第22話 風強くなりし日
一日目を2位タイスタートというのは、小鳥にしては出来すぎである。
ただメンタルのスタミナをそれほど使ったというわけではない。
それにバックナインではあまり伸ばせなかった。
後からスタートした組ほど、風の影響が次第に強くなっていったのだ。
ゴルフはあるがままに。
風に悪態をつく人間は、ゴルフでは大成できない。
「また一緒の組ね」
小鳥が初勝利した加藤茶レディス最終日以来の、玲奈と同じ組である。
「はい、よろしくお願いします」
あの最終日、小鳥は11アンダーの61という驚異的なスコアを叩き出した。
しかし玲奈も9アンダーと、相当のスコアで上がっているのだ。
二人は優勝争いをしたが、互いに特に悪い感情を持っていない。
玲奈がそもそも正統派の、己に対して厳しい人間であるからだ。
もっとも周囲に対しては、柔らかさでその激しいところを見せない。
彼女自身も本質は、負けたくないという気持ちでいっぱいなのだ。
今日の風速は、平均で7mほどになるだろうと言われている。
だが問題なのは平均ではなく、その風の吹き方が強弱はっきりしていることだ。
突然の突風が、スコアを悪化させていた。
それでも早朝スタートの組は、どうにかパーセーブをしてしのいでいる。
「我慢の日になるな」
「はい」
山間のコースをホームにしているので、風だけならば得意の小鳥だ。
だが呼吸をするかのように、それが強くなり弱くなり、それが厄介なのだ。
プロのゴルフは基本的に、アンダーパーで回ることになる。
オーバーパーで上がるのは、競技ゴルフならばそうありえることではない。
ジュニアアマであってもその場合、ティーイングエリアが前に出されたりするし、ラフが短くなっていたりする。
なのでバーディを取る能力が、プロとしてやっていく能力である。
もっとも全英や全米の試合では、ほぼイーブンパーで優勝などということもある。
これはコースが環境もあいまって、苛酷なものになっているからである。
そしてもう一つ重要なのが、オーバーパーにならないようにすることだ。
良いスコアを取るための攻撃力。
そして悪いスコアにならないための防御力。
これはどちらも大切なものであるが、果たしてよりどちらが大切なものであるか。
それは将来の目的と、ゴルファーの年齢によって違う。
また個人の性格によっても違うであろう。
とにかくピンデッドを狙い、少しでもピンに近づけようと勝負として考える人間。
それには先に、ディフェンスのゴルフを教えておかないといけない。
そこまでは考えておらず、純粋に遊びとして考える人間。
そういった者には最初から、オフェンスを教えていってもいい。
とりあえず趣味で、月に一度を回る程度のアマチュアは、ディフェンスのゴルフに徹するべきである。
ゴルフは点を取りにくく、失点はものすごく多くなりやすいスポーツ。
これを理解するべきだからだ。
勝つためにはまず、ディフェンスを教える。
遊ぶだけなら素直に、オフェンスを教える。
この考え方についても、人によって様々である。
ただ5バーディ5ボギーの人間と、ノーバーディノーボギーの人間。
将来的にスコアを伸ばすのがどちらかというと、5バーディ5ボギーの人間である。
攻撃力はそう簡単に伸びないが、防御力は思考によってすぐに伸びる。
もっとも判断する力が弱いと、それも難しいのだが。
この日の小鳥は、1番ホールから難しいピンポジに苦しめられた。
風でティーショットをラフに入れ、2打目も風でグリーンを外す。
グリーン周りのラフからは出せたものの、4打目のパットもオーバーして、いきなりボギー発進。
ただ前の選手たちを見ても、一番良くてハーフで2アンダーぐらいしか伸ばしていない。
それだけ今日は我慢のゴルフになるということだ。
玲奈はパーで終えたが、2打目をグリーンに乗せながらも2パット。
ただプロというのは、グリーンで3パットしないことが鉄則。
(風の影響がここまであるにしては、ピンの位置が厳しいわね)
そう判断はするが、この厳しさは誰にとっても公平である。
2番ホールは昨日も、バーディを取れたコース。
今日は最初から、イーグルは捨てている。
ドライバーは使っていったが、低弾道のショット。
280ヤードをしっかりと飛ばし、そこから順調に刻んでいく。
もっともアイアンもフェースをかぶせて、弾道が低くなるようにする。
リンクスコースの攻め方である。
ここでバーディを取って、スタートのスコアに戻す。
玲奈はパットが決まらずパーと、小鳥とスコアが並ぶ。
ただそれで焦った様子など見せないし、逆に1番でも好調なものとは思わなかった。
ゴルフというのはコースが難しくなると、1打ごとに精神的なスタミナを削られる。
出来るだけ今日は平坦なスコアを心がけ、取れるホールだけをしっかり取るのがいいのだ。
コースにはホールによって、どれが難しいかということが分かっている。
通常は18ホールで構成されるゴルフコースには、ホールごとにハンデキャップがHCP(※1)として記録されている。
だが問題なのはこの難易度は、あくまでも平均的なものであるということ。
小鳥のような飛ばし屋にとっては、2打目にウェッジを持てる機会が増える。
すると得意なクラブによって、難易度も変わってくるのだ。
ゴルフは穴のない選手の方が、結果を残しやすい。
だがそのために技術を増やすのは、むしろ大変になったりする。
ゴルフは思考のスポーツとも言われるように、今持っている技術をどう使って、スコアを作るかも考えるスポーツだ。
小鳥の場合はある程度ピンチでも、打開するショットが打てる。
その選択があるために、かえってピンチが続いてしまうこともあったのだ。
「普段よりも難易度が増しているな」
3番ホールは向かい風が強い。
小鳥はそれに対して、低い球で勝負が出来る。
しかしこのホールは、フェアウェイ全体のアンジュレーションがそれなりにあり、右に傾斜もしている。
低く打ってしまうと、ランがどの方向に行くか分からない。
「ボギーがいい」
村雨の言い切りようは、あまりにも極端である。
ボギーでもいいではなく、ボギーがいい。
キャディがこんなことを言ってしまうのかと、同じ組の玲奈は驚いた。
「木のスタイミーに傾斜にアンジュレーションかあ」
「昨日はまだ風が弱かったから、高い球を打てたしな」
このホールはエッジまで412ヤードと、パー4としては距離がある。
また今日はピンのポジションがほぼほぼ、バンカー越えのアプローチが必要な場所になっているのだ。
さらに向かい風と、確かにボギーでも充分か、となる。
ただ小鳥はここでも、ドライバーを握った。
ピンを高く刺して、低弾道で遠くまで飛び、さらにあまり転がらないというショットを打っていく。
玲奈が変な顔をしていたが、小鳥は気づかない。
(この子のドライバー……)
確かに優勝した試合でも、ドライバーでおかしなことはしていた。
ドライバーを上手くアプローチ的に使ったり、弾道を変えてきたりする。
ドライバーはパターを除けば、ロフト(※2)が一番低いクラブだ。
普通にそこから、低弾道の球が飛ぶのは当然である。
しかし想像以上に低弾道で、しかもあまり転がらないという球になる。
(完全にリンクス向けのショット?)
玲奈が思い浮かべたのは、スコットランド(※3)のリンクスコースである。
ボギーもありうるコースだ、と難しく考えているとプレッシャーになる。
しかしボギーで収めれば充分となれば、むしろ気楽に打てる。
結果として小鳥は、今日多くの選手がスコアを落としている3番ホールを、パーでしのぐことが出来た。
玲奈もパーでしのいだが、風に流された球のリカバリーなどで、小鳥よりもメンタルのスタミナを使った気がする。
小鳥は練習ラウンドから、ここまでプレッシャーが軽い。
何より村雨が、小鳥のドライバー多用を認めてくれたからだ。
村雨としては選手の長所を見つければ、そこは認めるべきだと普通に考えていた。
ただドライバーが得意なクラブといっても、こういう使い方はしない。
確かに状況によっては、グリーンでドライバーを使ったパットをするプロも、いたことはある。
しかしあれはパターを破損していた時の話だ。
小鳥が以前に予選落ちが多かった理由も、村雨には分かる。
そしてこれまでにキャディをしていた澄花が、苦悩していたであろうことも分かる。
ドライバーは一番飛ばすクラブであり、そして多くのゴルファーはドローを打つのが主流である。
ただ小鳥は昭和の技術を学んだためか、ドローもフェードも打ってくるのだ。
右に曲げるのも左に曲げるのも、自由と言えば聞こえがいい。
だがそれはどんな状況になってからも、選択肢が多いという意味である。
ますます聞こえがいいようであるが、村雨はそうは思わない。
少なくともここまで、これだけの技術でどうして、予選落ちしていたのかは分かってくる。
下手にリカバリーが上手いので、チャレンジすることが多すぎる。
師匠は技術こそ教えたが、判断の仕方を教えなかったのか。
楽しむゴルフということで、とにかく攻撃のゴルフを教えたのか。
あるいは器用にボールを操る技術なので、それを変に矯正したくなかったのかもしれない。
小鳥の爆発力を見ていると、確かにそれは分かってしまう。
他の選手であれば狙えるはずもないところを、小鳥ならば打ってしまうのだ。
イーグルやアルバトロスを取るのに名前が小鳥とは、と村雨は思ったものだ。
しかし小鳥の方が小回りが利いて、枝葉の隙間から飛び出すことが出来る。
村雨は先週の試合で、小鳥のおおよそを知ったつもりだ。
彼女に足りていないのは、選択の思考だと理解している。
技術は既に足りているというか、多すぎるぐらいである。
少しこぼれている部分を減らして、飛距離から選択肢を考えていく。
あの日、村雨も百合花と共に、前の組で圧倒的にスコアを伸ばす、小鳥を見ていたはずなのだ。
しかし百合花はあそこで気づき、村雨は実際にキャディについてみるまで分からなかった。
そのあたりの直感的なところは、百合花の天性だと思う。
この試合で村雨は、小鳥に選択の判断力を教える。
初日にボギーを叩かなかったことで、一つには教えたと思っている。
そしてこの二日目は、ディフェンスを徹底的に教える。
その中でどのホールで、バーディを取っていったらいいのか、それを身に付けることが出来たら、自然と優勝は小鳥のものになっているであろう。
6番ホールの短いパー4で、今日初めて潜った。
先にスタートしている組も、それほど伸ばしている選手はあまりいない。
「ルイちゃんが今日3アンダーかあ」
飛距離は平均より少し上程度だが、他のクラブの精密さが、どれも高いレベルであるのだルイである。
安定感が抜群であるからこそ、優勝はしていなくても高いランキングを維持しているのだ。
「玲奈さんがイーブンで回ってるのって、何か変な感じ」
「そこが判断力の違いだな」
村雨としては玲奈の強さを、技術よりも思考だと考えている。
玲奈はジュニア時代から多くのタイトルに勝利し、ナショナルチームのメンバーにも選ばれている。
そこでしっかりとコースマネジメントを学んだいるのだ。
今日のコンディションであっても、その気になればバーディは取れたのかもしれない。
ただ玲奈にも全く弱点がないというわけではない。
小鳥や百合花のような、ハザードから出すのを楽しむ、というような練習はあまりしていないのだ。
パット・イズ・マネーという言葉がある。
パットが悪いプロは、稼げないという意味だ。
かつてはこれと対比して、ドライバー・イズ・ショーなどとも言われていた。
今ではこれが違うのだと、ちゃんと統計で分析されているのだが。
それでもゴルファーが1ラウンドで打つショットは、43%がパットである。
まずパットが上手くなければ、スコアを伸ばすことが出来ないのだ。
玲奈は今日、ショートアイアンを持てる距離でも、グリーンセンターを狙うことが多い。
プロならばショートアイアンを持てば、ピンデッドを攻めるのが普通であるのだが。
「今日は風があるのに、ピンポジが難しいからな」
深いラフやバンカーに入れてしまえば、玲奈でもボギーを叩く可能性が高い。
風の影響を受けないようなアプローチ以外では、ピンそばを狙わないのだ。
そしてパットは確実に、2パットまでで抑える。
ノーボギーのゴルフをしながらも、わずかなチャンスをしっかりとものにする。
小鳥は今日は、ボギーを二つ叩いていた。
しかし難しいと言いながらも、バーディを三つ取っている。
1打潜って6アンダーでフィニッシュ。
「伸ばせなかった~」
「いや、順位を見てみろ」
首位は7アンダーで玲奈の他に二人がいる。
小鳥の6アンダーは1打差の4位タイである。
今日はかなりの選手が、イーブンパー以上で回っている。
その中の二日目だけなら、ルイの4アンダーがトップであったが。
つまり6アンダーの4位タイで、明日は小鳥と回ることになる。
「トップから2打差までに、9人もいるぞ」
「ルイちゃんと一緒なら、気楽に回れるかなあ」
ルイは総合的に強い選手で、コースマネジメントもしっかりしている。
ただ最終日や気になる相手と同じ組になれば、駆け引きも使ってくる。
四日間競技であるので、まだ三日目ならそういうこともしてこないと思うのだが。
この風の中で、4打も伸ばしたのは彼女だけである。
意外と思わないのは、トップ10の常連にはなっているからだ。
メジャーで初勝利というのも、別に珍しいことではない。
(そのためには最終日に爆発力のあるこいつを、潰しにくるかもな)
プロの世界を深く知る村雨は、キャディとしての役割を果たすべく、気を引き締めているのであった。
×××
解説
1 HCP
ハンデキャップ。通常のコースには難易度順に、これが設定されている。当然ながら数字は1から18までしかない。
ただプロの試合の場合と、コースの普段のハンデキャップは、あくまで結果から算定されるので違うこともある。
2 ロフト
フェースの角度のこと。角度があるほど打球は高さが出る。
パターのロフトが一番少ないが、ドラコン用のドライバーだと普通のドライバーよりロフトが少なかったりする。
ラフからボールを出すなら、草の抵抗の弱いロフトの大きいクラブがいい。
3 スコットランド
ゴルフの発祥の地でイギリスの地方の一部。
イギリスはイギリスだろ?と日本人は思うし確かにその通りなのだが、北海道と沖縄が同じ日本であるように、かなり住民の気質なども違う。
ローマの最盛期にもスコットランドはローマ化していなかったりした。
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