第21話 海風
1番ホールでバーディスタートした小鳥は、2番ホールに対する。
一番長いパー5の582ヤードである。
単純に距離だけを言うならば、もちろん小鳥は2打で届く。
だが2打で止まるかどうかというと、それは別の話だ。
「欲張ってイーグルを取りに行ったら、ボギーが見えてくる?」
「ああそうだ。それにティショットが少し打ち上げ(※1)になってるしな」
このコースの罠は、練習ラウンドでもしっかりと理解している。
普通のホールは多くが、花道からグリーンにかけては上っていって受けている。
パー3の短いホールぐらいなら、その例外にもなるが。
このコースは18ホールの中で、500ヤードを超えるホールはここだけなのだ。
そのくせ582ヤードもあるのだから、設計者も曲者である。
(アウトとインで200ヤードも差があるんだが)
もしもイーグルを取りに行くなら、もっと短いパー5で狙うべきだ。
だが小鳥には必殺技がある。
これは百合花も玲奈も出来ないことだ。
普通のゴルファーがドライバーを持てば、普通に打つか強く打つか、その二つしか選択肢はない。
だが小鳥は直ドラを使うように、ドライバーである程度の距離感が出せる。
「狙ってもいいかな?」
「賛成はしないが、絶対に反対というほどでもないかな」
小鳥のショットを待つ瑞穂は、その会話を耳にとめた。
(狙う?)
このパー5を、まさか2オンでもするというのか。
瑞穂はこの試合、地元のハウスキャディを雇っている。
「このホール、二つで届く人いるんですか?」
「男子のプロの人が練習する時、たまに止まりますけど」
小声で囁くが、キャディも首を振っている。
女子の平均的な距離なら、まずはティショットでもドライバーを握れない。
丁度いいあたりのフェアウェイが、絞られているからだ。
だが普通に3打を使ってバーディを取るなら、そこまで難しいわけでもない。
今日は風が少しあるため、難易度は上がっているが。
小鳥の飛距離なら、1打目はドライバーで問題ない。
それも高めにティをセットして、力強く振り切った。
1番ホールと同じく、やや向かい風である。
小鳥の打ったボールは、高さ抑え目のドローがかかったものである。
絞られたフェアウェイの部分をキャリーで越えて、そこから転がっていく。
だが300ヤードには少しとどかないぐらいだろう。
「駄目だな。あそこからなら3オン狙いだ」
「そうですね」
しゅんとしている小鳥である。
やはり2オンを狙っていたのか。
もう何度もこのコースを体験している瑞穂は、その無謀さがはっきりと分かる。
(ここは男子プロでも、届くことは届くけど、止められないグリーン)
フェアウェイなどもバンカーにほぼ意味はなく、池にもよほど曲げないと入らないというコース。
強いて言うならフックをかけてしまって、スタイミーになりそうな木があるぐらい。
もちろん距離があるので、ドライバーと3Wを使っていくぐらいの選択は必要だ。
瑞穂は1打目を5Wで打った。
そして2打目を3Wで打つという、ちょっと変わった攻め方をしている。
もっとも1打目でラフに入れないように、2打目でもラフに入れないようにと考えるなら、それで問題はない。
これで100ヤードほどが残って、PWを使っていける。
このホールは3打目に、高いボールで止めたい仕様となっているのだ。
もちろんそれは、村雨も知っていることである。
だがガードバンカーがないので、距離だけなら届く可能性があった。
風がなければな、と思うところである。
「どうする? 3Wか5Wか」
「いや、どうせならこうします」
そして小鳥が握ったのは、ドライバーであったのだ。
直ドラである。
だが打ち上げになっていたティショットに比べれば、もうフラットなフェアウェイがグリーンにまで届く。
「オーバーはするなよ」
「了解だ」
そしてドライバーで打って、普通にグリーンエッジまで30ヤードほどを残す小鳥であった。
なぜドライバーを使う、と瑞穂は首を傾げる。
シャフトの一番長いドライバーは、一番難しいクラブである。
「3Wじゃなかったですよね?」
「ドライバーに見えましたけど」
瑞穂は少し考えたが、低い弾道がほしかったのかな、となんとか自分を納得させる。
(普通なら3Wを使うはずだけど)
ゴルフが他の競技と違うものの一つに、対戦相手の分析をしなくてもいい、というものがある。
戦う相手は自分自身と、そしてコースであるのだから。
ただ小鳥のような頓狂なことをするゴルファーが、いることは知っておいた方がいいのだ。
さもなければメンタルを殴られて動揺し、自分のプレイにも影響が出てくるのだから。
瑞穂もスコアぐらいは確認していた。
ここ3試合で最終日に、全て10打以上潜った爆発娘。
しかし初日なら、そんなおかしなことはないと思っていたのだ。
同伴競技者殺し(※2)、と言われるプレイヤーがいる。
タイガーなどもそう言われていたし、氷室綾乃などもそうである。
最終日に伸ばしてくる飛ばし屋というのは、確かにそういう傾向がある。
だが盤外戦術を仕掛けてくるとか、そんな話は聞いていなかった瑞穂である。
「ちょっと変わった子みたいね」
口の中で呟いて、瑞穂は気持ちを引き締めた。
ゴルファーには他人のスコアを見ながらプレイするタイプと、全く見ないタイプの二者がいる。
自分のプレイにだけ集中したいという人間もいるのだが、基本的には自分の位置がどのあたりであるのか、気になるのが人間だ。
それならしっかりトップとの差を見ていった方がいい、と考える者もいる。
優勝するにはどれぐらいのスコアが必要なのか、そこでリスクをどれぐらい取るのか、計算しながらゴルフをした方がいい。
特に優勝争いをしているなら、と考えるのだ。
たとえば恵里はあまり見ないタイプで、ルイはしっかりと見ていくタイプだ。
「今日はあんまり落ちひんな」
2マン20組ということで、この試合のもう一つの特徴は、全てアウトスタートというものである。
早めにスタートしたルイは、初日は2アンダーでフィニッシュしていた。
同じく早めにスターとしていた恵里も、アテストをしてきたばかりである。
「この試合に出たのは初めてだけど、ちょっと感覚が違うね」
「まあ分かる。普段はインスタートとかあるしな」
恵里は1アンダーでフィニッシュしているが、これから上にも下にもどんどんと、名前が貼られていくはずである。
「ハーフで4アンダーか……。女王は7番で3アンダーね」
「小鳥、今日は一つもボギー叩いてえへん」
「それは、ちょっとまずいかな」
ランキングで出場を果たした二人も、優勝を目指してここにいる。
初優勝がメジャーというのも、別に今までにいなかったわけではないのだ。
ただ現実的には、厳しいとも理解している。
最終戦のメジャーだけあって、出場選手のレベルが高いというのもある。
だが3サムの多い普段の試合と、勝手が色々と違うからだ。
そういった経験も蓄積して、やっと勝つことが出来るのでは、と考える冷静さが二人にはある。
もちろん小鳥にはない。
先週の四日間競技でも、小鳥は最終日に爆発した。
三週連続で、最終日に10アンダー以上を達成しているのだ。
「もっと攻めていくべきだったかな」
「せやな……」
そう言いつつもルイは、堅実なゴルフを崩そうとは思わない。
今のところのフィニッシュしたトップは3アンダーである。
まだ初日であるし、足切りもないのだから、焦る必要はないのだ。
小鳥は1番2番と連続でバーディを取り、6番と9番でもバーディを取っていた。
6番と9番は確かに、バーディの取れるホールである。
それよりもボギーがないというのは、なんとも小鳥らしくない。
「キャディの力やろか」
「お母さんとの組み合わせ、悪くないと思ってたけどね」
「でも今までになかったことしてるわけやから」
それは間違っていないと思うのだ。
今までの小鳥であれば、バーディはおろかイーグルも一つぐらい取っていておかしくない。
特に500ヤードもないパー5は、ほとんどの場合イーグルを狙っていたはずだ。
だがそこでバーディも取れない換わりに、ボギーを一つも叩いていない。
「パー3もピンデッドに狙ってへんのかな」
「そうなると手ごわいなあ」
確かに同年代で仲はいいが、同時にライバルであるのも間違いないのだ。
玲奈は最後の20組目で、二つ前の小鳥と瑞穂の組に注意しながら、プレイしていた。
彼女もまた他人のスコアを見て、自分のスコアを作っていくタイプである。
一つ前には氷室綾乃がいて、彼女との賞金女王争いは終了した。
だからといって流していこう、などとは全く思わないのが玲奈である。
ハーフが終わった時点で、トップは6アンダーでフィニッシュしている。
(今年はコースの難易度が高い)
練習ラウンドでも、玲奈はそれを感じていた。
ラフがところによって深くなっていて、グリーンも少し速い(※3)のだ。
ピンのポジションはそれほど厳しくないが、コースセッティング自体がかなり難しくなっている。
おおよそは気づいているはずだが、若手の選手なら気づいていないかもしれない。
初日は伸びて8アンダーまでかな、と思っていた。
玲奈はあえて初日から、首位独走を狙うタイプではない。
最初から首位に立つと、精神的なスタミナが多く消耗してしまうからだ。
(一日4アンダーのペースでいけば優勝出来る?)
コースと対話するのも、玲奈の能力である。
ゴルフというのは総合力のスポーツだと思っている。
肉体や技術の総合力ではなく、精神や思考も含めた総合力だ。
あるいは生まれや環境さえも、それに含んでしまってもいい。
自分は恵まれているな、とは理解している。
それでもゴルフだけは、負けたくないと思えるものなのだ。
順位付けは確かにある。
だがそれはただの結果である。
重要なのはコースを回っていく中で、自分に負けなかったかどうか。
たとえばあの、百合花にイーグルを決められた後の3パット。
ああいったことが、自分に負けるということなのだ。
スタートから時間が経過するほど、風が少しずつ強くなっていた。
海沿いのコースにはよくあることで、それでもこのあたりは東京に比べればずっと暖かい。
プロ野球のチームなども、二軍は沖縄でなくここでキャンプをすることもある。
「最後は優勝したいわね」
玲奈は来年、序盤からアメリカのツアーに参戦するつもりだ。
今年も何試合か海外メジャーで上位に入ったので、LPGAツアーには普通に出場出来る。
だが日本のシーズンがない序盤に結果を残せなければ、また日本ツアーに戻ってくる必要もあるだろう。
この四年間で三度の賞金女王と、国内では圧倒的な存在となっていた。
ただ下を見れば猛烈な勢いで、迫ってきている選手がいる。
(私も海外メジャーに……)
日本の内弁慶ではなく、海外メジャーを制すること。
そのためにもアメリカの環境に、順応したい。
もっともアメリカのツアーは、アメリカ内だけで行われるわけではない(※4)。
日本でも一試合はアメリカツアーのものだったが、アジア各地でもそういった大会がある。
移動も基本は飛行機で、賞金も日本よりは高い。
セッティングが違うので、適応力が必要なのだ。
ジュニアの時代には既に、世界タイトルも取っている。
だが小鳥のように突然頭角を現した者もいれば、ジュニアのタイトルを総なめにしているような怪物もいる。
日本の場合は男子より、女子ゴルフが世界では実績を残している。
メジャー優勝者もそこそこいるのだ。
そこに勝つことこそ、玲奈の目標となっている。
今年もスポット参戦をしたが、メジャーで勝つにはやはり、活動の拠点を海外に移した方がいい。
日本国内の空洞化も恐れたが、むしろ玲奈の一強の方が、問題とも思える。
百合花に負け、小鳥にも負けた。
かなり運の部分もあるが、それを含めてもゴルフである。
日本の女王が、海外でも女王となる。
それが玲奈の目標であり、まずは海外メジャーの制覇を、来年から考えているのだ。
この日はトップは6アンダーまで伸ばしていった。
2位タイの5アンダーに小鳥と玲奈は入る。
同じく2位タイに四人が並び、二日目は小鳥と玲奈が同じ組となる。
(最終日じゃなくて良かった)
そう思いながらも、一日目からこの成績を残している小鳥を、玲奈は一番警戒していた。
×××
解説
1 打ち上げ
ティショットからグリーン位置が上りになっているホールのこと。当然ながら飛距離は伸びにくい。逆が打ち下ろしで、これも距離を合わせるのが難しかったりする。
2 同伴競技者殺し
別に呟き戦法を取ったりするわけではないが、技術を見せ付けて動揺を誘ったり、飛ばし屋よりも飛ばしてドライバー感覚を狂わせるなど、そういった選手はいる。
全盛期のタイガー・ウッズはまさにそうであり、あとはプレイが極端に早かったり、逆に遅かったりする選手もそうだったりする。
3 速い
グリーンが速いというのは、ボールが転がりやすいことを指す。グリーンを固くする方法と芝を短くする方法が主なもの。
マスターズのグリーンは「ガラスのグリーン」などとも言われるが、逆にそういうグリーンが得意な選手もいる。
他には芝の種類なども関係してくる。
4 アメリカのツアー
日本にも日米共同開催のツアーが一試合あるが、アメリカのツアーは世界各地で行われる。主にアメリカとアジアが多い。
ヨーロッパのツアーもヨーロッパだけではなく、色々な国で行われる。
日本でも北海道から沖縄まで、けっこうツアーの行われる環境は違う。ただ日本の場合は国内だけである。
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