第11話 ムービングサタデー

 ツアー二日目、土曜日の試合。

 土日が休みのサラリーマンなどは、この日あたりから試合を観戦に訪れる。

 三日開催の場合は、二日目の順位でカットされてしまうことがある。

 予選(※1)突破のラインというのが、まずこの一つである。

 この試合の場合は50位タイまでが通過のライン。

 小鳥はとりあえずイーブンパーで回れば、充分に予選は通過出来る成績だ。


 この土曜日のことを、ムービングサタデーなどと言う。

 予選カットラインの選手が、攻めるしかないと考えてスコアを伸ばしてくることがあるからだ。

 ただ上位もスコアを伸ばしてくる場合があり、それは単純に攻めているわけではない。

 練習ラウンドや初日を終えて、体がコースに慣れて来る。

 だからこそスコアを伸ばしてくる。


「今日は飛ばしていくん?」

「今日も温存戦法」

 ルイの探りにあっさりと教えてしまうあたり、小鳥は心理戦を考えていない。

 こういった攻略の感覚は、コースに入ってからだと下手をするとアドバイスなどとも思われるため、事前に話しているわけだ。


 上位の二人は今日、最後から二番目の組で回る。

 他に一人いるのは、少しだけ二人よりは年齢が上のベテラン。

 とは言ってもまだ、30歳には達していないが。

 普段から上位に顔を出す選手ではないため、一日目の調子が持続するとは思えない。


「まあゴルフは三日とか四日とか、調子を維持するのが難しいからなあ」

「それ、大きな大会に出るようになって、本当に思った」

「けど初めての関東ジュニアがそうやったやろ?」

「強い人と競争してたら、結果的に勝っちゃって……」

 普段は自分のゴルフだけを考えるのだが、初めて対戦したほどの強いプレイヤーを相手に、全力を出した結果である。


「関東ジュニアがなんだって?」

 本日最終組の恵里は、少しぴりぴりしている。

「初めて出た試合の時のこと」

「ああ……」

 同じ関東の神奈川で一つ年上の恵里は、小鳥とその大会では対戦していない。

 だが後輩などからその時の様子は聞いている。




 恵里は最終組、女王琴吹玲奈に、賞金女王争いの常連氷室綾乃との組である。

 正直なところ回りたい相手ではない。

 玲奈はまだしも綾乃は、かなり心理戦を仕掛けてくるタイプなのだ。

「きっつい人やからね」

「まあ玲奈さんがいるんで、そちらに意識は向かうと思うけど」


 ゴルファーというのは個人競技の選手である。

 ある意味では自分以外の、全ての選手は敵なのだ。

 ただしある程度、お互いに敬意をもって、共闘して行く場合もある。

 たとえば二番手グループに自分がいて、首位に追いつきたい時など、同じ組の選手がスムーズに回れるようにする。

 別にスコアを誤魔化すとか、そういうことをするわけではないが。


 ルールは多いがそれ以上に、マナーが大前提となっているスポーツである。

 特にアマチュアの試合などは、誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せる。

 ただそんな誤魔化しをしていれば、メンタルがそれに慣れてしまう。

 誤魔化せない場面では、全く対応できないプレイヤーになる。

 だからこそゴルフは、精神性が必要なのだ。

 精神力ではなく、精神性である。


 賞金女王ランキング、現在では玲奈が首位を走っている。

 綾乃は三位であり、最終戦の賞金額の多さを考えれば、逆転の可能性は残っている。

「あの人も世界ジュニア取ってるんやもんな」

「まあ落とし過ぎないように一歩後ろから進むよ」

「頑張れ~」

 同年代ともなると、もちろんライバル心などもある。

 ただナショナルチームとして、世界の大会に派遣されたりもしていたので、ある程度の仲間意識はあるのだ。


 ゴルフは勝者がただ一人で、他の100人以上の選手全てが敗北する。

 プロになっても一度も、レギュラーツアーで勝てないまま引退する選手も少なくない。

 そもそもプロになっても、レギュラーツアーにさえ参加出来ない、そういう選手がかなりの数を占める。

 多くの選手が既に、若い頃からジュニアで結果を出しているのだ。


 だから全てが敵、と考えているとメンタルのスタミナを削られる。

 お互いを競い合う相手、とリスペクトする方が健全だ。

 ただ中には同伴競技者殺し、などと言われるプレイヤーもいる。

 本人が意識していなくても、周囲を圧倒してしまうのだ。

 玲奈などはまだしも、そういう傾向は弱い。




 初日に上位フィニッシュしたので、今日は昨日よりもさらに、観客が増えている。

 その中を小鳥たちは、二日目の1番ホールから、ティーショットしていく。

 オナーは小鳥であり、今日は風がややアゲ(※2)ている。

「昨日と同じように、最初はショットを確かめるよ」

 昨日はいきなりラフに入れたが、それでもパーで上がった。

 そして渡されたのは、ドライバーではなく3Wである。


 飛びすぎてラフに入れたのであるから、少し飛距離の落ちる3Wというのは普通の攻め方である。

「アゲてるよ?」

 100ヤード以上も残したら、さすがに2オンは難しい。

「10時から4時ぐらいだから、風に流されたらOBもあるでしょ」

「信用ないな~」

 軽い感覚で打っていけば、フェアウェイ左サイドをキープ。

 このホールはとにかく、左から攻めていかないといけないのだ。


 同じくルイもフェアウェイ中央から左をキープ。

 だがこちらはドライバーであるのだ。

 この組の最後の一人、森久保プロはティーショットを曲げて左のラフへ。

 昨日の小鳥は簡単に出したものだが、ラフは大会期間中は手を入れない。

 毎日ほんの少しずつだが、攻略は難しくなっているのだ。

 もっともこの時期であると、そこまでの影響はないと考えるのが大半か。


 フェアウェイから打てるボールは、グリーンセンターを捉える。

「明日はこれ、右側にピン切るかな?」

「そうね、バンカー越えになるはず」

 そこは澄花も妥当だろうと思っている。

 コースはピンの位置によって、難易度が一気に変わる。

 するとおそらく明日は、バーディを狙ってはいけないホールになるかもしれない。


 5mほどのバーディパットだが、これはなかなか読んでも入らないものだ。

 それでも澄花はフラッグを持って、ラインを読む。

(ルイちゃんのところからだと、入ったかもしれないけど)

 上りの4mの位置にあるルイのパットなら、入る可能性はある。

 また森久保も3打目を3mの位置につけている。

 彼女の位置からは、小鳥のラインが参考になるだろう。


 ゴルフボールは不完全なものである。

 もっとも完全な球というのは、この世界には存在しないのだが。

 ジャストタッチで打って入ったとして、同じ感じで10球打ったら、半分ほどは外れるものなのだ。

 ボールは基本的に、歪みのないことを理想として作られている。

 だがそれでもわずかな違いで、少しだけ外れてしまうのだ。


 ならばどうやって打てば入るのか。

 簡単な話で、わずかな歪みを消すほどの、強いタッチで打てばいい。

 統計で調べてみたところ、43cmオーバーする強さで打ったボールが、一番カップには入るらしい。

 芝目を読むのも得意な小鳥だが、二日目はまだ澄花に任せる。

「カップ50cmのスライス、1mオーバーってとこかな」

「結構曲がる位置なんだ」

 小鳥はその通りに打っていったが、わずかにカップの縁を舐めただけ。

 1mの返しが確かに残った。


 ルイの位置も4mはあるが、しかしほぼストレートの位置なのだ。

 アイアンでピンとの距離ではなく、上りのラインを残した。

 これを真っ直ぐに打って、ルイはバーディ。

 森久保もパーで、小鳥も問題なくパーで終える。




 明日の最終日に優勝争いをするならば、この1番でもバーディを狙う必要があるかもしれない。

 小鳥の飛距離ならば、それは充分に可能なのだ。

(他の選手のスコアによって、攻めるか守るかを決めていかないといけない)

 その判断を小鳥ではなく、自分で行う澄花である。

 もっとも最終日には、小鳥の謎の爆発力に期待してしまう。


 インスタートの組や、前の組の情報も入ってくる。

「まだ二日目だから、あんまり気にしないのよ」

「大丈夫だよ」

 5アンダーで初日を終えている小鳥は、精神的なスタミナを使っていない。

 自分よりも上のスコアに、自分よりも実力が上の選手がいる。

 するといいスコアで回っていても、勝てるかもという欲があまり湧かない。

 これが一日目からいきなりトップであると、最初からどんどんとスタミナを使っていってしまう。


 澄花はラウンドするにあたって、この試合の優勝スコアもおおよそ予想している。

 過去の結果から平均を出せば、およそ15アンダー前後になるだろう。

 初日に5アンダーというのは、悪い数字ではない。

(今日も一つか二つ潜れば、充分に最終日の逆転優勝も考えられる)

 だいたい小鳥がいい成績を残すのは、このパターンなのである。


 最終組の一つ前だけあって、ギャラリーもそれなりに多い。

 アマチュア時代に優勝している小鳥や、アイドルめいた人気を持つルイの組であるため、やはり注目度は高いのだ。

 そのギャラリーが自然と他の組のスコアを教えてくれる。

 このスコアを意識してプレイするかどうか、それも選手によって意識が違う。


 ルイは勝利を意識して、自分のゴルフとスコアを比較する。

 ただ出来るだけ無理はせず、取れるところでバーディを狙っていくのだ。

 スコアメイクをどうするかは、重要なコース戦略である。

 基本的にいつも優勝を狙ってはいるが、次につながるゴルフをしなければいけない。


 ナショナルチームで習ったことは、とにかくゴルフはディフェンス主体の競技であるということ。

 常にパーをキープした上で、バーディを狙っていくのだ。

 ルイはそもそも飛距離がそれほどでもないため、ロングホールでもイーグルを取ることは難しい。

 しかしゴルフは100ヤード以内をどれだけちゃんと打つか、というスポーツでもある。

 小鳥とルイとの飛距離は、最大で40ヤードほどもあるが、それでも互角に戦えている。

 ただ100ヤード以内をどこから始めるか、それを決められるのは飛距離を持ったゴルファーでもある。




 ゴルフはメンタルが八割、という人もいる。

 実際にメンタルの占める割合は、かなり多いスポーツだろう。

 それはアマチュアの趣味のゴルフでも、プロのひりつくツアーでも変わらない。

(小鳥はQT(※3)も知らへんからなあ)

 プレッシャーとは無縁のように、ルイには見えている。

 それはそれでうらやましいが、一度プレッシャーを変に味わってしまえば、立ち直れなくなるのでは、とも思っている。


 一応は友達に近いが、飯の種を争うライバルでもある。

 だが共闘出来る時には、共闘するのがゴルフのマナー。

 相手のプレイを邪魔していては、それが返ってくるスポーツなのである。

「ちょい風があるなあ」

「崩れるか伸びるか……」

 ルイはやや風に弱いタイプだ。

 一方の小鳥は、かなり風に強い。

 ドライバーアプローチ以外にも、必殺技を持っているのだ。


 先にスタートしている組からは、当然のようにスコアを伸ばしてくる者がいる。

 また最終組では最初に、恵里がボギーを叩いたらしい。

 そして琴吹玲奈と氷室綾乃は、牽制しながらも潜っていっている。

(こんなんでいいのかなあ)

 小鳥は疑いながらも、プレッシャーのかからないショットを続ける。

 澄花の言うとおりにプレイしていて、今日も潜っていく。

 途中で風の影響から、バンカーに落としたことが二度。

 だがこれをパーで切り抜けているのだ。


 一緒に回っているルイには、これが小鳥の強さだと思う。

 ドライバーの飛距離、アプローチからの寄せ、ドローとフェードを打ち分ける曲がるボール。

 だが一緒に回っていて心を殴られるのは、あそこからならスコアを落とすと思ったボールを、簡単にパーセーブしてしまうことだ。


 小鳥はコースの中の練習で育った。

 おおよそのゴルファーはまず、練習場でスイングを作るところから始める。

 しかし小鳥はまず、本物のグリーンでパットを入れるところから始まっている。

 そして次にアプローチ、アプローチの中でもハザードからの脱出。

 得意のドライバーは、実は後から身につけているのだ。


 普通とは違う学び方をした。

 だがまずパターから始めるというのは、有名なレッスンプロも教えている。

 結局パットが入らないゴルファーこそ、勝てないゴルファーである。

 目玉(※4)になっていたり、アゴに埋まっていない限り、簡単にバンカーから出してしまうのが、小鳥のゴルフである。




×××



解説


1 予選

ゴルフの大会はおおよそ、三日間競技でも四日間競技でも二日目で成績下位の選手はカットされる。これが一般的に言われる予選である。

それ以外にわずかな大会では、一日のラウンドの上位数名だけを大会に出させるマンデーと呼ばれる日があったりする。場合によってはこのマンデーを予選と言ったりする人間もいる。主催者推薦選考会なので、あながち間違っているわけでもない。

マンデーと呼ばれるゆえんは、この試合に参加する予選が、主に月曜日に行われていたからである。

他にはステップアップツアーをレギュラーツアーの事実上の予選という使い方もしていたりする。


2 アゲ

アゲインの略で、風が向かい風のことである。ただ純粋に向かい風のことは少なく、アゲインであるとボールの曲がりは増大しやすい。


3 QT

正式名称はクォリファイングトーナメント。ツアーシードを取れなかったが上位の者や、ステップアップツアー優勝者などが参加できる。

一次から三次、そして最終QTまでがあり、けっこう過酷な競争。

上位20名ぐらいまでは翌年のレギュラーツアーに参加出来たりするが、このあたりの制度はけっこう変わりやすい。

ルイや恵里はこのあたりの成績で今季レギュラーツアーに出場し、来年のシードも確定させている。


4 目玉

普通にバンカーに入るのではなく、高いところからずっぽしと入ってしまって上手くコンタクト出来ない状態。フェアウェイバンカーはそうでもないが、グリーン周りのガードバンカーではなりやすい。

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