第30話 オフシーズンの彼女
小鳥はそもそも高校を卒業したら、ティーチングプロの資格を取って、ゴルフ場で働くつもりであった。
もっとも今の時代、ゴルフ人口は減っているし、ゴルフ場も減っていっている。
だがまさにゴルフ場で生まれ育った彼女は、こんなにきらきらした場所が、なくなるはずはないと考えていた。
実際にゴルフ場というのは、上流階級の社交場という側面が強い。
始まりは羊飼いによる余暇の遊びであった、というのが一般に言われているが。
後には王により、ゴルフ禁止令(※1)などが出されている。
今でもイスラム圏では、女子のスポーツを禁止したりするところはあるが、家臣が熱中しすぎたために禁止させた、というのはこれぐらいではないか。
「来年も頑張って勝ちたいなあ」
「誰だってそう考えてるでしょ」
母と娘の会話である。
二月の下旬から三月の上旬に、JLPGAのツアーは始まる。
だがそんな彼女が、ギア一式を新調するために訪れた東京では、幾つかのスポンサーとの契約が待っていた。
出場した試合で四試合連続、最終日のスコアリングリーダーとなった小鳥。
これは実力の中でも特に、インパクトが大きかったのだ。
ゴルフはディフェンスが主体のスポーツである。
スコアを守るためには、まず確実にパーを取っていかなければいけない。
もちろんそんなことは、趣味でゴルフをする人には、不可能なことである。
そして世界のトッププロは、おおよそアンダーパーで優勝を決める。
ディフェンスが重要だが、プロの世界に入ると、オフェンスも出来なくては勝てないスポーツであるのだ。
小鳥はパットも相当に上手いが、ドライバーショットはおそらく日本最強。
300ヤードをそれなりに出してくるのは、男子プロの飛距離に近い。
ゴルフというスポーツには様々な魅力があるが、その一つが最もボールを遠くに飛ばすスポーツであるということ。
ドラコン(※2)という飛ばすだけの試合であると、500ヤードを突破してくる。
それがショーとして充分に成り立つのだ。
かつてはパット・イズ・マネー、ドライバー・イズ・ショーなどとも言われていた。
もちろん今でもパットがショットに占める割合は、40%を超えている。
これはトッププロでもアマチュアでも、ほぼ変わらない割合である。
だが統計は同時に、ドライバーで飛ばせることが、スコアを良化させていることも示したのだ。
統計というのは嘘をつかない。
なおゴルフの65%以上が、範囲100ヤード以内のプレイである。
アマチュアゴルファーにとって、男子プロはお手本にならない。
そもそも飛距離が圧倒的に違う。
だからこそ体格では劣る女子プロが、むしろ参考になったりする。
小鳥はかなり大柄ではあるが、それでも同年齢の男子の平均よりは小さい。
その小鳥がどうすれば、300ヤードを飛ばせるのか。
実際はコンスタントに打てるのは280ヤードほどである。
それでもアマチュアの趣味からすると、とんでもない飛距離だ。
なお日本の女子プロで飛ばす選手は、小鳥が一番で玲奈が二番、三番には実は恵里が入っていたりする。
アマチュアの百合花は玲奈よりも飛ばない。
ただそれは平均値であって、飛ばそうと思ったら飛ばせる。
フェアウェイキープ率という数字がある。
これはもう単純に、ティショットがフェアウェイに着弾する確率と思えばいい。
実はプロでもこれは、70~80%ぐらいである。
もっともフェアウェイを外したと言っても、ほとんどは浅いラフまでにとどめるのが、プロのドライバーだ。
小鳥は飛ばすのに、これが優れている。
なのにどうして、なかなかスコアが安定しなかったのか。
ドライバーでアプローチまでするし、ウェッジの使い方が上手い。
だからといってアイアンの類は下手なのかというと、そちらも悪くはないのである。
パットの技術を見ても、悪いどころかトップクラス。
ただ去年の終盤までは、パットの占める割合がやや多かった。
無理に長いクラブで、グリーンに乗せていってしまったからだ。
プロは様々なクラブを使う。
それこそ14本も、クラブをバックに入れている。
だがどんな選手でも、特に得意なクラブというのはあるのだ。
小鳥はそれがドライバーとウェッジ、そして5番アイアンである。
ウェッジが得意なのに、無理にグリーンに乗せてアンジュレーションを読む。
それよりは手前に刻んでから、アプローチでピンデッドに攻めていった方がいい。
これが今までの小鳥に欠けていた視点だ。
空中を飛ぶボールは、風の影響を受ける。
地面を転がるボールは、風の影響はあまり受けないが、地面の状態で転がりが変わる。
だから風のない日などは、小鳥の場合は下手にグリーンからパターを使うより、その手前からウェッジを使った方がいい。
これは小鳥がずっと、グリーンの上ではパターしか使ってこなかったから、身についてしまった常識である。
ローカルルールではグリーン上でのパター以外のクラブ使用が禁止されているコースが多いであろう。
しかしゼネラルルール(※3)では、そんな禁止事項はないのだ。
小鳥はこの期間に、SBC埼玉という施設を訪れていた。
様々なスポーツのメカニックを研究する施設であり、一番最初には野球を専門にやっていたという。
関東では三ヶ所、関西では一ヶ所、この施設は法人として存在する。
元は有料の施設でもなく、研究施設であったのだが。
現在ではテニスやゴルフなど、比較的ボールの小さなスポーツを対象としている。
ここで小鳥は自分のスイングを、改めて計測してもらう。
またゴルフのコーチとしては、村雨は基本、ここに所属しているらしかった。
「ゴルフに勝つための六大要素は、基礎体力・技術・メンタル・経験・駆け引き・コース戦略と言われている。この中でお前に欠けているのが何か分かるか?」
「その前に、パワーは入らないの?」
「パワーは基礎体力の中に入るが、それを具体的に活かすのが技術だ」
「……その中からだったら、経験・駆け引き・コース戦略かな」
「俺から見ると、コース戦略だけになる」
少なくとも駆け引きは、小鳥にはあまり当てはまらない。
プロゴルファーというのは、その一試合だけが人生を変えるわけではない。
もちろんここぞという1ショットは存在する。
小鳥の場合は駆け引きをするにも、ペース配分をしなければ話にならない。
他の誰かを見るよりも、自分のスコアを崩さないようにして、最終日に大爆発という以外には手がない。
駆け引きがあまり通用しないのだ。これは良くも悪くも使えない、ということでもある。
コース戦略については、下手に色々な球が打てるため、リスク管理が出来ていない。
もっともその無謀とさえ言える選択が、功を奏した事もある。
ミラクルショットによるピンチからの脱出は、同じ組のプレイヤーを、動揺させることもあるだろう。
だからといって全面的に、そんな攻撃ゴルフを認めるわけにはいかない。
ただプロスポーツというのは、競技であるが同時に興行だ。
小鳥のようなタイプのプレイヤーは、間違いなく人気が出る。
村雨としても指導しながらも、そのあたりはどう教えるか悩ましいものがある。
欠点にさえ見えるそれらは、同時に魅力でもあり武器にもなる。
何より小鳥は、怖いもの知らずだ。
自分のように弱気から、イップスになってしまったものとは、メンタルが何よりも違うのだろう。
そう考えると下手に手を加えることは、小鳥の長所を損なうことになる。
小鳥に必要なのは、判断力とそのための知識だ。
プロとして一年以上も、小鳥は日本中のコースを回ってきた。
それだけに国内であれば、かなりのコースに適応できるようになってきている。
だが基本的には、山岳コースを得意とする。
栃木の山の中では、風も吹けば雨も降る。
それでもリンクスコースのような、極端な日は多くない。
コースによる攻略の仕方は、芝によっても変わるものだ。
「ゴルフって奥が深いね」
「今さら何を」
ツアー3勝のプロが、今さら言うことであったのか。
ただ祖父からは教えてもらっていない、合理的な思考というのは、確かに小鳥に必要なものであった。
ツアー2勝の小鳥は、12月に入ってから年末近くに、都内のホテルにて祝勝パーティーを行った。
前回の優勝はアマチュアであったため、身内だけでひっそりと行ったのだ。
こういったことをするのは、スポンサーへの顔つなぎ、という面もある。
百合花がまだプロ転向しないということで、小鳥の商品価値は上がっている。
そのためこれまでもスポンサーとして、クラブなどのギア提供をしてくれていたスポンサーは、改めて活動費を含め、契約を結んでくれた。
もしもシード落ちなどをしていれば、こんなことはなかっただろう。
他にもホテルのグループや、交通手段では航空会社なども、スポンサーとして追加されていく。
これらはおおよそ小鳥の、メインスポンサーであるSSホールディングが中心となってまとめてくれた。
複数のスポンサーがいくつも、小鳥の帽子に名前を連ねることになる。
そして契約金がどっかんと入ってきた。
「ゴルフって儲かる~」
「あんたもいよいよトッププロね」
多くのスポンサーは複数年契約で、これで活動のための費用は全面的に、スポンサーを頼ることが出来るようになった。
「ボールの数を心配しなくてもいいのって、本当に嬉しい」
ハザードからの脱出練習などは、ぼろぼろになっていたボールを使って、使えなくなるまで打っていた小鳥なのだ。
ゴルフに限ったことでもないのだろうが、プロスポーツ選手といっても、ただプロであるだけで稼げるわけではない。
まず賞金だけで食っていけるようになるのも、それなりに大変だ。
多くのプロは下部ツアーに参戦しながら、レッスンをしたりして食いつないでいく。
スポンサーがつくのはトッププロか、プロテスト合格後の若手。
その若手も結果を残せなければ、三年か四年で消えていくのもプロである。
個人競技のプロというのは、まず賞金。
そして次にスポンサーである。
小鳥が幸いであったのは、その生まれた環境にもよる。
祖父の手によってゴルフを教えられ、その勤務先のコースにおいては、多くの会員から可愛がられた。
このあたりは本人の性格にもよる。
その頃からずっと、小鳥を応援してくれている人々も、このパーティーには呼ばれていた。
またスポンサーの関係などから、栃木の地元政治家や、他の地区だが同じ政党の政治家が呼ばれていたりして、なんだか盛大なことになった。
小鳥も前回のクラブハウスでの祝勝会とは違い、制服で出席というわけにはいかない。
これまでは前夜祭も地味なドレスだったのだが、今回のパーティー用には一着仕立てた。
「似合わない~」
「着てればそのうち似合うようになるわ」
澄花はそう言ってくれるのだが、鍛えられた太ももやふくらはぎは、アスリートには特有のものなのだ。
もっともゴルフは比較的、筋肉が目立たないスポーツである。
プロというのは実力ももちろん重要なのだが、他には華が必要になる。
小鳥は可愛らしいタイプではあるが、はっきりとした美人ではない。
華があるのはそのプレイである。
順位が低くても、最終日に逆転するかもしれない。
そういった期待を持たせる選手こそ、まさにプロと言えるのである。
ただ勝った2勝は確かに最終日逆転をしているが、トップグループにはいたのだ。
百合花が優勝した試合なども、首位と9打差はあったが4位タイからの逆転。
王子製薬レディスは最終日に10アンダーのスコアを残したが、トップには届いていない。
勝利の方程式を作る必要があるだろう。
常に逆転を期待させる選手は、JLPGA全体を通じても、ほしいキャラクターだ。
日本の女子ゴルフは今、隆盛期にあると言ってもいい。
ただ問題が全くないかというと、それは違うのである。
悪いことではないのだが、今のジュニアは子供の頃から、丁寧にスイングから教えられてゴルフを学ぶ。
またコースマネジメントも慎重なので、玄人好みではあるかもしれないが、敷居が高くなってしまう。
スポーツに限らずどんな分野でも、初心者が入りにくいというものは、発展性がなくなってしまう。
小鳥は祖父にゴルフを習ったのが良かった。
曲げることを恐れないゴルフ、まずはしっかりと叩くゴルフ。
そしてバンカーで遊ぶのが好きだったのは、小鳥の生来の気質である。
難しいものこそ面白い、という感性だ。
どうにかなるものだ、というようにお手本を見せてくれる、祖父がいたのは間違いなくいい環境であった。
そんな小鳥に、久しぶりに会ったSSホールディング代表は、突然の話を持ってくる。
「小鳥遊プロ、来年二月のLPGAツアーに参加しませんか?」
「え、出られるんですか?」
「スポンサーが日本企業なんで、何人か招待選手として出られるんですよ」
これはちょっと意外な展開である。
小鳥は海外の試合には出たことがない。
ただルイや恵里などから、その体験談は聞いている。
「日程的に日本ツアーの前週なんで、それは大変かもしれませんが」
「ちょっと、母と相談してみます」
どうやら小鳥の海外デビューは、とんとん拍子に決まるようである。
×××
解説
1 ゴルフ禁止令
1457年にスコットランド国王ジェームズ2世が発令したと言われている。なおその後、子供のジェームズ3世も同じ禁令を出している。つまり何度も出す必要があったほどらしい。
ジェームス4世も禁止令を出しているが、逆に自分もハマってしまい、ゴルフに興じたという記録が残っている。ミイラ取りがミイラになったわけだ。
2 ドラコン
ドライビングコンテストの日本での略称。そのままドライバーの飛距離を競うものであるが、ドラコン用のロフトの少ないドライバーなどもある。
ドラコン単体で行われることもあるが、他の競技会や選手権に付随して行われることもある。
3 ゼネラルルール
ローカルルールの対義語で、全てのゴルフコースに適応されるルール。通常のプロやアマの選手権大会は、これにのっとって行われる。
ただルールは結構変わるので、そこがややこしかったりする。2019年にもルール変更があって、色々な用語なども変わっている。なので今、昔のマンガなどを見ると、おかしなことになっていたりする。
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