第40話 風強き日に

 二日目を終わった時点で首位。

 これは今までの小鳥にはなかった展開である。

 しかも2位と3打差をつけての首位であるのだ。

「私が首位……」

 リーダーボードを見つめる小鳥の姿に、嫌な予感がしてくる村雨である。


 これまで小鳥は2勝している他、プロになる前の試合でも、最終日に逆転勝ちしていた。

 初日からトップなどというのはもちろん、最終日でもトップ発進というのは一度もない。

 リードを維持することの難しさを、村雨は知っている。

 だがゴルファーとして大成するなら、こうやって途中で首位に立った場合のプレイを、どうするかも経験していかなければいけない。


 村雨のアドバイスは変わらない。

「明日はディフェンスのゴルフをするんだ」

「3打差は充分射程範囲やからな」

 三日目に同じ組になる、ルイもそう声をかけてくる。

「二人ともすごいね。私も予選は通過したけど」

 恵里も4アンダーの21位タイで予選は通過していた。


 ゴルフは追いかける方が有利なスポーツであるという。

 基本的に追いかける方は、スコアを伸ばすことだけを考える。 

 それに対して首位の選手は、守りを主体に考えないといけない。

 攻めるか守るか、この選択を考えるだけでも、プレッシャーがかかってくる。

 特に風が吹くとなると、コースマネジメントも不確定要素が増えるからだ。


 夕方まで練習していると、少しずつ風が強くなっていくのが分かった。

 球が風で転がるほどになれば、さすがに試合も中止になる。

 だがとりあえず予選は完了しているので、四日間競技が三日間に短縮になるなど、そういう展開になる可能性はある。

「守るって苦手なんだよね」

 小鳥はガンガンいこうぜの人間であり、多少のミスはしてもスーパーショットを見せた方が、観客は喜ぶと知っている。


 アマチュアの頃から一緒に回るおっさんゴルファーに、そういうところを見せてきたのだ。

 ドライバーで飛ばすことと、難しい場所からのリカバリー。

 それを見せて受けていたので、今のような技術になっている。

 競技ゴルフをずっと考えていたなら、祖父ももう少し違う方向から教えただろう。




 三日目、早朝から既に、風が強くなっているのは分かっていた。

 首位の小鳥がスタートする最終組は、よりその風が強い時間帯にスタートする。

「よろしくお願いします」

「よろしくね」

「よろしくお願いします」

 最終組のもう一人、三枝はかつて賞金女王にもなったベテランだ。

 子供を産んで少し休んでまた復帰、というママさんゴルファーである。

 ただ復帰後は未勝利であり、それでもシードは保持している。


 風が強くなった日など、そういうコースではベテランが強い。

 あるいはルイのように、風も読んでコースマネジメントをしてくる選手だ。

 小鳥の場合は風に弱いわけではないが、強いわけでもない。

 ただ風の影響を、あまり受けないショットを打つことが出来る。

 スティンガーショットでフェアウェイをキープして発進。

 1番ホールから安定して、パーで回っていった。


 ムービングサタデーとも言うが、とりあえず予選を通ってわずかながら賞金が保証されたため、ここでも数字を伸ばしてくる選手はいる。

 30分前にスタートした組から、既に3打も潜っている選手がいた。

「本当に伸ばしてきた」

「62で回るぐらい、百合花もやってのけるが、それを強風の中で出来るのが風間だからな」

 他の選手が風で、どちらかというとスコアを落としていく。

 その中で伸ばすので、すぐに差が縮まっていくのだ。


 小鳥は集中して、低弾道ショットを主体に使う。

 スピンをボールが上がらないように、そして落ちないようにもかけて、低く打っていくショット。

 これはフェースの位置の、どこにどの角度で当てるかが、重要なショットだ。

 ウッドのギア効果(※1)を使っているので、小鳥でもアイアンなどでは打つのが難しい。

 そしてアプローチにしても、上げて落とすのではなく、転がしを主体にやっていく。


 飛ばし屋の選手たちが、どんどんとスコアを落としていく。

 そんな中で小鳥はイーブンパーをキープする。

 同じ組の三枝は、上手くイーブンパーでまた回っている。

 しかしショットメーカーのルイでさえ、ハーフまでには1打落としてしまっていた。

「こんな中で、どうやって伸ばすんや……」

「これでもまだ、おとなしい方よ。イギリスのリンクスコースは、こんなもんじゃなかったんだから」

 回っている途中でも、最終日でなかったりすると、多少のお喋りをするプレイヤーもいる。

「そっか、三枝さんって、全英を経験してるんだ」

「そう、ラッキーにもセントアンドリュース(※2)でね」

 結果は残せなかったが、いい経験ではあった。


 これでもマシというのなら、果たしてどういったものであるのか。

「スコットランドのリンクスコースは、日本のゴルフが通用しない場所だからな」

 村雨もあそこは見てきたが、確かに難しいコースである。

 そもそもスコットランドのリンクスはどこも、日本の平均とはかけ離れたコースなのであるが。


 全英オープンも全英女子オープンも、持ち回りのコースで行われる。

 そしてその両方に、セントアンドリュースのオールドコースが含まれているのだ。

 もっとも全英女子の方は、さすがにそこまで歴史のある試合ではないが。

 創設は1976年であるが、LPGAのツアーに組み込まれたのは、21世紀の2001年になってからである。




 セントアンドリュースはゴルフの聖地とも呼ばれる。

 確かではないが、ゴルフ発祥の地とも言われているのだ。

 他のコースも伝統のあるコースばかりであるが、やはりセントアンドリュースの、中でもオールドコースは特別、とよく言われている。

 一日の中に四季がある、とも言われているコース。


 風に翻弄されるコースであるし、そしてフェアウェイでさえ安全ではない。

 小さな起伏により球はあちこちに転がるため、そこまで計算したショットが必要になる。

「神と自然が創り給うたコース」

 そんな呼び方もされるほど、あるがままに放置されたコース。

 強い風のコースを、百合花は回ったが、なかなかゴルフにならなかった。


 村雨が思うに、小鳥とアスカが選ばれたのは、あそこに適応出来ると思ったからではないか。

 小鳥は飛距離よりも、バンカーからのリカバリーと、低弾道のショット。

 そしてアスカは風を味方にする、風を読む、そして風を切り裂くショット。

 日本人の女子プロでも、全英女子オープン自体は優勝者がいる。

 ただ男子と違い女子は、スコットランドのリンクスコースでの開催が決まっているわけではない。


 小鳥は百合花の狙いを、おおよそこれだろうと考えているものがある。

 本人は否定していた、グランドスラムだ。

 それも一年の間に全てのメジャーを優勝する、年間グランドスラム。

 日本人がそれを達成するのは、相当に難しいであろう。

 紳士淑女のスポーツなどと言われるゴルフだが、観戦のマナーが悪い人間はどこにでもいるものだ。

 そして東洋の黄色い猿には絶対にやらせない、などという差別主義者は存在するだろう。

 特にゴルフなどという、古くからの権威あるスポーツにおいては。


 百合花が仲間を必要とした理由は、日本人がたくさんいて、そういった感情を分散させるため。

 もっとも今も既に、LPGAのそこそこ上位に、女子選手は入っているのだが。

 それに同じ日本人を入れて、しかも自分が見込んだ選手であるのに、それを上回って勝つことが出来るのか。

(勝てると思ってる……のは違うと思うんだけどなあ)

 小鳥は百合花の強さを知っている。

 だがそれでも、絶対に全ての試合で、負けるなどとは思っていない。




 ゴルフはコントロールが出来ないスポーツだ。

 偶然性の強すぎるという点では、他の何よりも大きいかもしれない。

 今日のラウンドは、まさにそういうものである。

 風が吹いているが、その強さはずっと一定というわけではない。

「お爺ちゃんに教えてもらってればよかったな……」

「何をだ?」

「高く飛ばしても、風の影響をあまり受けない打ち方」

「それは……低スピンの球(※3)か。確かに打てれば便利だが」

 スティンガーショットを見事に操る時点で、必要性は確かに薄れる。

 だが風を貫いていくという点では、高さが必要になる場面もあるのだ。


 低弾道の弱点は、打ち上げの場面などでは使いにくいこと。

(それに、スピンがかかっていること自体は間違いないからな)

 止まりやすい球ではあるが、高さで止めるわけではない。

(まだ引き出しがあるのか?)

 村雨はバックナイン、バッグを担ぎながらリーダーボードを見ていく。


 先にスタートした組から、やはり伸ばしてくる選手がいる。

 だが一気に崩していく選手もいて、それがムービングサタデーと言われるゆえんであるのだ。

 転がしのゴルフによって、小鳥はパーキープをつなげていく。

 ただこのマネジメントでは、ガードバンカーの手前につけることが多くなるため、どうしてもバーディを取りにくい。


 バンカー越しのアプローチを、全くミスすることなく成功させる。

 50ヤード圏内であれば、簡単に出来ることだ。

 パーセーブのゴルフであるのだが、それを簡単にしてしまう。

 飛距離の有利さは、2打目にウェッジを持てることにもある。

 そしてパー5でバーディを取る。

 ルイもバーディを取ってきて、スタートのスコアに戻してきた。 

 そして三枝も経験を活かして、確実に取れるホールを取っていく。


 今日は風に加えて、ピンの位置も難しくなっている。

 どれだけ守っていけるかが、重要な日なのである。

 その守る中で、どれだけ攻めるホールを攻めるか。

 まさにディフェンスのゴルフをすべきなのだが、そんな風とピン位置の中で、当然のように伸ばしているのが一人。


 先にホールを上がったアスカは、今日だけで7打潜っていた。

 トータル13アンダーで、小鳥たちはまだ終わっていないが、今のところ単独2位にまで伸ばしている。

 首位はラウンド中の小鳥で、15アンダー。

 同じ組のルイは、2バーディの1ボギーのため11アンダー。

 三枝も同じ11アンダーである。




 小鳥も冬場、山から風が下りてくるコースで、練習している時はある。

 普段のコースであれば、風があってもどうにか伸ばしていけるのだ。

 だがこのコースはそこまで、慣れているというわけではない。

「この風で7打も……」

 65で回るのは、かなり厳しいはずなのだ。


 去年は最終日に、62で回っていたアスカ。

 もちろん同じスコアが出せるわけではないが、明日もかなりの風があるのだ。

 今の2打差というのは、全く安全なリードではない。

 明日も2アンダーで潜れたとして、17アンダーで逃げ切れるか。

 今日のペースで潜られたら、20アンダーまで伸ばしてくる。


 だが幸い、18番ホールが残っている。

 今日も一番バーディが多く出ているという、簡単なセッティングがされた18番ホール。

 小鳥がイーグルを取ったホールであり、距離的には今日もイーグルが取れるかもしれない。

 もっともギャラリーの声を聞くに、さすがにバーディばかりのようだが。


 つまりアスカもイーグルまでは取れなかったのか。

 あるいはトップとの差を考えて、リスクを犯さなかったのかもしれない。

 明日も風が吹けば、充分に追いつき、逆転できるという余裕。

(ここでバーディを取って、16アンダーか)

 3打差で、明日の小鳥が何打潜れるだろうか。

 最終日の爆発力を、既に二日目に使っているのだが。


 小鳥のそんな集中力を、村雨はまだ掴みきっていない。

 今までは最終日に、爆発させるゴルフをしてもらっていたからだ。

 今日の抑えたゴルフを見ていると、ここでもう一度充電出来ているのではないか、と考えたりもする。

 もっとも最終日に爆発させようにも、風がそれを許してくれるか、そちらの問題が存在する。


「イーグル狙うよ」

 小鳥は18番のティーイングエリアに立って、小鳥はそう告げる。

 彼女もさすがに、アスカが追いついてきているのには気づいている。

 他の競技者ではなく、自分のショットに集中するのが小鳥だ。

 そんな彼女が駆け引きというか、マネジメントを考えるようになっている。


 あの夜、アスカは空気を切り裂く素振りをしていた。

 実際に回ってみて、どういうプレイをするのだろうか。

 それは分からないが、去年も百合花を相手に大逆転しているのだ。

 普段は自分の十八番である、最終日の大爆発。

 ただこの風の中では、守る場面が多くなってくるだろう。


 18番ホール、この日唯一、小鳥だけがイーグルを奪った。

 17アンダーの首位で、最終日を迎えることとなる。

 記者たちの取材があるが、いつも朗らかな小鳥が、今日は眉根を寄せている。

「村雨さん、高い球がどれぐらい曲がるか、試していきたい」

「そうだな。まあ今日に比べたら、予報は少しだけ風も弱くなるみたいだが」

 ある程度の取材には答えたのだが、課題が見えている。


 スティンガーショットが打てるとはいえ、フォローの風に上手く乗せたほうが、飛びやすいのは分かっている。

 相手が風を味方にするなら、こちらは飛距離でマネジメントする。

 ゴルフは風をも読んでいく、大自然の中で行うスポーツ。

 もしも海外での活躍まで期待されるなら、さらに上手くなって適応する必要がある。

(首位からのスタート) 

 そして最終日も首位からのスタートとなる。

(本当の我慢の日が、明日の最終日になるかもな)

 村雨の視線の先で、小鳥は高いボールを風に乗せていた。




×××



解説


1 ギア効果

主にウッドクラブやユーティリティーのクラブで発生し、フェースのどこに当たったかによって色々なスピンがかかっていく。

先や根元以外でも、上部と下部でかかるスピンが変わってくる。


2 セントアンドリュース

だいたい本文中で説明されているが、多くのゴルフマンガでは、最後の舞台がセントアンドリュースになるというぐらい、権威のあるコースである。

明日天気にな~れ、風の大地(絶筆)なども最後の勝負はここで行われていた。

風の大地はあと少しで終わりそうだったのが残念である。

原作者は生きてるんだから、作画を変えて完結出来ないものだろうか。


3 低スピンの球

基本的にスピンがかかっている球ほど、風の影響はうけやすい。だがあえて風にぶつけていくつもりでスピンをかけるなど、プロは色々とやっていた。

今のゴルフは基本的に、風とは喧嘩しないゴルフである。

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