第27章 誰が少年を孤独にしたか
氷より冷たいもの
動乱の渦中にあるシヴァル国。
その地下都市には、あまりに長閑で平凡な日常が広がっていた。
地上とはかけ離れた雰囲気に愕然としつつも、ミカはセイを背負ったまま叫ぶ。
「セイが毒にやられたの! 誰か薬をちょうだい!」
「何だって!?」
昔馴染みの危機を知り、街を歩いていた数人が慌てた様子で駆け寄ってくる。
ミカは彼らの助力を得て、どうにかセイを診療所まで運ぶことに成功した。
「何とか処置はしましたが……暫くは絶対安静です」
「ええ、ありがとう」
ミカは医者に頭を下げ、セイの眠るベッドに向かう。
彼の服を緩めると、大きな汗の玉が紅潮した肌を流れ落ちていくのが見えた。
「セイ……」
ミカは苦痛に呻くセイの手を握り、歌を口ずさんで風の力を送り込む。
彼女の祈りに応えるように、セイがゆっくりと目を開けた。
「……ここは」
「シヴァルの地下都市。セイはあの災獣の毒にやられて倒れたの」
「それをここまで運んできてくれたってわけか。ありがとな」
セイは立ち上がろうとするが、毒のせいで体が思うように動かない。
血の混じった咳をするセイに、ミカが言った。
「動いちゃ駄目! 安静に」
「してたら世界が滅ぶだろ」
セイは止められて尚も戦いに向かおうとする。
しかし彼の戦意は、脳内に響くフィニスの声によって掻き消された。
「やあやあカムイ! 気分はどうだい?」
「……どうにも優れないね。あんたをぶっ飛ばせばすぐにでも全快しそうなんだが」
「おっかないね。ま、暫くは安静にしてなよ。元気になるまで待ってあげるからさ」
フィニスが一方的に交信を切り、診療所は再び静かになる。
セイはベッドに戻ると、腕を組んで考え込みながら独り言を呟いた。
「俺たちをこんな所に押し込んで、あいつは何をしようっていうんだ……?」
「考え事も駄目! はい、寝て!」
ミカに無理やり布団を被せられ、セイは大人しく仰向けになる。
ミカは彼の寝息を聞くと、音を立てぬように診療所を後にした。
「……行ったか」
診療所の扉が閉まった途端、セイは狸寝入りをやめて上体を起こす。
氷嚢の心地よい冷たさと高熱が全身を舞台に殴り合う感覚に辟易しながら、彼は天井を見上げて呟いた。
「お師匠。意識を失ってる間、あんたの夢を見たよ。一緒に旅をしてる夢だ。……お師匠、俺ちゃんと巨神やれてるかな」
やれてないよな、とセイは苦笑する。
大災獣白虎との戦い以降、セイは力不足を感じることが多くなっていた。
単純な戦闘力だけでなく、人間としての精神性もアラシたちに劣っている気がしてならない。
それはきっと、彼らが覚悟を決めているからだと思う。
譲れないもののために、時として不合理な拘りを貫き通す気持ち。
そして行動の結果を全て引き受ける決意が、セイにはできていないのだ。
セイの心はまだ、この街に取り残されている。
「……もうすぐミカは、シヴァルの一番嫌な部分を目の当たりにすることになる。その時どんな言葉をかけるべきか、考えておかないとな」
セイは布団に横たわり、痛む頭をどうにか稼働させる。
同じ頃、ミカは切羽詰まった様子で地下都市を巡っていた。
もしフィニスの狙いがこの街に隠されているなら、何としても暴かなければならない。
手掛かりを追い求める彼女の視界に、見覚えのあるアクセサリーショップが飛び込んできた。
「あれは……」
あの店を経営しているのは、セイの昔馴染みだ。
もしかしたらと思い入店したミカを、スキンヘッドの店主が愛想よく出迎える。
所望の品を問う彼の言葉を遮って、ミカは単刀直入に訊ねた。
「ねえ、最近街で変わったことはない?」
「いや、いつも通りだけど」
「……じゃあ、地上で何が起きてるか知ってる?」
ミカの眉が少し吊り上がる。
しかし店主の答えは依然として『知らない』『分からない』の一点張りだった。
嘘を吐いているような素振りもない。
ミカはとうとう堪りかねて、店主に地上で起きている出来事を伝えた。
「え、ユキ様が悪い奴に乗っ取られて暴走してる?」
「そうなの。お願い、力を貸して」
「ふーん。ま、いいんじゃないか?」
店主の淡々とした返答に、ミカの思考が停止する。
アクセサリーの在庫を確かめながら、彼はぶつぶつと続けた。
「別に俺らの生活には影響ないし、正直ユキ様……というか守護者なんていてもいなくても大して変わらないだろ?」
「そんなことない! 守護者はみんなのために頑張ってる!」
「じゃあそのまま頑張っといてくれよ。俺らは応援してるから」
「……もういい!!」
ミカは店主に見切りをつけ、乱暴な足取りで店を出る。
そして彼女は道ゆく人々に、地上を取り巻く状況とセイへの助力を訴えた。
しかし待ち受けていたのは、事なかれ主義を極めた呆気ない反応ばかり。
自分たちさえ無事ならいいという彼らの態度は、シヴァルの吹雪よりも冷たくミカの心を凍えさせた。
「セイ、私……」
セイのベッドに帰り着くなり、ミカは声を殺して泣き腫らす。
ぐしゃぐしゃの顔を隠す長い髪を、セイの熱っぽい掌が撫でた。
「何だよ、俺はまだ死んでないぞ」
「私、この街の人たちが分からない。みんな冷たすぎるの。セイにも、守護者にも」
「……ま、シヴァルだからな」
セイは当然のように答える。
診療所の天井を見上げながら、彼は遠い目をして呟いた。
「俺はその冷たさが嫌で、旅に出たんだ」
—————
逃げ出せた者、縛られた者
「俺はその冷たさが嫌で、旅に出たんだ」
人々の冷酷さに打ちひしがれたミカに、セイはシヴァルの成り立ちを語る。
かつてシヴァルの国民は、寒さを凌ぐため地下に身を潜めた。
しかしユキの先祖––シヴァルの初代守護者だけは地下の民たちを守るべく地上に残ることを選んだ。
民は溶けない氷で城を作り、彼の勇気を讃えた。
それから初代の一族はシヴァルの守護者となり、氷の城に住むことが運命づけられた––。
「やがて人々は守護者への感謝を忘れた。寒い地上を嫌うあまりに、自分たちが冷たい存在になっちまったんだよ」
誰もがそれを当たり前と見做すようになって久しい時代に、セイは生まれた。
やがてセイは彼らの価値観に疑問を持つようになり、16歳で国を飛び出した。
だが、とセイは続ける。
「ユキにはそんなことできなかった。守護者の使命があったから」
どんなに不安で寂しくても、絶対にそれを吐き出せない生活。
それは確実にユキの心を蝕み、とうとう終焉の使徒に狙われるほどにまで闇を蓄積させてしまった。
「……まあ、何だ。大それた役目って奴を引き受けるとロクなことにならないよな」
セイは苦笑いを浮かべて言う。
ミカはハッキリした声で返した。
「大それてなんかないよ。ユキはちゃんと守護者をやれる。私はそう信じてる」
「……それが苦しいってんだよ」
「ん、何か言った?」
「いや何も。俺も信じることにするぜーって、な。あはは」
出てしまった独り言を誤魔化して、セイは大袈裟に笑う。
そして咳払いを一つすると、真面目な顔に戻って告げた。
「決めた。今回の戦いには、ここの奴らも連れてく」
「でもそれは」
シヴァルの住人はまず渋るだろう。
仮に彼らを戦場まで連れて行けたとしても、戦えない彼らはセイにとって余計な負担となってしまう。
しかしそれを差し引いても同行させる価値があると、セイは強弁して立ち上がった。
「ちょっとセイ! 動いちゃダメだって」
「いいや、今こそ動く時だ」
戸惑うミカを連れて、セイは診療所を出る。
人通りの多い場所まで移動すると、彼は腹の底から声を出して叫んだ。
「ご通行中の皆様ーッ!!」
人々の注目が一気に集まり、ミカは思わずギョッとする。
横目で様子を伺う彼女の隣で、セイは深々と頭を下げた。
「先ほどは、うちのミカさんが愚かなことを言ってすみませんでした!」
「ええっ!?」
「この地下都市にいる限り、皆様の暮らしは安心安全! 地上で何が起ころうとも気にすることではございません!」
セイの演説を聞いて、人々は『そうだそうだ』と声を上げる。
不穏な雲行きに、ミカが囁いた。
「そんなこと言って、一体どうするつもりなの」
「まあ見てなって」
セイは悪戯っぽく囁き返し、人々の方に向き直る。
彼は少しトーンを落として続けた。
「……ですが、ここには少々娯楽が足りない。そうは思いませんか?」
地下の娯楽は裁縫やトランプといった屋内向けが中心で、体を動かしたり大きな声を出したりするものは少ない。
皆が見ないようにしてきた小さな不満に焦点を当て、セイは芝居がかった口調で宣言した。
「そこで! 巨神カムイが災獣を倒す姿を、最高のエンターテイメントとして皆様にお見せしようと思います!!」
セイはこれまでの戦いを雄弁に物語り、人々の興味を引き出す。
やがて十人ほどが参加を決めると、彼は人々を率いて歩き出した。
「ではでは、早速地上に参りましょう! あ、外寒いですからそこだけ気をつけてくださいねー」
危険な戦いに巻き込まれているとも知らず、人々はセイの後ろを着いていく。
真意の読めない相棒の隣を歩きながら、ミカはいつか読んだ童話を思い出した。
笛吹きの男が子供たちを先導し、どこか遠くに連れ去ってしまった話。
果たしてセイは、人々をどこに導くつもりなのだろうか。
何もかも分からないまま、地上への扉が開かれた。
「来たね」
氷の城に足を踏み入れたセイたちを、フィニスが恭しく出迎える。
セイとミカの後ろに続く人々を見て、フィニスは驚いたように言った。
「彼らは? まさか援軍ってわけじゃないでしょ?」
「ああ。こいつらは人質だ」
セイの言葉で、人々の間に衝撃が走る。
フィニスは逃げようとする彼らを勾玉の力で拘束すると、先んじて捕らえていたオボロとハタハタの近くに転がした。
「ど、どういうつもりですの!?」
ハタハタが全員の意見を代弁する。
更に有利となったフィニスでさえも、セイの行動には困惑を隠しきれなかった。
「ボクも聞きたいな。わざわざ負担を増やして、何か作戦でもあるのかい?」
「お前はムカつく奴だからな。なるだけ大勢の前でぶっ飛ばしたいって、そう思っただけだよ。さ、やろうぜ」
セイが挑発的に微笑む。
フィニスも不敵に応じると、二人はそれぞれの勾玉を構えて叫んだ。
「超動!!」
「終焉合身!!」
セイとフィニスは同時に飛び降り、空中で自らを戦う姿に変える。
セイ––カムイとフィニス––ロアヴァングの巨体が、銀世界の中心で対峙した。
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