第29章 心に響く歌

聖なる鳥、蘇る



 ミカはフィニスの前にたった一人で立ちはだかり、高らかに歌声を響かせる。

 優しくも力強い旋律は、氷の城の人質たちの耳にも届いた。


「これが歌姫の……」


「美しい……」


 人質たちは自分が囚われの身であることも忘れ、ミカの歌に聴き惚れる。

 改めて彼女の歌唱力に感嘆しながらも、ハタハタとオボロは別の何かを感じ取っていた。


「それだけではありませんわ。何だか、心が暖かくなるような」


「……そうか、あやつは」


 歌に秘められた効力から、オボロはミカの狙いに気づく。

 ミカがこの歌を捧げている相手は、巨神カムイではなく––ユキであると。


「苦しい! うぁあああっ!!」


 フィニス一人だけがミカの歌に苦悶し、頭を抱えて絶叫する。

 闇の中に閉じ込められているユキに向け、ミカは歌を通して語りかけた。

 あなたは一人じゃない。

 自らを包む光を振り払いながら、フィニスは破壊光線を乱射した。


「黙れっ、黙れ黙れぇ!!」


 巻き起こる爆発にも怯まず、ミカは歌い続ける。

 やがてフィニスの目から、透明な涙が溢れた。


「お前のせいで……お前のせいで僕は……!」


 冷たい空気に肺を痛めつけられながら、ミカは彼の言葉の意味を考える。

 しかし舞い上がった粉塵が、歌もろとも彼女の思考を遮った。


「かはっ!」


 ミカは激しく咳き込み、赤い血が純白の大地にへばりつく。

 それでも対話を諦めない彼女の意志に呼応して、神話の書が眩い光を放った。


「な……」


 光がミカとフィニスを包み、二人の心を交信させる。

 ミカが次に目を開けた時、そこはかつてセイと共に幽閉されたシヴァルの地下牢になっていた。


「ここは……」


 とにかく、元の場所に戻らなければならない。

 周囲を見回しながら廊下を歩いていると、遠くから子供の泣き声が聞こえてきた。

 ミカは微塵も躊躇わずに、声のする方へと走り出す。

 やがて息が切れた頃、彼女は牢の隅で嗚咽を漏らしている少年を見つけた。


「……ユキ」


「近寄るな!」


 ユキは悲鳴にも似た声を上げ、泣き腫らした顔で彼女を威嚇する。

 荒い呼吸を繰り返す彼に、ミカは身を屈めて話しかけた。


「懐かしいね。覚えてる? 私とユキが初めて話した場所だよ」


「……覚えてるさ。あの時から全てが狂った」


 セイが寝静まった後、ユキとミカは二人きりで言葉を交わした。

 ミカはユキと真摯に向き合い、彼の話を熱心に聞いていた。

 ユキにとっては、殺さなければいけない相手に優しくされたのと同じだ。

 その矛盾が、彼を大きく惑わせた。


「お前のせいで、僕は叶いもしない夢を抱くようになった。仲間が、友達がほしいって。……立派な守護者に、そんなものは必要ないのに!」


 そうでなければ、孤独に生きてきた意味がない。

 しかしミカは首を横に振ると、鉄檻の向こうに手を差し伸べた。


「叶わないなんてことないよ。私たちはみんなあなたの仲間で、友達。だからこの手を取って、外に出よう?」


「……僕なんかのために、どうしてそこまでするんだ」


「私がそこまでしたいから」


 ミカは屈託のない笑顔で答える。

 その笑顔を見ていると、ユキは自分の中の闇がとても馬鹿馬鹿しくなってきた。

 一人では届かない理想を目指すには、誰かと手を繋げばいい。

 何だ、簡単なことじゃないか。

 ユキは微笑んで立ち上がり、ミカの手を掴もうと歩み寄る。

 二人の手が触れ合う刹那、牢屋の檻がぐにゃりと歪んだ。


「っ!?」


 檻を構成していた鉄棒の一本が浮遊し、槍となってミカの腹部を貫く。

 激痛に倒れる最後の瞬間まで、ミカはユキに手を伸ばし続けた。


「ユキ!!」


「ミカぁああァ!!」


 ユキの姿が闇に隠され、ミカは精神世界から追放される。

 現実の肉体に意識が戻りつつあるのを感じながら、ミカはユキのか細い声を聞いた。


「助けて」


 当然だ。必ず助ける。

 そう誓うミカの肉体に、再び寒さと激痛が襲いかかる。

 とうとう膝を突いた彼女を見下ろして、フィニスが冷淡に告げた。


「お前は危険だ。これ以上何かされる前に消してやる」


 フィニスはゆっくりと右手を広げ、掌に闇の力を収束させる。

 蓄えた力を解き放とうとした瞬間、フィニスの眼前に黒い影が飛び込んだ。


「リンちゃん!?」


 小鳥のリンが翼を広げ、溢れんばかりの輝きでフィニスの力を掻き消す。

 呆然とするミカに、リンは気高い声で言った。


「ありがとうございます。あなたが歌ってくれたお陰で、わたしは本来の力を取り戻すことができました」


「本来の、力?」


「ええ。さあ、共に戦いましょう」


「……うん!」


 ミカとリンは共鳴し、互いの力を極限まで高め合う。

 そして力が臨界点に達した時、ミカは戦士の合言葉を唱えた。


「超動!!」


 リンの体が光に包まれ、カムイやクーロンG9にも劣らぬ巨体へと姿を変える。

 雪よりも雲よりも白いその姿を、ミカはかつて目撃したことがあった。


「……ヤタガラ」


 リン––否、『超動勇士ヤタガラ』は深く頷き、フィニス目掛けて飛翔する。

 ヤタガラの突撃を受け止めながら、フィニスが獰猛に吼えた。


「何度挑んだって、ボクには勝てない!」


「その言葉、そっくりそのままお返しします!」


 ヤタガラは自身の言葉を証明するように猛攻し、フィニスを徐々に追い詰めていく。

 渾身の蹴りでフィニスを吹き飛ばすと、ヤタガラはミカの方を向いて言った。


「今です。人々を助けましょう」


「うん! リザレクション光輪!!」


 ヤタガラの体から大きな光の輪が広がり、人質たちの拘束を解いていく。

 自由を取り戻した彼らを城ごと始末しようとした時、何者かがフィニスの腕を掴んだ。


「クーロンG9……!?」


「ああ。どういうわけか完全復活だ!」


 クーロンG9は不良さながらにフィニスの横面を殴りつけ、前蹴りでフィニスを吹き飛ばす。

 集結した人質たちと合流して、シナトとミリアも駆けつけた。


「ユキ、あなたにはこんなにも多くの人がついてる。あなたは独りぼっちじゃない!」


「ほざくなァァアアア!!」


 フィニスは絶叫するが、もはやミカたちは怯まない。

 そしてこの戦いを勝利に導く最後のピースが、吹雪の中から現れた。


「セイ……!」


「いけ! ミカぁ!!」


 セイは闇封じの瓶を握りしめ、ミカに力強い声援を送る。

 彼らの想いを背に受けて、ミカは必殺技の名を叫んだ。


「ヤタガラ飛翔斬り!!」


 翼を光の刃に変え、ヤタガラは天高く飛び立つ。

 そして立ち込める黒雲を裂き、太陽を背に光の刃を振り下ろした。

 刃がフィニスとユキを分離し、核を失ったフィニスの肉体が瓦解を始める。

 とうとう実体すら保てなくなったフィニスを封じるべく、セイが瓶の蓋を開けた。


「す、吸い込まれる……やめろぉ!!」


 フィニスだった闇の塊は抵抗も虚しく、闇封じの瓶に吸い込まれていく。

 セイは瓶の蓋をきつく閉めると、立ち尽くしているユキに歩み寄った。


「これでもう大丈夫だ」


 セイとミカは優しく微笑み、ユキに手を差し伸べる。

 躊躇いがちに伸ばされたユキの掌に、青い羽が舞い降りた。


「……ブリザード」


 大鷲ブリザードはユキの側に着地し、翼を広げてユキを抱き寄せる。

 愛してくれるものの温もりに包まれながら、ユキは穏やかな涙を流し続けるのだった。

—————

あるべき場所



 ユキを救出した後、アラシとシナトはクーロン城で戦いの功労者たちをそれぞれの家に送り届けていた。

 ミカの肩で囀るリンを横目に見て、セイが呟く。


「まさか、リンの正体がヤタガラだったなんてなぁ」


「私も驚いたよ。でも嬉しい。これからは、戦う時も一緒だね」


「ええ。よろしくお願いします」


「喋れるようになったのか……えっと、何て呼べばいいんだ? リンかヤタガラか……」


 真剣に悩むセイを見て、リンは愉快そうに笑う。

 ミカの肩に止まったまま、リンが言った。


「『リン』もお二人がつけてくれた大切な名前ですので、この姿の時はリンとお呼びください」


「おう」


「……それで、大丈夫なんですの? ユキさんをシヴァルに置いておいて」


 ハタハタが徐ろに切り出す。

 すっかり遠くなったシヴァルの大地を眺めながら、ミリアとオボロが答えた。


「命に別状はないから大丈夫だ。それに、今の彼らになら任せられる」


「自らの過ちを悔い改めた、彼らにならのう」


「そうですわね。あ、ファイオーシャンが見えてきましたわ! あそこで下ろしてくださいまし!」


「オーケー。着陸体勢に入るぜ」


 アラシはレバーを動かし、広い砂浜にクーロンG9を着陸させる。

 ハタハタが城を出るや否や、待ち構えていたシイナが勢いよく飛びついた。


「ハタハターっ!!」


 ハタハタは咄嗟に彼女を受け止め、二人で砂浜を一回転する。

 子犬のようにじゃれてくるシイナを、ハタハタが何処か嬉しそうに窘めた。


「もう。人前ではしたないですわよ」


「だってだって、心配だったんだよ!? 悪い奴に攫われたって」


「その悪い奴なら、ここだぜ」


 セイが不敵に笑い、闇封じの瓶を見せる。

 ミリアの説明を受けると、シイナはようやく安堵した。


「……よかった〜! みんな、ハタハタたちを助けてくれてありがとう!」


「気にすんな。じゃ、俺らはそろそろ行くぜ」


「うん、またね!」


 シイナとハタハタに見送られ、クーロンG9は再び飛び立つ。

 そしてレンゴウの空港まで辿り着くと、今度はミリアとオボロが城を降りた。

 帰路に着く二人に別れを告げて、クーロンG9はアラシたちの国・ドローマに戻っていく。

 クーロンG9があるべき場所に鎮座すると、大勢のドローマ国民が歓声を上げた。


「アラシ様とシナトだ! 帰ってきたんだ!」


「巨神と歌姫もいるぞ!」


 手を振り応えるセイたちを、ドローマの人々は拍手喝采で出迎える。

 鳴り止まない喧騒の中で、彼らはようやくフィニスとの戦いが終わったことを実感した。

 同じ頃、ソウルニエでは––。


「あーあ。フィニス、やられちゃったか」


 とある墓場の中心で、少女がつまらなそうに呟く。

 人間の上半身に蜘蛛の下半身を持つその少女は、墓場を歩き回りながら続けた。


「人間に取り憑くなんてバカなことをするからよ。人間を操るなら、もっとスマートにやらなきゃ」


 少女は四方八方に糸を伸ばし、墓石の下に眠る魂たちを引っ張り上げる。

 そして糸で生前の肉体を再現すると、自分の前に跪かせた。


「こんな風にね。あははっ!」


 絶対忠誠の私兵を得て、少女は満足げに高笑いする。

 濃紺の夜空を見上げながら、彼女は恍惚とした表情で言った。


「巨神カムイ……いやセイ。あなたも今に加えてあげるわ。栄光あるあたしの騎士団にね」


 生者の世界に赴くべく、少女は死体の騎士団を率いて歩き出す。

 彼女たちが去った墓場の遥か遠くで、荘厳なる神殿が輝いた。


「……時が来たか」


 何処かセイに似た雰囲気の男はそう呟き、カムイを模した石像の前に跪く。

 その神殿の名は、『巨神の殿堂』。

 歴代カムイの魂が眠る聖なる地。

 カムイ像の意思を読み取って、男はしっかりと宣言した。


「分かった。翡翠の勾玉は、俺が必ずあるべき場所に返してみせる」


 男は神殿を飛び出し、生者の世界へと走り出す。

 巨神に仕える男と死体を操る蜘蛛少女。

 謎に包まれた二人が世界に齎すものは終焉か、それとも––。

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