第27話 栄冠の座
残り3ホールとなった。
16番がパー3で17番が短いパー4、18番が長いパー4となっている。
目の前の16番は、ピンまで171ヤードしかない。
ピンをどこに切るかによって、ホールの難易度は大きく変わるという、代表的な例であろう。
周囲のギャラリーの言葉から、今日はここでバーディが一つも出ていないという情報が分かってくる。
「どうだ、これは狙えるか?」
「う~ん……」
171ヤードなどという距離は、小鳥にとってはコツンと叩く程度のものである。
「ピンポジが難しい」
「それが分かっているならいい」
ここはバーディを狙ってはいけないホールになっている。
ティショットはグリーンセンターを狙い、2打目は寄せるだけの2パット。
1パットで決めようとすると、バンカーに飲み込まれるピンポジだ。
四日間の間、この16番はおおよそ難しかった。
だがこの最終日は、完全にバーディを拒否するようなピンポジになっている。
「高く上げて近くに止められないかな?」
「微妙に風がアゲてるから、バンカーに入る可能性が高いな」
ただバンカーからでも、出すのはそこまで難しくなさそうだが。
6Iを持った小鳥は、グリーンセンターを狙う。
ピンデッドに狙うには、さすがに難しいのだ。
そして四日目の最終組も近くなれば、グリーンの状態はどんどんと悪くなっていく。
特に荒らすつもりでなくとも、ピン周辺は何度も踏まれることになる。
わずかな不陸(※1)で弱い球は、入りにくくなるのだ。
弱く打たなければピンを外した場合、グリーンを外れてしまう。
だが弱く打つとその不陸によって、球筋がラインから外れる。
ほんのわずかの地面の凹凸が、ボールに影響を与える繊細な競技。
ゴルフの中でもパットというのは、その最奥にあるものである。
500mlのペットボトルに、当てるような感覚。
それで打っていって当たれば、おおよそは入るらしい。
16番ホールを、グリーンセンターから2パットで上がる。
残りは17番が比較的簡単になっている。
小鳥は首位にあり、2位は玲奈と恵里が3打差でタイであった。
しかし玲奈はここまでに、もう1打ぐらいは伸ばしてくるだろう。
それでも2打差がある。
17番を確実にバーディを取れば、おそらくもう追いつけない。
だがそこにメンタルの駆け引きがある。
同じ組ではなくても、スコアを見せることによってプレッシャーをかける。
(追いかける方が有利、というのは確かにそうなんだが)
村雨の見る限り、小鳥にはそういったプレッシャーはなさそうだ。
最終組の一つ前、ルイは現在12アンダーで回っていた。
ある程度の覚悟はしていたが、小鳥に加えて恵里も伸ばしてきた。
その中でルイは、一つボギーを叩いている。
最終日に小鳥が爆発した時は、攻めながらもパーまでは確保しなければいけない。
それなのにこれは、致命的なミスである。
(これがなくても、まだ足りなかったけど)
あとは少しでも、いいスコアで回るだけである。
ルイは恵里と並んで小鳥と同じく、最も新しい世代のシード選手である。
シーズンに50人しかいないシード選手であり、この50人こそが日本の女子のトッププロと言われている。
トップ10には恵里と共に何度も入っている。
だがまだ優勝はないのだ。
ゴルフにおいて勝利とは、優勝のみを指す。
この試合などは40人だけだが、他の試合はマンデーから数えれば、140人ほども参加したりする。
それだけの中でたった一人の人間に、勝利が与えられる。
(来年はいけそうやけど)
同じ年の小鳥がここまで、急激に成長するとは。
コースマネジメントが下手だな、とはずっと思っていた。
だが失敗したはずの状況から、しぶとくボギーまでに抑える。
OBがなかったらイーグルだったな、という場面に立ち会ったこともある。
初勝利の時はアルバトロスなどもあり、出来すぎであるのは確かだった。
しかし今回はバーディラッシュで、パーセーブもしっかりと出来ている。
この世代には小鳥と恵里以外にも、ステップアップツアー(※2)で良績を残し、QTでも上位に入っている選手がいる。
大いに期待されている世代のはずなのだが、下にもっととんでもないものがいる。
(あいつがプロに来る前に勝っておかへんと、引き立て役になってまうかもな)
来年の早めに、まずは初勝利を狙う。
まず一勝して、そこからスポンサーの増加を考える。
今もそれなりにスポンサーはついてくれているが、50人のシード選手(※3)の中でも、トップクラスとただのシードでは扱いが違う。
中の人間にとっては、ツアーシードを取るだけでも、とんでもなく大変なことだと分かるのだ。
だが一般人からすると、やはり毎回のように優勝に絡むプロは違う。
現実的な話をすると、宣伝効果である。
(うちはルックスもええけど、それで売っていけるのは短いしな)
早く実力と実績も伴わねば、と比較的真面目に考えているルイであった。
わずかに3打差に広げた玲奈との差が、また2打差に縮む。
同じ組の恵里は、小鳥についてくるのがやっとだ。
(いい感じでもう、このまま勝てるんじゃないか)
残りは小鳥は2ホールだけ。
玲奈は女王らしく、しゃにむに無理を通すような、そんな攻略はしてこない。
その隙のないところが、ルックスもあいまって、人気ではあるのだが。
小鳥は集中して、17番のティに立つ。
今日もかなりの人数が、ここはバーディでスコアを伸ばしている。
距離は317ヤードで、かなり短いパー4だ。
小鳥の飛距離だと下手をすれば、ティショットでグリーンに届くかもしれない。
左ドッグレッグだが、それはドローボールを打っていけるということ。
「少しだけ風があるか」
「だいたい九時からだから、ドローの曲がりに当てていったらいいかな」
おおよそ小鳥の意見は、村雨の考えと合っている。
ドライバーを使える。
そう考えていた小鳥に、村雨は3Wを渡した。
「飛びすぎるかな?」
「やや打ち下ろしだし、その可能性があるからな」
16番もやや、飛距離が出ていた。
最終日の上がり3ホールというのはそういうものなのだ。
小鳥は3Wを使って、50ヤードほどを残す位置に置く。
ルイなどがドライバーを使って、やっと届くほどの位置である。風にやや押されたが、球はフェアウェイの左に残った。
あとはグリーン右のピンに絡めて行くだけである。
「ちょっと微妙?」
「ライを確認して、パー狙いかバーディ狙いか判断すればいいさ」
ここで恵里の打った球は、小鳥の第1打をオーバードライブ。
2打目を先に小鳥が打つことになった。
今日のピンは右に切ってあって、花道は使えない。
もちろんパー狙いであるならば、グリーンセンターを狙ってもいいのだが。
手前のバンカーが気になるが、ピンはやや奥にある。
この程度の距離でウェッジを狙ってピンデッドに攻めないなら、なんの意味があるのか。
(とは言っても、狙いすぎてピンに弾かれても問題かな)
小鳥はしっかりと、そのリスクも考えている。
ピンの手前に落とすのだ。
バウンドして止まるぐらいに置くには、ウェッジで軽くスピンをかけていい。
ライの状態もいいので、あとは風の影響ぐらいか。
(これぐらいの風なら、せいぜい1mかな)
ピン左、1mを狙う。
そのショットはぎりぎりピンに触れない程度、まさにピンデッドに止まったのであった。
17番ホールをバーディで終えて、最終18番ホールに入る。
ここまでで11アンダーと、最終日の爆発は止まらない。
後ろの選手の中で、追いつける選手がいるとすれば、玲奈だけであろう。
「今日はこのホールが、一番ボギーが多いみたいだな」
「あと一つ伸ばしておかなくても大丈夫かな」
「その不安は無駄な不安だな」
村雨としてはさすがに、この状況をしっかりと見ている。
「琴吹は一か八かの勝負はしてこない」
村雨の分析では、玲奈はそういうことはしないのは間違いない。
「そういう美学というか、ゴルフの根底というか、出来ないことはしないんだ」
そのあたり小鳥も百合花も、やってみないと分からないというタイプである。
傍から見ていると、そんな無茶をやるなという気にはなる。
スコアを崩す無理攻めを、玲奈はしないというか出来ない。
そういう意識を持つことが、まず上達につながるからだ。
正確に言えば上達ではなく、スコアを作ることにつながるのだが。
練習で確実に出来るようになって、ようやく試合でも使うかどうかを試す。
この意識の延長で、アメリカに拠点を移して向こうに慣れる、という行動になっていくのだ。
18番もパー4であるが、エッジまでの距離は423ヤード。
同じパー4なのに、17番より100ヤード以上も長い。
17番と同じ左ドッグレッグだが、風はわずかにフォローになっている。
打ち上げのコースもあって、ティからはグリーンが見えない。
見えないところに向かって、打っていかなければいけないのがまず怖い。
最終日の最終ホールである。
見えないものは怖いが、それでも既に五回は回っているのだ。
小鳥は迷いなくドライバーをもって、低くドローを打っていく。
下手に距離を稼いでしまうと、左足上がりのライになってしまう。
もっとも左足下がりに比べれば、難易度は低いのである。
2打目を打つが、グリーンの手前にレイアップする。
奥に切られたピンは、二段グリーンの低いほうにあるのだ。
そこに止めようと思えば、ウェッジで少しスピンをかけたい。
3打目を問題なく、1パット圏内に止めた。
あとはもうそれを入れるだけである。
4打目でパーセーブをしっかりとした。
入れた瞬間に、膝から崩れ落ちる。
「大丈夫か!」
「思ったよりも緊張していたみたい」
そう言いながらも、小鳥はいい笑みを浮かべていた。
クラブハウスリーダーとなって、小鳥は残りのプレイヤーが回ってくるのを待つ。
残りの選手たちは、さすがに小鳥に追いつく者は、玲奈以外にはいない。
16番ホールを終えて、2打差のリードがある。
だが17番はバーディを取れるホールであり、18番も距離的にはバーディを取れなくはない。
しかし両方でバーディを取れないと、小鳥には追いつけない。
小鳥はプレイオフを考える。
水分補給をしながらも、食べ物をしっかりと胃の中に入れる。
玲奈ならば17番をイーグルにしてくることすら考えられる。
パー4であっても、チップインイーグルは充分にありうるのだ。
たださすがに、それならば難関の18番を、バーディで収める方がまだしも簡単だと思えるが。
17番でイーグルを狙い、それに失敗したら18番でバーディを狙う。
玲奈の思考はそのようなものであった。
実際に17番は、ピンに弾かれるようなアプローチショット。
2mのパットを入れて、これで1打差になっている。
そしていよいよ18番ホールにたどり着く。
当然ながら彼女も、バーディを取らなければプレイオフがないことは分かっている。
プレイオフに持ち込めば、勝つのは自分だ。
玲奈はそうも思っている。
確かに小鳥の爆発力は、恐ろしいものがある。
しかし競っている状況を、しかもプレイオフをどれだけ経験したか、それは圧倒的に玲奈の方が多いであろう。
(2打目でグリーンに乗せる)
玲奈はあくまでも、バーディの可能性を残す。
だが目の前の試合に負けても、自分のゴルフは曲げない。
それが次の勝利につながることがわかっているからだ。
ほぼグリーンセンターに乗せた玲奈。
5mほどのパットは、かなり入る可能性が低い。
これまで19組のプレイヤーに、キャディが踏み固めてきたカップの周辺。
ラインが存在せず、相当に強く打たなければ入らない。
「これを大きく外しても、3位との逆転はまずない」
村雨は最後のパットに向かう玲奈を見続ける。
「だが琴吹のパットは30cmほどオーバーして外れるだろう」
なぜそんなことを断言できるのか分からないが、小鳥は黙して玲奈がグリーンに来るのを見つめていた。
5mのパットは入らない距離ではない。
だが最終組になると、カップ周りの芝が激しく踏みしだかれている。
そういったわずかな凹凸を、無視するためには強く打つ必要がある。
もちろん強く打って、カップを過ぎてしまったら、長い返しのパットが残る。
しかし勝つためには、強く打つしかないのだ。
それこそ2mほどもオーバーするほどに。
玲奈はそういうパットは打たない。
オーバーさせるとしても50cmまで。
そのパットが心身の根底にあるため、たとえ逆転のためには強く打たなければいけないと思っていても、3位とに差があっても、強すぎるパットは打てない。
わずかにスライスするライン。
玲奈のパットはカップの右に向けて打たれる。
グリーンの上を、球が走っていく。
入るか、と思われた球の軌道が、わずかに左にずれた。
カップを50cmオーバーするパット。
かくしてバーディは消え、小鳥の優勝が決定した。
×××
解説
1 不陸
地面た凸凹になっていることで、ゴルフ用語というわけではない。
だいたい高級な手をかける余裕があるコースほど、グリーンの小さな不陸はちゃんと均している。
もちろん難度を上げるため、あえてポテトチップグリーンのホールなどはあるが、それとはまったく別の単に手入れが及んでないことを指す場合が多い。
2 ステップアップツアー
JLPGAの下位ツアーで、これに優勝した選手はそこから四試合、レギュラーツアーに参加する資格を得られる。
優勝者たった一人のみであり、しかも四試合だけとなると、そこで勝つことは相当に難しい。
3 シード選手
前年の50位までのポイントランキング上位者がシードとしてレギュラーツアーに出られる。それとは別に小鳥のように優勝した選手も、当該年とその翌年にはシード権を得ることが出来る。
他には通算30勝以上のプロには永久シード権があったりする。またリランキングの精度があったり、QTで上位だとおおよそのシードに近い試合に出られたりする。
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