第26話 残り半分、まだ半分

 どのホールを攻めていくか、その判断力は重要なものである。

 それなのにリーダーボードを見ることもなく、小鳥はコースの攻略に集中している。

 コースマネジメントに必要な思考まで、コースを攻略することに向けてしまっている。

 だがラウンドの前にピンポジなどから、狙うべきコースと狙わないコースは話し合っている。

(前半で六つ潜ったか……)

 村雨はスコアについて小鳥に話しかけないが、それでもリーダーボードは見る。

(琴吹がどれぐらい伸ばしてくるか)

 玲奈はおおよそ、集中すれば1ラウンドで8アンダーぐらいまでは伸ばしてくる。

 ただ小鳥ほど、セーフティを軽視出来ない性格ではある。


 ゴルフというのは精神力のスポーツだ。

 ボギーを叩く高いリスクを承知で、バーディを狙ってはいけない。

 段差のすぐ近くにピンが切ってあると、上からではどうしてもショートするのだ。

 そこでジャストタッチを出せるなら、1パットで狙える。

 しかし芝目(※1)や傾斜を見ていれば、ラインを読むのは難しいのである。


 小鳥は元は、パットも上手かった。

 そもそも子供がゴルフをするなら、幼児期はパットぐらいしかしない。

 小学生になって初めて、ウェッジやショートアイアンを使うといったところか。

 小鳥は距離ではなく、バンカーやラフからの脱出を、遊びとして覚えた。

 短いクラブから長いクラブへ。

 実はそれが正しいのだ、と教えている有名なティーチングプロもいる。


 このあたりゴルフには正解はない。

 コースを設計するにおいては、もちろん設計者の意図が明白に反映される。

 しかしピンの位置だけで、一気にホールの難易度は変わる。

 バックナインに入って、最初のホールは341ヤードのパー4と、かなり短いコースになっている。

 だが距離の割には、あまりバーディが量産されていない。


 日頃はそれほど難しくもないのだろうが、まずガードバンカーがしっかりと三つグリーンの手前に広がっている。

 このためランを出して無理やり1オンは狙えない。

 打ち下ろし(※2)なので他の条件も整えば、小鳥なら出来るかもしれないが。

 そして2打目はウェッジを持てるが、ピンデッドに攻めるのが難しい。

 丁度段の傾斜に、ピンが切ってあるので、3打目のパットで確実に寄せて、4打目を30cmぐらいの距離としなければいけない。


 小鳥は2打目のウェッジで、ピンそば20cmに寄せた。

 AWを使った寄せっこは、小鳥の得意とするところである。

 これを1パットで決めてバーディと、それなりに難しいホールでもバーディを取ってしまう。

 飛距離の有利さだ。

 100ヤードの残りから寄せるのと、50ヤードの残りから寄せるのでは、難易度は全く違う。

 ウェッジを持ったからには、ピンデッドを攻める。

 これで小鳥は14アンダーと、首位に立つ。

 もっとも後ろの玲奈が、それ以上に伸ばしてくる可能性もあるが。




 攻めるホールと守るホールが、はっきりと分かる。

 事前の村雨との検討通りだが、判断の難しいところもあった。

 だが11番ホールでもバーディを取り、さらにスコアを伸ばしていく。

 2打差をつけられた恵里も、まだ崩れたりはしない。

(ゴルフはディフェンスのはずなんだけど)

 バーディ連発のゴルフは、見るからに華があるのだ。


 後ろの玲奈が果たして、どれだけのリスクを取って伸ばすか。

 このあたりはメンタルの持ち方で、スタミナの消費が変わってくる。

 少し前が詰まっていたら、小鳥はおにぎりなどを食べて、体力を回復させていく。

 食べたものをすぐにエネルギーにしてしまうのも、ゴルファーの才能の一つである。


「ここはディフェンスだな」

 勢いを止めるようなものだが、それでも村雨はそう言う。

 風はあまり強くないが、それでもティーとグリーンで風向きが違う。

 グリーンセンターに落として、2パットで上がればいい。

 140ヤードしかないので、本当ならピンのそばに止めたいところだ。

 だがこの140ヤードという距離が、微妙にいやらしいのである。


 ほとんどの女子プロは、ショートアイアンを持つ。

 一応はそれでも、ピンに絡むようには打てるはずなのだ。

 今日はここまで、ほとんどの選手がパーで上がっている。

 伸ばしにくいが落とすことも少ない。

 そういったホールで確実にパーを確保しつつ、バーディの可能性も残していかなければいけない。


 ポテトチップグリーンのセンターに打つ。

 そこから2パットで上がって、パーをキープする。

 手前にショートするジャストタッチでも充分と考える。

 もっと強く打たなければいけなかった、とは考えないのだ。


 13番ホールも今日は、比較的スコアが動くホールになっている。

 そこそこの距離のパー5で、飛距離を出せる選手が狙いやすい。

 ただ飛距離の出せない選手が無理に飛ばしたり、飛距離の出る選手が欲張ると、ボギーを叩いてしまう。

 小鳥ならば2オンも可能な距離だ。

 しかし2オンしても、ワンパット圏内でないと難しい。

 それにガードバンカーがかなり大きく、それに捕まると打ちにくいのは確かだ。


 だが小鳥は2打目でレイアップし、3打目でバンカー越しのアプローチをしっかりと止める。

 4打で上がってまたもスコアを伸ばす。

 だがここも恵里はついていく。

 アプローチの精密さでは、ルイなどにかなわない。

 だが短い距離であれば、それなりにアプローチが出来るのだ。




 この時点でもう、小鳥の前の組は全員、小鳥に抜かされてしまっている。

 もちろん小鳥がここから崩れる可能性もあるが。

 玲奈はまだ残りホールが多いが、それでどれだけ小鳥に迫れるか。

 12番のパー3は、ほとんどの選手がパーで上がっている。

 そこでバーディを取ってくるのが、玲奈であったりするのだ。


 飛距離に加えて、右にも左にも曲げられるということ。

 そして曲げすぎたところから、しっかりとリカバリー出来ること。

 そのあたりが小鳥の強いところだ。

 玲奈はもっとディフェンス重視で、そもそも曲げないようにする。

 もちろん曲げる球を打てないわけではなく、リスクが少なければ曲げてくる。

 ただ今日は小鳥に、アンラッキーがない。


 ゴルフは技術だけでは勝てない。

 運がなければ絶対に勝てないが、その運を掴み取る方法もある。

 玲奈はそれを忍耐だと考えている。

 前の組で小鳥が爆発し、どんどんとスコアを伸ばしていく。

 そのまま伸ばして勝利、ということもあったのがあの試合だ。

 しかしあれはアルバトロスなどがなければ、玲奈が勝っていたのだ。


 最終日に全て二桁アンダーをたたき出す怪物。

 だからこれに勝つには、最終日までに勝負をつけてしまえばいい。

 ただもう敵ではないと思っていた四菱レディスなども、小鳥は一気に逆転してきた。

 最終的には百合花が勝ったし、百合花のイーグルがなければ玲奈も、1パットで沈めたかもしれないとは思う。


 今ではもう玲奈の方が、追いかけるスコアになっている。

 そういう時は追われる方が、プレッシャーがかかったりするものだ。

 ただ小鳥は追われているとは思わず、目の前のコースを攻略しようという、単純な意識を持っている。

 そういった意識一つにも、ゴルフの強さがあるのだ。


「先週に比べるとトップとの差が少なかったから、一気に逆転出来てるな」

「でも、もっと伸ばさないと玲奈さんは勝負してくるだろうし」

 来年はアメリカツアーに参戦と言っている玲奈は、最後の試合を飾りたいだろう。

「そうは思っても勝てないのがゴルフだ」

 村雨は多くのプロのキャディもしたことがある。

 だからどれだけの強豪であっても、負ける時は負けると思っている。


 ディボット跡に小鳥のボールが入っていたりする。

 ただここで小鳥は、ライを確認してから、普通に打っていくのだ。

 このアンラッキーにおいて、どうメンタルを揺さぶられるか。

 それは小鳥であると、もう慣れている。

 所属コースで夜に練習を行えば、客がプレイした後の状態だけに、ディボット跡などは色々とある。

 それに目土を入れながら、小鳥は練習をしたものだ。




 目の前のボールに集中する。

 そして感覚的に、冷静な判断からもたらされるショットをする。

 13番が終わったところで、玲奈とは2打差。

 一つは確実に迫ってくるな、と村雨は考える。

(女王は最後に攻めて来るか?)

 攻めてくるとして、今日のピンポジから分析するに、18番ではもう遅いだろう。


 17番はかなりバーディが取れる、短いパー4となっている。

 それが18番は一気に、長いパー4になるのだ。

 もちろん玲奈も飛距離があるので、バーディが狙えなくはない。

 しかし最終ホールでは、無心でプレイすることが、難しくて当たり前。

 冷静でありつつも攻撃的な、そういうゴルフが出来るのか。

 やってきたからこそ、女王とまで呼ばれているのだろう。


 ギャラリーの会話などを聞いていると、今日の18番はボギーを叩いている選手が多いらしい。

 パーで上がるのが、かなり難しくなっている。

 16番までに追いつけなければ、玲奈は逆転が出来ないであろう。

 ただそれまでに小鳥は、あと1打は伸ばしておきたい。

 15番と16番は難しい。

「ここで勝負が決まるかな」

 14番のティーイングエリアで、村雨はそう言った。


 他のコースでも玲奈の技術なら、バーディを取る可能性はある。

 しかし確実に取れるかというと、リスクを背負ったショットになる。

 14番は一つの問題だけをどうにかすれば、比較的楽にバーディが取れる。

 その一つの問題というのが、ホールのフェアウェイど真ん中にある木である。

 右にも左にも避けられるが、右から避けていった方がいい。

「じゃあ右から打つね」

 そして渾身のドローボールを打って、ボールは木を越えていった。


(ここでバーディを取ったら、おそらくもう勝てる)

 村雨はそう判断している。

 玲奈は確かに強いが、自制心がしっかりとしている。

 優勝出来ないような試合でも、投げやりになったりはしない。

 年間に6勝もするような選手は、普通に賞金女王になるのだ。

 ただそれだけではなく、優勝できなかった試合をいかに、上位でフィニッシュするかも重要になってくる。


 ゴルフは勝率がものすごく低いスポーツだ。

 なにせ優勝するのは一人で、他は全て敗者なのだから。

 しかしゴルフは、同時に道を求めるものに近しい。

 己に勝つことこそが、ゴルフのスコアを縮めていく。


 玲奈は冒険はしない。

 今のところはそれで、上手くいっているのだ。

 この試合に勝てなくても、次の試合がある。

 だからリスクは自分の技術の範囲で。

 次の試合のために、揺れないメンタルを作る。


 ゴルフはディフェンスのスポーツであり、敗北を許容する忍耐のスポーツだ。

 自分から攻めていくのは、タイミングが重要になる。 

 あとはまず相手が、崩れてからこちらも攻める。

 相手がボギーのこっちがバーディで2打縮めたら、そこが勝負どころだ。

 そういった機会がなければ、それはもう諦めてしまう。

 相手の結果というのは、同じ組ならまだしも駆け引きが出来るが、違う組であればどうしようもない。


 14番ホールでもまだ、小鳥は崩れなかった。

 15番は難しく、17番は簡単。

 そこさえしっかりと認識すれば、落ちてくることはないだろう。

(15番をパーで……)

 玲奈はもう、試合に勝つことは諦めている。

 ここからはもう、自分の全力を尽くすことだけに、集中していくのだ。




 14番ホールが終わり、小鳥は17アンダーの首位。

 もちろん後ろの組が、さらに伸ばしてくる可能性はあるが。

 同じ組の恵里は、飛距離を武器に出来るホールでは、小鳥と攻め方が似通っている。

 だがリスクの取り方が違う。

 リカバリー能力の違いにより、攻められる状況が増えているのだ。

(小鳥ちゃんはこんなに強かったかなあ)

 もちろん弱いはずはなかったが、もっと粗いゴルフをやっていたはずだ。


 恵里も14アンダーと、上位フィニッシュは見えている。

 ノーボギーで7アンダーならば、普通は優勝が見えてくる。

 しかし最終日の爆発チャージは、小鳥に及ばない。

(この時点で10アンダーって、日本記録が見えてこないかな)

 ガンガン攻めていくように見えて、罠のあるホールはしっかりディフェンスする。

 そしてミスをしてもパーで上がってしまう。


 ゴルフはディフェンスが出来なければ、まるで勝てないというのは本当だ。

 普通はバーディで1打ずつ、潜っていくものであるのだから。

 逆にミスをする時は、ダボやトリさえあるのがゴルフだ。

 アマチュアではなくトッププロでも、たまにあるのだ。

 小鳥はかつて、そのリカバリー能力をもってさえも、ダボやトリを叩いていたことがある。

 そこを守るだけで、ここまでスコアが作れるようになったのだ。


 これはほとんど覚醒とも言えるような変化だ。

 しかしゴルフというのは思考のスポーツでもあるのだ。

 どのルートを選択するか、それだけでスコアは激変する。

(一応はどんなホールでも、距離的にバーディは狙えるはずなんだけど)

 グリーンのピンポジを見て、攻めるべきか守るべきかを判断するのだ。


 15番ホールはしっかりと守って残り3ホール。

(単独3位か)

 恵里としてはもうこれで、充分とも言える順位である。

 小鳥とは飛距離が似ていて、変な駆け引きもしてこないので、一緒に回ればこうやってスコアが伸びてくる。

 逆にその飛距離に圧倒され、崩れる選手もいるのだが。


 優勝は首位の小鳥か、2位だがまだホールが残っている玲奈か、そのどちらかに絞られたといってもいい。

(けれど残りのホールを考えれば)

 小鳥の勝利の可能性が高い、と恵里は客観的に見ているのであった。




×××



解説


1 芝目

グリーンには芝目というものがあり、順目と逆目の二つになる。順目はボールが転がりやすく、それだけに傾斜の影響が少ない。

逆目は芝が立っているか逆であるため、特に弱く打つとボールが曲がる。

使われている芝にも種類があり、これを読むのはとても難しい。


2 打ち下ろし

日本は山がちな土地が多いため、ゴルフコースも山岳コースと呼ばれるようなコースが多い。打ち下ろしだと距離が伸びる。

同じホールの間に、平気でビル四階分ぐらいの高低差があったりして、海外の選手はびっくりしたりする。

地味に歩くだけでしんどいのはもちろんである。

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