第30章 蜜の味

変わった二人組



「げっほ!!」


 豪快な咳の音が響く。

 クーロン城のバルコニーで見張りをしていたシナトが、振り向いてミカに話しかけた。


「喉、まだ痛むか?」


「うん。多分、フィニスとの戦いで無理し過ぎたんだと思う……」


 ミカは赤く腫れた喉を押さえながら、数日前の戦闘を思い出す。

 彼女はフィニスに囚われたユキを救い出すため、粉塵が舞い散る凍土の中で熱唱し続けた。

 そのせいで喉に過剰な負担がかかり、炎症が起きているのだ。

 現在は療養に努めているが、未だ改善の兆しはない。

 再び咳き込むミカの背中を見つめながら、シナトは不安げに呟いた。


「ここまで重症となると、もはや方法は……」


「あったぞ!」


 騒がしい足音を立てて、セイが階段を上がってくる。

 興奮した様子の彼を宥めながら、シナトが言った。


「どうした、何があった」


「ミカちゃんの喉を治す方法だ!」


 セイは即答し、二人に持っていた本『ドローマ山の幸大百科』を見せる。

 喉や鼻に効く動植物の特集ページを開いて、彼は元気よく言った。


「サエズリバチの蜜と幾つかの薬草を混ぜて飲めばいいってさ!」


「……サエズリバチの蜜は高級品だ。簡単には手に入らん」


「そんなぁ〜!」


 見えかけた希望を断ち切られ、セイはあからさまに肩を落とす。

 困り果てる二人に、シナトが冷静なフォローを入れた。


「落ち着け。方法ならある」


 シナトは再びバルコニーに出て、遠くに聳える山を指差す。

 彼は簡潔に方法を告げた。


「あの山を登るんだ」


「よし、早速行こうぜ! ……あ、ミカちゃんは留守番だぞ」


「えーっ」


「えーっじゃないの。じゃ、ちょっと行ってくるから」


「俺も同行するぞ。アラシの奴は書類仕事を俺に任せすぎるからな、少し痛い目を見た方がいい」


 セイとシナトは頷き合い、登山準備のため城を後にする。

 二人の背中を見送って、ミカは広くなった部屋の天井を見上げた。

 質素な椅子に座り、神話の書を広げる。

 表紙に刻まれた傷の数々が、これまでの戦いの過酷さを物語っていた。


「それでも、セイやみんな一緒に乗り越えてきた。きっとこれからも……」


「たっだいまー」


 無遠慮に扉を開けて、アラシが部屋の中に入ってくる。

 彼は山積みの資料を机に置くと、何気ない態度で質問した。


「シナトは?」


「セイと一緒に出かけた。私の薬の材料を取りに、向こうの山まで」


「なっ……あいつら、オレを置いていくつもりか!? そうはさせねえぞ!」


 アラシは二人に合流すべく、ミカの向かいに座って書類の山と格闘を始める。

 しかし数分で頭から湯気を上げると、彼は天を仰いで絶叫した。


「だめだーッ!! シナト、早く帰ってきてくれーッ!!」


 頭脳労働が苦手なアラシが守護者の職務を遂行するには、シナトの協力が欠かせない。

 アラシは大きな溜め息を吐くと、落ち着きを取り戻して言った。


「……悪いな、いきなりデカい声出して」


「別にいいよ。むしろシナトが羨ましいかも」


「羨ましい?」


「上手く言えないけど……私とセイの関係と、アラシとシナトの関係は違う気がする」


 アラシとシナトは主従でこそあるが、その付き合いは対等そのものだ。

 日常生活も戦闘も同じ目線の高さで行い、そこに遠慮や気負いはない。

 しかしセイとミカには、名状し難い隔たりのようなものがある。

 セイは自分を頼れるパートナーではなく、保護対象として見ている節があるのだ。

 巨神と歌姫の違い故ある程度は仕方ないのかもしれないが、やはり納得するわけにはいかない。

 どうにか今の関係から前進したいというのが、ミカの思いだった。


「私ももっとセイに頼られたいし、アラシみたいにガサツなやりとりしてみたい。ねえ、どうしたらいい?」


「どうしたらって……」


 予想外の質問に、アラシは頭を悩ませる。

 彼は暫く考えた末、本音をそのまま口にした。


「無理してオレらみたくなる必要はないんじゃねえか? お前らにはお前らの落とし所があるだろ」


「私とセイの、落とし所」


「ああ。ちゃんとそれを見つけないと、大変だぞ」


 アラシはシナトと仲違いした苦い記憶を思い出しつつ、ミカに語りかける。

 ミカは大きく頷くと、晴れやかな表情で言った。


「ありがとう。私、頑張る」


「おう!」


 アラシは元気よく頷いて立ち上がる。

 そのまま部屋を出ようとする彼の裾を掴んで、ミカがにっこりと微笑んだ。


「だからアラシも、書類頑張ってね」


「シナト、助けて……」


 泣き言を言いながらも書類に取り組むアラシを、ミカは生暖かい目で見守る。

 その頃セイとシナトが向かった山では、蜘蛛少女が暗躍を始めていた。


「深い緑、青い空。なんて気持ちの悪い世界なの。あたしが素敵に作り替えてあげなくちゃ」


 蜘蛛少女は夥しい量の糸を吐き出し、含まれた瘴気で山の自然を腐らせる。

 そして難攻不落の迷宮を作り上げると、至る所に死者の兵隊を配置した。


「死と破滅だけの世界をたっぷり楽しんでね、巨神カムイ?」

—————

迷宮と新たなる使徒



「大分集まってきたな」


 籠いっぱいに薬草を詰め込みながら、セイが呟く。

 シナトが頷いて言った。


「ああ。サエズリバチの蜜も手に入ったし、そろそろ下山するか」


「おう」


 二人はクーロン城に戻るため、来た道を戻り始める。

 深い緑の匂いを感じながら、セイが何気なく呟いた。


「ミカちゃんの喉を治したら、いよいよソウルニエか」


「何だ、緊張してるのか?」


「緊張っていうか……最近負け続きだから、ちょっとナーバスになってんだ」


「へえ、カムイもナーバスになるんだな」


「……なるさ、そりゃ」


 大木の下を通り抜けるセイの顔に、薄暗い陰が滲む。

 茶色い幹に背を預けて、彼は続けた。


「時々思うんだ。お師匠が今も生きてたらって。お師匠なら、ミカちゃんを危険に晒さないんじゃないかって」


「ミカだって歌姫なんだ。覚悟くらいできていると思うが」


「俺ができてないんだよ。……これ以上、失いたくない」


 セイはシナトに背を向けて、足早に下山しようとする。

 後を追うシナトの鼻を、不快な臭いが擽った。


「不法投棄か? 城に戻ったら衛生兵を向かわせなければ」


「マナーの悪い奴もいるんだな。それより早く戻ろうぜ」


 進むほどに臭いは強くなり、豊かな自然も姿を消していく。

 そして10分ほど歩くと、周囲の木々は完全に枯れ果ててしまった。


「これはどうなっているんだ? 災獣の仕業か?」


「いや、災獣ならこの勾玉ですぐ分かる……あっそうだ!」


 セイは勾玉を掲げると、カムイに変身して無理やり脱出しようとする。

 セイの体が風と雷に包まれた瞬間、周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。


「ッ!?」


 景色に身を潜めていた兵士が実体化し、セイに向かって襲いかかる。

 シナトは寸での所でセイを庇うと、腰の刀で兵士の首を断ち切った。

 兵士の肉体が無数の糸と化し、黒い地面に崩れ落ちる。

 シナトが刀を収めると、セイは等身大のままで荒い息をしていた。


「変身できねえ……。どうなってんだよ、これ」


「さっきの敵からは明確な殺意を感じた。山の異変といい、この状況を作り出した攻撃者がいることは間違いない」


「攻撃者か……」


「とにかく探索を続けよう。何か分かるかもしれない」


「あ、ああ」


 シナトは刀で近くの木に傷をつけると、セイと共に山の探索を開始する。

 何体かの兵士を倒しながら暫く歩き回った二人を、傷ついた木と糸が出迎えた。


「元の場所に戻った? いや、これは……」


 シナトはぶつぶつと独り言を呟きながら、脳細胞をフル稼働させる。

 やがて彼は答えに辿り着くと、セイの肩を掴んで叫んだ。


「分かったぞ! この迷宮を脱する方法が!」


「本当か!?」


 シナトは大きく頷き、セイに作戦を耳打ちする。

 その頃クーロン城では、ミカとアラシが二人の帰りを待っていた。


「セイたち、遅いね」


「全くだ。寄り道するような奴じゃねえんだけどなぁ……」


 半分ほど片付いた書類の山から顔を上げて、アラシが勢いよく首の骨を鳴らす。

 彼は椅子から立ち上がると、派手な上着を羽織って言った。


「よし、二人を探しに行くぜ!」


「ええっ!? げほっごほっ!」


「いい加減書類仕事にも飽きたしな。お前も来るか?」


 ミカは静かに頷く。

 セイの隣に立つためならば、少々の無茶くらいどうということはない。

 小鳥のリンも同行し、二人と一羽は山に向かった。


「何だこれ……」


 山の麓に辿り着くなり、アラシは怪訝そうな声を上げる。

 腐臭が漂う枯れた山に踏み込もうとすると、リンが力なく地に墜ちた。


「リンちゃん、大丈夫?」


「ええ……しかしこの山には、聖なる力を拒む邪気が張り巡らされているようです。恐らく、変身はできないでしょう」


「分かった。少し休んでて」


「ありがとうございます」


 ミカはリンを鞄の中に隠して、アラシと共にセイたちの捜索を開始する。

 やがて遠くまで伸びた細長い糸を発見し、アラシが呟いた。


「シナトの奴、考えたな」


「どういうこと?」


「無策でこんな所をうろついていたら、確実に迷う。だからシナトはこの糸を使って、自分の歩いた道が分かるようにしたんだ」


 アラシは躊躇いもせずに糸を辿っていく。

 その背中がとても遠くに見えて、ミカは思わず問いかけた。


「どうしてそう言い切れるの?」


「シナトを信じてるからだ」


 アラシはそれきり振り返らず、汚れた山を駆け抜ける。

 ミカも後に続き、二人は山の頂上まで辿り着いた。


「……セイ!!」


「シナトっ!」


 探し人の姿を発見し、ミカたちは急いで駆け寄る。

 満身創痍のセイに、ミカは慌てた様子で叫んだ。


「何があったの!?」


「あいつだ……」


 セイは震える指で正面を指差す。

 彼の示した方角には、一人の少女が立っていた。

 人間の上半身と蜘蛛の下半身を持ち、可愛らしくも残酷な笑みを浮かべている。

 口の端についた血を見て、ミカは険しい表情で尋ねた。


「あなたがセイたちをやったの?」


「そうよ」


 蜘蛛少女はあっさりと肯定する。

 身構えるセイたちに、彼女は自らの素性を告げた。


「あたしは『ラスト』。無能なフィニスに代わってこの世界を滅ぼす、終焉の使徒よ」


 蜘蛛少女––ラストは糸を吐き出し、セイたちの体を縛り上げる。

 彼らの自由を奪うと、ラストは勝ち誇って言った。


「自分に有利な状況を作り、戦わずして勝つ。あたしの作戦、スマートでしょ? まあ、想定外の事態はあったけど」


 シナトが迷宮を攻略し自分の元まで辿り着いたことには驚いたが、結果的には圧勝だ。

 後はこのまま彼らの首を刈り取るだけ。

 まずは忌々しいシナトから殺してやろう。

 ラストが緩やかに脚を振り上げた、その時だった。


「シナトに……手ぇ出すな!!」


 アラシが信じられない力で糸を引きちぎり、ラストの脚を受け止める。

 そしてラストを投げ飛ばすと、刀でセイたちを縛る糸を切り裂いた。


「凄い力ね。あなたの頑張りに免じて、今回は見逃してあげるわ」


 ラストは捨て台詞を吐き、闇の中へと去っていく。

 ひとまず窮地を切り抜けたのを確認すると、四人は未だ汚れたままの山を下りたのだった。


「山が元の姿を取り戻すには、もう暫くかかりそうです」


「……そうか」


 リンの言葉に、アラシは重々しく答える。

 大事な国土を穢されたアラシの怒りを思って、セイとミカの表情も暗くなった。


「その点も含めて、ちゃんと書類を作らないとな」


 シナトだけは敢えて明るい態度を見せ、アラシの背中を軽く叩く。

 まだ城に残っている書類の山を思い出し、アラシは蒼い顔で言った。


「シナトぉ……手伝って」


「断る。少しは自分でやるんだな」


「そんなぁ〜! 手伝ってくれよ〜!」


「追いかけてくんなってお前もう……あっバカ鼻水飛ばすな!」


「シナト〜!!」


 アラシとシナトの追いかけっこに呆れつつ、セイとミカもクーロン城に帰還する。

 そして山で採れた材料を調合した薬を飲むと、ミカの喉は目覚ましい快復を見せた。


「お薬ありがとう。これで心置きなくソウルニエに行けるね」


「ああ、そうだな」


「うん。じゃあおやすみ」


 寝室に引き上げていくミカを見送って、セイも自分の部屋に戻る。

 窓の外に広がる夜空を眺めながら、彼は昼間の戦いに想いを馳せた。


「……あの時」


 もしもラストがミカを狙っていたら、自分は彼女を助けられただろうか。

 多分無理だっただろうな、とセイは苦笑する。

 力なく乾いた笑い声を上げながら、セイはソウルニエに行く日が一日でも遅くなるようにと願うのだった。

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