第41話 プレッシャー
村雨は純粋にキャディとして、小鳥を好ましいゴルファーだと思っている。
ゴルファーとしてではなく、より人間として好ましい、と言うべきだろうか。
ただプロゴルファーとしては、まだまだ経験すべきものがある、とも思っている。
敗北の重要さであるが、ただ普通に負ければいいというわけではない。
「最終日がトップで、2位とは4打差なんて、今までにあったか?」
「……勝って当然っていうこと?」
「当然とは言わないが、勝利を期待されるプレッシャーのことだ」
同じ組になったのは、単独2位のアスカと3位タイのルイである。
他にも3位タイの選手はいたが、カウントバック方式(※1)で同じ組となった。
同期として仲がいいというか、ある程度は集まるルイと同じ組。
「だが彼女としても、5打差を逆転して初勝利を狙ってくるだろう」
普段のようには回れない。
「う~ん……」
小鳥としては最近、緊迫した試合でも、それなりに楽しめるようになってきている。
ただ下手に仲がいいと、逆にギスギス度合いが増えてしまう。
「どのみち注意する相手は、風間の方だ」
7つも潜ってきた今日と、同じぐらいの風が吹く。
もっとも小鳥も今日のラウンドで、風の具合は確認できたが。
プロには対応力が求められるのだ。
練習日にラウンドして、初めてのコースでも適応していかなくてはいけない。
それでも日本のツアーは、かなり同じコースで開催されることが多い。
日本女子オープンなどの代表的なものは、持ち回りで開催されているが。
マスターズなどはオーガスタで行われるのが決まっているため、ベテラン勢が有利であったりする。
とはいえ女子プロゴルフは本当に、若手がどんどんと台頭してくる近年だ。
若者は最初から、今の常識的な知識をインプットされる。
それに対して高齢の人間は、新たに覚えなくてはいけない。
小鳥にしてもスマートフォンはもう最初から身近なものだが、祖父はせめてパソコンにしてくれ、と目を細めて言っている。
ジュニアの時点で既に、長年のキャリアを持っている。
そしてナショナルチームで国外にも遠征し、どんどんと経験を積んでいくのだ。
小鳥たちの世代はこの試合にも、三人ほどツアーデビューした新人がいた。
招待などではなく、自分の力で勝ち取った若手である。
この期は層が厚いと言われるが、既にもっと下に強大な才能がある。
百合花の活躍は、琴吹玲奈のアマチュア時代より、さらに華麗なものである。
ただ同じ年代で、百合花に対抗するようなアマチュアは、まるで出てきていないのが幸いと言えようか。
ホテルに戻って、ゆったりと風呂に入り、マッサージなども頼む。
そんな小鳥に電話がかかってきた。
『明日の試合後、少しお時間を頂戴できますか?』
それはSSホールディングの人間で、小鳥の各スポンサーなどとの交渉を、まとめていてくれたマネージャーからのものであった。
「明日、ですか?」
『はい、こちらとしても藁にもすがるようなもので』
「いったいどんな話です?」
『風間アスカさんのことです』
それはひょっとして、彼女もまた専属契約を結びたいということであろうか。
SSフォールディングスは、元は千葉県の一次産業や二次産業に、上手く三次産業を結びつけるために発足した会社である。
そしてJLPGAのスポンサーにもなっている。
百合花をバックアップするスポンサーで、他にもジュニアのスポンサーとして、その活動をバックアップしていた。
以前に一緒に回った、村田イチカなどがそうである。
プロとして契約したのは、小鳥が最初であるという。
そして百合花に敗北を味あわせ、今また小鳥をも猛追している風間アスカ。
まだ高校生である彼女を、今から契約しようというのか。
それに小鳥までも必要とするのは、ちょっとなんだかな、という気分にはなる。
もちろん詳しい話は、まだ聞いていないわけであるが。
「あの子、プロになるつもりはないみたいでしたけど」
『彼女の事情については、後ほどお話することになるかと。ただ小鳥遊さんに特別に何かをしてもらう、ということではありません』
どうなのかなあ、という気分になる小鳥である。
小鳥の見ていたアスカは、熱心に素振りをするアスカであった。
実際に回ってみたら、彼女の内心が分かるのではないか。
ゴルフを一緒にラウンドしてみれば、おおよその人となりは分かってくる。
それが祖父の教えであり、確かにそうだなと小鳥も思っている。
紳士淑女のスポーツ、などではない。
紳士淑女の本性を露にするするスポーツ、といった方がいいであろう。
どのみちスポンサーの意向である。
「分かりました。ただ次の試合も四日間ですから」
『もちろん空港まで、すぐにお送りします』
そこまで言われては、ないがしろにするわけにもいかないだろう。
風間飛鳥。
国内では唯一、百合花に大きな試合で黒星をつけたゴルファー。
風のゴルフをするというが、果たしてどのようなものなのか。
少し感じていたプレッシャーが、違う方向の興味に消されていく。
意外な方向から、小鳥はゆったりとした眠りに就けそうであった。
二日目に首位に立ち、そのまま最終日を迎える。
去年のシーズン終盤から、急速に頭角を現してきた小鳥。
だが元はプロのツアーで、いきなりアマチュアとして勝利した、華々しいデビューを飾っていたのだ。
もっともその後は予選落ちも多く、これは来年はシードも危ういな、と思われていた。
しかし玲奈と百合花の戦いを見て、その後は玲奈との接戦を二度も制し、メジャー勝利後には今年、海外デビューも飾った。
プロとして三年目、国内最初のツアーで、ここまで一位になっている。
この四日目のスタート時点では、優勝候補ナンバーワンと考えられてもおかしくはない。
もっとも見る目のある人間や、地元のファンは違う意見である。
「今日もいい風が吹いてるさー」
「アスカちゃんにまた勝ってもらわんとな」
地元のおっさんゴルファーは、去年の勝利を知っている。
中にはコースの会員で後援会を作り、アスカをプロにしようという動きもあったのだ。
だが彼女自身が、それは固辞した。
沖縄の外でも、アスカは通用する。
むしろこの沖縄の風で鍛えられたからこそ、アスカは強いと思っているのだ。
リンクスコースではないが、それでも風の強いこのコース。
沖縄では普通の風だが、おおよそのゴルファーにとってはかなりの強風に思えているだろう。
また多くのプロを蹴散らし、優勝する姿を見たい。
そう考えている地元のゴルフ仲間は多いのだ。
同じ組のスタートなので、当然ながら小鳥と同じぐらいの時間にはやってくる。
そう思っていたが、少し来るのが遅い。
ゴルフは繊細な競技なので、コースに出る前の練習による確認は必須。
小鳥も風の影響を見るために、球を上下に打ち分けている。
だが棄権などをするわけでもなく、やがてアスカはやってきた。
その打つ様子を、小鳥は横目で見つめる。
「今は自分の球に集中しろ」
そう言われて、ドライバーのショットを繰り返す。
今日の1番ホール、ドライバーを使うかは不確定だが。
ドライバーだけではなく、パットの練習もする。
そこで気づいたのは、アスカはショットをしている間、グリーン上ではなくドライビングレンジでのショットも、グローブを使っていない。
普通のゴルファーは左手にのみグローブ(※2)をすることが多い。
(う~ん、クラブのセットもアイアンばっかりで古いし、お下がりをずっと使ってるのかな)
さすがにボールだけ(※3)は、そんなことにはいかないが。
玲奈のような華やかさも、百合花のような強者感も、彼女からは感じない。
だがどこか異質なのは間違いなかった。
いよいよ最終日、最終組がスタートする。
先にスタートした組からは、ある程度スコアを伸ばしている選手もいる。
だがとても小鳥には追いつきそうにない。
もちろん小鳥がここから、スコアを崩していったら別であるが。
自分が伸ばすことだけではなく、相手がミスして崩すことも考える。
あまり意識しすぎてもいけないが、完全に無視をするのもよくない。
もっとも他は全く見ずに、自分のスコアだけを見て、優勝するというプロもいるのだが。
ゴルフには色々な戦い方がある。
自分のスコアだけを見る、という選手で強いゴルファーもいる。
だが競技ゴルフの世界は、やはりスコアを競う世界なのだ。
相手の意図を見抜いて、自分のスコアも計算していく。
その点では今日の小鳥は、全力でスコアを伸ばしていく必要がある。
「あんまようないなあ」
同じ組のルイが言うように、風は昨日に引き続いて強い。
しかしアスカは目を閉じて、短い髪を風に揺らしていた。
オナーはまず小鳥となった。
練習ラウンドとここまでの三日間で、このホールの特徴はおおよそ掴んでいる。
しかしこの1番は、風のせいで大きく難易度が変わる。
2打目をウェッジで打てるところまで、運ぶことは出来るのだ。
ただその2打目が、ガードバンカーの餌食になりやすい。
二つのガードバンカーが左右から、グリーンへの花道を圧迫しているレイアウト。
二日目までは単純に、2打目をピンデッドに狙っていった。
だが三日目はその2打目を、風でバンカーに落とす選手が多数。
2番ホールと並んで、ダボを叩くのがそれなりに多いのだ。
「飛距離よりも方向性だな」
「ならスティンガーで行く」
ハイティからドライバーで、低弾道ショットを打つ。
フェアウェイには残ったが、微妙なアンジュレーションによって、絶好の位置からはわずかに外れた。
「まあ悪くない」
最終日の1番ホール、及第点のティショットである。
1番ホールはアゲインの風であり、おおよそ2時(※4)の方向から吹いている。
二番目に打つルイは、それを計算して打っていく。
(うちの持ち球(※5)はドローやから、かなり左に流される)
そういった計算をして、打ったルイのショットは、240ヤードほどしか飛ばなかった。
そしていよいよアスカのティショットである。
ルイと同じように、スタンスは右方向を向いている。
そのアドレスをじっくりと眺める小鳥。
(ルーティンらしいルーティンがない?)
素振りもせずに、そのまま振り上げて打っていく。
(ええ~?)
小鳥もたいがい非常識だが、最終日の最終組、普通に素振りぐらいはするのだ。
球はルイの軌道よりも、低いところを飛んでいく。
風に押されることはなく、潜るように着地し、そのままルイのボールをオーバードライブ(※6)していった。
ポジションとしても最善のところであろう。
「このホール、バーディは難しいぞ」
「分かってる」
そして三人はティーイングエリアを後にした。
まずはフェアウェイほぼ中央ながら、一番飛んでいないルイ。
「ピンの位置がなあ」
「エッジからすぐで、バンカーも近いですからね」
ハウスキャディのおばちゃんであるが、コースに所属していると、それなりの目は育っていくものだ。
「グリーンセンターから、2パットでええやろか?」
「奥からは相当踏まれてるから、1打目のパットは寄せるだけになりますね」
「うん、いくで」
そして狙い通りに、ガードバンカーを避けて、グリーンセンターへ。
あとは3打目で寄せて、パーを取ればいい。
同じくハウスキャディについてもらっているアスカは、クラブの選択にも迷いがない。
そして狙いもルイに近いが、よりピンには近いところに止めてきた。
距離的に入ってもおかしくないポイントだ。
それでも2パットが現実的なところだろう。
アスカは風の読みはすごいが、パットがそこまで上手いとは聞いていない。
一番飛んでいた小鳥の番である。
「手前に止めて3打目で寄せるか、2打目でグリーンセンターに置き2パットしていくか」
「手前からでも行けると思う」
「だがこの三日間で、手前からのライは踏まれまくってるからな」
「ディボット跡とかもある?」
「目土がちゃんとされてれば、お前なら寄せられるだろ」
「ピンデッドは?」
「ピンに弾かれる可能性が高いぞ」
そこでバンカーに入る可能性が高い。
小鳥は2打目にウェッジを持って、グリーンの手前に止めた。
他の二人よりも、ピンからは遠い位置である。
だが二人は奥から、下りのパットを残している。
この四日間、ピン周りのグリーンは踏まれ続けている。
強く打たなければいけないが、それで外れればグリーンオーバーからバンカーまである。
つまり入れるのは難しいパットになる。
小鳥はウェッジで3打目をベタピンに。
お先に入れてパーキープ。
他の二人もわずかにオーバーするパットを打って、そこから2パットでホールアウト。
全員がパーで、初日の1番ホールは始まったのであった。
×××
解説
1 カウントバック方式
トータルのスコアが同じ場合に、順位を決めるために使用される手法。
18番ホールのスコアから1ホールずつスコアを比較し、同スコアの場合は17番、16番、15番と遡って比較し、スコア差が出たホールをもって順位を確定させる。
2 左手にグローブ
手を守るためというのもあるが、滑って無駄な力がかからないよう、グリップ力を高めるために左手にグローブをする。左打ちの場合は当然、右にグローブをする。
パットではわずかなフィーリングのため、グローブを外す選手も多い。
プロは2~3ホール回っただけでグローブを代えたりもするほど消耗するギアである。
アスカの場合、そんな消耗品に金をかけるわけにはいかないため、グローブをしていない左手はカチンカチンである。
とんぼちゃんや、猿もそうである。
3 ボールだけ
ゴルフは同じメーカーのボールをそのラウンド内ずっと使う。明らかな傷が出来た場合などは交換出来るが、さすがに打ちっぱなしに使うようなボールでは試合に使うのは難しい。ラウンドのホールごとに交換出来るが、同じメーカーでないといけない。
そのため試合用には必ず同じメーカーのボールを持っておく必要がある。
4 2時
パットのカップの読み方とは違うが、風が吹いてくる方向も、時計の針で示すことになる。
この場合2時からというのは、アゲインの風でさらに右から左へ吹いていることになる。
5 持ち球
プロというと右にも左にも球を曲げられるように思っているかもしれないが、おおよそはどちらに曲がるかを決めて持ち球としている選手が多い。
ドロー使いが多いのは、転がるスピンがかかりやすいからである。
6 オーバードライブ
ティショット時に他の競技者よりも遠くへボールを飛ばすこと。 ただこれは日本でのもので、本来はアウトドライブと呼ぶ。
海外ではオーバードライブという表現は使わない。
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