第32章 残された暗闇

引き返せばゼロ



「これからは俺がカムイとして戦う。だから、勾玉を返してくれ」


 ハルはセイの正面に立ち、右の掌を差し出す。

 ミカが二人の間に割り込んで言った。


「ちょっと待って! 勾玉を渡すって、じゃあセイは?」


「普通の人間に戻るんだ。君だって、彼を危険に晒したくはないだろう?」


「そう、だけど……」


 ミカは俯き、ちらりとセイの方を見る。

 重力のような圧の中、セイは呆気なく答えた。


「分かった!」


 セイは首に提げた勾玉を外し、ハルに手渡す。

 呆然とするミカの背中を叩いて、彼はあっけらかんとした態度で言った。


「というわけで、今日からお師匠があんたのパートナーだ」


「というわけでって……セイはそれでいいの!?」


 微かに抱いていた期待を裏切られ、ミカは思わず大声を出す。

 柳眉倒豎の彼女に気圧されながらも、セイはあくまで飄々とした態度を見せた。


「い、いいに決まってるだろ。お師匠といれば、ミカちゃんもこの世界も安心安全だ」


「でも、私はセイと旅がしたい」


「それで死んだらどうすんだよ。……さっきの戦いで分かっただろ。本当のカムイは、お師匠なんだ」


 確かに、戦闘力ではハルの方が上かもしれない。

 しかし自分にとってのカムイは、やはりセイ一人だけなのだ。

 それがどうして分からない。

 焦りはやがて苛立ちとなり、セイを見つめる目に現れる。

 ミカの視線から目を逸らして、セイはぽつりと呟いた。


「……分かってくれよ」


「分かりたくない。セイと離れ離れなんて認めない!」


 両者の主張は平行線のまま、微塵も交わる気配を見せない。

 ミカを守りたいセイと、あくまでセイとの旅を望むミカ。

 互いの本心を隠したまま一緒にい続けたツケを、二人は最悪の形で支払おうとしていた。


「……ウザいんだよ」


「えっ?」


「そういう風に執着されるの、ハッキリ言って迷惑なんだよ! 金輪際顔も見たくねえ! お前なんか……大嫌いだ!!」


 誰より側にいたい人に吐き捨てられた、『嫌い』という言葉。

 それは災獣のどんな攻撃より破壊的な衝撃となってミカの心を引き裂いた。

 凶暴な爪や牙より、言葉一つがこんなにも痛い。

 その痛みから逃れようとして、ミカもまた同じ悪意に身を落とした。


「私だって、セイのこと嫌い!!」


 ミカはそう吐き捨て、逃げるようにこの場を走り去る。

 酷く蒼い顔で数歩後退りすると、セイもまた彼女とは真逆の方向に逃走した。


「おい、ちょっと」


「追うな。これはセイの問題だ」


 ハルに制止され、送り屋はやむなく追跡を止める。

 ミカを探す二人の背中を眺めながら、ラストは諸手を挙げて喜んだ。


「仲間割れなんて超ラッキーじゃない! 今こそ奴らを叩きのめす絶好のチャンスよ!」


 ラストは地面に糸を突き刺し、災獣の魂を墓の下から引っ張り上げる。

 そして彼女は魂に糸を絡みつかせ、彼らに仮初の肉体を与えた。

 太古の昔より姿を変えずに生き続ける大鰐、『化石災獣コダイル』。

 雄叫びを上げて進撃するコダイルの背中を眺めながら、ラストは昏い空を見上げて呟いた。


「万に一つも増援を呼ばれないよう、生者の世界も苦しめておかないとね」


 ラストは天に向かって糸を伸ばし、不気味な呪文を唱え始める。

 その頃ソウルニエのとある街は、コダイルの出現で大混乱に陥っていた。


「災獣っ」


 セイは現場に向かおうとするが、すぐに戦う力がないことに気づいて足を止める。

 変身道具の勾玉は、ハルに渡してしまった。


「……俺には関係ない。俺はもうカムイじゃないんだ」


 暴れるコダイルに背を向けて、セイは再び歩き始める。

 遠くで巻き起こる嵐の音が、巨神カムイの出現を告げた。


「ハッ!」


 コダイルはカムイに噛みつき、高速回転してその体を捩じ切ろうとする。

 カムイも負けじと電流でコダイルを怯ませ、戦いは振り出しへと戻る。

 睨み合う両者の均衡を、ミカの歌声が崩した。


「……何で? 私、歌えるような気分じゃないのに」


 歌姫としての本能が彼女の意思とは無関係に喉を震わせ、カムイに力を届ける。

 カムイは風の御鏡を構えると、トルネード光輪を四方八方に乱射した。


「これで終わりにしてやる!」


 更にカムイは竜巻の一つを横倒しにし、その中に飛び込む。

 竜巻を発射台に見立てて突撃する戦法には、ミカも覚えがあった。


「あれはセイの……」


 思い出に浸る間もなく、唸りを上げてカムイが射出される。

 コダイルを貫くかと思われたカムイの体は、しかし全く見当違いの方向へと飛んでいった。


「失敗……? いや違う!」


 突き進むカムイを別の竜巻が受け止め、射出されたカムイをまた別の竜巻が受け止める。

 先ほどのトルネード光輪は敵を怯ませるだけでなく、この仕掛けを作るための布石だったのだ。

 破壊力を高めながら飛び回るカムイにコダイルは翻弄され、攻撃することができない。

 そしてコダイルが決定的な隙を晒した瞬間、カムイは最後の砲台から飛び出した。


「はあーッ!!」


 勢いに身を任せて高速落下し、堅牢な皮膚に大太刀を突き立てる。

 コダイルが断末魔の叫びを上げると、その体は白い絹糸となって地面に崩れ落ちた。


「……カムイ」


 人々の賞賛を一身に浴びるカムイの姿を眺めながら、セイとミカは同じ言葉を呟く。

 二人を隔てる壁のように、巨神はそこに立っていた。

—————

生者の更新



 セイとミカがソウルニエに向かった後も、生者の世界では守護者を中心とした終焉の使徒の捜査が続けられていた。

 各国からの報告書に目を通しながら、ミリアが呟く。


「どこも異変はなし、か」


 ソウルニエへの渡航は、とても危険性の高い賭けだ。

 もし終焉の使徒が現世の存在なら、むざむざと自滅する自分たちに対し何の干渉もしてこない。

 しかし死の世界の住人だとすれば、必ず何かしらの妨害工作を仕掛けてくる。

 これがミリアの読みだった。


「後はラッポンの報告書だけだな……む?」


 ラッポンからの書類を見たミリアは、思わず目を疑う。

 そこには信じられない内容が記されていた。


「スネ毛フェスティバル夏の陣? 何だこれはっ!」


 どう考えてもふざけているとしか思えない文面に困惑していると、当のリョウマが研究室に入ってくる。

 和装を纏った彼に、ミリアは青筋を立てて詰め寄った。


「リョウマ君、これは一体どういうことだ?」


「いや、その」


「スネ毛フェスティバル夏の陣とは何だ? 冬の陣もあるのか? 春は? 秋は?」


「お待ち下さい! 私はリョウマ様の側近でございます!」


「……そうか、ラッポンにはリョウマと瓜二つの影武者がいるのだったな。それで、この書類は?」


 リョウマ改め影武者はひとまず胸を撫で下ろすが、すぐに姿勢を正して跪く。

 影武者は一瞬躊躇うと、主君の身に起こった異変を告げた。


「実は、リョウマ様はバカ殿になってしまわれたのです」


「バカ殿に?」


「実際に見て頂ければ分かるかと」


「……そうか。すぐに船を出そう」


 ミリアと影武者は船に乗り、ラッポンのラヅチ城まで足を運ぶ。

 逃げ惑う家来たちを掻き分けて大広間に進むと、そこには信じられない光景が広がっていた。


「なるほどな、これは確かにバカ殿だ」


 リョウマは股間にアヒルの頭がついたバレエ衣装を纏い、奇声を上げながら誰彼構わず股間のアヒルを押しつけている。

 彼はミリアたちに気がつくと、不気味な挙動でこちらににじり寄ってきた。


「来るなーッ!」


 ミリアは生理的嫌悪感のあまり、分厚い学術書でリョウマの頭を殴りつける。

 昏倒した彼から距離を取るミリアを、影武者が嗜めた。


「ミリア様、流石にそれは」


「仕方がないだろう今のは!」


 ミリアの圧に怯みながらも、影武者はリョウマを医務室まで運ぼうとする。

 その時、リョウマの服から一匹の小蜘蛛が這い出した。


「蜘蛛……? おい、そいつを捕まえろ!」


「はっ!」


 ミリアと影武者は小蜘蛛を追い回し、どうにか瓶の中に捕えることに成功する。

 そしてミリアは影武者にリョウマの始末を任せると、レンゴウに戻って小蜘蛛の分析を開始した。


「僅かだが、フィニスと同じ反応が出ている。終焉の使徒の仕業であることは間違いないな」


 それに蜘蛛といえば、アラシから聞いたラストの特徴と一致している。

 やはり終焉の使徒はソウルニエにいるのだと確信して、ミリアは決意を固めた。


「どうにかこの騒ぎを収めて、セイたちの援護をしなくては」


 ミリアは水晶玉を起動し、各国の守護者に事情を伝える。

 アラシには地上の監視を頼み、ハタハタとオボロには自分と共に作戦会議に加わるよう伝えた。

 最後に返事のなかったユキとシイナにも伝言を残して通信を終える。

 しかしその直後、下の階にいた学生の一人が切羽詰まった様子で駆け込んできた。


「どうした!?」


「街の人の様子が変なんです! 訳わかんないことを言いながら暴れ始めてっ」


「もうそこまで広がっていたか! 君は避難しろ。私はミクラウドに向かう!」


「はい!」


 ミリアは塔大を飛び出すと、馬に乗って空港への道をひた走る。

 空港まであと少しという所で、彼女は小蜘蛛に侵された男に追われるハタハタを発見した。


「何なんですの!? やめてくださいまし!」


「俺は最強だ!」


 男は座った目で槍を振るい、ハタハタを圧倒する。

 ミリアは馬から飛び降りた勢いで彼にのしかかるが、男はそれを容易く跳ね除けた。


「力も増しているのか……!」


「どうするんですの!? これではミクラウドに行けませんわ!」


「撃退するしかあるまいっ!」


 ミリアとハタハタは槍の男に応戦するが、理性を失った男は数的不利を物ともせずに暴れ回る。

 横薙ぎに振るわれた槍の直撃を受けて、ミリアたちはついに崩れ落ちてしまった。


「死ねェー!」


 二人纏めて串刺しにせんと、男が槍を振り下ろす。

 鋭い刃がミリアたちを貫く刹那、彼女たちの前に蒼い影が飛び込んだ。


「ブリザード……」


 大鷲ブリザードの蹴りが男の顔面に炸裂し、一撃で彼を昏倒させる。

 ブリザードが旋回した先には、彼女の主人であるシヴァル国守護者・ユキが立っていた。


「ユキさん!? どうしてここに」


「民が現状を教えてくれてな。ミリア殿たちに合流するため、飛び出してきたのだ」


「体はもういいのか?」


「問題ない。それより一緒に戦わせてくれ。こんなことでは、罪滅ぼしにはならないが……」


 ユキはかつて心の闇を利用され、終焉の使徒フィニスに肉体を乗っ取られた過去がある。

 その時の罪を思い出す彼に、ミリアは本心からの言葉をかけた。


「いや、君がいてくれて心強いよ。改めてよろしく頼む」


「……ああ!」


 世界を守る同士として、三人は固く手を取り合う。

 そしてミリアたちは空港の鳥に乗ると、遥か天空の国・ミクラウドに向けて出発した。


「おお、待っておったぞ」


 ミクラウドに到着した三人を、守護者のオボロが出迎える。

 ひとまず小蜘蛛の毒牙から逃れた彼らは大聖堂に向かい、今後についての話し合いを行った。


「恐らく、何処かにあの小蜘蛛の発生源がある。場当たり的な対処を行うより、それを叩く方が早いだろう」


「でも、どうやって探せばいいんですの?」


 仮説を立てるミリアに、ハタハタが疑問をぶつける。

 ミリアたちが考えあぐねる中、ユキが徐ろに手を挙げた。


「僕なら見つけられるかもしれない。僕の中には、フィニスの力がまだ僅かに残っているんだ」


「毒をもって毒を制すか……やってみる価値はありそうじゃな」


「ええ。わたくしも賛成ですわ」


 オボロとハタハタの同意を受け、ユキの表情が輝く。

 無言で頷くミリアに後押しされ、彼は全神経を集中させて小蜘蛛の発生源を探した。


「……見つけた!」


「どこだ!?」


「ファイオーシャンの山岳地帯だ。既にシイナ殿もやられている」


「分かった。すぐにクーロンG9を向かわせる」


 ミリアは水晶玉を借り、アラシたちに小蜘蛛の発生源を伝える。

 アラシとシナトは闘志を漲らせ、遥か海の向こうへとクーロン城を発進させた。


「主役は遅れてやってくるってなァ! 超動!!」


 クーロン城は空中で龍戦士クーロンG9となり、軽やかな足取りでファイオーシャンの山を駆け上がる。

 舗装されていない地面に刻み込まれた蜘蛛の巣の紋章を発見して、アラシが言った。


「無尽蔵に蜘蛛が出てきてやがる。これだな」


「早いとこ塞いでしまおうぜ」


「だな、シナト」


 クーロンG9は大岩を持ち上げ、不気味な蜘蛛の巣を押し潰そうとする。

 しかしその瞬間、無数の蜘蛛が一つの塊となって目の前に立ちはだかった。


「なっ!?」


 蜘蛛軍団は大岩を押し返し、毒牙でクーロンG9を攻め立てる。

 かつてラッポンに出現した群虫災獣バグンダンの再来に、アラシは獰猛な笑みを浮かべて言った。


「来いよ虫ケラぁ!!」


 クーロンG9は果敢に砲撃を繰り出すが、なかなかバグンダンに決定打を与えることができない。

 むしろ紋章から無尽蔵に湧き出る小蜘蛛により、攻めれば攻めるほどジリ貧に陥ってしまっていた。


「……いいこと考えたぞ」


「アラシ、何をする気だ?」


「まあ見てろって!」


 クーロンG9は跳び上がり、落下の勢いを乗せた強烈な拳を叩き込む。

 しかしその攻撃はバグンダンではなく、小蜘蛛を生み出す紋章に炸裂した。


「バカ! そんなことしたら」


 シナトの懸念は現実に変わり、拡大した紋章から大量の小蜘蛛が噴水のように溢れ出す。

 咎めようとするシナトに、アラシは淡々と告げた。


「いや、これでいいんだ」


「……そうか!」


 相手が膨大なリソースで消耗戦を挑んでくるのなら、それを全て吐き出させてしまえばいい。

 無防備になった敵戦力を目掛けて、クーロンG9が必殺技を発動した。


「クーロン砲・最強爆裂波!!」


 クーロンG9の最大火力がバグンダン諸共小蜘蛛を焼き尽くし、空に毒々しい火花が上がる。

 もはや何も出なくなった紋章を見つめながら、アラシは真剣な口調で言った。


「シナト、もう一回ドローマを任せていいか」


 アラシのやろうとしていることを察し、シナトは思わず苦笑する。

 玉座を立った親友を、シナトは気取らず送り出した。


「あんまり遅くなるなよ」


「……おう!」


 アラシはクーロンG9のコクピットを降り、蜘蛛の巣に飛び込んでいく。

 玉座に残るアラシの体温を感じながら、シナトはゆっくりとレバーを動かした。

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