第33章 マスターピース
守りたいものは
ミカと別れてから、数日が経った。
コダイルの出現以来ラストに目立った動きはなく、ソウルニエは表向き平穏な日々を取り戻している。
繁華街の喧騒に身を埋めながら、セイは逃げるように路地裏を歩いていた。
「お兄さん、ちょっとひと休みしていかない? 安くしとくよ?」
呼び込みの若者を通り過ぎて表通りに出たセイを、人々の喧騒が出迎える。
周りの騒がしさに内心の孤独を暴かれたような気がして、セイは荒れた唇を噛んだ。
「……くそっ」
この数日間、ミカのことばかり考える。
元気でいるだろうか、腹は空かしていないか。
もし、災獣にやられてしまっていたら––。
「ちくしょう!」
大声を出したセイに、人々の視線が集まる。
セイはハッと目を見開くと、俯きながら早足で街を去った。
ミカやハルは愚か、道行く人々にすら顔を合わせられない自分が情けない。
淀んだ空を見上げながら、セイは深い緑の草原に横たわった。
「……もういいや。寝ちまおう」
草の柔らかい感触に背を預けて、ゆっくりと目を閉じる。
そよ風に吹かれながら、セイはいつかミカと並んで草原に寝転がった時のことを思い出した。
「ごめんな、ミカ……」
セイはうわごとのようにそう呟いて、意識を手放す。
深い眠りに落ちたセイは、頬を強く叩かれる痛みで目を覚ました。
「痛っ!?」
「ようやく起きたか。呑気に昼寝なんかしやがって」
セイを起こした男はぶっきらぼうにそう言うと、彼の胸ぐらを掴んで無理やり立ち上がらせる。
鮮明になった視界に映ったアラシの顔を見て、セイは驚きの声を上げた。
「アラシ!? どうして」
「助っ人に来たんだよ。なのに、何だってセイはこんなとこ一人でほっつき歩いてんだ?」
「それは……」
セイは言葉を濁す。
アラシは意地悪な口調で言った。
「答えられるわけねえか。『ミカと喧嘩した挙句、暴言吐いて飛び出した』なんてな」
「どうしてそれを!」
「本人に聞いた。一緒にいたオッサンとお嬢ちゃんもそうだって言ってる。……マジなのか」
「……ああ」
「何があった? 話してみろ」
アラシはそう言ってセイの肩を掴む。
肩から伝わる痛みが、話すまで逃がさないと言外に告げていた。
「……ミカを守りたかった」
「は?」
「死んだお師匠が現れて、カムイとして戦うって言った。だから俺はお師匠にミカを任せた。そしたら何故か喧嘩になったんだよ! 文句あっか!」
セイは乱雑に経緯を説明し、アラシの手を払って立ち去ろうとする。
しかしアラシは彼を逃さず、強い口調で問いかけた。
「あるに決まってんだろ! 仲間のことをそんな簡単に諦めんのかよ。お前、ミカが大事じゃねえのかよ!」
「大事だから諦めたんだ! 俺なんかより、お師匠といる方がいい!」
大事だから諦める。
アラシには意味が分からない。
黙り込む彼に、今度はセイが質問した。
「……もしさ、お前より凄い奴が現れて、そいつがシナトの相棒になるって言ったら、お前は相棒の座を譲るか?」
「あ? そんなわけねえだろ」
「なんでだよ」
「オレとシナトが相棒だからだよ」
アラシは迷いなく答える。
今度はセイが言葉を失った。
馬鹿げた感情論の筈なのに、的確な反論が見つからない。
長考の末に出てきたのは、あまりに幼稚な質問だった。
「……辛くないのか?」
「辛い?」
「大事にすれば、失った時が辛いだろ。アラシは違うのか?」
「……辛ぇよ」
アラシは重々しく答える。
シナトや散っていった多くの仲間たちを思い出して、彼は表情を歪めた。
「だったら手放すのが普通だろ。下らない意地張ってんなよ」
「その下らない意地が、オレを強くした」
アラシの目に迷いはない。
一切の躊躇いなく絆を語る彼に、セイはハルと同じ光を見た。
ミカやシンにも宿っていた、英雄だけが持つ本物の輝き。
その眩しさから目を逸らして、セイは小さく呟いた。
「俺は強くなれなかった」
「セイ」
「所詮俺は、偽物なんだ」
セイは力なく微笑み、アラシの肩をそっと叩いて歩き去る。
全身をわなわなと震わせて、アラシはセイを追いかけた。
「バカ野郎!!」
渾身の右ストレートを顔面に喰らい、セイの体が吹き飛ぶ。
放心した彼の目を見据えて、アラシは思いの丈をぶつけた。
「偽物なわけあるかっ!!」
「は……?」
「お前が腹の中でどう思っていようと、お前はミカと一緒に旅をしてきた! その事実に変わりはねえ! だからカムイは……ミカのパートナーはお前だけだ! これからもずっと!!」
アラシは全てを吐き出して、灰色の空を見上げる。
遥か遠くの歌姫に向けて、彼は穏やかに言った。
「確かに伝えたぜ、ミカ」
後はセイが答えを出すだけだ。
しかしアラシは、開きかけたセイの口を塞いだ。
「おつかいなら行かないぜ」
「分かってるよ」
セイはアラシの肩に手を置き、自らの決意を伝える。
そしてアラシに感謝を告げて、彼はミカの元へと駆け出していった。
「……そろそろ仕掛け時ね」
同じ頃、ラストはそう呟いて完全回復したドルベロスの毛並みを撫でる。
ドルベロスは天高く咆哮すると、本能の赴くままに走り出した。
獣の叫びに呼ばれてか、大粒の雨が降り注ぎ始める。
死の国の命運を懸けた戦いが、静かに幕を開けようとしていた。
—————
極限の夢
「……来たか」
ドルベロスの巨体を見上げるハルの目に、闘志の炎が灯る。
送り屋とミカに見守られながら、彼は勾玉を掲げて叫んだ。
「超動!!」
ハルは巨神カムイに変身し、膝蹴りでドルベロスに先手を取る。
しかしドルベロスは怯むことなく攻撃を受け止めると、三つの頭から火炎弾を吐いて応戦した。
「前より強くなってるな……だが!」
カムイは大太刀を振るって二つの火炎弾を捌きつつ、最後の一つを風の御鏡で受け止める。
そして巻き起こる爆発を突っ切り、風雷双刃刀を構えて飛び出した。
「神威一刀・疾風迅雷斬り!!」
風と雷を纏った刃で敵を貫き、肉体を構成する糸をバラバラに切り刻む。
確かな手応えを感じたその時、少女の声が脳内に響いた。
「困るのよね。簡単に倒されちゃ」
ラストは双刃刀の刃を足場代わりに跳躍し、ミカと送り屋の前に姿を現す。
彼女は麻痺毒で送り屋を昏倒させると、睨みつけてくるミカを挑発した。
「怖い顔ね。彼氏に逃げられて絶賛傷心中って感じ?」
「ここから少しでも動けば、ヤタガラの技があなたを貫く」
ミカは挑発を無視して脅しをかける。
ラストが気配を探ってみると、確かにヤタガラのものと思しき殺気が遠方から迸っていた。
「できるかしらね?」
「……ヤタガラっ!」
ラストが跳び上がったのとほぼ同時に、ミカが叫ぶ。
ヤタガラの羽撃きで生まれた真空刃が、吸い込まれるようにしてラストの元に飛来した。
並の災獣ならば一撃で両断できるこの技を喰らえば、ラストは確実に倒れてしまう。
しかし絶体絶命の状況で尚、彼女は余裕を崩さなかった。
「それで勝ったつもり?」
ラストは刃の中心に向かって糸を伸ばし、逆に真空刃を破壊する。
愕然とするミカたちに、彼女は勝ち誇るように叫んだ。
「見せてあげるわ! 終焉合身!!」
ラストは全身を黒い糸に変え、崩れゆくドルベロスの糸と結びついて存在を繋ぎ止める。
そして肉体を再構成し、ラストとドルベロスは新たな一体の災獣として生まれ変わった。
全身は警戒色の黒と黄色に染まり、背中からは蜘蛛の脚が剣のように生えている。
生物の枠組みを逸脱した三つ首の番犬は、高らかに新たな名前を告げた。
「『ラストベロス』の力……思い知れ!!」
ラストベロスは疾風迅雷斬りのお返しとばかりに怒涛の連続攻撃を繰り出し、カムイの体力を削り取っていく。
黒い炎を纏った牙に右腕を噛み砕かれ、カムイは苦悶に絶叫した。
「ぐぁあああっ!!」
カムイが取り落とした武器を踏み砕き、炎で体の自由を奪う。
残虐なる蹂躙劇の果て、カムイはとうとう力尽きた。
「ハル!」
無防備に墜落するカムイ––ハルを、ミカは地面に激突する寸前で受け止める。
必死で呼びかける彼女に、ハルは翡翠の勾玉を握らせた。
「俺のバカ弟子に、こいつを渡してやってくれ」
「でもセイは」
「あいつは必ず来る。……頼んだぞ」
そう言い残して、ハルは遂に意識を失う。
ラストベロスの眼光が、六つ同時にミカを見下ろした。
口腔内に黒い炎を蓄積し、彼女を焼き払う準備を整える。
そして殺意に満ちた叫びと共に、地獄の業火が放たれた。
「死ねぇ!!」
「……っ!」
ヤタガラの助けは間に合わず、避けても追撃が待っている。
死が目前に迫る中で、ミカは祈るように名前を呼んだ。
「セイ……!」
黒い炎が着弾し、大爆発が巻き起こる。
飲み込まれそうになる刹那、ミカは背中に懐かしい体重を感じた。
祈りが届いた。
「セイっ!」
セイは体当たりでミカを爆風から遠ざけ、また自らも素早く直撃を回避する。
ミカは何も言えぬまま、彼に手を引かれて走った。
「待ちなさい!」
「させません!」
追撃しようとしたラストベロスをヤタガラが阻み、僅かに時間を稼ぐ。
敵の死角に身を潜めて、二人はようやく立ち止まった。
「ありがと……」
そう言いかけて、ミカは自分たちがまだ喧嘩中だったことを思い出す。
彼女はずぶ濡れで座り込むセイに背を向けて、自分に言い聞かせるように言った。
「私、まだ怒ってる」
「分かってるよ。だから……ごめん」
セイは立ち上がり、深々と頭を下げる。
ミカはただ彼を見つめて、次の言葉を待った。
「ミカの気持ちも考えず、酷いことを言った。どうか許してくれ」
「……呼び捨て」
「あっ、そ、そうだよな。呼び捨ては失礼だよな。えと、ミカ様」
「じゃなくて! 呼び捨ての方が、本当のセイなんだよね」
セイは小さく頷く。
これまでの『ミカちゃん』呼びもキャラ作りだったことを伝えると、ミカは楽しそうに笑った。
「あの、ミカさん怒って」
「もういいよ。これからは、本当のセイを沢山見せてね」
「……それって」
「うん。私、セイのこと許した!」
ミカは屈託なく告げる。
二人は目に涙を浮かべたまま、くしゃくしゃになって笑い合った。
ひと頻り和解の喜びを噛み締めた後、セイは真面目な顔に戻って言う。
「しかし、ラストベロスはどうする? 俺はもう変身できないぞ」
「できるよ」
ミカはそう言って、ハルに託された勾玉を差し出す。
伸ばされたセイの手を遮り、彼女は一つだけ条件をつけた。
「約束して。これからもずっと、私のカムイでいるって」
「……うん」
もう二度と離れないと誓い、セイはミカの手から勾玉を受け取る。
そして二人は頷き合うと、ラストベロスの前に姿を現した。
「覚悟はできたみたいね?」
「ああ。ミカと生きる覚悟がな!」
「無意味な覚悟ね。死になさい!」
ラストベロスは無慈悲に吐き捨て、黒い炎を放つ。
爆風を背に駆け出したセイとミカを守るように、ヤタガラが雄々しき翼を広げた。
二人は呼吸を合わせて跳躍し、ヤタガラの背中に飛び乗る。
セイたちの力を受けたヤタガラの体が白金に輝き、それまでとは比較にならない速度で空を駆け巡った。
「力が漲ります……はああっ!」
三つ首でも捕捉できないスピードまで加速し、強襲と離脱を繰り返してラストベロスを翻弄する。
度重なる奇襲に業を煮やして、ラストベロスは真の力を解放した。
「これで終わりよ!!」
災獣はその肉体を何十倍にも巨大化させ、小太陽とも呼ぶべき超高熱の火球を放つ。
さしものヤタガラでもその大質量からは逃げられず、火球が翼の端を掠めてしまった。
「うっ!」
攻撃を受けた弾みで体勢を崩し、セイとミカは空中に投げ出される。
乱れる気流と重力の中で踠きながら、二人は懸命に互いへと手を伸ばした。
「セイ!!」
「ミカ!!」
呼び合う二人の指先が触れ、また遠くに引き離される。
それでも諦めないセイたちの姿を見て、ヤタガラもまた最後の力を振り絞った。
落ちゆく彼らを空に舞い上げ、聖なる翼をいっぱいに広げる。
そして翼が二人を包み込んだ時、奇跡は起こった。
「これは!?」
セイとミカの肉体が光の粒と化し、互いのそれと混じり合っていく。
意識が、感覚が一つになり、共にいるという絶対的な確信が心を満たす。
とてつもない昂りを感じながら、ミカが叫んだ。
「私たち、繋がってる。私たちはここにいる!」
「ああ。二度と途切れない絆だ!」
誰もが固唾を飲んで見守る中、光は一つに集結していく。
重なる声を合図に、新たなる戦士が誕生した。
「超動!!」
それは武者にも天女にも見える、逞しさと美しさが調和した姿を持つ存在。
セイとミカが互いの心と向き合い、共に生きると決めた覚悟の象徴。
その名は––。
「『カムイカンナギ』!!」
カムイカンナギは大矛を携え、悠然とラストベロスの背に降り立つ。
そして矛を深々と突き刺し、雷の力を流し込んだ。
「いざ、
「ぐぁああッ!!」
カムイカンナギの攻撃は本体たるラスト自身に効力を及ぼし、邪な力に作用して強烈なダメージを与える。
もんどり打ったラストベロスから身を離すと、カムイカンナギは更なる技を繰り出した。
「いざ、
波のように押し寄せる風でラストベロスを囲み、動きを封じる。
ラストベロスが風の縛りを打ち破った時、カムイカンナギは既に必殺技の準備を終えていた。
「神威一刀」
カムイカンナギは矛を天に掲げ、カムイとヤタガラの幻影を召喚する。
そして優雅なる舞で幻影を操り、それぞれの必殺技を発動した。
「天地」
神威一刀・鳴神斬りとヤタガラ飛翔斬りが続け様に炸裂し、ラストベロスの左右の首を切り落とす。
そして残った中央の首目掛け、カムイカンナギが矛を振るった。
「開闢斬り」
ラストベロスは斬首されたことにも気づかぬまま、惚けたようにカムイカンナギを見つめ続ける。
そしてカムイカンナギが矛を収めた瞬間、ラストベロスの首は静かに崩れ落ちた。
「な……」
獣だった繭の中から、ラストが覚束ない足取りで這い出す。
カムイカンナギの眼に射竦められると、彼女は這う這うの体で逃げていった。
「カムイ……」
意識を取り戻した送り屋に、カムイカンナギは頷く。
街や人々の傷を癒すと、彼はようやく変身を解いた。
「やったな。二人とも」
帰還したセイとミカに、ハルは労いの言葉をかける。
セイは少し照れくさそうに尋ねた。
「ちょっとは……お師匠みたいにできたかな」
「バカ、もうとっくに越えてるよ」
ハルに軽く小突かれ、セイは力なく倒れ込む。
ミカたちが心配そうに見つめる中、彼は腹の底から声を出した。
「腹減ったーっ!!」
そんなことかとミカたちも笑い、次いで自分たちも相当空腹だったことに気がつく。
そして彼らは合流したアラシと共に、勝利の宴をしに行くのだった。
「久しぶりにお師匠の握り飯が食べたいな、作ってよ」
「ああ、とびきりのを作ってやる」
「昆布はないの?」
「どうなんだろ、ねえお師匠昆布ある?」
「ドヮンブならあるけど」
「ドヮンブ!?」
他愛のない言葉を交わしながら、戦士たちは暫し戦いを忘れる。
同じ頃、ようやく墓場に戻ったラストは屈辱に塗れていた。
「まさか、ドルベロスがやられるなんて……!」
だが、まだ手はある。
ラストは口元を邪悪に歪めると、新たな魂を蘇らせた。
今度は災獣ではなく、人間の。
「頼むわね、『シン』」
かつてディザスを操り戦ったミカの兄、シンは虚ろに頷くと、ラストの前に跪く。
砕かれた毒蜘蛛の牙が、より鋭く生え変わろうとしていた。
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