第42話 風の舞姫
2番ホールもパーキープが続く。
だが3番のパー3にて、スコアが動いた。
小鳥とルイが、どうにかグリーンキープに成功した1打目。
そこでアスカはベタピンに、球を寄せてきたのである。
そのままバーディを取って、小鳥との差が1打縮まる。
ピンの位置を考えて、風の影響も読みにいれれば、厳しいピンポジには攻めていけない。
そのはずなのにアスカは、それを読みきったように打ってきたのだ。
風を読むのが上手い。
上手く球を風に乗せて、難しい位置に止めてきた。
「風は運もあるしな」
ルイはそう口にするが、確かにそれはある。
ただ小鳥としては、距離が170ヤードしかなかったので、スティンガーで止められなかったかな、という後悔があった。
ほんのわずかな迷いであるが、次のホールはパー5。
極端な左ドッグレッグのホールで、小鳥の飛距離ならばショートカット(※1)が狙える。
「本当ならイーグルも狙っていけるんだが……」
「ここからは10時の風だけど、曲がった先は真正面のもろアゲだよね」
ショートカット自体は、今日の風でも出来る。
520ヤードの距離ならば、小鳥にとってはイーグルが狙えるのは確かなのだ。
ここは幸いにも、アスカが先に打っていくオナーだ。
その攻略の仕方を見てから、こちらも判断した方がいいだろう。
(ドライバー……)
そしてスタンスを取るアスカは、ショートカットする方向を向いている。
(風に流されないか?)
村雨はそう思っていたのだが、アスカの打ったショットは、真っ直ぐに飛んでいった。
林の向こうで歓声が上がる。
「成功したみたいだね」
「それはそうだが、今のショットは風の影響を受けてなかったように見えたぞ」
「……薄いドロー?」
「すまんが分からん」
このコースのレイアウトからすると、真っ直ぐに飛ぶ球を打つのは、相当に難しいはずなのだが。
小鳥の飛距離なら、コース左端ぎりぎりの林の上を、ドローボールで巻いていったらいいだろう。
2打目がラフからになっても、アプローチとパットでバーディは取れる。
(強風の昨日も、それなりに取ってる人はいた)
小鳥は初日など、イーグルすら狙っていったのだ。
狙うべきはアスカよりもやや右。
そこから薄くフックをかけていく。
ドローボールになるが、林の中に落とせばOBもありうる。
(高く打ちすぎても、風の影響が強くなってしまう)
これがプレッシャーだ。
ただプレッシャーと共に、小鳥の心を沸き立たせる高揚感。
(出来る!)
打ったボールは狙い通りに林のショートカットに成功。
「あ、これは」
村雨の声の意味を、小鳥はすぐに知ることになる。
コースの向こうで聞こえる嘆声
ドローが不足して、向こうのラフにまで入っていってしまったのだろう。
安全にスプーンで打ったルイが、2打目を打つ。
最初から3オンの1パットで、バーディを狙っていたのだ。
あまり高く上がらないボールで、フェアウェイをキープ。
そして次に2打目を打つのは、アスカではなく小鳥であった。
アスカのティショットは、完全にフェアウェイのど真ん中に止まっていた。
小鳥はラフの中から、先にピンを狙っていくことになる。
「ガードバンカーはないが、ウッドでは打てないな」
「けっこう深いラフだね」
グリーンの方向は見えているし、真っ直ぐに打てたらピンに寄せられないこともない。
だがこのラフの深さでは、それは不可能だと分かっている。
イーグルチャンスはなくなった。
2打目をフェアウェイのどこまで出し、3打目でどれだけピンに寄せられるか。
なんとかバーディを取りたいが、パーに終わることも覚悟すべきであろう。
「「5鉄(※2)」」
小鳥と村雨の判断は重なった。
ラフの中から出すのに、ウッドやユーティリティでは抵抗が多い。
アイアンの中で一番飛ぶ5番は、小鳥なら180ヤードは飛ばせる。
ラフによるフライアー(※3)と、アゲインの風まで考える。
多少は左右にブレても、バンカー前には止まるだろう。
そこからならウェッジで打って、1パットだ。
「バンカーショットでチップインしてもいいぞ」
「普通のアプローチの方が簡単だけどね」
村雨はこのホールまでに、アスカが正確に風の影響を含み、球を打っていることを確信していた。
天候が完全に彼女の味方をしている。
単純なコースマネジメント、最善のコースマネジメントでは、アスカを上回ることは出来ない。
風に乱されれば、一気にダボまでありうるのだ。
小鳥はここから、5番アイアンでバンカー手前まで飛ばす。
距離的には問題ないが、あとはラフで方向がどうなるか。
単純にフェアウェイに戻してから打てば、パーキープは出来る。
だがこのロングホールでバーディを取っていかなければ、どこかで逆転されるのは間違いない。
足元をしっかりと踏み、ラフの抵抗も素振りで確認する。
大丈夫、自分が今までにやってきたショットだ。
沖縄のラフの芝は固いが、それでもグリーン周りほどではない。
小鳥は前腕部を固くして、間接を固めてスイングする。
飛び出た球はしっかりと、フェアウェイの先へと飛んでいく。
「ちょっと飛びすぎたか?」
「やめて~!」
ぎりぎりバンカーに入らないところで、球は止まった。
ウェッジでちょんと打てば、寄せられる距離。
胸を撫で下ろす小鳥と村雨であった。
完全なアゲインの風の中、アスカの球は空気を貫いて飛んでいく。
花道を使ってグリーンに乗り、奥のピン近くへと運ばれていった。
まずイーグル確定の距離。
3打目をウェッジで打ったルイが、先にやはりピンそばへ。
同じく小鳥もピンそばへ。
なんとかアスカの球の内側に二人とも球を置いたが、アスカのパットも2mほどの距離しかない。
2mのパットなど、普段の練習ならいくらでも入る。
99%を入れていないと、プロとは言えない。
ただプロの試合でのグリーンは、アンジュレーションもあれば傾斜もある。
位置が一番いいのは、ルイのポジションであろう。
ただ小鳥はアスカのラインの内側にいて、そのパットを参考にすることが出来る。
そんな微妙な2mのパットを、アスカは簡単に入れていった。
イーグルで一気に2打縮めた。
強く真っ直ぐに打てば入る。
わずかな傾斜は勢いで殺すことが出来る。
小鳥は下腹に力を入れて、パットを正面に打っていく。
球はそのまま転がり、しっかりとカップに落ちる。
これで縮められた2打を1打にすることに成功した。
最後に打ったルイもまた、真っ直ぐなラインであった。
二人に比べても傾斜は少なく、だからこそ最後に打つのはしんどい。
難しいパットを先に入れられると、最後の一人にはプレッシャーになる。
だがルイはこういった場面でのパットを、何度も入れてきたのだ。
アスカが3番に続けて4番でも、小鳥との差を縮めた。
3位タイのルイは、小鳥との差は全く縮まっていない。
(風を上手く読んだのはともかく、風に流されなかったんはなんや?)
続くホールに行く途中、リーダーボードを見る。
先の組はそれなりに荒れて、伸ばした選手もいれば落とした選手もいる。
ルイは4位に落ちたが、単独の4位だ。
これで4位までは全て単独となっていて、5位以下が団子状態だ。
風によって伸ばす者、落とす者がはっきりと出てきた。
実力や技術ではなく、運で伸ばしてくる者もいる。
だが運というのは長期的に見れば、偏りがなくなってくるものだ。
その中でアスカは、完全に風を読んで伸ばしてきている。
小鳥もちゃんと伸ばしているのだ。
だがそれ以上に、アスカが伸びてきている。
このまま何もしなければ、バックナインに入ったあたりで、追いつかれてしまうだろう。
しかし無理攻めは禁物だと、村雨は前日から言っていた。
「このホールは、フォローの風になってるな」
「打ち下ろしだし、ワンチャン1オンしないかな?」
「さすがにグリーンエッジまで365ヤードあるぞ」
小鳥であれば2打目に、ウェッジを持つことが当然出来る。
「2打目でPWを持つぐらいの距離を残したほうが、落とせる気がしない?」
「それはそうだが、PWで高く球を上げたら、突風でも吹いたらアウトだしな」
バンカーはさほど難しい位置にはない。
ただ2打目をグリーンのどこに止めるかで、難易度が変わってくる。
2打目をグリーンセンターに止めれば、そこから1パットで入れるのが難しい。
グリーンの端に切ってあるピンの少し向こうは、傾斜がバンカーの中に落ちていっている。
まずはアスカのティショットである。
アスカはドライバーでハイティから打った。
上がったボールは、なかなか落ちてこない。
「テンプラ(※4)かな?」
「そんなわけがないだろ」
風に運ばれたショットは、300ヤードを超えていた。
完全に風を味方にしている。
小鳥としてもフォローの風なので、それぐらいは飛ぶだろう。
だが飛距離はともかく方向性は、無理があると言っていい。
打ち下ろしなのでスティンガーショットで、斜面を利用すれば充分にランも出る。
それで300ヤードほど打てれば、ウェッジでちょんである。
「ドライバーキャノン!」
「必殺技みたいに言うな」
地を低く這うような球を、小鳥は打っていった。
冗談のようにやっているが、そのショットはとても高度なものだ。
最後に打つルイは、安全策を取っていく。
ドローで250ヤードほどを飛ばす。
そして次の2打目では、グリーンセンターに置ければいい。
風の影響を考えれば、ここはパーをキープしていくべきだ。
普通ならそれで、スコアを崩してくる上位陣がいるものなのだ。
ただ小鳥はディフェンスに徹していて、アスカは見事に風を読む。
風を切るような球も打つし、風に乗せて球を運ぶ。
おそらくもっと風の強い日にでも、練習をしているのだろう。
そして沖縄の風に、完全に適応しているのだ。
3打目、ルイはグリーンセンターをキープ。
次に打つのは、小鳥の方がやや遠かった。
グリーン中央に止めるつもりが、ややピン寄りに止まる。
これは意図せぬラッキーであった。
ゴルフには運が必ず存在する。
どれだけの卓越した選手であっても、予選落ちすることはあるのだ。
実際に去年、女王玲奈も何度か予選落ちをしている。
不運に見舞われ、それが連続するという時はある。
逆にこの場合は、突風がピンに球を寄せてくれた。
そして最後に打ったアスカの球。
それは風に上手く乗って、ピンデッドに寄っていく。
これが下手にピンの右に行くと、バンカーに落ちる可能性もある。
だが絶妙と思われたその球は、ピンに当たって弾かれた。
「あちゃー」
さらにはバンカーに入ってしまって、一転して危地に陥ってしまったのであった。
バンカー周りの観客が、大きな嘆声を上げていた。
相手の不運を喜んでいるようでは、ゴルフは強くなれない。
そう分かっている村雨であるが、アスカの圧倒的な読みを考えれば、幸運と不運を考えても同じことである。
以前に小鳥は、ホールインワンになりそうだった球が、ぎりぎりでピンに弾かれ、ラフに入ったこともある。
そこから結局、パーで上がることは出来たのだが。
誰がなんと言おうと、これは差を広げるチャンスなのである。
ただ先に打つのは、ピンから遠いルイだ。
グリーンセンターからのラインは、それ自体は難しくない。
ただピンを通り過ぎてしまうと、そのまま止まらず斜面にかかり、バンカーに落ちてしまうかもしれない。
(これは狙えへんなあ)
最終日の最終組には、以前にも入ったことがある。
だが結局はまだ、優勝には到達していない。
上位をキープして、次の試合にもつなげていく。
そういう丁寧なゴルフが、いずれは勝利につながる。
(シードのために、上位フィニッシュを狙うしかない)
ショートするパットから、お先にとパーを拾ったルイ。
初勝利はまだやってこないようである。
グリーン上にある小鳥の球と、バンカーに入ってしまったアスカの球。
わずかな差だが、アスカの方が遠い。
バンカーでは目玉にこそなっていないが、あまりいいライではない。
すぐ前には、アゴが見えているのだ。
下手にスピンをかけてすぐ手前に落とせば、またバンカーに逆戻りも考えられる。
ここは高いロブで、ピンの頭から入れていくべきか。
アスカは一度グリーンに踏み入り、自分の球との距離を測る。
次でチップインというのは、さすがに都合が良すぎる。
だがなんとかパーで上がるために、近いところに止めたい。
「ピンを抜いておいてもらえますか」
キャディに頼んだアスカは、バンカーの中の球と、目の前のアゴを見る。
ピンの位置は、既にイメージしてある。
砂を薄く取ったスイングが、球を高く上げる。
グリーンに着地して、わずかに弾んだ。
ピンまではあと、30cmほどの距離。
どうやらリカバリーショットでも、アスカは魅せてくれるものであるらしい。
先に打って、パーをキープ。
そして小鳥は、絶好のバーディチャンス。
カップを越えてしまえば、バンカーに落ちるかもしれない。
だがこの距離なら、入れるべきものだ。
わずかな距離だが、しっかりとライン上を観察する。
それから強めに打って、ラインの変化を消してしまう。
バーディでアスカとの差を1打広げる。
だが思わず大きく息を吐く、メンタルのスタミナを使う1打であった。
×××
本日限定ノート更新してます。
解説
1 ショートカット
コースが90度ぐらいドッグレッグになっていると、その上の林や谷を越えればショートカット出来る。
飛距離のある選手にのみ許された特権だが、谷の場合は風の影響もあるため、狙うのはかなり危険である。
林の場合もOBであったりする。
2 5鉄
5番アイアン。人によって呼び方は変わる。
ウッドなどは3Wや5Wとは言わず、クリークやスプーンと呼んだりする。
小鳥は5UTも持っているため、通常はこう略している。
3 フライアー
ラフから球を打つと、間に草が挟まって、全くスピンがかからない球になることがある。
そういう場合のことを言い、思った以上に弾が飛ぶ場合が多い。
4 テンプラ
ドライバーショットでよく起こる、フェースの上部などで打ってしまい高さばかりが出て、飛距離が出ないことを言う。
ラフからなど打つときは意図的にテンプラを打って、飛び過ぎないようにしたりすることもある。
この場合はロブと呼ぶべきであるが。
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