第19章 不穏な影

違和感



 天上の国、ミクラウド。

 空に浮かぶ雲を国土とするこの国では鳥が高度な進化を遂げ、人間のよき隣人として共に暮らしている。

 白く清廉な街並みを眺めながら、セイが大きな溜め息を吐いた。


「凄え……」


 営みに汚れた地上では、ここまで美しい景色はそうそう見られるものではない。

 立ち尽くすセイの隣で、ミカが大きなくしゃみをした。


「ごめん。ちょっと肌寒くて」


「雲の上だしな。ほれ」


 セイは自分の上着を脱ぎ、ミカに羽織るよう促す。

 彼女がややダボついた深緑の上着に袖を通すと、荘厳な鐘の音が街中に鳴り響いた。


「これは、大聖堂の鐘ね」


「大聖堂?」


「『ミクラウドはドトランティスと同じように、初代カムイの力で作られた国である。カムイを讃えるための大聖堂は、この国を代表する建築物の一つである』……と観光ガイドの116ページに」


「本を読み上げただけかいっ! にしても、俺を讃える大聖堂かぁ……」


 ガイド片手に誇らしそうなミカにツッコミを入れつつ、セイは大聖堂に想いを馳せる。

 やたら美化された自分の肖像画や銅像が飾られた部屋を思い浮かべて気色悪い笑顔を浮かべる彼を、今度はミカが突き刺した。


「讃えられてるのはカムイであってセイではないからね」


「ぅぐェ!」


「まあそれはともかく、さっさとオボロ爺の所に行くぜよ」


 呆れ気味のリョウマに促され、セイとミカは守護者オボロの家に向かう。

 見た目に反してしっかりとした感触の地面を暫く歩くと、大きい鳥籠のような邸宅が見えた。

 リョウマが軽くノックをすると、一羽のフクロウが顔を出す。

 穏やかな顔のフクロウに、リョウマは快活な口調で言った。


「オボロ爺! 久しぶりぜよ!」


「えっ、オボロってフクロウだったの?」


「うむ、儂こそミクラウドの守護者オボロじゃ。して、お嬢ちゃんは歌姫のミカじゃな? そっちは巨神のセイ」


 困惑するミカにも嫌な顔一つせず、オボロは二人の名前を言い当てる。

 彼はセイたちを家に上げると、丸テーブルを囲んで座らせた。


「楽にしとってくれ。今、お茶とお菓子を持ってくるからの」


 オボロは温かい茶と雲を模したクッキーを人数分運び、自らも座布団の上に腰を下ろす。

 そして咳払いを一つすると、彼は厳格な守護者の顔になって口を開いた。


「では、早速会議を始めるぞ。今回の議題は未だ歌姫処刑を訴え続けているシヴァル国守護者・ユキへの対応と、大災獣の対策についてじゃ」


「……ユキ、か」


 セイはレンゴウを去る前に、『ユキを気にかけてやってくれ』とアラシに頼まれたことを思い出す。

 その時は話半分に聞き流したが、公の場で議題に上がっては流石に無視できない。

 考え込んだ末、彼は客観的な見解を伝えた。


「あいつのミカに対する疑念は、相当なものだった。多分ここで話しても答えは出ないと思う」


「しかし、じゃあどうするぜよか?」


「俺がどうにかするよ。必ず、ユキを説得してみせる」


 セイの力強い宣言に、リョウマとオボロの表情が明るくなる。

 ただ一人不安げな様子のまま、ミカは小声で話しかけた。


「大丈夫なの? セイはシヴァルに行きたくないんじゃ」


「世界の一大事だ。好き嫌いなんか言ってる暇ないよ」


「……そうだね」


 セイの言葉に押されて、ミカは心配を引っ込める。

 少しぬるくなった茶を飲んで、オボロが議題を切り替えた。


「では次に、大災獣の対策についてじゃが……セイとミカは何かあるかの?」


「い、いきなり俺らに振るのか」


「二人は大災獣と戦い、そして倒している。きっと貴重な情報が得られると思ってな」


「そんなにハードル上げんでよ……」


 困った様子を見せながらも、その実既に言うことは決めていた。

 雲クッキーに手をつけつつ、オボロたちの様子を伺う。

 頃合いを見計らって、セイはゆっくりと口を開いた。


「大災獣と戦ってきて、一つ気付いたことがあるんだ。……大災獣と災獣の、決定的な違いについて」


「決定的な違い?」


 リョウマとオボロが興味深そうに詰め寄る。

 セイは頷いて続けた。


「ああ。普通の災獣は縄張りを広げたり狩りをしたり、生きるために行動する。だけど大災獣は、自分の命を顧みない」


 地底のマグマへの特攻を図った玄武に、躊躇いなく海中に飛び込んだ青龍。

 攻撃だけを目的としたような彼らの行動は、既存の生物とは一線を画するものだった。

 リョウマが後の言葉を引き取る。


「それに今日戦ったトマホークも、群れを作っていたぜよ。そんな習性はないのに」


「ふむ……」


 セイとリョウマの言葉を受けて、オボロは深く考え込む。

 彼は目を瞑ったまま、落ち着いた口調で言った。


「生き物が習性に反した行動を取ることは、余程のことがない限りあり得ん。その『余程のこと』が、起きつつあるんじゃろうな」


「……俺が何とかするよ」


 セイはハッキリと告げる。

 使命感と自信の籠った言葉で、四人の話し合いは幕を閉じた。


「じゃあ、拙者はそろそろラッポンに帰るぜよ」


「おう、気をつけてな!」


 帰りの便に乗るリョウマを見送って、セイたち三人は空港を後にする。

 夕陽に照らされた道すがら、オボロがミカに話しかけた。


「君たちの宿は取ってある。一足先に行って、チェックインを済ませてはくれないか?」


「分かった。セイ、また宿でね」


「お、おう」


 駆け足で去っていくミカを、セイは気の抜けた調子で見送る。

 再び歩き始めたセイに、オボロが低い声で言った。


「君はまだ、ミカに心を開いていないようじゃのう」


「な、何言って」


「ユキのことも大災獣のことも、君は『俺が何とかする』と言っておった。ミカと協力する発想がない証じゃ」


「そんなの言葉の綾でしょうが……」


「セイよ。何故自分一人でやりたがる?」


 オボロと並んで歩くセイの目から、一切の感情が消える。

 しかし次の瞬間、空虚な心は怒りで埋め尽くされた。


「やはり、『あの日のこと』が」


「言うな!」


 その叫びに周囲の目が集まり、セイはハッとして俯く。

 ミカの待つ宿に走っていくセイの背中を見つめながら、オボロは心の中で呟いた。


「弟子の育て方を間違えたな、ハル」

—————

大聖堂ドキドキパニック



 ミクラウドの中心地に聳える大聖堂。

 その荘厳なる佇まいを見上げながら、ミカはごくりと生唾を飲み込んだ。


「もう、後には引けない……」


 ミカは意を決して門を潜り、重々しい朱色の扉を開ける。

 煌びやかな室内で談笑していた三人の少女が、一斉に彼女の方を向いた。

 聖歌隊と聞いて思い浮かべていた姿とは真逆の派手な容姿に、ミカは思わず面食らう。

 動揺を無理やり押し留めて、彼女は恐る恐る尋ねた。


「あなたたち……聖歌隊の人?」


「そだけど?」


 三人の中心である桃色髪の少女が、きょとんとした表情で答える。

 勝ち気そうな青髪とおっとりした黄色髪が、ミカの左右に回り込んで言った。


「てかさ、アンタ名前は?」


「あ、ウチもそれ気になってたー」


「わ、私はミカ。歌姫」


 二人の圧力に困惑しつつも、ミカは簡単な自己紹介をする。

 その瞬間、それまでどこか淡白だった桃色髪の目が輝いた。


「マジ!? 歌姫!? ちょちょちょ、この色紙にサインしてくれん!?」


「色紙どっから出したし。てか、サインはあたしらの自己紹介終わってからでしょ」


「はっ、そうだった! んじゃ改めて……」


 彼女は青髪の冷静なツッコミで我に返ると、深く息をして数歩下がる。

 両隣に控えた二人と共に、彼女たちは堂々と名乗りを上げた。


「映える写真の伝道師! パッションピンク・ソプラ!」


「化粧と衣装で大優勝! ドレスアップブルー・メゾン!」


「甘さで味わう満足感! スイーツイエロー・アルル!」


「我ら、聖歌隊三人娘!!!」


 あまりにも派手な自己紹介に、ミカは何も言えぬまま硬直する。

 時が止まったような無音の空間に、鐘の音が響き渡った。


「……で、アンタ何しに来たの」


 名乗りの恥ずかしさを誤魔化さんと、メゾンがぶっきらぼうな口調で問う。

 ミカは一瞬帰ろうか迷いつつも、正直に要件を伝えた。


「強くなりに」


「強くなりたくて大聖堂行く人そうそういねえぞオイ」


「私は歌姫だから、ここが一番かなと思って。……お願い、私を鍛えて」


 ミカは頭を下げて頼み込む。

 三人娘による話し合いの末、ソプラが彼女たちを代表して言った。


「いいよっ!」


「本当!? ありがとう!」


「よーし、それじゃあメゾン! 後はよろしく!」


「……えっ?」


 ミカとメゾンの声が重なる。

 メゾンは大きく息をすると、ミカの肩に馴れ馴れしく手を回して言った。


「よーしミカ、ブティック行こ」


「歌は?」


「歌うのにだってそれ相応のオシャレした方がいいっしょ? それにアンタ、結構才能ありそうだし……」


 ミカの全身を観察しながら、メゾンはぶつぶつと独り言を呟く。

 いつの間にか背後に回っていたアルルが、ミカに小声で警告した。


「メゾンちゃんはああなるとヤバいから、覚悟してねー」


「う、うん」


「プラン決まった! さあ、あたしに着いてきな!」


 やる気満々のメゾンに連れられて、ミカたちは三人娘行きつけのブティックに向かう。

 そしてあれよあれよと言う間に、ミカはメゾンの着せ替え人形にされてしまった。

 青を基調とした活動的な装いや、和装を組み込んだ書生スタイル。

 ゴシックロリータやレンゴウ風の制服などを経て、ミカは遂にこれぞという服を見つけ出した。


「わあ……!」


 白いロングコートに、ベージュのフレアスカート。

 首には紫色のペンダントを提げて、清楚な印象はそのままにより明るい雰囲気を出すことに成功している。

 自分の変化に驚くミカを見て、メゾンが満足そうに頷いた。


「やっぱりあたしの見立てに間違いはなかったね。今のアンタ、最高にかわいいよ」


「ありがとう。今まであんまりお洒落したことなかったけど、楽しいね」


「ま、災獣退治で忙しそうだもんね。歌姫ってー」


「……うん」


 アルルの言葉で、ミカはこれまでの旅について考える。

 思えばどこの国でも戦いや逃亡ばかりで、意味のない寄り道をしたことは数えるほどしかなかった。

 神話の戦士としてはそれでいいかもしれないが、使命を果たすだけの旅路は少々味気ない。

 込み上げる寂しさを押し殺して、ミカは本題に入ろうとした。


「……ねえ。お洒落もできたしそろそろ」


「写真だよね!」


「おっ、ソプラの得意分野だな」


「任せといて! 最高に映える写真を撮ったげる!」


 ミカの服を購入して、四人は次に写真館へと向かう。

 棚からカメラを取り出すソプラに、ミカが声をかけた。


「いいの? 勝手にカメラ使って。というか歌の特訓は」


「アタシの実家だからいいの。さ、そこの壁紙の前に立って!」


 ソプラに促されるまま、ミカは花畑が描かれた壁紙の前に立つ。

 はにかむ彼女の緊張をほぐしながら、ソプラはカメラを覗き込んだ。


「撮るよ! レンズ見て顎引いてぇ……笑って笑ってはい、チーズ!」


 ソプラは素早くシャッターを切り、花の妖精のようなミカの姿を映し取る。

 乾板に浮かび上がった写真は、彼女を十分満足させるものだった。


「いいねえ! じゃあ次、集合写真いってみよっか!」


 様々な組み合わせで写真を撮っていくうちに、時間はどんどんと過ぎていく。

 遠くで響く大聖堂の鐘が、午後の3時を告げた。


「あ、おやつの時間だー」


「おやつって、そんな場合じゃ」


 ミカの反論を遮って、腹の虫が盛大に鳴く。

 顔を赤らめて俯く彼女に、アルルが「場合だねー」と笑いかけた。


「クッキー焼いてきたんだよねー。食べるー?」


「……いただきます」


「オッケー。じゃ、向こうで食べよっかー。巨神の話でも聞きながらー」


 のんびりした足取りのアルルに案内されて、ミカたちは最後の場所に辿り着く。

 そこは白い雲が積み重なってできた、小高い丘だった。

 青白く光る空に包まれた丘に腰かけて、四人は雲型クッキーを分け合う。

 オボロの家では感じられなかった繊細な甘さを味わいながら、ミカはセイについて語り聞かせた。

 たまに子供っぽくて紙芝居が絶望的につまらないが、いつも自分を支えてくれていること。

 楽しい旅をしようという約束や、薄明草の花をくれた思い出。

 一頻り話し終えたミカの表情に、寂しげな憂いが浮かんだ。


「……でも、最近は戦いも激しくなってきて、役に立てないことも増えてきて。それで」


「あたしらのとこに来たんだ?」


 ソプラの言葉に、ミカはゆっくりと頷く。

 メゾンが徐ろに口を開いた。


「だったらさ、直接聞いてみればいいじゃん。『私は役立たずですか』って」


「そ、そんなの……もぐっ」


「ウチもメゾンちゃんに賛成ー」


 アルルにクッキーを食べさせられ、ミカは反論の機会を失う。

 甘いクッキーを咀嚼しながら、彼女はアルルの言葉に耳を傾けた。


「役立たずですかはネガティブすぎるかもしれないけどさー、気持ちは正直に伝えた方がいいと思うよー」


 そう言われて尚、ミカは決断を躊躇う。

 アルルはソプラとメゾンに目配せすると、夕暮れの空を見上げて語り始めた。


「……実はさー、ウチら、最初は仲悪かったんだよねー」


「えっ、そうなの?」


「うん。お互い妙に鼻につく所があってー、でもそれを指摘する度胸もないから不満ばかりが募ってさー。本当、あの時は最悪だったよねー」


 メゾンが決まり悪そうに顔を逸らす。

 二人の肩を抱いて、ソプラが満面の笑顔で言った。


「でも思い切って全部吐き出したら、なんか仲良くなれちゃったってわけ!」


 ソプラたちを見ていると、本当に上手くいくような気がしてくる。

 ミカの丸い瞳を見据えて、ソプラは真っ直ぐに問いかけた。


「ミカの伝えたい気持ちって、何?」


 力になりたい。

 一人で悩まないでほしい。

 様々な考えが頭をよぎるが、その全てに共通していることが一つだけある。

 ミカは迷いを取り払って、純粋な答えを叫んだ。


「私はこれからもセイと旅がしたい。一緒にいたい!」


 ようやく吹っ切れた彼女を、三人娘は大いに祝福する。

 ミカは彼女たちに何度もお礼を言って、小高い丘を後にした。

 暗い夜道を歩いて、自分たちの宿泊している宿に向かう。

 彼女は自室に荷物を置くと、ノックをしてセイの部屋に入った。


「おう、おかえり」


 古い書物から顔を上げて、セイが言う。

 机に積まれた古書の山を指差しながら、彼は首の骨を鳴らした。


「上着ありがとう。返すね」


「ああどうも……ってミカちゃん、着替えた?」


「今気づいたの?」


「悪い。ちょっとボーっとしてて」


 後頭部を掻くセイを見つめながら、ミカはソプラたちに貰った写真を取り出す。

 写真の中の三人に背中を押されて、ミカは一歩前に出た。


「セイ! これからも……一緒に旅しようね!」


 セイの返事を聞くことなく、ミカは早足で自分の部屋に戻っていく。

 静かになった部屋の中で、セイは一人呟いた。


「ああ、そうだな」


 資料分析を再開するセイの頭に、オボロの言葉が過ぎる。

 『お前はミカに心を開いていない』。

 波立つ心を無理やり沈めながら、セイは読んでいた古書を閉じた。


「心を開けば傷つくだけだ。俺も、ミカも」

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