第35話 世界の壁

 ラフからの脱出方法にも、なんとか目途がついた。

 単純なパワーだけでは、攻略できないラフであった。

 ゴルフはスイングが重要であるが、もっと大事なのはどうクラブをボールにコンタクトさせるかだ。

 小鳥はそれを幾つかの方法を試し、二つほど手段を見つけた。

 一つでは状況によって、対応出来ないこともあるからだ。


 事前の練習に二週間、そして試合に一週間。

 なんとも贅沢だなと思っていたが、それなりに観光のようなこともする。

 とは言っても毎日朝晩10kmは走り、ゴルフ場ではラウンドした後に徹底的にアプローチとパットの練習をする。

 芝の読み方もようやく分かってきた。


「一日の中でも、芝の読み方が変わるんだ」

「熱帯だからな。芝も成長するし、乾いてくる」

 アプローチとパット、これがゴルフでスコアを残すために、絶対に必要なことである。

 ただアプローチを簡単にするため、パットも簡単にするため、距離を短くしたほうがいい。

 つまり最初のドライバーで、どこまで飛ばすかということだ。


 飛距離が有利になるのは、短い距離で次を打てるから、というだけではない。

 軽くフェアウェイキープというのが、より短いクラブで出来るからだ。

 260ヤードまでが狭いフェアウェイで、280ヤード飛べば広くなるコースは、飛距離が最大の武器となる。

 300ヤードを飛ばせば多くのパー4は、2打目をウェッジで打っていける。

 アプローチとパットだけで、勝負できるようになるのだ。


 そうしている間にはタイに早くも、他の参加選手もやってくる。

 LPGAツアーは既に2試合が終了しているが、玲奈はどちらも予選は突破していた。

 だがまだトップ10入りしていないのは、慣れというものがあるだろう。

 他に二人、日本人選手がLPGAのシード選手として出場する。

 20代の前半に日本の賞金女王となり、海外メジャーでも上位フィニッシュ。 

 そして世界のポイントを稼いで、アメリカに拠点を移したという選手たちだ。


 小鳥がゴルフ場でひたすら遊んでいた時、日本で活躍していた二人。

 同年齢ではないが、ライバルと言われていた。

 そしてUSLPGAランキングでは、二人とも上位10位に入っている。

 直接の面識はないため、小鳥から挨拶に行くこともない。

 だがコースで会うとしたら、普通に挨拶はするだろう。




 小鳥のゴルフの特徴に、体育会系の気質が全くない、ということがある。

 ゴルフは個人競技であるだけに、チームワークで勝つという要素がほとんどない。

 緑の甲子園(※1)など、例外的な団体戦もある。

 しかし同じ部員の中でも、明らかに上下があるのだ。

 実力差が明らかなので、学年による上下関係も、歪なものになっていく。


 小鳥の通う高校には、ゴルフ部もなかった。

 それでも高校ゴルフ連盟(※2)に所属さえすれば、個人戦に出ることは出来たのだ。

 だが小鳥はそれさえもせず、祖父の仲間とゴルフを楽しんだ。

 たまには他のコースに、一緒に連れて行ってもらうこともあったが。


 関東ジュニアに記念に出なければ、その才能が世に知られることはなかった。

 プロとなって、海外のゴルフ場でプレイすることもなかった。

 そして百合花の野望に、巻き込まれることもなかったのだ。

「予選のカットがない試合だからな」

 村雨はそう言っているが、小鳥のスケジュールはパンパンである。


 タイの試合が終われば、その翌週には沖縄の試合が始まるのだ。

 四日間開催のため、体力が果たして残っているかどうか。

 もっとも日程だけを言うならば、日本のツアーはほぼ毎週。

 この場合は移動距離と気候の変化が問題となる。

 タイから沖縄というのなら、まだマシなのであろうが。


 小鳥の適応力を見ていて、果たしてどれだけの結果が残せるか、村雨も考えている。

 さすがに初めての海外に、気候の変化ということもあって、優勝は難しいだろう。

 ペース配分を間違えないことが、小鳥にとっては重要なこととなる。

 だが海外でもスタミナを残し、しっかりと最後までプレイ出来るか。

(まあ20位以内に入れば充分か)

 村雨はそこまで、小鳥に無理な期待はしていないのだ。


 小鳥がプロになってからの、それぞれの開催地から、得意なコースは分かる。

 具体的には洋芝の、柔らかいところは苦手としているのだ。

 沖縄の芝にも対応できておらず、予選落ちをしている。

 北海道は洋芝であるので、そちらでも予選落ちばかりだ。


 とはいえツアーの行われるのは、当たり前だが本州が一番多い。

 そこでは比較的予選を通過しているし、あとは去年の愛媛や宮崎でも、かなり結果を残したと言えるであろう。

 ある程度言えるのは、暑いところの方が強い。

 それはこのタイに来てから、順応していることでも明らかだ。

(世界を回るなら、色々なコースに適応出来るようにならないといけない)

 村雨はそう思うのだが、小鳥にはどうもそういった、欲が見えてこないのが、不思議なところである。

 いくら無欲に楽しむといっても、ここまでの強さがあったならば、どうしても欲がコントロールを曲げさせるもののはずなのだ。




 玲奈はスポット参戦ではなく、今年からいよいよアメリカのツアーに参戦することとなった。

 これまでにもアマチュア時代に、世界ジュニアなどで多くの栄冠に輝いている。

 もっともほとんどのそういった記録は、百合花によって塗り替えられていった。

(あの子はどこかおかしい)

 それがほとんどの、日本のみならず海外まで含めた、女子ゴルファーの見解である。

 選手権レベル(※3)の大きな試合で、21戦して3試合しか負けていない。

 国内では一度、プロの試合に負けただけというのも、異常な話である。


 高校生になって、果たしてどれだけの実績を残すのか。

 プロの試合にはいくらでも出られるであろうし、そこで優勝すればそのままプロになれる。

 実際に一度は優勝しているが、基本的にはアマチュアの試合で、世界中に出て行くことが多かった。

 JLPGAとしては、もっとプロの試合にも出てほしかったそうだが、さすがに中学生は義務教育期間である。

(それにあの子も)

 百合花の総合的な能力は、確かに玲奈を上回る。

 だが最終日の爆発力では、小鳥はそれをも上回るのだ。


 このタイの試合でも、主催者推薦で出場するのを知った。

 ただ小鳥の経歴をある程度知ってからは、この試合ではマークする必要はないだろうな、とも思っている。

 ライバルになるのは同じ日本人選手や、地元のタイの選手。

 特にタイの選手は、最近強い選手が増えてきて、東南アジアの最強国と言ってもいいぐらいである。


 アジアパシフィックアマ選手権で、玲奈もタイを訪れてはいた。

 その時にも優勝して、海外メジャーの挑戦権を得たのだ。

 もっともその結果は、特筆すべきものではない。

 トップ10に入ることも出来なかったし、ローアマにさえならなかった。

 全英女子(※4)は全英と違って、ひどいリンクスコースばかりではない。

 それでもイギリスの気候には、悩まされたものである。


 スポンサーの支援がなくとも、玲奈は大きな会社の令嬢である。

 小さな頃からティーチングプロに習い、テクニックを磨いてきた。

 コースマネジメントに加えて、プレッシャーに対する抵抗力。

 そういったものを全て備えて、賞金女王にもなったのだ。

(その私の想定を、あの二人は超えてくる) 

 小鳥と百合花の二人だが、他にも注目する選手はいる。


 ゴルフの女子プロというのは、毎年のようにレベルが上がっている気がする。

 それは女子が男子に比べて、パワーで劣ることから逆に、考えを徹底的にコース攻略に振っているからであろう。

 小鳥の世代には他に、ルイと恵里がいて、この二人も上位フィニッシュの常連だ。

 そしてやはり、百合花がいる。


 史上最強のアマチュアかもしれない。

 そしてやがて、高いステージで戦うことになるのだろう。

(あるいは、今年のメジャーでもすぐに)

 玲奈がポイントで達すれば、イギリスで対決することになるのかもしれない。

 そこで勝てるかどうかなど、強いて考えないようにしている玲奈である。




 練習ラウンドを回って、手ごたえを感じ始める小鳥。

 試合の本番が近づいてくると、周囲がせわしなく動いていく。

 アメリカプロツアーの一環というだけあって、放送もしっかりと行われる。

 日本でもゴルフチャンネルならば、放送されるはずである。

 初日の組み合わせは、既に発表されている。

 地元タイの選手と、アメリカの選手の3マンである。


 インスタートとなるので、そのあたりも考えておかないといけない。 

 だが日本のツアーのように、早朝スタートというのはない。

 あるいはこの試合だけなのかもしれないが、小鳥はあまり気にしなかった。

「地元の選手と一緒だと、お客さんが全然いないっていうのはないよね」

 注目されていたほうが、安心するという小鳥は、ちょっと変わっている。

 誰も見てくれていないと、寂しいものであるのだ。


 日本でおっさんゴルファーと回る時など、いちいち驚嘆してくれていた。

 そういった環境で回るのが、もう標準になっている。

 ゴルフは楽しいものなのだ。

 なのでプレッシャーを感じにくい小鳥だが、それでもミスをすることはある。

「アメリカのナディア・シュミットはあっちの賞金女王にもなったことがある超一流選手だぞ。去年もランキング20位ぐらいにいたし」

「え、そんな強いの?」

「海外メジャーで二回勝ってるのが、弱いわけないだろ」

 あまり海外のゴルフには、興味を持っていない小鳥である。


 タイのチェリンもアマチュア時代に、プロの試合で勝っている選手だ。

 ヨーロッパツアーで勝利しているし、プロ転向後もアメリカツアーで勝っている。

 つまり二人とも圧倒的な格上とも言える。

 ナディアは全盛期でないし、チェリンも若手なので、今の最強ツアーメンバーではクラスではないが。


 前日までにコース戦略をはっきりさせておく。

 なおアメリカツアーにもプロアマ戦はあったりする。

 だが海外では全く無名の小鳥には、まるで関係がないことだ。

 玲奈の場合は海外メジャーでの成績もあって、どうやらプロアマ戦に出るらしいが。


 地元のスポンサーや名士に加えて、大金の参加フィーを払って、プロアマ戦に加えてもらうアマチュアもいるという。

 そういったファンに対して、アメリカの選手は対応が柔らかい。

 小鳥もプロアマ戦にお呼びがかかって、自分も認められたんだな、と感激したものである。




 ゴルフは金持ちのスポーツである。

 クラブが14本も必要であるし、ボールはすぐになくなってしまう。

 プレイフィーも高いため、敷居の高いものなのは間違いない。

 それでも貧困の中から、成り上がったというトッププロもいる。

 アメリカではゴルフが、一般的なスポーツの一つとして浸透している。

 そのためボランティアなどで、ゴルフを体験できることも多いのだ。

 日本でもやっているが、アメリカほど市場の拡大を考えて、戦略的にやっているところは少ない。


 小鳥にしても昔は、所属のゴルフ場でジュニアのなる前の選手たちと、一緒にプレイしていたものだ。

 裾野を広げるためにも、必要なことなのである。

 もっとも予選落ちすれば、日曜日にはコースに帰ってくることになる。

 そこで逆に子供たちに、元気をもらったりするのだ。


 金持ちのスポーツでもあるが、貧乏人も楽しめる。

 クラブ一本だけを持って、ゴルフ場に深夜忍び込み、プレイするという子供がいる。

 純粋にゴルフが好きで、環境など関係ないように、ゴルフを覚えていく子供。

 もっとも多くのプロはもう、幼少期からティーチングプロのレッスンを受けて、型にはまったスウィングを手に入れる。

 蓄積された技術を、しっかりと己のものとするのだ。


 小鳥のスウィングは、もちろん型が存在するが、それを応用させていく。

 祖父が教えたのは、平らなライからしか打てないゴルフではないのだ。

 山岳コースはフェアウェイであっても、アンジュレーションが厳しいコースが多い。

 爪先上がりや左足下がりなどは、どうフェースを当てていくか、コースで打つことで自分で蓄積してきたのだ。


 祖父が学んでいた頃は、ゴルフは今ほど科学的ではなかった。

 だからこそ職人芸のような、奇妙なショットもあったのだ。

 小鳥にはあまり教えていないが、小鳥は見て盗むということもした。

 そして自分に向いているスウィングを、最終的にはものにする。

 教えてばかりの型であると、応用が効かないものなのだ。

(ここではどう負けるか、そして負けるとしてもどう考えるかが問題になるな)

 単純な勝敗ではなく、そこを村雨は重要視していたのである。



×××



解説


1 緑の甲子園

全国高等学校ゴルフ選手権大会のことである。だがこれが今後は日本ジュニアアマと統合されるらしい。

ただしそれは個人戦のみで、団体戦はまた別であるとか。

作中時間は近未来なので、既に統合された後になっている。


2 高校ゴルフ連盟

ゴルフ部がないというのは別に高校としては珍しいことではない。

ただ個人の実力で傑出した者は、強豪校以外にもいる。そのため登録さえしておけば個人戦には出られたはず。

だがこのあたりの決まりもしょっちゅう変わる。


3 選手権

ゴルフ競技は54ホール以上を回ることによって選手権となる。

18ホールのコンペや36ホールであると、それは競技会という分け方になっている。

日本の場合はアマチュアの特にジュニアは、地方大会なら二日間であることも珍しくないし、一日の18ホールという予選もある。

つまり百合花は一日だけの勝負なら、それなりに負けることもあるのだ。


4 全英女子

全英女子オープンのことだが、男子の全英オープンとはかなり違う。

全英の方はスコットランドのリンクスコースで行われるが、全英女子は北アイルランドなどで行われることもある。

コースは持ち回りであるが、やはりセント・アンドリュース オールドコースで行われる年もある。

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2024年12月21日 18:00

天と地の狭間で ~メンタルを殴り合う世界へようこそ!~ 草野猫彦 @ringniring

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