第39話 二日目の戦略
ダイキリレディス二日目が始まる。
アスカと少し話した小鳥だったが、そこまで深い話はしなかった。
ただ彼女がゴルフは楽しむだけ、というのは少し違和感があった。
小鳥も競技ゴルフの世界とは、ずっと無縁でやってきた。
しかしプロの世界で勝ってしまった、あの高揚感。
アスカは感じなかったのだろうか。
「今日は伸ばしていくぞ」
「二日目なのに?」
「思ったよりも風が強くなりそうだからな。それまでに風間とのリードを広げておきたい」
村雨がそこまで警戒している。
風のある日のアスカが手におえないのを、去年はキャディとして見ていたのだ。
「そんなに凄かったの?」
「中継もあったはずだけど見てなかったのか?」
「お客さんとラウンドしてたから」
予選落ちプロの、ラウンドレッスン(※1)をしていたわけだ。
小鳥はいまだに、他のプレイヤーへの興味が薄い。
そのあたりが下手なプレッシャーになっていないことは、むしろ望ましいことだ。
競技ゴルフの世界は、駆け引きが重要となってくる。
だが小鳥は他人のプレイを見ても、そうそう崩れることがない。
(こういうタイプのメンタルも、才能のうちなのかな)
村雨が知っている強者は、プレッシャーを感じてなお、それを乗り越えていくものであった。
小鳥の性格は、ある意味では才能である。
初日と同じくバーディ発進。
今日もまだ風は弱いので、前半から少しリスクを取ってでも、リターンを求めていく。
(マネジメントは俺がアドバイスする)
百合花の場合はもう、自分でマネジメントが出来ている。
だから村雨を必要とするのは、むしろ小鳥の方であるのだろう。
だが百合花とは随分と一緒に組んだものだ。
そもそも最初はレッスンをするだけだったのだが。
村雨は今もプロゴルファーである。
だが自分のゴルファーとしての道は、もう完全に閉ざされたものと納得している。
生きていくためにレッスンをして、そして自分の夢を誰かに託すことが出来る。
もっとも夢を誰かに託すなど、そんなのは都合のいい話。
レッスンを必要とする多くは、100(※2)も切れないようなおっさんゴルファー。
教えていて楽しいのは、未来が楽しみなジュニアであった。
そんな村雨の日常を、はっきりと変えてしまったのが百合花だ。
ただ百合花は村雨でなくても、自分でいずれは頂点に立っていただろう。
勉強嫌いだが頭は良くて、勝負事にはめっぽう強い。
そして精神的な強さは、どんなプレッシャーにも負けないものであった。
わずかにまだ足りていないのは、忍耐力と諦める力だろう。
ゴルフは諦めては勝てないスポーツだが、どこかを諦めなければいけないスポーツでもある。
その矛盾が分かれば百合花は、彼女の目的も達成できるかもしれない。
今日もアウトの遅めスタートの小鳥であるが、リーダーボードは激しく動いていた。
二日目までが予選となり、これを通らなければ賞金も出ないため、早めスタートの組が積極的なゴルフをする。
結果として逆にスコアを落とす選手もいるが、少ない割合で一気に伸ばす選手もいるのだ。
「早めのスタートの方が良かったな」
村雨がそう言ったのは、少しずつ風が強くなってきているからだ。
小鳥は山から下ってくる風で、育ったゴルファーである。
沖縄の風はどうしても、海風の要素になってくる。
風の強さが同じでも、場所によってその影響は変わる。
だがこの季節の沖縄は、風速5メートル程度。
栃木に比べれば風は強く、風向きも一方向ではない。
明日以降はディフェンスのゴルフとなるため、集中して今日で伸ばしていく。
そう考えるが前の組は、今日に限ってはどんどん伸ばす選手がいる。
一日目との総合順位では、それほども変わらないのだが。
(どうにか65ぐらいで回れたら、風の中でも勝負出来るか)
二日で11アンダーにしても、まだまだ安全圏にはない。
風さえ吹かなければ、小鳥は三日目以降も伸ばしていけるだろうが。
前半のハーフを5バーディの1ボギーで回った。
前の組は最高でも4打潜ったところなので、小鳥には追いつかない。
そのスコアを伸ばしている中に、アスカの名前があった。
とは言っても小鳥が潜るほどには、伸ばしているわけではない。
三日目はディフェンス主体のゴルフになる。
小鳥ならスティンガーショットで、風の影響の少ない球を打っていける。
そこからアプローチとパットをしていくのは、小鳥の得意なプレイスタイルだ。
強風の中で伸ばせるのはおそらく、18ホールで2打か3打といったところだろう。
重要なのはボギーを叩かないことである。
三日目と四日目の二日間が、比較的風が強くなる予報となっている。
その中でアスカがどこまで伸ばしてくるか。
先に決定的な差をつけてしまえば、相手の集中力を削ぐことが出来る。
ゴルフはそういったことも行うスポーツなのだ。
小鳥は得意ではない心理戦だが、そこは村雨が補ってやればいい。
自然とこの二日目に、集中してもらえばいいのである。
小鳥の爆発力に関しては、後ろの組のルイは良く知っている。
完全に予選落ちだなと思えたスコアから、バックナイン(※3)で8打伸ばすなど、非常識なことをやっていたのだ。
そこまでやっても予選落ち、というのが小鳥のゴルフであった。
集中力を上手く、コントロール出来ていなかったのだ。
(やっぱり女王と最後まで競ったんが、あの子を強くしたんやろな)
相手を見ながらゲームをするルイは、ショットメーカーである。
狙ったところにウッドやアイアンのショットをするのは、小鳥よりも上手いぐらいである。
そもそも小鳥はショートアイアンまでは、距離を微調整することがあまりない。
ただドライバーを駆使するところが、同じプロの目から見ても、奇異に映ることは確かだ。
原始の球、と言われるものがある。
それは低いドローボールだ。
ゴルフの誕生したと言われるスコットランドでは、リンクスコースの風が強い。
そこでは高いボールを打つのには、かなりの技術がいる。
あえてスピン量を抑えたボールが打てないのなら、全英オープンに勝つことは出来ない。
小鳥のスティンガーにしても、アンジュレーションへの対応が必要になる。
去年の全英アマに、百合花は出場した。
そこで負けたのは完全に、運も関係していただろう。
日本、イギリス、アメリカの国々で一度ずつ負けた百合花。
それ以外は大きな試合で負けていないというのが、むしろとんでもないのだが。
全英アマに出場したついでに、本場のリンクスもラウンドした。
なのでまだ自分には届かない、と判断したのだ。
百合花がほしかったロードローのボールを、小鳥は打てている。
ウェッジを巧みに使う小鳥だが、ティショットのドライバーで上手く曲がる球を打てるのが大きい。
ウッドでもスティンガーを打つ場面がある。
あるいはドライバーで、直ドラのショットを打つことさえあるのだ。
ルイが見ているリーダーボードでは、前半の組以上に、小鳥が伸ばしているのが分かる。
(もうそろそろ、うちが勝ってもおかしくない)
ラフの深い沖縄のコース、ルイは確実にフェアウェイをキープする。
最初からリカバリーショットを打たないマネジメントをするのが、今のゴルフの大前提。
それを可能にしているのが、ルイのポイントに球を置くショット。
伸ばす小鳥に食らいつく、今週のルイは本気で優勝を狙っている。
小鳥やルイに比べて、恵里は苦戦していた。
もともと彼女は長いヤードのロングホールを得意としている。
小鳥のように曲がるボールを打つのではなく、まっすぐに飛ばすのが彼女の得意技だ。
だが風の影響があるコースでは、どうしてもそれを計算して打っていかなくてはいけない。
(けれど最悪でも、予選は通らないと)
ポイントを稼いで、確実にシードが取れるようにするのだ。
今年のツアーには、同期でプロテストを通過した選手が、さらに三人も参加している。
去年のQTなどで結果を残し、おおよそのツアーの試合に出られるようになっている。
その中のどれかの試合で勝つか、あるいはポイントを稼いで来年のシードを取るか。
ツアー一年目で勝利するのは、かなりの運や偶然によるものが多い。
実際に同期ではトップのルイや恵里も、まだ勝利はないのだ。
琴吹玲奈などは、プロ転向後すぐに何勝もしていった。
だがあれは特別であり、それこそ小鳥のような二年目で二勝でも、充分すぎるほどの成績なのだ。
(だけど言い訳をして、それで勝てるわけじゃない)
勝つために必要なことは、次の機会をしっかりと作っておくこと。
この沖縄の試合では、恵里は最初から優勝の可能性は低いと考えていた。
だがそういったコースでも、ポイントは稼いでいかなければいけない。
プロテストを受けて、それでプロになれるのが何人か。
その段階では恵里は、まだ簡単にプロの世界に進むことが出来た。
大学に行きながら練習をして、そして一年目で合格したのだ。
今は大学もほぼ休学し、プロのツアーに出ている。
ルイなどは高校三年生でプロテストに合格しているので、年下だが同期である。
それ以前にナショナルチームで、一緒に戦った戦友でもあったが。
この二日目、一日目の上位メンバーが、後からスタートしてけっこう崩れている。
それは先にスタートした選手に、伸ばしている選手がいるからだ。
プロのツアーでは優勝を最終的には狙うが、まずは予選を通らないといけない。
シードを持っているプロならなおさら、予選を通って賞金を稼がなければいけない。
そうでなくては何も得られず、ただ遠征の費用がかかるだけになるからだ。
予選通過の壁、トップ10の壁、そして優勝の壁。
恵里は自分にあったコースでは、積極的に飛距離を活かし、上の順位を目指す。
だがおそらく先に初勝利を上げるのは、ルイであろうと思っている。
狙った場所に球を止める、ゴルフの基本をルイは守っている。
確かに年々、女子プロでもコースの飛距離は長くなっている。
それでもゴルフは100ヤード以内のショットが、65%を占めるのだ。
そして単純な飛距離なら、恵里をはるかに上回る、小鳥という怪物がいるのである。
二日目の今日、大きくスコアを伸ばす選手がいるのは、予選通過がかかっているということだけが理由ではない。
ピンポジが楽なところに切られていて、積極的に攻めていけるからだ。
そして自分の能力以上に攻めて、ミスをするプレイヤーがいる。
ただしプロのゴルファーというのは、ミスをしてからが強い。
ミスをしたホールは忘れて、次のホールに集中していくからだ。
毎週のように試合に出るツアープロは、ミスショットの原因を突き止めるのは後回しにする。
原因がはっきりとしているなら、もう忘れてしまうこともある。
日曜日にゴルフ場でプレイするエンジョイ勢とは、その時点で意識が違う。
後悔していたりする暇があれば、次のショットを考える。
無駄に悔しがったりして、メンタルのスタミナを使わないのだ。
小鳥は村雨と話し合いつつ、それなりのリスクを取ってバーディやイーグルを狙っていく。
後半に入ってからも、バーディの取れるロングホールだけではなく、短いパー3でもバーディを取っていった。
初日の4アンダーから、最終ホール18番を残して、11アンダーまで伸ばしていた。
この時点で既に首位になっていたのだが、目の前のホールに注意して気づいていない。
そして最終18番ホール、500ヤードもないパー5でイーグルの奪取に成功。
13アンダーの首位で三日目を迎えることとなる。
「え、私がトップ?」
「今日だけで9打も潜ったら、そうなるだろ」
8バーディ1イーグル1ボギーなのであるから、間違いではない。
既にアテストが終わっている前の組では、8アンダーが最高であった。
圧倒的な差をつけたように思えるが、まだ後ろの組が残っている。
その中ではルイなどが、かなり伸ばしてきていた。
村雨としても少し、想定外と言える。
集中力のスタミナを、使いすぎてしまったかもしれない。
だが下手にブレーキをかけても、それはそれでリズムを崩すことになる。
ゴルフはリズムが大切なのだ。
上手くいっている間は、変にスコアも考えなくていい。
それにしても小鳥の爆発力は、恐ろしいものがある。
パー72のコースを、63で回ったということになるのだ。
このペースで四日間を回れるなら、36アンダーでフィニッシュ出来る。
もちろんそれはありえない話で、調子がいい日があれば、悪い日もあるのだ。
一日だけでいいならば、百合花などは簡単なコースを、59で回るぐらいは普通にする。
後ろの組もどんどんフィニッシュしていくが、小鳥の首位は変わらない。
最終的に2位は、今日5打も潜ったルイとなった。
初日と合わせて10アンダーである。
3位も単独の9アンダーで、賞金女王の実績もあるベテランプロの三枝。
4位から下は、諏訪瑞穂など8アンダータイの選手が数人いた。
スパートが早すぎたか、と村雨は考える。
だが明日以降の天候を考えれば、今日のうちに勝負をするのは間違っていなかったはずだ。
(風間は6アンダーで11位タイか)
二日間で7打差は、それなりの安全圏と言える。
だが風がスコアを崩していったら、どうなるか分からない。
三日目は同期のルイと同じ組になる。
そういったこともメンタルにどう影響が出るか、考える村雨であった。
×××
解説
1 ラウンドレッスン
プロがアマチュアのお客さんとコースを回り、その中でレッスンをしていくこと。無料ではなくプロにお金が入ってくるが、所属しているコースにも取り分がある。
去年の小鳥の場合、シーズン中でも予選落ちすれば日曜日が空くため、そこでレッスンをしてお金を稼いでいた。
2 100も切れない
パー72で100打必要というプレイヤーである。初心者ではなく数年やっている程度でも、100を叩くことは普通にある。
3 バックナイン
フロントナインのところでも書いたと思うが、後半9ホールのことである。これだけで8アンダーというのは、単純にいえば9ホールの中で8ホールをバーディを取ったということになる。
もちろんイーグルを取っている場合もあるので、パターンは色々であるが。
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