をいくつも制している。

 アマチュアだからこそ、プレッシャーがかかりにくいという有利さもあると考え、こちらに注意を向けすぎた。

 少し前からはあちらのプレイも見て、コースマネジメントをしている。

 そんな彼女にキャディが、リラックスさせようと声をかける。

「林の中に打ち込むのは、やっぱりツアー初制覇へのプレッシャーですね」

「彼女は前に一勝してるんでしょ?」

「それはアマチュア時代でしたし」

「プロとは違う、のね」

 それは確かによく言われる。プロとアマではプレッシャーが違う。


「打ちまーす!」

 遠くから聞こえてきた声は、少し意外だった。

「出すだけじゃないのかな」

 そう思っていたところに飛び出てきたボールは、明らかに飛距離が出すぎていた。

 今度は左の林に入るかと思ったら、ものすごいスライスでグリーン方面に向かって消えていった。


 やがて見えないグリーン方向から、大歓声が上がる。

「まさか乗ったの?」

「……あの歓声は、そうでしょうね」

 キャディは明らかに驚愕しているが、玲奈としても全く動揺しないわけではない。

「あんなでたらめなスライス、普通は打てないでしょ」

 右方向に曲げるにしても、限度というものがあるだろう。


 グリーン方向を真っすぐ狙うのではなく、横のフェアウェイに戻しただけでもなかった。

 比較的木々が密集していない、斜めに打ち出してスライスをかける。

 高く上がるフェードの成分も含めているため、球はグリーンに止まった。

 距離感を把握し、球の曲がりも計算したヒーローショットである。

 知らない人が見れば、奇跡の一打である。


 


 あの大歓声、あるいはベタピンでバーディチャンスの可能性すらある。

 すると玲奈もここで、バーディを取らないと追いつかれる。

 同組の選手もずっと、2打差を離されずに追ってきていた。

 そして前の相手にも、追い付かれるピンチ。


 ゴルフというスポーツは、追いかける方が有利と言われる。

 精神的に吹っ切れて、攻めるべきか守るべきか、そのどちらかの選択に迷いがなくなるからだ。

 玲奈はここまで2位の選手に、追いつきそうで追いつけない、そんな守りのゴルフをしてきた。

 しかし目の前で、1打差で迫る相手がバーディチャンス。

 つまり今は二方向から攻撃を受けている。


 一度は林に叩き込んで、これでまた一人に集中すればいいと思った。

 そこにこのスーパーショットで、油断していたメンタルに大きなダメージが入っていた。

「フェアウェイ左に球を置きましょう」

「……ええ、そうね」

 キャディにそう言われた玲奈のショットは、やや左に行き過ぎてセミラフの中へ。

 これでもわずかにコントロールは難しくなる。


 2打目は無難にフェアウェイに出して、グリーン近くから3打目を打つべきだ。

 ワンパットのパーで上がるのが、安全策と言える。

 ラフに入れたミスを、無理に取り返そうとはしない。

 ミスはミスとして、1打の罰を受け止めるのだ。

 無理をすれば、さらに傷口が大きくなる。


 前の組では結局、小鳥がロングパットを決め、バーディを取る。

 ついに玲奈は追いつかれてしまった。

 精神的に大きなダメージを受けたが、致命傷ではない。

 しっかりと3打でグリーンに乗せ、パーをキープした。

 確実に3打目をワンパットの距離に止めたのだ。


 だが小鳥がバーディで追いつき、玲奈の同組のアマ選手もバーディを取って、1打差にまで詰め寄られた。

「面白くなってきたわね」

 むしろ競う展開になったので、分かりやすいとも言える。

 前の組に首位タイ、同じ組に1打差の3位。

 両方を見ながら、自分のゴルフを組み立てていく。

 昨年の賞金女王は、今年もそれをほぼ確実としながら、貪欲にスコアを求めていくのであった。



×××


本日は三話まで一時間ごとに投下します。


用語解説 

物語の進行上分かりやすくしているため現実と使う用語はやや違います。またルール変更により、将来的に描写がおかしくなっている可能性もあります。


1 JLPGA

日本女子プロゴルフ協会の英語略。ツアーというのはこの団体に認められた公式戦のこと。中には世界ランキングに影響する試合や、メジャーと呼ばれる権威のある試合がある。


2 ドッグレッグ

コースが大きく左右に曲がっていて林などがあり、ティーイングエリア(昔はティーグラウンドと呼ばれていた)からは直接狙えないようなコースのこと。ただその上を越える飛距離と高さがあるボールを打てるとショートカットすることも出来たりする。


3 シード

来年のツアー公式戦に参加出来る権利。いくつかの条件がある中で分かりやすいのは試合の順位から得るポイント制になっている。他にツアー優勝者はその年と翌年の試合、一部を除くツアー公式戦に参加出来る。他にも色々と条件はあるが、それはおいおい説明する。


4 プロ宣言

通常プロになるにはプロテストを受けてそれに合格する必要がある。ただし招待選手のアマチュアがプロを退けてツアーで優勝すれば、プロ宣言をしてプロになることが出来る。プロに勝つアマは普通に化物なので、実は小鳥も化物である。


ゴルフはスコアを競う競技で、ホールごとにその打数が決められています。

パー3やパー4というのは、その打数でカップにボールを入れられたら、パーですよというコースです。

これを2打や3打でカップに入れれば、1打少ないバーディとなります。

さらにパー3でホールインワンをしたり、パー4で2打で入れたりするとイーグルとなります。

バーディで1アンダー、イーグルで2アンダーと、ゴルフは少ない打数でコースを回っていくスポーツです。

それもプロともなれば三日から四日ほど、考えながら毎日10kmにもなる距離を歩いていきます。

ショットを打つだけと思われるかもしれませんが、思考のスポーツであり、練習も含めればさらに歩いていく、実は過酷なスポーツです。

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