第33話 素質と環境
小鳥が技術的に義男を上回ったのは、中学生に入ってからである。
毎日必ずやっていたのは、パットとアプローチとリカバリー。
ドライバーも打たないわけはなかったが、この大きく曲がるクラブについては、最初に学んでからは、自分で工夫したと言える。
膝が流れると球もずれるとか、爪先を浮かせてはいけないとか、一番基本的なところは指摘してくる。
だが本人の工夫自体をダメだとは、義男は言わなかった。
プロを目指しているというのなら、もっとシビアな技術を教えただろう。
だが小鳥はゴルフをすることを、喜びと考える人間であった。
あまりスコアにはこだわらず、目の前の難しいショットをどう打つか。
それを考えて打っていけば、自然とスコアにつながっていく。
このスコアを残す喜びを、小鳥は軽視していた。
しかしスコアにこだわっていては、逆にスコアを崩す。
天然で小鳥は、ゴルフの奥義の一つを行っていたというわけだ。
小鳥と義男、そして若葉が回るのに、澄花がキャディをする。
小さかった娘がもう、父よりも上達しているのを、澄花は不思議に感じる。
そして若葉に対しては、ホールごとにアドバイスしていくのである。
「チーピン(※1)……」
左に大きく曲げてしまった球は、OBではないが林の中に入った。
白杭の少し前、というあたりに若葉の球がある。
「グリーンは狙える……」
「若葉さん、プロを本気で目指すなら、ここは横に出した方がいいと思いますよ」
クラブを何本か持って、ついてきている澄花である。
数ホール回った感覚だが、澄花は若葉がプロのレベルに達していると思えた。
ドライバーショットも平均をずっと上回り、アイアンの精度やアプローチにパッティングなど、アンダーパーで回ってきている。
ここが初めてのピンチと言えた。
「ここまでノーボギーなのに……」
「うちの子もそうやって、よく試合で叩きすぎてたのよね」
ツアー勝利者のキャディを務めた人間の言葉は重い。
「グリーンを狙えるといっても、乗せられるものではないでしょ? それよりはウェッジで横に戻したら、花道を使っていけると思わない?」
「それで……勝てるんでしょうか」
若葉には迷いがある。
あと1打足りなかった。
それを二度も経験してしまっている彼女は、攻めていく重要性を知ったつもりだ。
「私も若葉さんのスコアを見せてもらったけど、ボギー2回はともかくダボ1回が悪かったと思うのよ」
ツアーとプロテストでは、考え方を変えないと勝てない。
「プロと違ってプロテストは、いかに間違わないかが重要なの。あの子は受けてないけど、亡くなった夫はプロテストを受けたから、その気持ちも分かるつもり」
プロテストは間違いをしないこと。
そして合格までの1打を、打てることが重要になる。
多くの研修生が、プロテストに敗れて去っていくのを、澄花は見てきた。
若葉も言われていることは分かる。
だが一緒に回っている小鳥は、ハーフで7打も潜っているのだ。
対する自分は1アンダーで、どうにかパーを拾ってきた。
「プロテスト、若葉さんは来年は2次から受けられるのよね? そこから4ラウンドを2回も回っていくと、必ずミスがなくても不運はあるの。その時にどうメンタルのダメージを受け止められるか、それが大切よ」
「受け止める?」
「そう、不運やミスを引きずるか、それを単なる1打増えたとだけ考えるか」
澄花の言っていることが、若葉にはよく分からない。
澄花も色々と調べて、アドバイス出来るようにしているのだ。
「スコアが崩れるのは、1打のミスが問題ではないの。そのミスを取り返そうと、無茶な攻め方をして、崩れていくの」
それなら若葉も分かる。
「ここは横に出すとしても、少しは前に打てるでしょ? そこからなら最低でも、ボギーにはなると思わない?」
ハーフでイーブンパーというのは、初めてのコースなら悪いスコアではない。
そこでどう考えられるのか、それが問題なのである。
リカバリーしたいという気持ちはある。
それがミスする可能性が高いというのも分かる。
プロテストの最終日など、攻めていくしかないと思っていた。
「攻めるために、守る場面があるの」
何度も聞いたことはあるが、ここまで響いたことはない。
プロテストは1次と2次は各地で行われるが、最後の3次は一ヶ所で行われる。
そこで20位タイまでに入れば、プロゴルファーの誕生である。
正直なところ技術的なことよりも、精神的な部分が大きい、と言われるのがこのプロテスト。
四日間を3次に分けて行われるので、以前の小鳥のように波があったら。受からなかったであろう。
小鳥は間違いなく、実戦の中で成長していた。
それこそが彼女に、足りていないものであったのだ。
ほしがりすぎては、むしろ手に入らない。
だが執念がなくては、それも届かない。
だが小鳥の知っているルイや恵里などは、あっさりと一発で通っていた。
彼女たちはナショナルチーム(※2)で、海外のプレッシャーを体験し、緊張に慣れていたからだ。
実際に今年の終盤までは、彼女たちの方が小鳥より、ポイントや賞金のランキングでも上だったのだ。
ゴルフでもそのステージは、ぽんぽんと簡単に上がっていく者がいる。
おおよそそういった選手は、プレッシャーの中でプレイするのが、当たり前になっている選手だ。
それでもルイや恵里は、まだ勝利したことがない。
同年代トップの二人であるが、小鳥以外はまだ初勝利に届いていないのだ。
そのずっと下にいる、百合花が優勝しているのが、ちょっとおかしいのである。
「イーブン……」
ダボを叩くかと思われた若葉は、どうにかボギーで我慢した。
だがカップに球を入れた時には、肩が上下していた。
(メンタルのスタミナを、一気に使ったか)
義男はそう見抜いているが、自分からはラウンド中にアドバイスはしない。
順調にラウンドは進んでいって、若葉はまたバーディチャンスを迎える。
短いパー4を2打でグリーンに乗せ、ピンまでは3mの距離。
わずかにフックするラインは、彼女にとっても得意なラインであった。
(入れる!)
下っ腹に力を入れて、ショートだけはしないように打つ。
強さでラインをほぼ消したが、それでもちゃんと読んだラインには乗っていた。
バーディを取って、これでまたアンダーパーで回ることとなる。
もっとも一緒に回っている小鳥も義男も、ずっとその背中は遠いのだ。
最終的には若葉は、2アンダーで上がることが出来た。
「お前さん、どうしてこれで合格出来なかったのかね」
酷な言い方かもしれないが、義男はそう尋ねてしまう。
「1番ホールでボギーを叩いてしまって、そこから立て直すのに手間取ってしまって……」
「つまり技術的に、足りていないというわけではないんだな」
言われてみればそうなのである。
1打差で落ちたなどというのは、はっきり言って運である。
プロテストはぎりぎりの合格ながらも、その後は順調に勝っていったプロも珍しくはない。
ただツアーの試合と比べても、プロテストは基準が違う。
年に一度のプロテストに落ちれば、その後はずっと練習しかないのか。
「経験を積むことだな」
もっとも義男からすると、単純に練習だけでは足りないのだ。
どういった経験を積むのか、も重要である。
「アマチュアでも出場出来る試合は、関東ならそれなりにある。まあ一日限りの試合なんで、本命にするなら関東アマからの日本女子アマを狙うことか」
「経験は積めるかもしれませんけど、アマの大会ですか」
「日本女子アマなら、優勝すれば日本女子オープンに出られますよ」
ここで小鳥が口を挟む。
「そして日本女子オープンに勝ったら、そのままプロ宣言すればいいし」
「いや、あのね……」
小鳥の言っていることは間違いではないのだが、可能性としては低いものだ。
「プロになって日本女子オープンもいずれ勝つつもりなら、アマチュアから出場して優勝してもいいだろう」
義男もまたそれを肯定した。
小鳥に百合花、そして玲奈もそうなので勘違いしている人間が多いが、アマチュアがプロで勝つのはまずないことなのだ。
15位ぐらいに入ればローアマチュアとして、たいしたものだと言われるぐらいだ。
「でも今年、百合花ちゃんが出てたら優勝してたかもね」
日本女子アマを制していたので、出場資格はあった。
だが急病で出場辞退したため、そもそも出場出来ていない。
小鳥は出場したが、予選落ちしている。
過去には実際に、アマチュアのチャンピオンも誕生しているのは確かだ。
若葉は今のままの考え方では、たとえプロになったとしても、三年で現役は終わるだろうと義男は考える。
プロテストに合格した選手は、まずよほどの例外なく、スポンサーと契約することになる。
特にゴルフメーカーは将来性を見て、全員に声がかかるものなのだ。
それから三年間、結果が残せなければ契約解除。
クラブなどのギアも、自費でどうにかしなければいけなくなる。
そうなればそうなったで、レッスンをすればいいと義男などは考える。
小鳥の場合は理屈で説明するのは苦手だが、難しいポイントでどうやったらミスらないか、そういうことは教えられる。
ツアーで1勝することすら難しいのに、小鳥はもうメジャーを含めて3勝。
立派なトッププレイヤーで、ツアーシード選手なのである。
本人もあまり認識していないのが、ちょっと天然が入っている。
毎年20人以上は生まれるプロゴルファー。
つまりその分、境界線上のプロは、消えていくことになるのだろうか。
レッスンプロの席でさえ、ゴルフ市場が小さくなれば、その需要は減っていく。
ただ女子プロはアイドル的な人気もあって、ファンサービスに余念がない。
若いうちにしっかり稼いで、それから結婚すればいい。
そう考えている人間も多いだろうし、実は義男も澄花も似たような考えの持ち主である。
ただ小鳥を、天才とか才能とかで考えたことはないが、素質はあると思っている。
普通の女子プロに比べて、圧倒的な飛距離を誇るからだ。
現在のゴルフは、かつての小技使いよりも、フィジカルによるチャンスメイクが重要になっている。
アマチュアならともかく、プロはもうそういう世界なのだ。
しかし小鳥はドライバーだけの人間ではなく、ウェッジワークも得意なのだ。
それでも気質的に、プロに向いていると思ったことは、母も祖父も一度もない。
SSホールディングの代表や、世界中のアマ選手権を勝ちまくっている百合花が、その目で見て決めたのが小鳥だ。
今日もラウンドして、13アンダーまで伸ばした。
パー72※3)のコースを、59打で上がったということである。
ちなみに日本のプロの試合では、パーー72を1ラウンドで12アンダーというのが記録である。
小鳥は11アンダーを二度、また10アンダーも何度も達成しているので、そのあたりで記録を更新するかもしれない。
現在ゴルフ場には、練習生が二名、研修生が三名いる。
そのうち男性は一人で、残りは女性である。
若葉は四人目の研修生となる。
男が少ないのはそれこそ、高校生であった小鳥に、飛距離で負けて挫折していく者が多かったからだ。
それで折れるようならば、どうせプロでは通用しない。
義男でさえも自分が、プロで通用するかが不安で、その道を選ばなかったのだ。
無邪気にプロゴルファーを志望する人間の心を折る。
ゴルフというスポーツの特性を考えれば、それで折れるようなら向いていない、と考えるのが義男だ。
楽しむことが出来るし、スコアを競うことも出来る。
だが賞金を稼ぐということには、躊躇してしまうところがあった。
生活のためのゴルフ。
そういうものは、向いていない人間がいるのだ。
研修生に比べても、小鳥は圧倒的なパフォーマンスを見せる。
やっているのはプロのゴルフだが、意識の持ち方はまだアマチュアというか、素人に近いものである。
プレッシャーに強いのは、子供の頃からゴルフ場でラウンドしてきたため、どれだけ観客がいたとしても、自分のペースで打つことが出来る。
そしてスコアではなく、次の1打に集中していくのだ。
プロは勝つゴルフをしていかなければいけない。
だが女子プロは華があれば、スポンサーが付くものなのだ。
結果を残したらさらに、スポンサーが付いていく。
賞金よりもスポンサーとの契約金の方が、ずっと高くなっていく。
トッププロだからという理由だけではなく、華があるかどうか、それが重要だ。
ルイや恵里などは方向性は違うが、どちらもルックス売りを意識している。
プロは見られるものなのだから。
「平日はホールが空くことがあるから、その時に練習していいからね」
研修生と練習生に、小鳥と義男が付いてレッスンさせる。
ただ小鳥の場合は、一緒に回ろうと言ってくるお客さんが多いため、ハーフしか回れなかったりする。
プロと一緒に回るというのは、レッスンも兼ねている。
そのためレッスン料も払わなければいけないのだ。
もっとも小鳥の子供の頃は、無料で一緒に回らせてもらっていたりする。
そういうお客さんが相手だと、お返しに普通に回るだけとなる。
少しはお小遣いももらったりするが、その程度なのだ。
小鳥ちゃんはワシらが育てた。
そう思っている会員は少なくはない。
「プロっぽくない人……」
若葉はそう見るが、だからこそ小鳥は勝てるようになったのだろう。
×××
解説
1 チーピン
ゴルフのショットで、フックがかかりすぎた球のことを言う。
由来は麻雀の牌であり、ボールが左斜めに飛んでいくような図柄である。
2 ナショナルチーム
プロテストの要綱を見ると分かるが、プロの試合でローアマになったり、ナショナルチームに選ばれた選手は、2次からや3次からプロテストを受けることが出来る。
若葉も最終プロテストまで進んでいるので、来年は2次から受けられる。
なおプロテストにかかる費用は結構なもので、最終テストまで進めば20万円は必要になる。
3 パー72
日本のコースはほとんどがパー72であるが、71というコースも普通にある。
またアメリカなどは1ホールがパー6だったりパー7だったりするコースもあったりする。もちろん一般的なものではない。
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