第32話 プロとして

 小鳥の所属するゴルフ場は、まだ完全カートカー式ではなく、人間のキャディが雇われている。

 そしてそのキャディをしながら、コースに所属してプロを目指す人間がいる。

 これらを練習生とか研修生(※1)という。

 正直なところ格安の労働力を提供し、代償としてコースでの練習をさせてもらえる。

 今ではこの研修生制度も、少なくなってきているが。


 プロ入りするような選手は、ジュニアの頃から実績を残し、そのまま学生時代にプロテストに合格してしまう。

 これを俗に学生上がりなどとも言う。

 小鳥の所属するゴルフ場も、研修生や練習生はいる。

 ただこの二年間の間にも、プロを諦めて去っていった者もいる。

 それは小鳥の存在が理由であったりもする。

 だが小鳥の責任ではない。


 中学生になってからは、キャディの手伝いなどもして、対価としてコースで遊んでいた。

 その腕前は男女を問わず、プロ志望の研修生よりも上だった。

 大きな大会にも出ない小鳥に、勝てない人間がプロになれるのか。

 あるいは小鳥がアマチュアとしても、実は強すぎるのではないか、とも考えられていた。

 その小鳥がせっかくだから、と試しに出てみた関東ジュニアアマで優勝。

 これは面白いなとプロの試合に招待されて、ここでも優勝してしまった。

 そしてプロテストを飛び越えて、プロになってしまったわけだ。


 あれぐらい強くないとプロにはなれない。

 そう思ってプロの道を諦めた者がいる。

 一方で小鳥の強さは、やはりプロになれるぐらいなのだ、と思って勇気をもらう人間もいた。

「それで今度新しく、研修生として入ってくるので」

 支配人から小鳥は、そう聞かされた。




 プロになるにはプロテストを受ける必要がある。

 このプロテストを受けられるのは、女子に関しては最終プロテストの行われる段階で満17歳以上の者。

 小鳥などは例外であって、本当に珍しい存在であるのだ。

 今の王道は学生の間にアマの大会で実績を残し、プロの試合にも出場すること。

 それぐらいをやっているとナショナルチームにも選ばれるので、プロテストの一次と二次の試験を免除される。

 三次試験を通過した、20位タイの人間までがプロとなる。

 もっともプロとなっても、それからレギュラーツアーに上がるのも大変なのだ。


 ジュニアの頃からやっていると、高校生の頃にはおよそ、自分の限界が分かってくる。

 日本では大学のゴルフ部の強豪など数校しかないが、そちらに通いながらもプロとして活動する者もいる。

 だが高校を卒業したり、大学を卒業してから、プロを目指す者。

 ハンデキャップさえあれば、普通にテストを受けること自体は出来る。

 しかし今の自分では無理だと思えば、ゴルフ場で練習生や研修生となるのだ。


 ゴルフ場には所属のプロゴルファーがいたりする。

 普段はツアーに出ていたり、あるいはもうツアーは引退して、レッスンして稼いでいるプロだ。

 そのプロに指導してもらって、練習生は研修生を目指す。

 このあたりは色々ややこしいが、プロテストに参加するにも段階があるのだ。

 そして今回研修生を受け入れると言ったのは、他のゴルフ場から引っ越してくるというものであった。


 ゴルフ場自体が閉所されたり、あるいは研修生制度がなくなったり。

 小鳥の所属するゴルフ場も、レッスンをするのはツアープロ並に強かったと言われる小鳥の祖父が教えていた。

 今でも暇を見つけては、教えていたりする。

 だが考え方が古いというのは確かなのだ。


 高校卒業後に練習生として入り、そこから研修生となったが、プロテストには不合格。

 それでも諦めきれないという者が、やってくるというわけだ。

 プロテストの最終試験は、おおよそ11月に行われる。

 小鳥が栄光の中にあったのと同じぐらいの時期に、その最後のラインを越えられなかったという人間なのだ。

「最終プロテストまで進んだ人間なら、技術的にはもうプロとそうは変わらん」

 祖父の義男はそう言って、小鳥も納得するところがある。


 あの玲奈の背中を追い続けた四菱レディス。

 その後から急激に、小鳥は結果を残せるようになった。

 プロにも色々とラインがある。

 小鳥はトップ10に入ることもあるが、予選落ちも当たり前にあるプロであった。

 だが4試合連続でトップ10入りし、2試合に優勝。

 技術的に何かが向上したというわけではない。


 ゴルフは思考のスポーツである。

 また忍耐のスポーツでもある。

 澄花も散々に言っていたが、客観的に見られる村雨と組んだことで、小鳥はより自分を俯瞰的に評価出来るようになった。

 ゴルフのプロテストなどというのは、燻っている人間は10年もそこで停滞していたりする。

 祖父が言うラインの一つは三年である。

 それまでに五年以上ゴルフをしていて、この環境で三年で結果が出なければ、プロは諦めた方がいい、と日頃から言っている。


 祖父はゴルフが好きなのだ。

 だからこそゴルフをするし、ゴルフ場で働いている。

 そしてプロにも勝ったことがあるのに、プロになろうとは考えなかった。

 しかし娘がプロゴルファーと結婚するのを、止めようともしなかった人間である。

「どんな人が来るのかなあ」

「あんたより年上みたいよ」

 それはちょっとやりにくいかな、と感じる小鳥であった。




 一人でやれるスポーツであった。

 素振りをすることと、実際に球を打つこと。

 世間で思われていたよりも、ずっと簡単に出来ること。

 中学生から始めて、高校は名門に通い、そこから大学に行くことはなくプロを目指した。

 高校時代には大学に推薦で行けるほど、顕著な成績を残せなかったのだ。

 それでも名門のゴルフ部で、基礎を磨くことは出来た。


 ひたすらプロを目指して、四度目のプロテストに落ちる。

 その中で一打足りなかったのが、二度もあった。

 ほんのあと一歩、いやあと1打、プロには届かなかったのだ。

「こういう素性ですか」

「1打差で落ちるのは、実力ではなく運でしょう」

 支配人の言葉に、義男は半ば頷いた。

「それと精神力の問題です」

「そう言ってしまうと可哀想ですが……」

 支配人としては精神力と言うよりは、ゴルフに向いている人間性というのが、確かに存在するのだと思う。


 小鳥はとにかく明るい。

 プラス思考であり、前向きであり、楽観的である。

 ただそれゆえに状況を、自分に都合よく考えすぎるところがあった。

 冷静に状況を判断することと、そこから正しい選択をすること。

 この二つの思考だけでも、一気に実力差が変化する。

 ゴルフの強さは技術でもフィジカルでもなく、思考にも存在するものなのだ。


 ゴルフは最終的に、カップにボールを入れるゲーム。

 これは将棋のような、頭脳ゲームに近いと言った人間もいる。

 もっとも風やディボットなど、様々な不確定要素もある。

 そこまで計算に入れて戦わなければいけない、不条理との戦いのスポーツでもある。

 玲奈は女王であり、20代で既に何度も賞金女王になっているが、それでも年間に10試合(※2)を勝つことは出来ない。

 そうするといくらアマの試合でも、八割以上勝っている百合花の異常さが、よく分かるものである。


 小鳥はもうプロである。

 だから練習も頑張ってやらなければいけない。

 それでもゴルフ場の仕事を、手が足らなければやっている。

 趣味ゴルファーのキャディをしてくれるプロなど、少なくともツアープロではいないだろう。

 このあたりは祖父から、ゴルフは全てに学びがある、と教えられているためだ。


 もちろん毎日練習はする。

 楽観的な性格ではあるが、何もせずに結果が出るとも思わない。

 ただ練習の成果を信じられるほどには、楽観的な性格である。

 自分を信じられるから、ショットを打つのに躊躇がない。

 自分に負けないという点では、間違いなく小鳥はプロに向いている。




 プロテストが終わって間もなく、その研修生はやってきた。

「春田若葉です。よろしくお願いします」

 見たところすらりと背は高く、小鳥よりも長身。

 なるほど見ただけで、飛ばしそうだなとは思える。


 千葉の高校を卒業して、四年間地元のコースで働きながらプロを目指していた。

 それがゴルフ場のリストラの一環で、研修生制度が廃止されることとなった。

 実際のところゴルフ場でも、研修生がいることは安い賃金で雇えるので、悪いことばかりでもないのだ。

 しかし研修生にもより仕事への負担を求められそうになった。

 そのためより条件のいい、他のゴルフ場へ紹介されてきたということである。


 小鳥を輩出したということで、ゴルフ場の格が上がる。

 実際のところ、昔は小鳥の父も含め、ツアープロを他に出しているのだ。

 それだけのゴルフ場だけに、栃木でもしっかり残っている。

 女子プロだけでも毎年、20人以上が合格して加わっていく。

 その中でツアーで1勝でも出来るものは、かなり少ないのは間違いない。

 ツアープロは一度も勝てなくでも、トップ10に入るだけで充分な栄誉となる。

 女子ゴルフはスポンサーも多いので、試合数も多いのだ。


 完全に男女で人気が逆転している。

 これは欧米では見られない現象である。

 発端となったのは韓国の女子プロであるが、それに対抗するためにアメリカも日本も、プロのツアー参加規程を変更した。

 韓国などはプロの養成施設は、軍隊のようなものだと言われている。


「小鳥遊小鳥です。よろしくね、若葉さん」

「よろしくお願いします、小鳥遊プロ」

「え、いやいや、年上なんだし名前で呼んでくれても。ほら、お母さんも小鳥遊だから」

「じゃあ……小鳥さん」

「小鳥ちゃんでもいいのに」

 このあたり小鳥は、他人との距離感が近い。


 小鳥は12月と一月は、完全にこのゴルフ場にいる。

 その間に若葉は、どういう影響を受けるのか。

 義男の見たところ、若葉には悲壮感が付きまとっている。

 所属するゴルフ場を変えてまで、プロテストに挑む勇気。

 後のトッププロでさえも、プロテストは特別であったと言う者は多い。


(気が満ちすぎているな)

 何かが不足しているのではなく、過剰な状態に若葉はあると義男は見た。

(小鳥と一緒にラウンドさせれば、上手く力が抜けるかもしれん)

 逆に小鳥に不足しているものを、教えてくれるかもしれない。


 研修生もプロでなければ、日中は仕事をしないといけない。

 だがこの日の若葉は、特別にラウンドをさせてもらえることとなった。

 それでも先に、仕事を覚えてからではあったが。

「技術的なことは、わしが全て教えてやった」

 義男と小鳥の二人が、一緒に回っていく。

「プロテストを受けておらん孫は、あんたの悩みが分からんとは思う」

 そもそもそういう気質ではないのが小鳥だ。

「だから一緒に回って、自分で何かを盗むしかない」

「自分で……」

 そして小鳥にとっては庭のようなコースで、ラウンドが始まる。




 あと1打足りなかった。

 だからこそまだ一年、粘ろうと思えた。

 ナショナルチームなどの華やかな経歴は若葉にはない。

 今の女子プロなどの多くは、それこそ小学生に入る前からでもゴルフを始め、高校ぐらいには頭角を現してくる。

 しかしその始まりが比較的遅かったことで、逆に伸び代があると信じた。


 大学の強豪ゴルフ部などには、高校で実績を残した人間しか、特待生の声はかからない。

 それでも若葉は諦めきれず、部活で世話になっていたゴルフ場に頼んで、四年間を過ごしたのだ。

 今年も1打足らなかった。

 環境を変えようと思ったのは、ゴルフ場の方が研修生削減に動いたこともあるが、ある程度は渡りに船であった。

 高校時代の知り合いたちが、来年のプロテストには出てくる。 

 あるいは学生のうちから、もうプロテストの合格者は出ていたりした。


「よ~し、飛ばすぞ~」

「若葉さん、あんたは小鳥のことは参考にしないようにな」

「ひどいよお爺ちゃん」

 だがあまり参考にしない方が、いいことなのは確かなのである。


 小鳥のティショットは、慣れたホームのコースなら、普通に300ヤードを越えてくる。

 それを見せられてプロ一歩手前の人間が、心を波立たせずにいられるわけがない。

「参考にするならわしの打球にしときなさい」

 平均的なプロよりも、よほど強いと言われた義男。

 ただ飛距離に関しては、昔からそれほどのものでもなかった。


 男子は300ヤード飛んで当たり前。

 多くの大会はどんどんと、距離を延長する傾向にある。

 それだけクラブメーカーなどは、操作性に優れたクラブを販売する。

 だがあまりにも飛びすぎるようになった時には、クラブの反発係数(※3)を制限するようにしたものだ。

 義男のドライバーは、260ヤードほどしか飛ばない。

 もっとも60代でこの距離は、充分すぎるほど凄いのだ。


 女子プロならば260ヤードは、そこそこ飛ばす距離と言える。

 参考にするならば、確かに義男の方がいいのかもしれない。

(私だって)

 このコースの第1打を、若葉は力いっぱいに打ち込む。

 そのボールはフックがかかって、ラフの中に入っていった。

「あそこなら問題なく、フェアウェイに出せる」

 たった1打のティショットで、義男は問題にある程度気づいた。

(さて、果たしてどう教えたらいいのか)

 プロテストに合格した人間は、何人も見てきた義男は、充分に若葉には可能性があるとは思う。

 ただ、問題も明らかになってきたのだった。



×××


解説


1 練習生とか研修生

まず練習生として入って、月1のコンペなどで成績を残すと研修生となったりする。このあたりはゴルフ場によっても時代によっても地域によっても違う。

研修生は別に給料は上がらないが、優先して練習できたりする。

昨年の賞金順位108位とか落ちこぼれ描写の主人公がいたりするが、正直プロテストを通っているだけで凄い。

野球で例えたら、プロ指名されたような感じである。

つまり合格してからがスタートなのだ。


2 勝利数

2024年の日本の賞金女王は8勝している。金額は2億を突破。

だいたい6勝ぐらいで賞金女王になるイメージがあるが、試合によって賞金は違うし、安定してトップに入ることも重要である。


3 反発係数

飛びすぎるクラブを作ってはいけないよ、ということ。ただ材質の反発係数以外のところで、飛距離を伸ばす手段は毎年模索されている。

使いやすく飛ばしやすいクラブを作成していくのは、クラブ屋の永遠の仕事である。

また球の革新により、飛距離が伸びることもある。高いモデルやボールを使えるのは、なんだかんだ言いながら有利である。

球の方の反発係数も飛距離には関係してくる。

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