第2章 守護者が語る

動く樹海



 追っ手から逃げ出したセイと歌姫は、ドローマ国の東に位置するとある大陸に辿り着いた。

 鬱蒼とした密林が広がる中、セイが困ったような口調で言う。


「あらら……随分な所に落ちちゃったな」


「そうね」


 歌姫の目に不安の色はない。

 心が強いのか、そもそも不安という感情自体を持ち合わせていないのか。

 いずれにせよ冷静なのはいいことだと、セイは焚き火に使うための乾いた枝を集め始めた。


「こんなもんかな。お嬢さん、火とか出せたりする?」


「……出せるのは風と雷だけ」


「じゃあ雷でお願い」


 歌姫は小さく頷き、雷の歌で枝の束を発火させる。

 焚き火で暖を取りながら、セイは自己紹介を始めた。


「俺はセイ。旅の紙芝居屋だ。好きな食べ物は明太子おにぎりで、趣味はお風呂に入ること。よろしくっ!」


 『よろしくっ!』の部分をやたらと爽やかに強調して、セイは格好つけたウインクをする。

 多弁な彼とは対照的に、歌姫の自己紹介は酷く簡素なものだった。


「……私はミカ」


「ミカちゃん、いい名前だね。で、ミカちゃんの好きな食べ物は?」


「……覚えてない」


「覚えてない? どゆことよ?」


「私には記憶がないの。好物も趣味も、何故追われているのかも知らない。分かっているのはミカという名前と、私が歌姫だということだけ」


 歌姫––ミカは立ち上がり、例の本を広げる。

 幾つもの詩が綴られた本の最初のページには、この世界に広く伝わる『カムイ神話』の序文が記されていた。


「災いの獣現れし時、巨神カムイが舞い降りる」


「巨神の側に歌姫あり。神の力に歌を乗せ、祈り届けし乙女なり」


「巨神と歌姫その旅路、遥か険しい道なれど」


「定めの光に導かれ、2人は民を救いゆく」


「そして終焉迫る時、全ての糸が結ばれる」


 交互に神話の序文を読み上げて、セイとミカは顔を見合わせる。

 目の前の人物が神話に描かれているような英雄だとは、彼らはどうしても思えなかった。


「ま、気楽にやるさ。それより今日の飯だ」


 セイは枯れ枝と一緒に採っていたキノコや非常用の干し肉を串に刺し、焚き火の炎で焼き上げる。

 キノコに軽く焦げ目がついた頃、彼は串焼きをミカに差し出した。


「食ってみな、飛ぶぞ」


「……うん」


 ミカは恐る恐る串を受け取り、軽く息を吹いてかぶりつく。

 干し肉の強い塩気とキノコの素朴な甘さが、彼女の中に活力を取り戻させた。


「おっ、ようやく笑ったな」


 綻んだミカの表情を見て、セイが嬉しそうに言う。

 これからの逃亡生活に一縷の希望を見出しながら、2人は夜を明かすのだった––。


「セイ。セイ、起きて」


「おう、おはようさん……ってなんじゃあこりゃーッ!?」


 ミカに揺り起こされたセイは、目を開けるなり素っ頓狂な叫び声を轟かせる。

 あれほど生い茂っていた筈の密林が、跡形もなく消滅していたのだ。

 代わりに腐食した建物が林立し、寂しげに佇んでいる。

 焚き火の跡を横目に見ながら、ミカが不安げに言った。


「一体、何が起こっているの?」


「分からん。とにかくここを離れるぞ」


 2人は急いでキャンプ道具を片付け、腐った街から逃げ出そうとする。

 全速力で走るセイたちの前に、眼鏡をかけた白髪の女が立ちはだかった。


「待ちたまえ、君たち」


 女は気持ち低めのよく通る声で2人を呼び止める。

 セイはミカを庇いながら、警戒心を剥き出しにして言った。


「あんたは誰だ?」


「私はミリア。『レンゴウ』の守護者だ」


 女はミリアと名乗り、自信に満ち溢れた微笑を見せる。

 記憶の中のレンゴウ国と目の前の風景を照らし合わせて、セイが言った。


「俺の知ってるレンゴウはもっと清潔で治安のいい国だった。少なくとも、こんな廃墟はなかったぞ」


「それには事情があるのだ。ついてこい」


 ミリアはセイたちに背を向け、小さな歩幅で歩き出す。

 彼らがついてきたのを確認すると、今度はミリアが質問した。


「ここまでの会話から察するに、君たちは異国の民だな。どこから来た?」


「……生憎俺たち訳ありでね。不用意なことは喋りたくない」


「ならば喋り方にも気をつけることだな。ドローマの訛りが出ているぞ」


「マジで!?」


 訛り一つで出てきた国を見抜かれ、セイが驚愕の声を上げる。

 歩き続けながら、ミリアは冷静な態度で2人の素性を言い当てた。


「君たち、逃げてきた巨神と歌姫だろう」


「それが分かっていて、何故捕らえない」


「私はカムイ神話を研究しているんだ。下手に束縛するよりは、自由にさせた方が互いに得だと思っただけさ」


「……そうかい」


 そして3人は腐った街を抜け、レンゴウ国のとある都市に辿り着く。

 煉瓦造りの建物が碁盤の目のように並ぶ街並みは、セイの言葉通り清潔で治安がよかった。


「このレンゴウは、工業と学問の国だ。国民は皆勉学に励み、学んだ知識を活かして更なる技術開発に邁進している」


 少し誇らしげに自国を紹介して、ミリアは正面を指差す。

 彼女が示した先には、雲を貫くほどの塔が天高く聳えていた。


「あれこそ我が国最大の学び舎……『塔大』だ」


 100階のこの塔には、世界中の書物や最高級の学習設備が備えられている。

 そして塔大に在籍する教授陣のトップとして、ミリアは厳然と君臨していた。


「私の研究室は最上階にある。そこで話をしよう」


 塔大の門を潜った3人を、広大なロビーが出迎える。

 奥の螺旋階段を見て、ミカが恐る恐る言った。


「これを……昇るの?」


「まさか。エレベーターで行くよ」


「エレベーター?」


「レンゴウ国の新技術だ。塔大建造にあたり試験的に導入したが、なかなかいい」


 エレベーターについて解説しながら、ミリアは手元のレバーを倒す。

 すると歯車が周り、正方形の鉄板が降りてきた。


『どうぞ、お乗りください』


 蓄音機の音声に促され、セイたちは鉄板の上に乗る。

 前後左右を囲む歯車が先程とは逆方向に回転し、鉄板を上昇させた。


『100階に到着しました』


「こっちだ」


 ミリアに案内されて、セイとミカは彼女の研究室に入る。

 赤いカーペットの敷かれた部屋の左右にある本棚には、古今東西の書物が規則的に収納されていた。

 圧倒される2人を置いて、ミリアは奥のデスクから災獣図鑑を手に取る。

 その84ページを開いて、彼女は口を開いた。


「今、我がレンゴウは災獣の脅威に晒されている。これを見てくれ」


 密林災獣ジャングジラ。

 ジャングルを背負った鯨のような姿を持つこの災獣は大地と同化し、その場所を問答無用で密林地帯に変える。

 そして土地の栄養を吸い尽くしては次の場所に移動するのだと、災獣図鑑には記されていた。


「ジャングジラは北上を続け、もうすぐここ街まで辿り着く。その前に奴を倒せなければ、レンゴウは終わりだ」


 ミリアは図鑑から顔を上げ、セイたちの目を見据える。

 身構える2人に、彼女は深く頭を下げた。


「無理を承知で頼みたい。……旅の者よ、ジャングジラを倒してはくれないか」


 あまりに難しい依頼をされ、セイとミカは顔を見合わせる。

 助けを求めるミリアからは、それまでの余裕は全く感じられなかった。


「頼む! レンゴウの兵器は全く通用しなかった。頼れるのは君たちだけなのだ!」


 切実極まるミリアの態度を受けて、セイの目に確かな決意が宿る。

 恐る恐る顔を上げたミリアに、彼ははっきりと告げた。


「分かった。やる」


「……いいのか?」


「ああ。敵じゃないことは分かったしな。それに神話の序文にもあるだろ、『2人は民を救いゆく』って。今救うべき民は、あんただ」


「それにこの国の人たちも」


 セイの言葉に頷いて、ミカが付け加える。

 ミリアは目頭が熱くなるのを感じながら、震える手でセイの手を取った。


「ありがとう、何とお礼をしたらいいか……」


「報酬のことは後で考えるさ。それより今は作戦会議だ」


「そうだな。すぐにレンゴウ中の有識者を呼び集める。君たちも加わってくれ!」


「了解っ!」


 程なくして、ミリアの通達を受けたレンゴウの学者たちが続々と塔大に集結する。

 セイとミカとミリア、そして学者陣による作戦会議は、夜が明けるまで続いたのだった。

—————

風の鏡



 翌朝、セイは街の最南端で災獣の出現を待っていた。

 塔大のロビーに避難した市民たちもまた、事態の行方を固唾を飲んで見守る。

 彼らと共に待機しているミカの第六感が、災獣の襲来を告げた。


「……来た!」


 密林災獣ジャングジラ、出現。

 土煙を上げて迫るジャングジラを迎え撃つべく、セイは勾玉を天に掲げて叫んだ。


「超動!!」


 セイの体が光に包まれ、彼は巨神カムイへと変身する。

 カムイは雷の大太刀を構え、ジャングジラ目掛けて走り出した。


「こっちは徹夜で会議してんだ。さっさと倒してお昼寝するぜ!」


 背中の木を斬り裂こうとするカムイに対抗すべく、ジャングジラは二足歩行で立ち上がる。

 そして怯んだカムイの胴体に、鈍重な拳を打ち込んだ。


「クァムァオアィ!?」


 カムイは地面に倒れ込み、凄まじい土煙が上がる。

 劣勢の巨神を助けるべく、ミカは雷の歌を歌った。


「雷鳴の如き太刀を手に、全ての闇を切り捨てよ」


 大太刀に超古代文字が浮かび上がり、雷の力が強化される。

 カムイが放った雷撃刃を、ジャングジラは四足歩行に戻って受け止めた。

 攻撃を物ともせずに突進し、巨岩の如き威力でカムイを吹き飛ばす。

 数十キロ離れて尚伝わってくる地響きに驚愕して、ミカが叫んだ。


「効かない! どうして!?」


「植物は電気を通さないのだ。かと言って接近戦でも勝ち目は薄い。何とか攻略法を考えなければ……」


 ミリアはあくまで冷静に対策を講じようとするが、事態は長考を許さない。

 野次馬をしていた若者が、塔大に駆け込んでくるなり叫んだ。


「カムイが倒れた! 災獣が街に来るぞ!!」


 避難民たちはどよめき、混乱と絶望が塔大のロビーに満ちる。

 カムイの身を案じるミカの脳内に、戦いの様子が映し出された。

 街を破壊しようとするジャングジラの脚にしがみつき、死に物狂いで抵抗を続けている。

 消えかけていた闘志の炎が再び燃え上がるのを感じ、ミカは震える声で呟いた。


「カムイはまだ、負けてない……!」


 ミカの意志に応えるように、彼女の本が独りでに開く。

 混乱する市民たちを抑えていたミリアの目が、『あるページ』を一瞬だけ捉えた。


「あれはまさか……」


 ミリアの疑念など知る由もなく、ミカは一心不乱にページを捲る。

 遂に見つけた風の歌を、彼女は声を枯らして熱唱した。


「疾風の如き御鏡を手に、全ての闇を照らし出せ」


 ミカの歌により起きた突風が、ジャングジラの行く手を遮る。

 突風は『風の御鏡』となり、カムイの手の中に収まった。

 御鏡に秘められた風の力が、カムイの傷を塞いでいく。

 カムイはジャングジラの密林を飛び越し、再び巨体の前に立ちはだかった。


「クァムァイ!!」


 そして風の御鏡を突き出し、ジャングジラが放つ葉の嵐を受け止める。

 鏡は鏡面に映った葉を実体化させ、ジャングジラの攻撃を完全に相殺した。


「今だ!」


 ジャングジラが怯んだ隙を突き、カムイは鏡から無数の小竜巻を召喚する。

 彼は小竜巻を意のままに操り、空をも切り裂く鋭利な刃として撃ち出した。


「トルネード光輪!!」


 必殺のトルネード光輪はジャングジラを翻弄しつつ、その切れ味で密林を伐採していく。

 とうとう丸裸になったジャングジラの背中目掛けて、カムイは雷の大太刀を振り下ろした。


「クァムァァァイ!!」


 雷鳴の如き一撃を喰らい、ジャングジラの体が両断される。

 土壌の栄養を吸い尽くした密林災獣は、栄養分として土に還ったのだった。


「……グッ!」


 守り抜いた街の方を向いて、カムイは力強く親指を立てる。

 安堵し喜び合う人々の姿を見届けると、彼は光になって姿を消した––。


「昨日は本当にありがとう。この国を代表して、お礼を言わせて欲しい」


 街を救ったセイとミカに、ミリアは深々と頭を下げる。

 既に旅支度を済ませたセイが、あっけらかんとした口調で言った。


「もういいって。ちゃんとお礼も貰ったし、それで満足だよ」


 彼が背負うリュックサックの中には、報酬として望んだ1週間分の水と食糧が詰まっている。

 別れを告げて旅立とうとする2人を、ミリアが呼び止めた。


「どうした?」


「少し気になることがあってね。ミカくん、君の本を見せてくれないだろうか」


「……いいけど」


 ミカは頷き、ミリアに本を手渡す。

 黙々とページを捲る彼女を後ろから覗き込んで、セイが茶々を入れた。


「それ、カムイ神話の書だろ? わざわざ人から借りなくたって自分のが」


「見つけた!」


 ミリアが叫ぶ。

 彼女は本棚から自分の書を持ってくると、机に置いて同じページを見比べた。


「やっぱりだ……!」


「何がやっぱりなんだよ」


「これを見てくれ」


 ミリアに促され、セイたちは彼女の指した文章を見つめる。

 2つの本に記された文章には、決定的な違いがあった。


「『7つの国が手を取り合い、真の調和を奏でれば』……これが普通の記述だ。だが、ミカくんの本にはこう書いてあるのだよ。『8つの国が手を取り合い、真の調和を奏でれば』と!」


「あれ? 増えてね?」


「ああ。この世界に国家は7つしかない。なのに何故、8つと書いてあるのか……」


「ただの誤植だろ?」


「いいや! 神話の書に限ってそんなことはあり得ない。もしかするとこれは……」


 ミリアは本から顔を上げ、ミカの目をまじまじと見つめる。

 戸惑う彼女に、ミリアは重々しく口を開いた。


「ミカくん。君は確か、記憶喪失なのだったね」


「え、ええ」


「……君は、過去を思い出さない方がいいかもしれないな。君のためにも、この世界のためにも」


 そう忠告するミリアの目に、先程までの熱はない。

 しかし守護者としての冷徹な態度も、ミカの決意を覆すことはできなかった。


「……それでも私は、私を知りたい」


 ミカは自分の本を取り返し、塔大の研究室に背を向ける。

 彼女を見送るミリアの肩を軽く叩いて、セイも後に続いた。


「報酬、ありがとな」


 別れ際に礼を言い残し、セイたちはエレベーターで塔を降りていく。

 1人残されたミリアの胸中には、深い憂いが渦巻いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る