第31章 災獣墓場

送り屋は逃げない



 ラストの襲来から三日後。

 死者の世界への扉を開く装置を完成させたミリアは、セイとミカをレンゴウに呼び寄せた。


「これを使えば、ソウルニエに行ける……」


 終焉の使徒の総本山と思しきその場所は、ミカにとっては故郷でもある。

 期待の高まるミカの隣で、セイが恐る恐る尋ねた。


「一応聞くけどさ、行くのはクーロンじゃダメなのか?」


「クーロンでは質量オーバーだ。それに、一国の城を死の世界に向かわせるわけにはいかないだろう」


「俺たちならいいみたいに言うなよ……」


 セイの苦情を華麗に躱して、ミリアは装置を起動する。

 尚も尻込みするセイを、ミカが明るく励ました。


「私たちなら大丈夫。さ、行こう!」


「……そうだな、行くか!」


 セイとミカは手を繋ぎ、装置が作り出す闇の中に飛び込む。

 そして二人は時空のうねりを潜り抜けて、死の世界へと足を踏み入れた––。


「ここがソウルニエか。……なんか、想像してたのと違うな」


 目の前に広がるソウルニエの街並みを見渡して、セイは拍子抜けしたように呟く。

 それは血の池や針山がひしめく地獄ではなく、何とも穏やかで平和な光景だった。


「建物はレンゴウっぽくて、畑はラッポンみたい。ねえセイ、色んな国の特徴が混ざってるのもあるよ。ほら!」


「お、おう」


 それもそうか、とセイは思い直す。

 ここは死者の国だ。

 どこの国に生まれても、結局最後はこの国の住人になる。

 ソウルニエの文化は、死者たちが生前に得たものの積み重ねでできているのだ。


「死んだ命もまた命、ってことか」


「どうしたの?」


「何でもない。取り敢えず、まずは終焉の使徒の手掛かりを探ろうぜ。観光はその後だ」


「うん」


 聞き込み調査を開始したセイたちは、まず近くにいた中年の男に話を聞く。

 男は首を横に振ると、素っ気ない態度で言った。


「そういうことは、腕章のない奴に尋ねた方がいいんじゃねえか?」


「腕章?」


「何だ、お前ら知らねえのか」


 セイとミカは同時に頷く。

 男は大きな溜め息を吐いて、右腕に巻いた腕章を指差した。


「こいつは元からソウルニエにいた奴と、死んでここに来た奴を区別するためにあるんだ。ちなみに俺はドローマ出身だから、赤い腕章をつけてるぞ」


「色で出身国も分かるんだな。ありがとう。アラシにもよろしく言っておくよ」


「おう、じゃあな!」


 男に見送られて、セイたちは聞き込みを再開する。

 数日前に買った袋詰めのナッツをリンにあげながら、ミカが言った。


「荒っぽかったけど、親切だったね」


「だな。腕章をつけてない奴を探すか」


 ミカからナッツを受け取りつつ、セイは周りの人を観察する。

 紫色の法衣に身を包んだ腕章のない女性を見つけると、ミカを連れて彼女の元に駆け寄った。


「なあ、少し聞きたいことが」


「これから仕事なの。後にして」


「仕事か。見学させて貰ってもいいか?」


「いいけど、邪魔しないでよ? 結構大事なことなんだから」


 女性は念押しすると、セイとミカを自身の仕事場に連れて行く。

 ラッポン式の木造家屋の戸を叩くと、和装の老婆が彼女を出迎えた。


「『送り屋』さんですね。今日はよろしくお願いします」


「はい、よろしくお願いします」


 女性––送り屋は、セイたちへの態度が嘘のように丁寧な態度を見せる。

 彼女の後に続こうとしたセイとミカを、老婆が呼び止めた。


「失礼ですが、あなた方は?」


「新人研修です」


 送り屋がセイたちよりも早く説明をすると、老婆はあっさりと納得する。

 そして老婆の案内の下、三人は畳敷きの部屋に通された。


「あ、送り屋さんだ!」


 部屋の襖を開けるなり、水色の腕章をつけた少年が元気に駆け寄ってくる。

 送り屋は身を屈めて少年の頭を撫でると、老婆に話しかけた。


「この子が今日の?」


「ええ。数年間育てて来ましたが……お別れです」


 穏やかだった老婆の態度に、僅かな寂しさが滲む。

 その気配を察してか、少年は老婆に話しかけた。


「泣かないでよお婆ちゃん。僕、また遊びに来るから」


「うん、うん……!」


 老婆はとうとう感極まり、力いっぱいに少年を抱き締める。

 最期の別れを済ませて、老婆は毅然とした態度で言った。


「……お願いします」


「はい」


 送り屋は少年の手を握り、畳敷きの部屋に入っていく。

 セイとミカも入室すると、彼女は部屋の襖を閉めた。

 厳かな緊迫感が、薄暗い部屋に満ちる。

 送り屋は静かに深呼吸をして、少年の額に人差し指を押し当てた。


「黄泉の洗練を受けし魂よ、今再び新たな命となれ」


 送り屋の呪文を受けた少年の体が光に包まれ、少しずつ透き通っていく。

 少年の姿が完全に消え去ったのを見届けると、送り屋はセイたちに向き直って言った。


「死者の魂を清めて、新しい命として現世に還す。これが送り屋の仕事よ」


「へぇー……」


 死の国ならではの職業に、セイとミカは感心の溜め息を吐く。

 そして手続きを済ませた送り屋に連れられ、二人は家を後にした。


「で、何なの? 聞きたいことって」


 ひと仕事終えて、送り屋は再びぶっきらぼうな態度に戻る。

 終焉の使徒について尋ねようとしたセイたちを、大きな地響きが遮った。


「災獣だ!!」


 送り屋が叫ぶ。

 背中に森林を生やした四つ脚の巨獣––密林災獣ジャングジラを見るなり、彼女は慌ててセイたちを遠ざけようとした。


「早く逃げろ! ソウルニエで死んだら、二度と生まれ変われなくなるぞ!」


「だったら、尚更逃げるわけにはいかないな」


「そうだね。みんなを守らないと」


 セイとミカは送り屋の手を払い、ジャングジラの前に立ちはだかる。

 不安げな彼女に見守られながら、二人は同時に叫んだ。


「超動!!」


 セイの体が嵐に包まれてカムイとなり、ミカの力を受けたリンはヤタガラへと変身する。

 カムイとヤタガラが同時攻撃を仕掛けようとした、その時だった。


「ッ!?」


 ジャングジラの体が炎に包まれ、カムイとヤタガラを怯ませる。

 炎の中で灰となっていくジャングジラの姿を見つめながら、カムイが呟いた。


「これは、まさか……!」


 ミカが言葉の意図を聞き返す間もなく、炎は完全にジャングジラを焼き尽くす。

 そして燃え盛る業火を切り裂いて、新たな災獣が現れた。

 三つの首を持つ地獄の番犬、『凶犬災獣ドルベロス』。

 その眼光に射られた途端、カムイの心から闘志が消えた。


「……みんなは先に逃げろ」


「えっ?」


「いいから逃げろ! こいつは俺たちの勝てる相手じゃない!!」


「ちょっと、セイ!」


 ミカの制止も聞かず、カムイはドルベロスに向かっていく。

 我武者羅に攻撃を繰り出しながら、彼は絞り出すように叫んだ。


「お師匠は、こいつに殺されたんだ……!!」

—————

本物の巨神



 カムイとヤタガラの前に突如現れた、凶犬災獣ドルベロス。

 その姿を目にしたカムイは突如取り乱し、単身で攻撃を開始した。


「よくも! よくもお師匠をッ!!」


 カムイは遮二無二刀を振るうが、ドルベロスの皮膚には傷一つつけることができない。

 ミカの命令を受けたヤタガラが、カムイを援護すべく飛び立った。


「ヤタガラ羽吹雪!」


 ヤタガラは羽毛を撒き散らし、ドルベロスの視界を塞ぐ。

 しかしドルベロスは口から放つ漆黒の炎で、小手先の作戦ごとカムイたちを焼き尽くした。


「クァムァァアア!!」


「くっ!」


 カムイとヤタガラはたちまち変身解除に追い込まれ、ヤタガラと交信していたミカもまた大きな傷を負う。

 力尽きた彼らを庇いながら、送り屋はひたすらに祈り続けた。


「誰か来てくれ、誰か……!」


 災獣の脅威から自分たちを救ってくれる、奇跡のような存在。

 だが巨神カムイさえ倒れた今、そんなものは最早ない。

 暴れ狂うドルベロスを見上げながら、誰もが世界の終わりを覚悟した––。


「超動!!」


 その時、眩い光が輝いた。

 カムイ––セイが再び変身したのか。

 否、セイは送り屋たちと共に逃走している。

 しかしドルベロスの爪を受け止めている戦士の姿は、紛れもなく巨神カムイのそれだった。


「お師匠だ……」


 セイが呆然と呟く。

 ただ一点を見据える彼の視線の先で、カムイが強烈な蹴りを放った。


「ハアッ!」


 電流を纏った右脚はしっかりとドルベロスを打ち据え、その屈強な肉体に一つ目の傷を与える。

 そしてカムイが刀を構えると、ミカの瞳から光が消えた。


「っ!?」


 ミカは送り屋の腕を離れ、天に向かって無機質な歌声を響かせる。

 歌の力を受けて輝く刀を、カムイは渾身の力で振り下ろした。


「神威一刀・鳴神斬り!!」


 閃く太刀筋が稲妻を描き、次いで落雷のような衝撃音が驚く。

 堪らず退散したドルベロスの姿を見送ると、カムイは竜巻に包まれて変身を解いた。


「怪我はなかったか?」


 カムイだった男はセイたちの前に駆け寄ると、昔馴染みのような口調で話しかける。

 どこかセイに似た雰囲気を持つ彼に、ミカが恐る恐る尋ねた。


「……あなたは?」


「お師匠だ、俺のお師匠だよ!」


 セイが叫ぶ。

 興奮した様子のセイを宥めながら、男は苦笑して言った。


「おいおい、それじゃ分かんないだろ? んじゃ、改めて自己紹介だな」


 男は咳払いを一つして、頭の中で話す内容を纏める。

 そして彼はセイたちに、自らの名前を明かした。


「俺は『ハル』。セイの師匠だ。好きな食べ物はツナマヨおにぎりで、趣味はあちこち冒険すること。よろしくっ!」


 快活なハルにミカたちは気を許し、自分たちも自己紹介を始める。

 彼らが打ち解け始めた頃、ラストはとある墓場でドルベロスの手当てをしていた。


「あたしの最強ペットを倒すなんて、カムイもなかなかやるわね……あら?」


 近くに置いておいた水晶玉が光を放ち、ラストにセイたちの現状を見せる。

 そこに映っていたハルの姿に、彼女は意地の悪い笑みを浮かべた。


「これは……面白いことになりそうね」


 ラストに監視されているとも知らず、セイたちは世間話に花を咲かせている。

 ふと師弟の格好を見比べて、ミカが言った。


「ハル、やっぱり凄い似てる。髪型も服も、セイそっくり」


「違う違う。俺がお師匠に似せてるの」


 ハルの死後に面影のある服を探し回ったのだと聞き、三人は思わず苦笑する。

 立ち込めた微妙な空気を、ミカの質問が掻き消した。


「ところで、何でハルはカムイに変身できるの? 当代の巨神はセイなのに」


 その言葉を聞いて、セイの表情が凍りつく。

 彼は額に大粒の汗を流しながら、やっとの思いで呟いた。


「……違う」


「えっ?」


「俺は、本当のカムイじゃないんだ」


 そう言ったセイの顔は真っ青に染まり、過呼吸の音が静かな街に響く。

 セイはハルの右腕にしがみつきながら、罪を懺悔するかのように告げた。


「本当のカムイは……お師匠だ」


 セイの言葉に、この場にいる全員が絶句する。

 水晶玉越しのラストでさえ驚愕した。

 凍りついた思考回路を無理やり動かして、ミカが訊く。


「それ、どういうこと」


 送り屋の視線もセイに注がれた。

 口には出さないが、説明を強く求めている。

 セイはハルから体を離すと、重々しい口調で語り始めた。


「……半年前のことだ」


 その日、ハルとセイはファイオーシャンの山岳地帯を歩いていた。

 ハルは悠々と険しい山道を歩いていくが、セイは着いていくのが精一杯である。

 ハルは平らな場所で立ち止まると、追いついたセイに笑いかけた。


「ここらで昼飯にしよう」


「うん」


 二人は手頃な岩に座り、包みに巻かれた握り飯を取り出す。

 同時に『いただきます』と言って握り飯を頬張ると、米の甘さが口いっぱいに広がった。


「美味いよ、お師匠。天下一」


「へへっ、ありがとな」


「……なあ、お師匠はどうして疲れ知らずなんだ? こんなに歩いたのに、息切れ一つしないなんて」


 セイは握り飯を食べながら尋ねる。

 ハルは空を見上げて答えた。


「あっちに綺麗な花があった」


「えっ?」


「向こうには山羊の群れがいて、木の上には鳥の親子がいた。変わる景色を楽しむのに夢中で、疲れる暇がなかったんだよ」


 ハルの言葉に同意するかのように、首に提げた翡翠の勾玉が輝く。

 勾玉を指差して、セイが呟いた。


「それ、巨神カムイの」


「生まれた時から持ってたんだ。でも、俺が巨神になる日なんて来るのかねえ」


「俺は見てみたいけどな。お師匠がカムイになるとこ」


「おいおい。カムイがいるってことは、災獣もいるってことだぞ」


「平気だって! どんな災獣が出てきても、お師匠なら一発だ!」


 危機感のない弟子に呆れながらも、ハルは自分の握り飯を食べ終える。

 再び出発しようとしたその時、不吉な地響きが足元を揺らした。


「災獣だ……!」


 現れた凶犬災獣ドルベロスが三つ首を正面と左右に向け、獰猛な眼で捕食対象を探している。

 セイとハルは頷き合うと、決して音を立てないよう静かに撤退を開始した。

 危険生物から逃げる術は、お師匠に嫌というほど叩き込まれている。

 だから今回も大丈夫。

 パキリと小枝の折れる音が、そんな油断を白日の下に曝け出した。


「っ!」


 ドルベロスの首が一斉に動き、六つの眼でセイたちを睨み据える。

 ハルはセイを庇うように突き飛ばすと、勾玉を掲げて叫んだ。


「超動!!」


 ハルの体を風と雷が包み、彼は巨神カムイに変わる。

 ドルベロスと戦い始めたカムイを見上げながら、セイは急いで逃げ出した。

 カムイは鮮やかな動きでドルベロスを翻弄し、確実に戦闘を進めていく。

 いよいよカムイが鳴神斬りの構えを取ったその時、走るセイの視界に何かが過ぎった。


「仔山羊だ……」


 親と逸れてしまったのだろうか、逃げることもせず崖の上で不安げに佇んでいる。

 もしカムイが必殺技を放てば、その余波で間違いなく死んでしまう。

 そう思った瞬間、セイは既に動き出していた。


「ダメだお師匠ー!!」


 喉が千切れるほどの声量で叫び、韋駄天の速さで崖を駆け上がる。

 そして仔山羊を助け出すと、セイはどこか誇らしげな気持ちでカムイを見上げた。


「ぇ」


 目に映った光景を見て、セイは口角が上がったまま立ち尽くす。

 刀を構えたカムイの体は、ドルベロスの牙によってズタズタに食い散らかされていたのだ。


「そんな……」


 青褪めるセイの目の前で、カムイはハルの姿に戻る。

 セイは居ても立ってもいられぬまま、血と傷に塗れた師匠の元に駆け寄った。


「お師匠!!」


「セイ……」


 ハルは優しく微笑んで、セイの頭をそっと撫でる。

 セイの目をしっかりと見つめて、彼は告げた。


「よく、あの仔山羊を見逃さなかったな。合格だ。俺から教えることは、もう何もない」


「何言ってんだよ、俺まだ全然足りないよ! もっとお師匠と旅がしたいよ!」


「……セイ」


 泣き喚くセイの掌にハルはそっと何かを握らせる。

 手の中で輝きを放つのは、巨神の証である勾玉だった。


「これをお前に託す。世界を頼んだぞ」


「お師匠、しっかりしてお師匠! ねえ! お師匠!!」


「今日からお前が、巨神カムイだ」


 その言葉を最期に、ハルは力なく崩れ落ちる。

 師匠の亡骸を抱きながら、セイは悍ましいまでの慟哭を上げた。

 叫びが豪雨と風を呼び、遠くに雷鳴を響かせる。

 そして次に目を開けた時、セイは巨神カムイとなっていた––。


「……で、やっとのことでドルベロスを倒した。それからミカちゃんに出会うまで、俺はずっと一人旅をしてきたんだ」


 話し終えたセイは疲れ切った様子で、ぐったりとその場に座り込む。

 彼の知られざる過去には、ミカでさえ何かを言うことができなかった。


「今日まで、辛い思いをさせたな」


 セイの肩に手を置いて、ハルが慰めの言葉をかける。

 しかし次の瞬間、それは衝撃的な提案に変わった。


「これからは俺がカムイとして戦う。だから、勾玉を渡してくれないか?」

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