第31話 LPGAツアー
現在の日本において、ゴルフのトッププロの多くが、ジュニア時代に海外を経験している。
国内だけではレベルが頭打ちになる、と思われての育成である。
もっとも男子プロの場合は、切実な理由がある。
国内ツアーの減少に従って、海外に出て行くしか方法がなくなった、とも言えるからだ。
ゴルフ競技の人気は確かになくなった。
90年代半ば頃は1000万人いたと言われるゴルフ人口は、今ではおよそ半減したとも言われている。
80年代から90年代は、日本の男子プロにスーパースターがいて、それが人気を引っ張ってきた。
だが現実の話、野球などと比べるとゴルフは、まだしもプレイする側にとっては敷居が低いはずなのだ。
なにしろ野球は敵と味方、18人はいないとプレイ出来ない。
ゴルフは最低、二人いれば行える(※1)と定義されている。
またゴルフ場で、他の組に入れてもらうことも出来る。
自分でやるのには、案外敷居が低い。
ただ野球の場合は子供の頃から、圧倒的に見る機会が多いからではなかろうか。
競技人口が減ったと言っても、小学生や中学生、高校生まではかなりの人数がいる部活動だ。
引退してからも、高校野球やプロ野球を見る。
それに比べるとゴルフは、果たしてどうであるのか。
ジュニアが始めるには、敷居が高いだろう。
もっとも素振りをしっかりすれば、ちゃんと技術も身につくのだが。
それでもコーチがいないと、基礎的なところが疎かになる。
小鳥にしても祖父がいなけば、ゴルフ場にやってくるおっちゃんたちに、断片的な知識で学んでいたかもしれない。
結局は娯楽の多極化、ということが言えるのだろう。
そしてゴルフはコストとタイムのパフォーマンスが、優れている娯楽ではなくなった。
それでも上流階級の、大臣や大統領が、普通に楽しめる。
ゴルフ場で政治が決まる、ということもあるのだから。
その中で女子ゴルフは、最も国内スポーツで、女子が稼げるスポーツと言っていいだろう。
テニスでも稼いでいる選手はいるが、それはスポンサー収入が大半である。
世界ランキング100位以内で、おおよそテニスだけで生活出来るというものであるらしい。
ゴルフに比べるとやはり、人数は少ないと言える。
もっとも女子ゴルフも、選手の新陳代謝は激しいのだが。
学生アマや研修生から、プロになれるのは1000人に一人。
さらにその中から、ツアーで1勝出来るのは1万人に一人。
もちろんコンスタントに10位以内にに入っていれば、優勝できなくても充分に稼ぐことは出来る。
シード選手というのは、ほぼ50人だけであるのだから。
あとは複数年シードを取れている選手が数名だ。
「というわけで、海外遠征してみないか、という話があるんだけど」
パーティーもすっかり終わり、いい気分で栃木に帰った小鳥である。
だが同じくいい気分の澄花は、祖父と一緒にぐだぐだの状態である。
「LPGAツアーっていったらアメリカ? 遠いわね」
「いや、アメリカのツアーはアメリカだけで行うわけじゃないから」
実はそうなのである。
ヨーロッパツアーもヨーロッパだけで行うわけではない。
そもそも日本の試合にも、アメリカツアーの一部であるものがある。
去年の小鳥は出場できなかったものである。
「アメリカじゃないんだったらどこ? メキシコとかカナダとか? ヨーロッパはあっちのツアーだったわよね?」
「タイだって」
「……なんでアメリカのツアーなのにタイなの?」
「さあ?」
なんでだろうね。
市場が国内だけで成立するかどうか。
それが重要なところであろう。
アメリカとヨーロッパの場合は、それこそアメリカの市場が大きいことと、ヨーロッパは地域的な共通部分が多いことが挙げられる。
他には実は、韓国も女子ツアーの市場が大きい。
あとは日本の女子プロも、立派に国内だけで成立している。
女子の世界ランキングを見てみれば、どの国の選手が強いか、おおよそ分かる。
世界ランキング規模で見れば、玲奈もそれほどの選手ではない。
上位にいるのはアメリカと韓国。
日本は三番手あたりであるが、実はタイの選手も結構入っている。
ちなみに日本人では、玲奈よりも上のランキングの選手もいる。
活動の舞台をアメリカに置いているため、日本の試合にはあまり出てきていない。
「けれど海外だと、かなりここを留守にするでしょ? ……英語どうするの? タイだからタイ語?」
「そういえば……どうするんだろ?」
「タイには日本人もそこそこ行ってるから、日本語の使えるキャディもいるだろう。通訳はスポンサーさんが手配してくれるだろうし」
黙って聞いていた、祖父の義男がそう言った。
彼の年代にとってタイのゴルフというのは、あまりピンと来るものではない。
それにしても澄花まで一緒に行くのは、ちょっとゴルフ場を空けることになりすぎる。
だがその心配は解決した。
また村雨が、小鳥に付き添ってくれることになったのだ。
問題はパスポートなどを作ることだ。
それも来年まで時間があるので、充分に間に合う。
「村雨さんって英語も出来るんだ」
「ナショナルチームに選ばれると、ほぼ強制で英語は学ばされるぞ」
今さら英語の勉強はしたくない小鳥であった。
タイの公用語はタイ語であるが、英語もかなり通用するところがある。
特にゴルフなどは上流階級か、金持ち外国人のスポーツなので、国際公用語の英語が使える人間は多い。
このあたり英語がなかなか使えない、日本とは大きく違う。
だがそれはタイにおいては、英語がなければ困るという、地政学的な問題などもあったからだ。
実はゴルフにおいて、かなりの強豪国になりつつあるタイ。
そこで格式の高いゴルフ場でも国際大会をするような場合は、英語が普通に使えたりする。
なお日本語もそれなりに通用するのは、日本をリタイアした人間が、タイに住むことが多いからでもある。
他にゴルフが盛んになった理由としては、タイガー・ウッズの影響もある。
彼の母親は、華僑系のタイ人であったからだ。
東南アジアの諸国でも、ゴルフの強さではタイが抜きん出ている。
そのタイにおいて、乾季に行われるのがLPGAの試合の一つだ。
アマチュアの選手権大会なども多く、またプロの大会も色々と行われている。
大きな企業のスポンサーもあり、まさにゴルフで成り上がる環境が整っている。
「あとは君のゴルフを考えた場合、タイの芝を経験しておくのはプラスになるはずだ」
この試合の翌週には、日本のツアーが始まるのだ。
初戦は沖縄にて行われる。
芝の違いもあって、今年の小鳥はあっさりと予選落ちしていた。
「セントオーガスチングラスだから、普通の芝とは違うからな」
「百合花ちゃんも出るの?」
「いや、彼女は受験が終わったら、そのままアメリカに移動する。そこでオーガスタに備えて練習をする予定だ」
「じゃあ村雨さんはその時にキャディを……あ、ひょっとして帯同キャディなし?」
「いや、ありだ。そもそもキャディを使ってはいけない大会がある、日本の方が少数派だしな」
日本のアマチュアでも、普通に帯同キャディが許可されているアマの試合はあるのだ。
なんとプロの試合でも帯同キャディ不可という試合がある。
ちなみに諸説あるが、キャディという存在が公式のものとなったのは、18世紀の中ごろであるらしい。
1775年にはルールの中に、キャディに関する項目が明確化されたのだとか。
同じジュニアでも保護者が、キャディを務めることは多い。
しかしジュニアアマであったりすると、プロ資格を持っている人間がキャディを出来なかったりする。
コースマネジメントにおいて、有利すぎるという判断だろうか。
ともあれゴルフの適応よりも難しい、言語への対応はどうにかなりそうである。
琴吹玲奈は来年、アメリカに拠点を移して活動する。
LPGAツアーに既に出られるぐらい、LPGAのポイントランキング(※2)も、実はあったのである。
通常なら日本のQTにあたるQシリーズに出場しなければいけない。
だが海外メジャーにスポット参戦し、またJLPGAの試合でもポイントは入るため、最初から出場出来るのである。
日本はある程度暖かくなってから、シーズンが始まる。
しかし広大な土地を持つアメリカは、南部のフロリダなど年中暖かい。
一月からシーズンはスタートし、そして3戦目がタイの試合となる。
スポンサーの招待選手として、そちらに出られるわけだ。
もっとも海外の試合というのは、日本以上にいわゆるマンデートーナメントが多い。
その気になればハンデキャップさえあれば、マンデーに出られることは多い。
「するとまだずっと先の話になるのね」
「でも二週間前には現地入りして、コースの特徴とかを掴んでおいていくって」
ツアープロである小鳥は、今年も日本中を駆け回っていた。
それでも予選落ちがそれなりにあって、その場合は栃木に戻って地元のジュニアに教えたりしていた。
レッスンをするのは祖父の方が、ずっと上手いのだが。
技術的なものであれば、もう小鳥は祖父を完全に追い抜いている。
パワーだけでトラブルを回避する、ということが出来るのだ。
飛距離を考えても小鳥は、完全なパワーヒッターである。
それが器用に両方に球を曲げるのだから、技術的には飛びぬけている。
ただ衰えてきている祖父は、それだけに技術を身に付けている。
純粋な技術では、もう充分なのだ。
重要なのは、経験やメンタルに、そして思考。
コース戦略を思考と思うかもしれないが、思考はそこばかりに使うわけではない。
小鳥の場合はプレッシャー知らずであるため、そこが長所にも短所にもなる。
選択の判断力を養うには、どんどんと海外のコースも経験していった方がいい。
その中で思考力も磨かれていくであろう。
百合花は受験を前に、えぐえぐと半泣きになりながら勉強をしていた。
かなり合格には微妙なラインなので、家庭教師などを付けていたのだ。
頭は悪くはないのだが、基本的に勉強が嫌い。
ただ勉強が出来ないのなら、ゴルフも上手くはならない。
単純に興味を抱ける対象が、少ないというだけである。
とにかく公立の試験を終えれば、そこからはアメリカに行く。
アメリカのフロリダは、父がメジャーリーガー時代に、キャンプのための別荘を買っていたところだ。
NPBに復帰するにあたり、処分はしてしまったのだが、ご近所さんとの付き合いはある。
オーガスタのあるジョージア州は、フロリダ州の北部に接している。
ジョージア州も広いが、その中でオーガスタは、かなり気温の高い場所だ。
試合の行われる四月には、最高気温が25度まで上がることも珍しくはない。
それよりも暖かなフロリダで、まずは練習をする。
オーガスタはアメリカのコースの中でも、特別に格式の高いコースである。
会員の紹介がなければ、プレイすることはまず出来ない。
実はこれには裏技があり、マスターズのボランティアスタッフなどは、例外的にプレイを出来たりする。
百合花はここを父のコネを使って、何度か事前に回ってみるつもりだ。
このコースの会員は300名ほどであるが、その会員希望者は多く、10年以上も待たされることがあるという。
女性会員も長らく登場することはなく、2012年に初めて登場した。
オーガスタ・ナショナル女子アマチュアゴルフ選手権が開催されるようになったのは、2019年からである。
歴史が長ければ長いほど、格式が高いはずのゴルフの大会の中で、これだけはコースの格式の高さから、例外扱いされていると言ってもいいだろう。
なにせ女子のメジャーには、オーガスタは存在しないのだから。
全米ジュニアアマやアジア・パシフィックジュニアアマを優勝して、百合花はこの参戦権を得ている。
このオーガスタに優勝すれば、全英や全米への出場権を得ることが出来る。
アマチュア資格のままでそれに挑戦するのが、どれだけ驚異的なことか。
それを分かっていても、勉強するのに百合花は苦手なのである。
英語はほぼ話せるし、スイングに使う数字の計算も、ぱっと頭の中で出来る。
しかし根本的な国語力で、考えが直接過ぎるところがある。
ゴルフ競技は忍耐力が結果を左右するので、こういった関係のなさそうなところでも、全力を発揮する必要があるのだ。
このあたりの考えは、母ではなく伯父のものだ。
実際に伯父は、プロ野球で世界一の選手とも言われたが、同時に弁護士資格なども持っている。
百合花にはそこまでは求められていない。
だが高校には行けと言われていて、出来れば大学にも行けと言われている。
そもそも百合花としても、ゴルフに全てを捧げているわけではない。
一日に6~8時間もゴルフをやっていて、捧げていないとはなんなのかという話なのだが。
「ああ~、アーメン・コーナー(※3)が私を待ってる~」
「あと8問だから頑張って」
こんな田舎にまで、送迎付きで来てもらっている大学生の彼女には、感謝しかない。
だが百合花が求めるのは、とにかくクラブを振ることだ。
そろそろ禁断症状が出てきてもおかしくはない。
危険な精神状態で、あと二ヶ月は過ごすこととなる。
×××
解説
1 ゴルフは二人
ゴルフは基本的に審判のいない競技なので、打数は自己申告になる。つまりやろうと思えば不正が出来る競技なのだ。
それでもさすがにハンデキャップの申請には、同伴競技者が必要であるとルールブックに書いている。一人で回るのは練習である。
2 ランキング
世界の女子プロのランキングは、ロレックスランキングである。海外メジャーのポイントは高いが、実は固定してポイントが決まるのではなく、その試合に参加した選手のレベルによって、もらえるポイントが変動したりする。変動しない試合もある。
3 アーメン・コーナー
オーガスタの有名な11番から13番までのホールのこと。ドッグレッグは激しく、神に祈らなければ無事に通れない場所、などというニュアンスで使われている。
実際に12番や13番では過去、マスターズで13打を叩いてしまったプロなども存在する。
もっとも比較的近年まで、オーガスタはプライベートコースであったので、そこまでラフが難しくなかったりもした。
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