第38話 認められた二人
ダイキリレディスは6595ヤード、パー72で開催される試合である。
南国沖縄の試合ということもあってか、芝の成長は早く、ラフも絡みやすい。
飛距離よりも正確性が求められるが、それはコースの難易度によるものではない。
確かに例年、比較的ベテランの選手が活躍するが、それは風の読み方に問題がある。
天気が荒れるというわけではないが、比較的風の影響が強い。
そのためフィジカルで飛距離を稼ぐ若手より、コースマネジメントに長けたベテランが有利というものなのである。
「とは言ってもこのコース、考えようによってはお前向けだな」
村雨がそう言うのは、パー4のコース全てが、400ヤードもないからだ。
ドライバーで300ヤード飛ばせば、次はウェッジが持てる。
パー5のホールも一番長くて525ヤードと、小鳥ならドライバーを使わずにツーオン出来る距離なのだ。
「まずはここを、おはようバーディしよう!」
ドライバーを持った小鳥に、3Wを差し出す村雨である。
「これで充分だから、フェアウェイを確実にキープしろ」
3Wを押し戻す小鳥である。
「フェアウェイをキープするなら、もっといい方法があるから」
ハイティ(※1)にセットした小鳥は、特に緊張もしないままアドレスに入り、スティンガーショットで試合をスタートしたのであった。
この試合は風の影響が強く出る。
そう知らされた時から小鳥は、新しいドライバーに加えて、扱いの得意な5番アイアンと7番アイアンのショットを練習していた。
全てはフェアウェイをベストの位置でキープするためである。
低弾道のショットであったが、それでも300ヤード近くまで飛ぶ。
スピンが左右にかかっていないため、フェアウェイをまっすぐに飛んでいく。
曲げる球を使わないなら、これで充分なのである。
小鳥と同じ組になると、まずこの飛距離に圧倒される。
それでも去年までなら、大きく曲げてしまうことが多かった。
だが今年は低い球を打って、曲がる前に着地させる。
キャリーが短いので、300ヤードには届かない。
これでも女子プロの中では、圧倒的な飛距離なのである。
1番ホールからバーディ発進。
調子に乗り過ぎないように、村雨は小鳥を見守るつもりである。
一日目が終わった。
四日間競技なので、とりあえず予選を通過することを最優先するべきだろう。
小鳥は6バーディの2ボギーという4アンダーで初日を終えた。
5位タイであるのでそれほど悪い順位ではない。
トップはベテラン、かつての賞金女王が7アンダーで回っている。
上位には他に、2位タイの5アンダーでルイがいた。
注目の風間飛鳥は2アンダーの10位タイである。
自分のラウンド後に、小鳥はウッドの練習をしていた。
ドライバーは問題なかったのだが、フェアウェイウッド(※2)の調子が微妙で、グリーンを外してしまった。
そこからはラフを切り裂きリカバリーしていったのだが、最初からリカバリーの必要がない方が、いいのは当然である。
沖縄の芝が強いのは、去年の試合で知っている。
だがタイの熱帯の芝に比べれば、まだ攻略しやすいものであった。
リカバリーの自信があるからこそ、果敢に攻撃していくことが出来る。
だが二日目はまず予選通過のため、ノーボギーで取れるところだけを取ればいい。
勝負は三日目以降と、マネジメントはしてある。
駆け引きはあまり必要ないが、それでも優勝のラインが近ければ、自分が動揺する可能性はある。
小鳥は慎重になっているのだ。
それにしてもラウンド後、アスカはドライビングレンジに顔を見せない。
ルイに聞いてみたところ、既にゴルフ場を後にしていたらしい。
「練習しないんだ」
「着替えてすぐに帰ったみたいやな」
そもそも地元であるため、練習ラウンドを回らないというのなら分かる。
だが練習もせずに帰ってしまうというのは、ちょっと急ぎすぎではないだろうか。
「出入りはどうだったの?」
「4バーディの2ボギーやったな。ディボット跡に入れたり、ちょっと流れがなかった感じやったで」
それに対してルイはノーボギーでフィニッシュした。
首位とは2打差であるので、初勝利の目があるかもしれない。
10位以内でフィニッシュした回数は、小鳥よりも多いルイである。
そろそろ初勝利があっても、全く不思議ではないのだ。
「このコースは球を止めるところがはっきりしてるから、うち向きのコースや」
ピンポイントでフェアウェイを狙っていけるルイは、確かに向いているだろう。
やがて上がってきた恵里も、1アンダーで18位タイ。
ちょっと力を発揮できていないのは、ラフに入れることが多かったからだ。
飛距離は相当に出る恵里だが、ここはラフからのコントロールが難しい。
パー5ならばともかくパー4では、2打目をフェアウェイから打つことが、バーディにつながるのだ。
ラフに入れてしまうと、方向が乱れて1パット圏内にとどめるのが難しい。
パー5で使うフェアウェイウッドとパー4で使うショートアイアンのショットで、練習時間の大半を使った。
恵里はアプローチをしていたが、最後にはパットの練習をして終わる。
ルイはほぼ小鳥と同じことをしていた。
今日のようなスコアを残せば、最終日までに20アンダーまで伸ばせる。
そこまで伸ばせばさすがに、勝てるであろうというスコアだ。
一日目はまだ人数が多いため、ピンを難しいところに切っていない。
本格的に難しくなるのは、予選でカットされた三日目からだ。
三日目はおそらく、風が強くなるだろうとも予想されている。
(小鳥もやけど、風間のことも考えると、明日は66ぐらいは狙いたい)
そう考えるルイは、ヤーデージブックを見ながら、今日のコースと比較していく。
ルイと違って恵里は、このコースは自分には不利だな、と感じていた。
だが不利であっても予選は通って、ポイントと賞金は稼いでいかなければいけない。
ゴルフというのは三日から四日をかけて行うものだが、練習ラウンドの段階から既に勝負は始まっている。
そして試合が終わっても、またすぐに次の試合があるのだ。
どう終わるかで、次の試合に影響してくる。
短いホールの多いコースは、2打目をウェッジで打てたりするので、飛ばし屋が有利になったりする。
だが実際のところはピンポイントで球を置かなければいけないコースだと、ルイのようなゴルファーの方が有利になる。
長いホールが多く、どうしてもルイではバーディを取りにいけないコースなどは、恵里の方が有利になったりもする。
単純にコースのヤード数だけでは、飛ばし屋が有利かどうかなどは分からないのだ。
ゴルフ場が閉まっても、次の日までには時間がある。
案外この時間を持て余すことは多く、近くのパチンコでリラックスをしているゴルファーなどもいるらしい。
小鳥はホテルでクラブのメンテナンスをする。
前回のようなクラブの問題で、負けるのはもう嫌なのだ。
そういったことが終わっても、まだ時間は余っている。
場所が沖縄ということもあって、普段は食べないものを食べに行こうかと考える。
ルイと恵里を誘ったが、ルイは優勝を目指して集中し、恵里は明日が早いスタートなので、早めに寝ると言って断った。
小鳥としてもこんな時は、体を動かすことに限る。
ゴルフは一日四時間ほどをラウンドする。
今日などはまだ初日だが、優勝争いをする最終日などになると、心拍数が上がってくる。
そのリズムに合わさないと、ショットミスが出てくる。
小鳥はそれを確認するために、ロードワークなどを行うのだ。
10kmを走る。
まだ不足していると思えば、さらに走っていく。
ゴルフは歩くスポーツであるが、実際には走っていくのと同じぐらい、心臓を酷使するスポーツだ。
そしてふくらはぎを鍛えておかなければ、下半身の血液が心臓にまで戻らない。
血が回らない頭では、はっきりとは考えられないのだ。
タイでは危険な場所は避けて走れ、などと言われた。
そのあたり沖縄では、やはり日本だなと感じるところがある。
海まで出てきて、そこで柔らかい風を感じる。
砂浜を歩き始めて、肺の中の空気を入れ替えていった。
暖かさと同時に、涼しさも感じる空気の流れ。
視線のずっと先では、宵闇の中で何か、反復動作をしている人影が見える。
それがゴルフのスイングであるとは、近づいてみればはっきりと分かった。
(風間アスカ……)
こんな時間にとも思うが、まだ夜遅くにもなっていない。
(ウェッジ……サンドウェッジかな?)
ゴルフのスイングは、パターを除けば短いほど重たくなる(※3)。
今の小鳥と彼女の間には、特に面識もない。
ひょっとしたら向こうも、顔ぐらいは知っているかもしれないが。
声をかけてみようか、という気分が少しある。
ただ二人の間には、何も関係性などない。
(そうでもないか)
百合花が選んだと言ったのだ。
ただ小鳥はともかくとして、アスカはまだずっと、この沖縄の地にいる。
百合花はその気になれば、またこの試合に招待されることも出来ただろう。
だが今はアメリカにいることを、村雨などから聞いている。
オーガスタのキャディをするのかと尋ねたが、あそこはコースのキャディの方がいいだろうと言っていた。
もっとも男子のマスターズにおいては、トッププロのバッグは帯同キャディが担ぐものであるが。
四月の上旬にオーガスタ女子アマは行われる。
続くアメリカのメジャーにも、彼女には出場資格がある。
高校生になったとして、果たしていつ初登校出来るものなのか。
さらに次の全米女子オープンにも、彼女は出場資格を持っている。
わずか一年の間に、一気にメジャータイトルを奪っていくのかもしれない。
もっともアメリカのLPGAツアーでは、プロの試合に参戦して負けていた。
だがそれも2位であり、ローアマを獲得していた。
アマチュアであるのに、既に強さは世界でトップクラス。
そんな彼女が選んだのが、小鳥でありアスカである。
共通点があるのか。
少なくとも二人のプレイスタイルは、そこまで似通ったものではないはずだが。
「こんばんわ」
色々と考えている間に、声をかけてしまっていた。
小鳥を意識したアスカは、反応してウェッジを刀のように構える。
「え、怪しい者じゃないですよ」
「んなこと言われたって分からんさー」
ちょっと訛っているのは当たり前なのかもしれない。
話し始めてみれば、標準語になっていた。
「百合花は強かったさー」
それでも少し、沖縄特有の語尾になる。
「今年も来るのかと思ってたけど」
少し寂しそうにも見えたが、それはほんの一瞬であった。
「日本で百合花ちゃんに勝ったのって、アスカちゃんだけなんだよね」
「他の人もそう言ってたけど、実際はコンペとかで負けることもあったって言ってたさー」
三日間の54ホールや、四日間の72ホールであれば、実力差で運の偏りを潰してしまえる。
だが一日の18ホールであれば、運の偏りで負けることもあるのだ。
小鳥は彼女に尋ねたいことがある。
「百合花ちゃんとか、SSホールディングの人とかに、何か話をされなかった?」
「あんたも?」
逆にアスカが驚いているが、つまりそれほど接触はしていないということなのか。
「私は専属契約を結んでもらったんだけど」
「ああ、あたしもそうだったけど、断った」
「え、なんで?」
「プロの試合でわざわざ遠征しようと思ってなかったし。高校を卒業したら手に職つけて、ゴルフは趣味にしておくんだ」
それは小鳥と似ている。
出てくるはずのない人間であった。
小鳥にしてもエントリーフィ(※4)が高いから、一度きりのつもりであったのだ。
「あたしの場合は昔、キャンプに来てたプロ野球選手の人と、たまたま回ることがあったんだ」
「あ、佐藤さんそうだった」
そうか、そこでつながったのか。
「姪っ子がちょっと天狗になりかけてるから、鼻っ柱を折ってくれって」
それはおそらくアスカを世間に出すための、方便であったのだろう。
「でもあの子、めちゃくちゃ強かったさ」
分かる。
すると今回の試合はどうであるのか。
百合花の出ていない試合に、彼女が出る意味とは何か。
「またお金出してもらえるし、あとは色々と」
事情は人それぞれ、ということか。
「やっぱりどうせゴルフするなら、強い人と勝負するのも面白いし」
それも分かる。
ゴルフは好きだからやっている。
プロの世界であると、自分よりもずっと上手い人がいて、それが見ていて面白かった。
勝敗はともかく、自分がどこまでやっていけるのか。
ただ自分が、今よりももっと上手くなりたい。
あとは勝ちたいというのも確かなのだ。
「あんなに上手い人たちと一緒にするの初めてだった」
遠くを見るようなアスカの目が、小鳥に向けられる。
「だから今回は、あんたに期待してる」
アスカも小鳥を意識していたのか。
天才が認めた二人が、ここで対戦する。
その肝心の天才がいないのが、ちょっと舞台が整っていないようにも思えた。
×××
解説
1 ハイティ
ゴルフのティショットの時に、浅めにティを刺すこと。
球をより下から打ち上げるということが出来るが、それよりもドライバーを使ってスティンガーを打つためにセットすることが多い。
2 フェアウェイウッド
ドライバー以外のウッド(W)のこと。基本的にドライバーはティショットでしか使わないので、3Wや5Wのこととなる。
直ドラを小鳥はしているが、比較的難易度が高いため、そういう使い方はあまりしない。
3 重くなる
もちろんシャフトも長くヘッドの重たいドライバーの方が、純粋には重いはずである。だがスウィングするとシャフトのしなりがあるため、ドライバーは軽く感じる。
シャフトのしなりの少ないクラブの方が、素振りを続けていると重く感じるようになる。
4 エントリーフィ
ゴルフをするためにかかるゴルフ場利用料金の全般をフィという。
アマチュアでも試合でラウンドするために、エントリーフィがかかる。賞金の出ない試合であっても、ゴルフ場を使うので当たり前のことである。
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