第36話 ドライバーショット
LPGAタイランドレディス。
ツアーの中では第三戦となっている。
既に30歳にもなった、栄光の過去を持つナディアは、今日も一緒にラウンドするプレイヤーたちが、ずっと年下なのにため息をつく。
まだまだシードを守りつつも、勝利をするのは難しくなってきたな、と感じるのがずっと続いている。
どちらも二十歳前後で、片方はヨーロッパツアーで優勝。
もう一方も日本のメジャーで勝っているのだが、それはあくまでもマイナーツアーでのメジャーである。
日本のレベルが高くなっていることは、ナディアも知っている。
特に今はLPGAのトップ10に、二人も日本人選手がいるのだから。
さらに今年は、去年のメジャーで良績を残した日本人が、このツアーに参戦してきている。
玲奈は日本での試合だけではなく、スポットで海外に参戦し、それだけのポイントを稼いでいた。
「ナイストゥーミーチュー」
まさに明るさをそのままに、挨拶をする小鳥。
それに対してはナディアも、普通に挨拶をした。
しかしタイ人のチェリンは、両手を合わせてお辞儀をしたのである。
そして小鳥に対しては、お辞儀はしたが両手は合わせなかった。
年上の人と同年代とでは、挨拶が違うタイ式である。
「村雨さん、タイ語って喋れるの?」
「いや、彼女が英語を喋れるだろ」
日本国内でずっと活動してきた小鳥だが、日本のツアーにも外国人が参加することは多い。
もっとも以前に比べれば、中国などでの試合が増えたので、日本のツアーに参加する者は、相対的に減ったのだが。
賞金が日本よりも、やや高い傾向にあるからだ。
小鳥がプロになる前は、相当の韓国人もいた。
だがツアーに参加する条件などが変化していき、今では韓国人はかなり少なくなっている。
それでも強い韓国人は、そもそも日本ではなくアメリカに行ってしまう。
一時期は本当にランキングの半分ほどを占めていたが、どんどんとその強さは失われていっている。
そのあたり面倒な理由もあるのだが、村雨はわざわざ小鳥に教えようとはしない。
ナディアからチェリン、そして小鳥という順番にティショットが決まった。
インスタートでありながらも、英語とタイ語で選手の紹介はされる。
なるほど、アメリカツアーの一環の、国際基準というわけだ。
(初日の1番は、ゆったりと打たないとね)
ベテランの円熟味から、ナディアはティショットを打っていった。
このコースはインの10番ホールが、いきなり500ヤード越えのパー5となっている。
右ドッグレッグのコースで、グリーンを見ることは出来ない。
バンカーが右にあるので、フェアウェイの左から攻めていくのがセオリー。
先の二人は、そのように定番の攻略をしていった。
それに対して小鳥は、バンカー方面を向いてアドレスに入る。
キャリーで260ヤードは飛ばさないと、バンカーに入ってしまう。
(バンカーの上からドローで回してくるつもり?)
ナディアの常識からすると、それはいい攻め方だな、と思える。
持ち球がドローボールであれば、フェアウェイの左側に球を止めて、2打目が打てるようになるからだ。
しかし小鳥は力を抜いて、それでもストレートにボールを叩いた。
280ヤードのキャリーが出た。
ランまで含めると、300ヤードに近いであろうか。
「よ~し、いい感じ」
小鳥の海外初試合が始まったのである。
ゴルフは難しいスポーツであるが、簡単なゴルフというものが存在する。
禅問答のようなものであるが、本当のことである。
とにかくグリーンに近づければ、次のショットを短いクラブで打てる。
すると精度が上がって、スコアが良くなってくる。
ただし無理に飛ばそうとすると、曲がってまともに打てないところに、球を置いてしまうことになる。
ゴルフは統計では、65%が100ヤード以内のショット(※1)なのだという。
ならばプロとアマとに分けて、どちらかをプロに打ってもらうとする。
当然65%の100ヤード以内をプロに任せた方が、結果はよくなるはずである。
しかし実際のところは、アマが100ヤード以内のショットをプレイした方が、スコアは良くなるのだとか。
もちろんアマであっても、100も叩くようなアマではないが。
100ヤード以内のショットであると、プロとアマとの差が、それほどないということであろうか。
そもそも最初のドライバーショットで、アマチュアは大きく曲げてしまうということが多い。
この理屈であると、ドライバーとウェッジを多用する小鳥は、相当に強くなる。
あとはパットの問題であるが、これも下手なわけではない。
試合初日、小鳥は1イーグル7バーディ3ボギーの6アンダーで3位タイ。
出入りが多いのは気になるが、立派な数字が残せたとは言える。
メンタルには問題がないが、テンションが高い。
リスクを織り込んだ上で、攻撃的なゴルフが出来た。
同じ組のナディアはさすがにベテランだけあって、それほど崩れたわけではない。
だが同じ若手のチェリンは常に、セカンドショットのオナーを与えられることで調子を崩した。
第2打を先に打てるのは、利点もそれなりにあるはずなのだ。
しかし実際に出た結果は、5オーバーのドベである。
小鳥は300ヤードを飛ばすこともだが、それでさらに曲げていくことが、女子のゴルフではないと思わせる。
(う~ん、だけどこれは……)
初日にしてはもうアクセルを踏み込みすぎている。
(ガス欠にならないか?)
村雨のその危惧は二日目から現実のものとなったように思えた。
二日目に5オーバーの大叩きをした小鳥は、明らかにドライバーで攻めすぎているように思えた。
一日目の調子の良さが、むしろ仇となった感じである。
ただ潜在能力的には、充分に狙ってもいいショットが多かった。
なので村雨としては、初めて小鳥の弱い部分を知らされたと思ったのだ。
「おっかし~な~」
試合後も練習をしていたのは、主にドライバーである。
今日はこのドライバーが、右にも左にもよく曲がった。
そして村雨としても、曲がってしまう原因がよく分からない。
三日目はディフェンスに専念し、取れるところだけを取っていく。
その結果としてまた、5アンダーに戻すことに成功。
ただトップはもう15アンダーにまで伸ばしている。
例年の傾向からすると、最終日に18アンダーぐらいには伸ばすと考えると、小鳥が13打も潜らなければ、追いつかないことになる。
さすがにそれは不可能であろう。
別に負けるのはいいのだ、と村雨は思っていた。
小鳥は悔しがりすぎてはいないが、課題を感じてしっかりと練習をしている。
他のどの選手よりも、最後まで残って練習をする。
地味に体力が怪物級であることが、多くの人に知られていく。
ただ今回の不調は、そういうものとはまた別に思えた。
トップと2位との間に、3打も差がある。
これはトップが逃げ切るには、それなりに分かりやすい差であろう。
もしこれが1打差などであると、いくらでも逆転のチャンスはある。
だが3打差というのは、相手の動向を見て駆け引きが出来る差。
伸ばしあいをしない駆け引きをするなら、小鳥が追いつける可能性はある。
漁夫の利を得ようとして、あと一歩足らなかった試合で、百合花は小鳥に目をつけた。
二日目で崩してからまた戻したので、最終日に逆転のチャンスはある。
だがそれは上位が崩れてこそ。
プロというのはトップこそ、伸ばすことにも増して、落とさないことをテクニックとしている。
ディフェンスがゴルフの本質、と何度も言われるところである。
「う~ん……」
初めての海外で、どういったことになるのかと、小鳥なりに考えてはいた。
予選のカットがない試合なので、経験を積むのには充分な試合だと言える。
二日目の組み合わせでは、アメリカのトップランキングの選手と同じ組にもなった。
そこで力んでしまったことが、スコアを大きく崩す原因になったか。
6アンダーから1アンダーに後退し、そして5アンダーの位置から最終日を迎える。
今のところ40位タイという、なんとも微妙な順位である。
初めての海外で大崩しなければ、それだけでも充分に成功と言える。
ただボギーを叩いたりしているのは、得意のドライバーショットのミスによるところが多い。
三日目などはドライバーをあえて使わず、3Wを使ってスコアが安定した。
突然にドライバーの調子が悪くなったというのは、本人かそれともギアの問題か。
村雨がついていながらも、原因を最初は間違えていた。
レッスンもしている村雨から見ても、メカニック的な問題はないように思えた。
つまりドライバーがおかしくなっているのだ、と確信したのは三日目のこと。
予備のドライバーはしっかりと用意している小鳥である。
他のクラブはともかく、ドライバーに関しては小鳥の場合、男性仕様に近いものがある。
かといってすぐには用意出来ないので、ドライバーだけはバッグに入れていない予備があるのだ。
これは自分のミスだ、と村雨は判断していた。
小鳥のフォームがおかしいわけではないのに、ドライバーショットが曲がる。
ならばシューズなりグローブなりグリップなり、ギア部分が問題に決まっている。
おそらくはヘッドの機構がおかしくなっているのでは、と判断した。
そして最終日には予備を出してきたのだが、これがしっくりこない。
セッティングは完全に同じもののはずである。
だが本当にわずかに、違いが存在する。
それこそ何度もグリップを握り、その圧力でわずかに形状が変化しているか。
ゴルフはmmの世界のスポーツなだけに、そのわずかな違和感が問題となるのだ。
「ドライバーが使えないか……」
3wでも260から280ヤード近くは飛ばせる小鳥だ。
しかしパー4以上のコースでは、やはり飛距離が武器になる。
村雨は自分のミスだとしているが、小鳥としても違和感はあったのだ。
すぐに3Wを主体に使えば、二日目に崩れることはなかっただろう。
そして時間があれば、もっとフィッティングさせることも可能であった。
もっとも3Wでも、小鳥の飛距離は他の選手のドライバーより、飛んでいることもあるのだ。
「今日は3Wまでで戦って、ドライバーは沖縄で打ち込んで、微調整するしかない」
まさかこんなアクシデントが、海外で起こるとは思っていなかった。
プロの大会には普通に、ゴルフメーカーのクラフトマン(※2)が一緒にいる。
トッププロから微調整をするのは、普通のことである。
小鳥はわずかな変化なら、自分の方で合わせてしまう人間だ。
それでも代わりのドライバーは、バッグに入れるだけで封印する。
もしも勝てるという場面があれば、使うこともやぶさかではない。
(曲がるかもしれないドライバーなんて、役に立たないだろうにな)
そう村雨は思ったが、ここは小鳥のメンタルの方を優先した。
小鳥はこの日、5アンダーでフィニッシュした。
最終的な順位としては、20位タイである。
ドライバーが使えないという状況で、この順位は立派過ぎる。
ただ小鳥としては、自分に合わせて道具を使うのではなく、道具を工夫して球を作ることを意識していた。
昭和のゴルファーのような考えであるが、それで通用してきたのだからおそろしい。
この順位の賞金はおよそ2万ドルで、充分に元は取れた。
とはいっても二週間も滞在していたことを考えると、自費ではとても出来なかったことである。
プロゴルフもプロテニスも、スポンサーが命である。
そのあたりを考えると、アマチュアのままの百合花の方が、色々と動く余裕があるだろう。
小鳥も一応、高校時代にプロ宣言をしている。
玲奈などは大学時代なので、その点では小鳥の方が早い。
ただ玲奈はアマチュア時代に何度も、プロの試合でローアマになっている。
ほとんどのプロよりも強いアマチュア、とは言われていたのだ。
小鳥のこの成績も、ドライバーが使えなかったことを考えると、充分以上の結果だと言えるだろう。
ただチタンの鍛造ドライバーが、どこが壊れてしまったのか。
もちろん表面は、ヒビなど入っていない。
あるいはシャフトや、ヘッドの内部の問題であろうか。
昔はドライバーには、ウッドなどと言うように、木製のヘッドが使われていた。
プロゴルファー猿が、自分のお手製クラブを使っていた時代である。
だがその素材も、どんどんと高性能なものになっていった。
それでも職人の手作業が、メーカーの量産品を上回ったりする。
もっともメーカーもトッププロに対しては、カスタムしたクラブを提供しているのだが。
クラブの中で、フィーリングさえ合えば他はどうでもいいのは、パターぐらいであろう。
ともあれ初めての海外挑戦は終わった。
300ヤード飛ばす日本人がいる、という話は伝わっていったが、二日目以降にはその話も消えていった。
間違いなく小鳥は飛ばしていたのだが、曲がるようになってからは、当然のように全力を出せなくなった。
いくら飛ぶといっても、ドライバーを持てない飛ばし屋は、怖くもなんともない。
不思議に思ったのは、結果的に14位タイに終わった玲奈ぐらいである。
玲奈は目の前で、300ヤードを飛ばす小鳥を見てきたのだ。
なので試合の終わった後、話しかけてきた。
「クラブの故障? それは確かに……」
クラブが変わっても、すぐに対応出来る者もいれば、微調整が必要な者もいる。
小鳥は少なくとも、ドライバーに関してはそれが必要であった。
かくして呆気なく、小鳥の初海外戦は終わった。
一応はこれで、アメリカツアーのポイントも稼いだことになる。
そして次にはいよいよ、JLPGAの初戦、沖縄での試合を行うこととなる。
「今年も出てきてるな……」
出場者の名簿に目を通して、村雨は苦々しい顔をするのであった。
×××
解説
1 統計
寄せとパットのことである。なおバンカーになど入れてしまえば、一気にスコアは悪くなる。
バンカーには入れない程度に自分の技術を理解しているアマチュアが、この実験には参加しているのではなかろうか。
2 クラフトマン
だいたい試合においてはゴルフメーカーは、サービスカーを出してクラフトマンにメンテナンスをさせている。
もちろん描写しないが小鳥もその恩恵を受けている。
今回の場合は何が悪くなっているか、それが分かっていないのでどうしようもない。
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