第43話 なんくるないさ
今日の小鳥は運がいい。
もちろん不運になりうる要素を、出来るだけ除外しているからだが。
突風で流されて、バーディの取れるポジションに球が止まった。
逆にアスカの方は、ピンに弾かれてどうにかパーキープ。
しかしそれぐらいの運の偏りと、スタート時点での差があって、ようやく風の中のアスカと互角かもしれない。
逆にアスカとしては流れが止まった。
イーグルを取って縮めた直後に、不運からまた1打離される。
「仕方ないさー」
本人はけろりとしているが、これが続いていくと本物のピンチになるだろう。
ゴルフは1打のミスや、1打の不運から、崩れていくことがある。
今のところそれは、アスカには訪れていない。
プロの試合であるのに、彼女もまたプレッシャーを感じていないようであった。
次の6番ホールも左ドッグレッグ。
パー4なので明らかに、ショートカットしてこいというレイアウトである。
ただ4番と違って、ここはフォローの風が吹く。
「風がなければ楽々バーディのコースなのに」
「いや、とりあえず風に乗せていけば、林は簡単に越えるだろ」
「また飛びすぎない?」
「……ドローをかけていくか?」
「フォローの風で少し解けても、その方がいいよね」
ゴルフは大自然の中で行うスポーツだ。
風以外にも地面の、わずかな起伏でボールの行方は変わる。
人間のコントロール出来るものなど、ほんのわずかしかない。
もっともそのほんのわずかが、最終的に試合を決めたりする。
ならばプロがアマチュアよりも、圧倒的にスコアがいいのはなぜなのか。
技術はもちろんだが、それ以上にコースマネジメント。
それによってリスクのあるショットを打たないのだ。
リスクとリターンの計算から、打つショットを考える。
小鳥は今、自分のリズムがいいことを自覚していた。
ただ少しだが、背中から迫ってくるものもある。
(プレッシャーかな)
まだ強く感じるものではないが、これはこれで面白い。
プレッシャーを楽しめる者が、ゴルフにおける強者なのだ。
強いゴルフは何度も見てきた。
しかしアスカのように、完全に風を読んだ、こういうゴルフは見たことがない。
テレビでは分からないし、他の組でも分からなかったが、こうやって同じ組にいれば、そのゴルフが分かるのだ。
風を利用し、風を貫いていく。
小鳥には打てない球を打って、スコアを作っていく。
だが小鳥も負けてはいられない。
過度のプレッシャーにはならない程度の、戦いたいという気迫。
それによって小鳥は、このホールのショートカットには成功した。
完全にグリーンの手前、パターでも打っていける花道であった。
なんくるないさー。
沖縄の方言で、なんとかなるさ、という意味だと説明されることが多い。
だがこの言葉には、前にもう一つの意味があるのだ。
やるべきことをやっていれば、何とかなるという意味なのだ。
つまり人事を尽くして天命を待つ、という意味に近い。
将来を何も考えず、なんとかなると考えたものではない。
アスカはだから、なんくるないさーと心中で呟く。
自分がやっていることは、普段やっていることの続きだ。
海に向かってスイングをする。
風を貫いて、海のはるか向こうまで、届くようなイメージで打つ。
このイメージの力というのが、ゴルフでは大切であったりする。
イメージ出来なければ、体を動かすことが出来ないのだ。
木々を見て、風を感じ、そして雲を見る。
風を見る技術というのは、海の上でも重要なものだ。
漁師をやっている祖父の船に、乗せてもらったこともある。
そこでは陸地以上に、風の流れを感じるのだ。
すぐに打ってしまうアスカが、アドレスに入って少し間を空ける。
普段とリズムが違うのでは、と小鳥などは思った。
だがアスカのリズムは、体が感じたことから生じるもの。
風をたっぷりと感じてから、ティショットを行う。
その球は高く、風に乗っていく。
そして林の向こうに飛んで、さっきの小鳥の時よりも、さらに大きな歓声が上がったのであった。
「グリーンに乗った?」
「分からん」
だが乗っていてもおかしくはないだろう。
残るルイとしては、コースなりのドローをかけていく。
ルイの飛距離でも、2打目でウェッジを持てるところまで、飛ばせるコースであるのだ。
今のところトップ争いは、完全に二人のものとなっている。
だがこの風の中では、何が起こるか分からない。
小鳥は以前は、一つのミスから大きくスコアを崩すことがあった。
それにアスカとしても、小鳥を追いかけながら風を読むのは、負担が大きいかもしれないのだ。
漁夫の利を得る。
ルイが必要なことは、パーキープは確実に行うこと。
そしてトップとの差を、これ以上広げないこと。
(最終日の大爆発、今のところはしてへんからな)
そうは思っても5番ホールが終わった時点で、2打は伸ばしている。
諦めてしまうこと。
しかしそれは、蔑ろなプレイをすることではない。
結果ではなく、自分のゴルフだけに責任を持つ。
(そこからどうなるかは、分からへんのや)
2打目を打ったルイは、しっかりとグリーンには乗せてきたのである。
全体的に受けたグリーンなのだが、ピンは右奥に切られている。
そして少し上れば、そこからは奥に向かって下っている。
するとグリーンをこぼれて、深いラフの中に入ってしまうというピン位置。
フォローの風に乗せてしまうと、そのままグリーン奥か、あるいはラフにまで転がってしまう。
ルイはグリーンセンターを狙って、それでもやや奥にまで転がってしまった。
風によって飛ぶだけではなく、スピンがほどかれてしまう。
もっとも短い距離をウェッジで打てば、さすがに止まるだろうが。
「私が先だね」
正しくショートカットしたアスカの方が、わずかに球は先にあった。
小鳥の武器である飛距離が、風によって殺されている。
ここからのアプローチも、二つの手段が取れる。
ガードバンカーがないので、転がすが上げて落とすか、二つに一つ。
転がしはいいだろうが、わずかな不陸で方向が変わってしまう。
上げて落とすのもいいが、風の影響が少しあるだろう。
「どちらを狙う?」
そう言われたがここは、上げて落として転がす、というものがいいだろう。
(エッジまでは30ヤード、そこからピンまでが20ヤード)
ウェッジを使って微妙な距離を調整する必要がある。
パターでも届かないではないだろうが、寄せることは難しいだろう。
途中までは障害物のない空中で、途中からグリーン上は転がす。
この判断を村雨も肯定した。
ドライバーショットなどよりも、距離感が必要なショット。
呼吸はゆったりとしたものとし、心臓の鼓動を自分で感じる。
そんなわずかな拍動さえ、ショットの邪魔と感じてしまう。
こういった心拍数が上がった時にも、普通のショットが出来なければいけない。
ゴルファーが走るのは、その心拍数に慣れるためである。
小鳥のショットはグリーンの入ったところに着地した。
そこから転がって、ピンに向かっていく。
あまりに早すぎても、遅すぎても心臓に悪い。
ゴルフは運動強度こそ小さいが、心臓への負担が大きいというのは、こういうプレッシャーによるものだ。
転がっていった球が止まったのは、ピンまで2mといったところ。
まず成功と言っていいショットであった。
残るはアスカの2打目である。
PWを持って、比較的大きなスウィングをしている。
「ロブかな?」
「風を読めるんだから、ロブだろうな」
転がすのではなく、上から落とした方が、球はそこで止まる。
距離感が合うならば、それでいいだろう。
この距離ならば、少しオーバーするぐらいに打って、バックスピンで戻してもいいかもしれないが。
そういえば、と小鳥は思い出す。
(ウェッジのバックスピン、使ってたっけ?)
アドレスに入っているので、言葉にすることはない。
アスカはバックスウィング(※1)を大きくし、かなりのスイングスピードで球にコンタクトした。
高く上がっているが、距離は少し足りないか。
だが風がここでも吹いて、球を進めてくれる。
思ったとおりに、ピンに筋って(※2)きた。
これはもうピンデッドを狙っているのでは、というぐらいに球はピンに向かっている。
「入るー!」
観客の歓声が聞こえるが、それはすぐに悲鳴に変わった。
そのまま入ると思われて、一瞬入ったボールが、ピンに蹴られたのだ。
飛び出た球は、転がってバンカーに向かう。
しかしぎりぎりで止まって、グリーンに残った。
あるいはピンを抜いていれば、そのまま入ったのかもしれない。
ただキャディにそれを頼んでいなかったのだから、それはアスカの責任である。
小鳥よりも遠いパットの距離は、入れるのはちょっと難しいだろう。
小鳥のパットでさえ、ピンをオーバーしたら奥に転がっていく位置だ。
他の二人もこのパットを、1打でカップに入れるのは、リスクの取りすぎとなるであろう。
入ったかと思った。
心臓の鼓動が、また激しくなっていた。
こういったショットこそが、心を殴ってくるものなのだ。
アスカは確かにピンそばに止める程度でよかったのかもしれない。
だがこの攻撃によって、他の同伴競技者の心を殴る。
攻撃的な「入るかも」と思わせるショットは、相手のメンタルを削ってくるのだ。
ゴルフが心理戦というのは、特に同じ組になった時に、はっきりと分かるものである。
勝負はグリーンに移動する。
ピンに弾かれたアスカの球が、一番遠い位置にあった。
ピンをオーバーしたらすぐに、グリーン奥に転がっていく傾斜がある。
そしてその転がった先には、深いラフがあるのだ。
ここは狙えるとしたら、小鳥のパットぐらいである。
アスカはその判断をすぐにすると、あっさりとショートになるパットを打った。
「お先します」
30cmほどに寄せたパットのため、マークもせずにそのまま入れてしまう。
これで2オン2パットのパーである。
グリーンセンターからのルイも、これは狙えないパットだ。
1打で寄せてから、短いパットを入れる。
注意するべきはショートしすぎること。
プロゴルファーでそんなショートのしすぎなど、ありえないと言うかもしれない。
だがこれが18番ホールで、優勝を決めるショットであれば、ショートしすぎるのも充分にありうることであった。
ルイのパットは20cmほどにまで寄った。
ジャストタッチのつもりであったが、思ったよりも右に切れたのだ。
すると残ったライン(※3)は、上りのラインである。
この20cmを、ルイはお先にと簡単に入れてしまった。
まだこの状況では、20cmを外すことなどありえない。
そして小鳥のパットである。
2mほどしかなく、プロならば入れて当然という距離だ。
小鳥としてもこのパットは、どうにか入れたい。
ただ普段ならやるような、強く打ってラインを消すというのが、ピンポジから出来なくなっている。
反対側からも見て、時間を使う。
「ジャストタッチで30cmぐらいのフックかな?」
「ああ、問題ない」
ここでショートするのは仕方がない。
風の影響は地面の上では小さいが、それでもフォローの風なのである。
小鳥の打った球は、曲がりながらピンに寄っていく。
だが最後の最後わずかに曲がりすぎ、5cmもないぐらいの位置まで通り過ぎて止まってしまった。
このホールは全員がパーである。
小鳥にとっては悪くない展開なのだ。
風を味方にするアスカが、風以外の要素でスコアを伸ばせないでいる。
流れが悪い、という言葉があるが、間違いなくピンに嫌われている。
それでも本人の表情に、悲壮なところは見られないが。
小鳥自身の流れも悪くはない。
いいとまでは言えないが、少なくとも悪くないのは確かだ。
ゴルフというのはショットを積み重ねていくもの。
アスカの打っていったショットは、間違いなく素晴らしいものであった。
だが正確すぎたことが、逆に悪い方に転がっている。
ピンデッドを狙いすぎたな、と村雨などは思う。
風を読んでほどほどに打っていれば、今でもう1打差にまで縮められていた。
また12ホールも残っているのだから、一気に縮めていく必要などなかったのだ。
ただしアスカの攻撃的なゴルフは、小鳥にプレッシャーを与えている。
ここまで的確に風を読むなど、他の誰に出来るものか。
次の7番は515ヤードあるパー5だ。
風は9時からほぼ真横に吹いてきている。
ロングホールであるので、小鳥には有利である。
ドローボールを打って、風と喧嘩させていく。
バンカーはフェアウェイの右側ばかりにあるが、フェアウェイの左側も微妙なアンジュレーションがある。
「さすがに二つ目のバンカーまでは届かないし、ドライバーでいいよね?」
「フェアウェイの右ぎりぎりにドローを打っていったら、上手く風と喧嘩すると思う」
そう判断されて、その通りに打っていけるのが、今の小鳥である。
球は風と喧嘩しながら、フェアウェイのど真ん中に止まる。
ガードバンカーは右側にしかないので、2打目は左手前にレイアップするか、あるいは直接グリーンを狙うか。
(イーグルも狙っていける、グリーン狙いでいいか)
そしてアスカとルイも、フェアウェイをキープして移動していく。
風の中で飛距離を出して、それでもフェアウェイのキープする。
アスカとルイは3オンを狙うような飛距離なので、もっと全力で振っていっても良かったのだが、フェアウェイキープ(※4)を優先した。
×××
解説
1 バックスウィング
ゴルフのスイングの動作は、クラブを後ろに振り上げるバックスウィング、それを止めるトップ、切り替えしてダウンスウィング、インパクトからフォロースウィングという段階になっている。
2 筋る
ボールがピン方向に真っ直ぐに飛び、そのまま入ってしまうようなコースを通っていること。
強すぎるボールだとピンに当たってグリーン内に収まり助かることもある。
3 残ったライン
フックするかスライスするか分からない場合は、真っ直ぐに打ってしまえばいい。
フックするにしろスライスするにしろ、そこから打っていく球は上りのパットになるからである。
4 フェアウェイキープ
球を狙うところに止めるには、ライのいいフェアウェイキープが大前提である。
ただし2打目にとにかく距離が必要ならば、ティショットで浅いラフに入れて、次のフライアーを期待してもいい。
天と地の狭間で ~メンタルを殴り合う世界へようこそ!~ 草野猫彦 @ringniring
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