第9話 アウトスタート

 練習ラウンドの日にはもう、スタート時間などが選手には通知されている。

 これがたとえば朝の早いインスタートなどであったりすると、あまり注目の選手がいないように、主催者が調整している。

 小鳥はアウトスタートで、時間もほどほどの9時10分スタート。

 6時には起きて体がはっきりと目覚めさせるのだ。

 朝の弱い人間は、ゴルファーには向いていない。


 練習場には既に、それよりも早いスタートの選手たちが待っている。

 一番早いスタートなどは、朝の7時40分であったりするのだ。

 ゴルフほど朝の早いスポーツは珍しいのではないか。

「まあ、ええ感じの順番やな」

 スリーマン(※1)の小鳥との組み合わせは、イチカとルイの二人である。

 普通はアマチュアなどはインのもっと早いスタートであったりするのだが、地元枠ということもあって優遇したのかもしれない。

 もっとも本格的に優遇しようとしたのは、小鳥の方であるかもしれないが。


 気心の知れた相手に、高校生のアマチュア。

 小鳥にプレッシャーを与えるメンバーではない。

(小鳥を勝たせようとしてくれている)

 澄花はそう考えている。

 主催者への口利きも、おそらくはしてくれているのだろう。

 だが澄花としては、ここまでやったんだから勝ってくれ、という圧力も感じる。

 小鳥は能天気に、ラッキーだとばかり思っているようだが。


 もっともアウトの遅めのスタートであると、ギャラリーが多かったりもする。

 そのプレッシャーが、アマチュア選手にはきつかったりするので、インの早いスタートが悪いばかりではない。


 オナーは小鳥である。

「よ~し」

 ぶんぶんとドライバーを振り回し、最初からかっ飛ばす気である。

「右側はOBだからね」

 そのくせ右ドッグレッグで、微妙にショートカットしやすくなっている。

「その日の第一打は、思いっきり打つこと!」

 違う。


 本当にドライバーでフルショットするのか、とイチカは懐疑的である。

 このホールは365ヤードのパー4であり、小鳥の飛距離なら普通にバーディが狙える。

 何よりその日の第一打は、誰もが緊張する場面だ。

 練習場でドライバーを打っていても、本番の第一球とは違う。

「フェアウェイ左から攻めるのが、このコースの王道だからね」

 事前に説明もしたのだが、果たして憶えているのか。


 小鳥はティーを刺すと、目を閉じてその場で数度飛び跳ねた。

 試合ではその日の最初、1番ホールで行うルーティンである。

 それからグローブをして、クラブを渡され、アドレスに入ったらさっさと打つ。

 素振りさえしないことがあるので、プレイがものすごく早い。

 それでいながらボールが遠くまで伸びていき、そしてやや左に曲がっていくドローボール。

 ラフの中に入ったのが、明らかに見えた。

「……」

「……」

 母と娘の間に言葉はなかったが、小鳥の目は泳いでいた。




 プロの場合その日の調子は、二打目を打った時に分かるという。

 つまりその二打目を、いきなりラフから打つことになった小鳥は、打つまでもなく微妙というわけだ。

 その後のルイ、そしてイチカは、240ヤードほどをフェアウェイキープ。

 やや左に寄せたルイが、一番正しい攻略の仕方をしている。


 初日はピンの位置を難しく切っていないので、この1番はバーディが取れるホールなのだ。

「ラフからかあ」

「高さで距離を合わせなさいな」

 残りを余裕でウェッジで打てる距離でありながら、ラフからでは飛距離が計算しにくい。

 それでも方向だけは合わせて、バンカーには入れないように打っていく。

 今日のピン位置ではあまり注意のいらないバンカーだ。

 グリーンからはわずかにこぼれたが、それでもパーでは上がれそうなリカバリー。

 だがティーショットが一番短かったルイが、二打目を2mほどにつけた。

 イチカも同じぐらいであるが、場所はルイが一番いい。


 三打目を打つのは一番遠い小鳥から。

 カラー(※2)から距離だけを合わせて打てば、ピンの手前でわずかに曲がった。

「お先に(※3)」

 軽く打ってパー発進と、いきなりラフには入れたが悪くはない。

「うちが先かな」

 ルイはそう言って、真っ直ぐなラインの上りのパットを簡単に打つ。 

 そして簡単に入れた。


 イチカはわずかにカップに嫌われて、結局はパー。

 まずはルイだけが、おはようバーディの好スタートである。

「1番ホールはパーでいいんだから」

 厳しい澄花であるが、やたらとケチをつけるだけでもない。

 朝一番に上手くいかないのは、他の選手でも同じこと。

 3打目にパターを使えたので、このホールは及第点だ。


 キャディというのはゴルフにおいて、絶対の味方をしてくれるただ一人の存在。

 そのキャディが選手にプレッシャーをかけるのは、絶対にしてはいけないこと。

 もっとも場合によっては、あえてプレッシャーをかけてやる必要もあったりする。

 そういったことを場合によって、ちゃんと使い分けなければいけない。

 選手と共にキャディも成長するものなのだ。

 そして選手によって、適切な態度も変わってくる。




 2番ホールはパー3である。

 どの選手もワンオン出来る距離だが、その代わりにグリーンが難しくなっている。

 ただ初日の今日は奥の比較的簡単なところにピンを切っている。

 まずはどんどんスコアを伸ばせ、というポジションである。


 こういったショートホールこそ、飛ばない選手が勝負出来る場所。

 もっともルイやイチカも平均的ではあり、小鳥がとにかく規格外に飛ぶのだが。

 オナーであるルイは、ユーティリティでワンオンを狙う。

 二段グリーンのこのコースは、奥にオーバーすると怖いが、かといって下の段につけるのも、バーディが難しくなる。


 ドライバーを使わないこのコース、ルイなどは得意に思える。

 だが実際はパー3にしては距離があるので、ここは彼女にとってもパーで良しとするコースなのだ。

 実際にグリーンオンはさせたものの、距離は少し残っている。

 小鳥とイチカも続いていったが、想定通りのように全員がパー。

 そして今日最初の、パー5のロングコースを迎える。


「ドライバ~」

 ドラちゃんのノリで、澄花はドライバーを取り出す。

「寒いよ、お母さん」

「うん、分かってた」

 思わず苦笑してしまう小鳥だが、このコースはまさに飛ばし屋のためのコースだ。

 打ち下ろしで1打目も、広いエリアに打っていける。

 2打目でグリーンに乗せれば、イーグルも狙える距離だ。

 女子プロではまずいないだろうが、小鳥ならば可能。

 だがグリーンはバンカーに囲まれている。


 ルイは無理せず3オンの1パットを狙っていく。

 そして小鳥がドライバーを握ろうとすると、澄花はひょいとクラブを3ウッドに代える。

「え?」

「1番でいきなりラフに入れたでしょ。刻んで3オンの1パットで一つ潜りましょ」

「2打で届くのに?」

「あんた去年はそれで、二日ともバンカーに入れてダボとボギーだったの忘れたの?」

「去年の私はもう、今年の私じゃない!」

「なら確実にバーディを取る、成熟したところを見せて」

「う」

 チョロい。


 にまにまとルイは笑っていたが、イチカとしては複雑である。

 確かにこのホール、イーグルがそれなりに出るのだ。

 しかし逆に、ボギーやダボも出やすい。

 その理由がまさに、グリーン周りのバンカーなのである。


 小鳥はバンカーショットが得意であるが、どんな状況でも平気で打てる、というほどではない。

 男子プロのように、パワーだけで打ってしまうこともあるが、基本的にはちゃんと技術で打っている。

 フェアウェイバンカーからならば、ウッドでも打てるのが小鳥である。

 しかしグリーン周りのガードバンカーは、それとは別物であるのだ。


(このホールは確かにバーディが多いし、イーグルもそこそこ出てる)

 澄花はちゃんと事前に、データを調べている。

(けれどバンカーに入ると、普通にボギーを叩く可能性は高い)

 女子プロの飛距離だと、バーディなどを狙ってバンカーに落とし、結局はボギーというパターンだ。

 また飛ばし屋に、イーグルとボギーが多い。

 もっとも小鳥のバンカー脱出技術を考えれば、挑戦させてもいいのだが。


 問題はまだここまで、バーディを取っていないこと。

(1番も2番もパーで、これでいいとは思うけど)

 小鳥はコースの競技会では、大人や男子相手にも無双していた。

 だが選手権ではそうはいかない。

 本番の試合が三日や四日も続くと、メンタルのスタミナが持たないのだ。

 それが分かってきたのは、つい最近であるが。


 初めての大きな大会である関東ジュニアや、日本ジュニアでは三日間競技。

 小鳥は肉体的なスタミナであれば、問題なく四日間を回れる。

 だが連続で三日間を回る経験が、子供の頃から少なかった。

 コースで行われるコンペも、普通は一日1ラウンドを回るもの。

 その精神的なスタミナは、今も鍛えているところなのだ。


 調子がいい時は爆発的にスコアを稼ぐが、三日間が全て上手くいくわけではない。

 小鳥にしてもシビアな攻略をしていけば、それだけプレッシャーがかかってくる。

 自分のプレッシャーを抑えるのに、自分のスタミナを使ってしまう。

 だから一日目などは、とりあえずペース配分を考えればいいのだ。




 3番ホールで本日一つ目のバーディを取る小鳥。

「ナイスバーディ」

 そう声をかけられたイチカも、しっかりとバーディを取っていた。

 これでこの組は、ルイが2アンダー、小鳥とイチカが1アンダー。

 アマチュアのイチカがいきなり崩れないあたり、最近のジュニアは育成が上手くいっていると言えるだろう。


 ルイはその気になれば、もっとプレッシャーをかけてくる展開や、言動をしたりする。

 だが一日目はそんなことも考えず、自分のゴルフに専念する。

 小鳥に限らず三日間、全ての日で調子がいいというのは珍しい。

 なので同伴競技者が楽な場合は、リラックスしてスコアを伸ばしていくことを考える。

 予選通過が関わる二日目や、順位争いが激しくなる三日目は、話は変わってくるのだが。


 ゴルフには駆け引きというものがある。

 あまりに露骨な言動であると、競技委員から注意を受けたり失格になったりする。

 だが言動以外のプレイも、同伴競技者には影響を与える。

 目の前でイーグルなどを見せられると、プレッシャーになってしまう。

 小鳥はボギーを叩くことも多いが、難しいホールでもイーグルやバーディを取ってくることがある。

 それを澄花が自重させている今日は、あえて自分も挑発しない。

 ルイは今年、ほとんどの試合に出場して、来期のシードも取っている。

 だがまだ優勝を狙うには、少し格が足りないと言える。


 ゴルフのスコアを決めるのは、実力と運が大きい。

 しかし最後にタイブレークにでもなると、格というものが働いてくる。

 その選手が積み上げてきた、経験とも言えるものである。

 相手に与えるプレッシャーにもなる。

 この点では小鳥は、優勝もしているし2位も二度もある。

 多くのプロゴルファーは、生涯に一度も勝てずに引退することになるので、彼女の格も分かるだろう。


 小鳥自身はともかく、澄花は今日の目標を、2アンダーと目している。

 4バーディの2ボギーといった普段のゴルフではなく、ノーボギーの2バーディという感じで、まずはメンタルのスタミナを消耗しないことを考える。

(優勝を狙っていけと言われてるけど、実際それは難しいからね)

 プロの中でもツアープロは、予選通過の壁、トップ10の壁というものがおおよそ存在している。

 そして勝てる選手は一度勝つと、その一度だけしか勝てないか、立て続けに勝てるかのどちらかになる。

 このあたりがメンタルのスポーツと言われるゆえんである。




×××


解説


1 スリーマン

3人一組でラウンドすること。アマチュアの小さなコンペだと通常は4人一組であり、多くのゴルフ場が4人一組となっている。

試合によっては予選が4人で脱落してからは3人となったりする。

なお男子メジャーの試合だとツーマンという2人一組の試合もある。


2 カラー

グリーン周辺部のほんの少しグリーンより芝が伸びた、円周上の部分。パターで打てないこともないため、オッサンゴルファーはパターで打つのが正解。プロでもピンまでの距離次第では普通にパターを使う。


3 お先に

ゴルフはピンから遠い者が先に打つのが普通だが、パットを外して10cmぐらいしかないと障害物にもなるため先に打ってしまって入れる場合がある。

1mほどもあるのにあえて先に打ってプレッシャーを与えたりする、精神戦を仕掛けたりすることもある。

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