第24話 最終戦最終日
村雨からしても、ルイの意図は読めなかった。
最終日の最終ホールは、守っては勝てない、とプロで何度も勝っている者は言う。
ならばそれは確かなのだろうと思うが、これはまだ三日目である。
(犬養のショットなら確実にレイアップして、そこからピンそばにアプローチ、1パットでパーでいい)
今日は風がないので伸ばしている選手がいる一方、ピンポジの難しさでスコアを崩している選手もいる。
伸ばしている選手は最高で4アンダーである。
現在のトップは玲奈の9アンダー。
残っているホールの難易度を考えても、伸ばして一つといったところか。
首位は一人だけだが、2位タイはかなり多い。
ルイがここから首位に並ぶことを考えるのは、あまりにリスクが高すぎる。
(ピンポジを考えても、最終日はたぶんあのあたりに……)
15番ホールまでに、おそらく勝者は決まると思うのだ。
ゴルフはディフェンス主体のスポーツだ。
15番ホール以降は、おそらく難しいピンポジをしてくる。
17番はおそらく、多くの選手がバーディを取れる短いパー4なので、15番と18番の長いパー4で勝負が決まる。
16番のパー3も、それほど難しくはないだろう。
当たり前のように取れるホールと、当たり前のようにパーセーブをするホール。
それを理解しているかで、勝負の逆転がありうる。
小鳥とルイは友人であるらしいが、プロの世界で完全な善意の友情などは存在しない。
お互いに高めあっていく存在でもなければ、関係は疎遠になってもおかしくない。
あるいは完全にゴルフから外れたなら、普通の友人になれるかもしれないが。
(ルイちゃんが攻めるなら……)
今日の小鳥はルイのコースマネジメントを参考にしている。
だからこの18番でも攻めていってしまった。
村雨もルイの思考をたどっていて、より重要な小鳥から目を離してしまった。
百合花ならばしないミスなので、小鳥を信用しすぎた。
前の週とこの三日間で、かなり信頼関係を築いたと思ったからだ。
それにこの三日目は、ルイのゴルフを参考にするように、言ったのは村雨なのである。
(しまった)
小鳥は珍しくも、ティーショットを曲げてしまったのである。
小鳥の武器の飛距離だが、飛距離が武器になるのは、ちゃんとフェアウェイにボールを置けるという前提がある。
ラフに入ってしまうと、曲げるのもスピンをかけるのも、距離を調整するのも難しくなる。
ゴルフはとことん、ミリ以下の繊細な競技であるからだ。
草一枚を噛んだだけで、ショットは全く違ったものとなる。
飛距離が出るのも小鳥の長所だが、それがフェアウェイに止まるのはそれ以上の長所である。
300ヤードを打ってもそれがラフなら、2打目以降の選択肢が限られる。
18番で小鳥は、まさにそんなミスをしてしまった。
そしてそれを見たルイは、安全圏のゴルフをする。
「やられたな。攻めると見せて、こちらの焦りを誘った」
「そんな、ルイちゃんはそんなこと……そんなこと……するかも」
けっこうちゃっかりしているルイのことを、小鳥は理解しているのだ。
小鳥はボギーを叩いてしまった。
それでもダボにはしないあたり、リカバリーの上手さが分かる。
ボギーまでなら次にバーディを取ればいい。
しかしダボを打ったらイーグルが必要になる。
バーディとイーグルの奪取率を見てみれば、どれだけ違うか分かるだろう。
飛距離を持っている小鳥でも、なかなかイーグルは取れていない。
結局は小鳥は、今日は1打しか伸ばせなかった。
対してルイは2打伸ばし、最終日は2位タイでのスタートとなる。
9アンダーが玲奈、8アンダーにルイの他四人。
そして7アンダーに小鳥以外に四人と、上位が詰まっている試合になった。
これは小鳥にとって、相当の複雑な駆け引きになるのではないか。
上がった順番から、小鳥は最終組から四つ前の組でスタートとなる。
(おそらく犬養は、小鳥の爆発力でメンタルを揺さぶられるのを避けたんだ)
18番で攻める姿勢を見せたのは、それぐらいしか理由が思いつかない。
(最終日はこちらは、オフェンスだけに集中出来るからいいか)
2打差であれば逆転可能。
女王を相手に普通にそう思える、小鳥の最終日。
村雨は自分がかなり、小鳥に期待しているようになっているのに気づいた。
最後に球を曲げてしまったので、ドライビングレンジで調整を行う。
そんな小鳥に近づいてきたのは恵里であった。
「明日はよろしく」
「恵里ちゃんと回るのは久しぶりだね」
今日一日で、一気に4打も伸ばしてきた恵里である。
スコアが同じである場合は、そのスコアを提出した順番から数えて、組を作ることとなる。
4打も伸ばした恵里が、1打しか伸ばしていない小鳥と同じ組になる。
それは上位のスコアが崩れたことと、下から伸ばしてきたスコアがかなり多いことを示している。
今日の一番潜った選手は、6アンダーで回ってきた。
それが四日間も続くのなら、24アンダーで回れるわけだが。
なおJLPGAツアーの最少スコア記録は、四日間競技なら28アンダーである。
小鳥の1ラウンド11アンダーを三日間維持出来れば、これを更新するペースになる。
もっともそんなことは不可能だと、ゴルフをやる人間なら分かっている。
しかし1ラウンドの記録であれば、日本国内の記録は12アンダーというものがある。
小鳥よりも上がいると驚くべきか、あるいは小鳥がそんな記録に近いスコアをぽんぽん出すことに驚くべきか。
明日も10アンダーで回ったならば、おそらく逆転は出来るだろう。
パー72のコースで62というのは、化け物のスコアである。
だが小鳥は先週の王子製薬レディスまで、三試合連続で最終日を二桁アンダーで回っているのだ。
(でも加藤茶レディスは出来すぎだったしなあ)
アルバトロスにイーグル連発ならば、そんな数字にもなる。
恵里と回るのは小鳥としては楽だ。
一部のゴルファーからは、王子様的な人気を誇る恵里。
小鳥もかなり背が高いが、恵里はさらに高く170cmもある。
そしてプレイにしても、スマートなものだ。
飛距離もかなり飛ぶので、華がある選手と言える。
ルイは姫、恵里は王子、小鳥は農民などと呼ばれたこともあるものだ。
もっとも今はその農民が玉座を取った。
最近は小鳥にも変な異名が付きそうである。
ルイなどは自分でも意識して、アイドルゴルファーなどと称している。
しかし小鳥の場合は、爆弾娘、爆発娘、最終日の核兵器など、とにかく爆発しそうなものの名前となっている。
スコアを見れば確かに、そんなことを言われてもおかしくない。
ゴルフの試合は一人が独走する試合と、最後まで競い合う試合と、二つの場合がある。
この試合はメジャーということもあるが、足きりがないため攻め方が色々とある。
それでも一人が独走するということが、過去にはいくらでもあった。
しかし優勝の賞金が高いため、多くの選手がせめぎ合う試合になるのだ。
今回は間違いなく、誰が優勝するのか分からない勝負だ。
小鳥の7アンダーの下にも、6アンダーや5アンダーが複数人いる。
ただ最終組には、ディフェンス主体のゴルフをしながらも、オフェンス力の高い玲奈がいる。
女王は前の組を見て、自分のスコアを組み立てていくことが出来る。
もっとも小鳥も同じことが言える。
後ろは振り返らずに、なんならリーダーボード(※1)すら見ずに、自分の出来る限りのゴルフをしていけばいいのだ。
「今日の調子を保てれば、そろそろ私にも初勝利が巡ってきそうだね」
恵里はそう言っているが、小鳥としても今季二勝目は狙っている。
最終組に入ることは出来なかったので、そちらのボーナスはない。
だが優勝すれば3000万の賞金に加えて、同額のボーナスも出るのだ。
賞金ランキングはともかく、かなりの収入になる。
女子選手は選手寿命が短い場合が多いので、とにかく稼げる時に稼ぐ。
ゴルフコースには銭が埋まっているのである。
二週連続で四日間競技というのは、体にそれなりの疲れが蓄積している。
今年はこれが最後の試合であるので、全力を尽くして結果を出したい。
12月から2月までは、ツアーの試合はない。
もっともそれはJLPGAのツアーは、という意味であるが。
今の日本の女子ゴルフは、かなり稼げる競技になっている。
トップ50位以内に入る、ツアープロならば、というただし文句は付くが。
多くのプロはプロテストに合格しても、ツアーで一勝も出来ずに消えていく。
そもそもレギュラーツアーにすら招待(※2)でしか出られなかった、というプロもいるのだ。
ナショナルチームからプロテストを受け、最短に近いルートでシードを得た、ルイや恵里でもまだ未勝利なのだ。
小鳥の異常さはそれと比べれば分かる。
ジュニアとしてアマとして、ほぼなかった実績から、プロのツアーで優勝。
段階をすっ飛ばしてきたというのを、才能と見るのか幸運と見るのか、それはプロになってからの実績がものをいう。
予選落ちも多いが、トップ10入りも多い。
波の激しいゴルフは、見ている分には面白い。
ゴルフというのは不思議なもので、ボギーを減らせばスコアが良くなるのがアマチュアのゴルフ。
アマでもトップや、プロになってくると、バーディを取るのが条件となってくる。
同じスポーツであっても、思考が全く違うのだ。
判断力によって、スコアは一気に変わってくる。
村雨が見た限りでは、小鳥は初日と最終日に、スコアを伸ばすタイプ。
モチベーションを保つのと、集中力を保つのが重要なタイプである。
練習の後にはゆったりと風呂に入り、マッサージなども頼む。
贅沢だなと思うが、想像以上に足がむくんでいたりするのだ。
鍛えているといっても、疲労が蓄積するのはあたりまえのこと。
ゴルフの実力はふくらはぎで分かる、とも言われたりする。
ゆっくりと就寝し、そして翌日にはしっかり目覚める。
いつものようにラウンドの、三時間以上前には目を覚ますのだ。
軽く柔軟やストレッチをしてからコースに向かう。
村雨と合流して、まずはショットの調整。
ドライビングレンジでは、前後の組の選手とも出会う。
注目されていると言うか、マークされているのが分かった。
小鳥も自分のことながら、この数試合で随分と逆転劇を演じかけている。
優勝争いもしているし、何より最終日の爆発力がすごい。
全盛期のタイガー・ウッズなども、最終日に優勝争いをしていれば、ものすごいパフォーマンスを発揮していた。
飛距離などもあって、極東の女タイガーとでも呼ばれるかもしれない。
わずかなフォームの修正も、村雨は注意してくれる。
ショットやアプローチは問題ないが、少しパットがフック気味になっていた。
オープンスタンスで、距離だけを合わせてパットをする。
それとは別に、2mのパットは確実に決めるのだ。
(3m以上のパットは、ある程度の運もないと入らない)
だが2m以内なら、強く打って入れてしまうことが出来る。
今は心臓の鼓動も落ち着いている。
小鳥は図太いというか、丁度よく鈍感なところがあるので、最終日を恐れることがない。
(最終組に入らなかったのは良かったかな)
もしも玲奈と競っていたなら、四菱レディスの百合花のように、苦戦していたかもしれない。
玲奈は9アンダーで首位にいるわけだが、彼女のスタート前には既にもう、そこまで伸ばしてきているスタートした組がいる。
誰をマークすればいいのか、今の段階では分からない。
ならば少なくともハーフを回るぐらいは、ひたすら自分のスコアに注意すればいい。
小鳥は他人のスコアを見て、自分がどれだけのスコアを取ればいいのか、そういうことを考えるのが苦手だ。
本来なら最終組に入って、先にプレイしている組のスコアを見ることさえ、苦手であったりする。
それは彼女がゴルフ場のコンペなど、あがってみたら誰が一番だったか、というラウンドに慣れているからだ。
プロは他人のスコアに、いちいち影響されてマネジメントを考えなければいけない。
逆に言うとそれを考えすぎなくてもいい、この展開は小鳥に有利である。
村雨とピンポジを見つつ、今日のスコアを予想する。
「6アンダーは取れると思う」
二日目に風であまり伸びなかったこともあり、例年であれば13アンダーの優勝というのもなくはない。
「おそらくそれでは足りないな」
女王以外にもこの試合に出ている選手は、今年のどこかの試合で勝った選手。
またはポイント上位の、本当に強い選手ばかりなのだ。
玲奈の過去のこの試合の記録を見れば、最高で8アンダーまで伸ばしたラウンドがある。
「最終組のプレッシャーに慣れた彼女は、上手くリスクを取ってそれぐらい伸ばしてもおかしくない」
「う~ん……じゃあリスクを取ってでも、あと三つは伸ばすの?」
ならば逆転勝ち出来るのでは、というのが小鳥の予想だ。
ただ村雨は考え方が違う。
「難しいところを攻めていけば、それだけボギーの可能性も出てくる」
実際に小鳥はそうなのだ。
村雨は小鳥のスコアメイクの仕方に慣れてきた。
「ボギーを二つぐらい叩くとして、それでも9アンダーにするため、バーディを11個取る」
「え、いいの?」
出し入れ(※3)が多い普段の小鳥のゴルフであるが、村雨は前の試合からずっと、パーセーブのリスク回避ゴルフの重要さを教えられていた。
「ずっと我慢のゴルフをしてきたのは、ここで勝負するためだからな」
そう言われた小鳥は満面の笑みになっている。
(純朴そうに見えて、なんというかひたすら攻めていく、ハンデ20ぐらいのゴルファーに似てるんだよな)
だがそれがいいのである。
×××
解説
1 リーダーボード
コースのあちこちにある、現在の順位を10位まで表示しているあれ。
大きな試合でもコースごとになかったりしたが、この作品は近未来なので、基本的にはプロの試合はおおよそどのコースも、リーダーボードがある。
2 招待
多くの試合には招待枠というのがある。地元出身のアマやプロ、海外の選手、スポンサーの契約選手などといったものである。
プロテストに合格した選手はだいたい、条件は順位次第だがスポンサーが最低限の契約をしてくれることが多い。そのスポンサーが提携しているレギュラーツアーの試合に、年に数回は出られたりする。
3 出し入れ
出し入れが多いというのは、バーディが多いがボギーも多いというゴルフである。基本的にプロゴルフはアンダーパーを狙うため、バーディを取る能力が重要である。
小鳥の場合は三日目に3バーディの2ボギーであったため、あんまり伸ばしていないのにボギーを打っている、という感じになってしまう。
もちろん最終的にアンダーパーなので、普通なら悪いことではない。
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