第26章 閉ざされた世界
凍土の凶王
レンゴウ国の夜は明るい。
学びを求める者が集うレンゴウでは、夜中でも多くの人々が勉強に励んでいる。
その守護者であるミリアもまた、塔大最上階の研究室で熱心に数式を書き込んでいた。
「コーヒー淹れたぞー」
二人分のマグカップを手にしたセイが研究室に入り、ミリアの机にマグカップを置く。
ミリアは礼を言ってコーヒーを啜ると、現在取り掛かっている研究について語り始めた。
「この前君たちが送ってくれたウエディングドレスだが、あれには強い想いの力が込められていた。その想いの力を増幅すれば、ソウルニエに繋がる扉が開けるかもしれない」
「ソウルニエに?」
「ああ。終焉の使徒の手掛かりは、最早あそこにしか残されていない」
ミリアたちはこれまで数千冊もの資料を漁ってきたが、終焉の使徒の手掛かりは何一つとして得られなかった。
故にミリアは未知の塊であるソウルニエに可能性を託して、死の世界の扉を開く研究を始めたのだった。
「……でもそれ、昔ソウルニエがやらかした禁術と同じなんじゃないか?」
「世界を救うためだ。致し方あるまい」
ミリアは何食わぬ顔で答える。
変わらぬ手段への無頓着さに呆れながらも、セイは自分のコーヒーを飲み干して部屋を出た。
「セイ」
「あらミカちゃん、起きてたの?」
「うん。眠れなかったから、散歩にでも行こうと思って」
「散歩ねえ……。よし、行くか」
セイとミカは塔大を出て、夜の散歩に繰り出す。
疎らな街明かりと生暖かい夜風を浴びながら、セイは感慨深げに言った。
「しかしまあ、随分遠くに来たもんだよな」
「レンゴウには結構寄ってると思うけど」
「いやそうじゃなくてさ。俺たち、最初はドン底だったじゃん? 投獄されたり、殺されかけたり、ミカちゃんに至っては過去の記憶を丸々忘れてたり」
「……確かに」
「でも今は違う。守護者はちゃんと味方だし、失っていた過去も取り戻した。そういう意味で、遠くに来たって言ったんだ」
「そうだね。それに、沢山の人とも繋がれた」
ミカは濃紺の空を見上げて、これまで出会った人々に想いを馳せる。
彼らとの絆もまた、旅の中で得た大切な宝物の一つだ。
もしそれがなければ、自分たちはきっと挫けていただろう。
そう考えた瞬間、ミカは無意識に呟いていた。
「ユキとも、早く仲良くなりたいね」
「……ああ」
セイは曖昧な返事をして、ぼんやりと光るガス灯を見上げる。
同じ頃シヴァルでは、ユキ––否、その体を借りたフィニスが屈辱に打ち震えていた。
「クーロンG9め、次こそは必ず!」
城の柱を殴りつけるフィニスに、ブリザードがおずおずと近寄る。
しかしフィニスはブリザードを拒絶すると、怯える彼女に黒の勾玉を突きつけた。
「いいことを考えたぞ。今度はお前を災獣にしてやる……」
「お待ちなさい!」
凶行に及ぼうとしたフィニスを、何者かが制止する。
闖入者の姿を舐めるように観察して、フィニスは邪悪な声で言った。
「誰かと思えばハタハタとオボロか。こんな所に何の用?」
「率直に申し上げますわ。ユキさんを返しなさい!」
「これはまた勇ましいね。だけど……」
フィニスはハタハタたちを嘲笑すると、ダガーナイフを自らの喉元に突きつける。
人質作戦に出たフィニスを、オボロが前に出て説得した。
「儂らは話し合いに来たんじゃ。ひとまず、その物騒な物を下ろしてくれんかのう」
「ふん、まあいいよ」
フィニスはダガーナイフを放り投げ、この場における宿主の安全を保証する。
冷たい緊迫の中、オボロが重々しく切り出した。
「お主の目的は何じゃ?」
「宿主であるユキの願いを叶えることさ」
「ユキの願い?」
「この世界の滅亡だよ」
「嘘ですわ! ユキさんがそんなこと」
「本当さ」
動揺するハタハタに、フィニスはハッキリと告げる。
左胸に手を当てて、彼は仰々しく言った。
「体を共有しているボクには分かる。彼の心の奥底に秘められた痛みが、哀しみが! ボクはこの世界を破壊することで、ユキの心を救ってあげているのさ!」
「……信じられませんわ。ユキさんはとても真面目で、守護者の仕事にも熱心に取り組んでいた。そんなユキさんが」
「だからこそ、ということもある」
オボロが冷静に窘める。
彼もまた、ユキの内面の一端に触れたことがあるのだ。
フィニスが冷淡に微笑した。
「そっちのフクロウさんは、話が分かるようで助かるよ」
「じゃが、君は寧ろユキの哀しみに漬け込んでいるように見える。ユキが駄目になる前に、彼を返してはくれんかの?」
「うん、いいよ」
あまりに呆気ない反応に、二人は思わず面食らう。
オボロたちに生じた油断を、フィニスは容赦なく利用した。
「これはっ!?」
「体が動きませんわ……!」
「勾玉の力だよ。さて、キミたちはどんな風に死にたい? 凍土に放り出されて凍え死ぬか、飢えた獣の餌になるか、或いはボク自らの手にかかるか」
投げ捨てたダガーナイフを拾って、フィニスは悪辣な選択を迫る。
首元に刃が触れるのを感じながらも、ハタハタは彼の目を見て訴えかけた。
「目を覚ましてユキさん! あなたはそんな人ではありませんわ!」
「この期に及んでユキの良心に賭けるのかい。滑稽だねッ!」
フィニスは勾玉に力を込め、黒い電撃でハタハタを制裁する。
崩れ落ちた彼女の背を踏み躙りながら、フィニスは微笑の中に怒りを滲ませて言った。
「決めた。キミたちは最も残酷な方法で殺す。……ブリザード!」
「ッ!?」
「巨神カムイに伝えるんだ。『ハタハタとオボロを助けたければシヴァルに来い』と!」
フィニスに命じられ、ブリザードは逃げるように飛び立つ。
荒れ狂う猛吹雪を浴びながら、フィニスは高らかな笑い声を響かせるのだった。
—————
対決・剣竜災獣
ハタハタとオボロがフィニスの手に落ちてから数時間後、セイたちはブリザードから伝言を受け取った。
消耗したブリザードに応急処置を施しながら、ミリアが迅速に指示を出す。
「セイ君とミカ君は、船でシヴァルに向かってくれ。私は他の守護者たちに連絡を取る」
「分かった!」
セイとミカは頷き合い、港まで駆け出そうとする。
鳥籠の中のリンが鳴き声を上げて、己に漲る戦意を示した。
「……あなたも行くんだね」
「ピィ!」
ミカはリンの入った鳥籠を掴んで、セイの後を追う。
二人と一羽の乗った船が、汽笛を鳴らしてシヴァルへと出航した。
「……彼らが来たようだね」
セイたちの気配が近づいてくるのを察知して、フィニスが呟く。
僅かに明るさを取り戻したオボロたちに、彼は少し不満げな態度を見せた。
「でも随分とゆっくりだ。何か策があるのか、それともキミたちを見殺しにするつもりなのか……どっちにしても、もう少し急いでもらわないとね」
フィニスは勾玉を掲げ、更なる闇の力を発揮する。
オボロたちを痛めつけた黒い雷が純白の凍土を砕き、氷の中に封じられていた古代生物の魂を揺り起こした。
「さあ蘇れ! 遥か古の覇者よ!!」
剣のような突起を背部に備えた四つ脚の獣––『剣竜災獣ケントロス』が、雄叫びを上げて吹雪の中を駆け抜ける。
そしてケントロスは真正面を見据えて、背面の剣を射出した。
剣は空を切って突き進み、セイたちが乗る船の数メートル左に着弾する。
噴き上がる水柱を見ながら、彼らの胸に緊張が走った。
「こっちの位置はお見通しか。パワーの温存は無理そうだな……超動!!」
セイは勾玉を掲げて巨神カムイに変身し、ミカたちを連れてシヴァルに飛び立つ。
ケントロスはカムイに狙いを定め、背面の剣を連射した。
波状に襲いかかる剣を掻い潜り、カムイが雷の大太刀を構える。
落雷の如し一撃が、シヴァルの地に轟音を響かせた。
「来たねカムイ! せいぜい楽しませてくれよッ!」
フィニスの闘争心が乗り移ったかのように、ケントロスは勢いよく尻尾を振るう。
カムイはケントロスの攻撃を大太刀で受け止めながら、ミカとリンを物陰に隠した。
「流石に力自慢だな……だが!」
カムイは縦横無尽に駆け回りながら電流を放ち、ケントロスを翻弄する。
業を煮やしたケントロスが背面の剣を射出した瞬間、カムイはケントロスに突撃した。
「それを待ってたぜ!」
驚くケントロスの尻尾を掴み、ジャイアントスイングの要領でその巨体を投げ飛ばす。
仰向けになって踠くケントロスの腹に、自らの剣が突き刺さった。
「ふぃー」
カムイ––セイは変身解除してミカたちと合流し、再びフィニスの待つ氷の城を目指す。
先導するセイの腕から、赤い鮮血が滴り落ちた。
「待って。手当てしないと」
「ただの擦り傷だよ」
凍りついた血液を拾って、セイは余裕たっぷりに言う。
しかし次の瞬間、彼はその場に崩れ落ちた。
「あははっ、ボクが考えもなしに災獣を差し向けると思ったかい?」
狼狽するミカの脳内に、フィニスの声が残響する。
フィニスは勝ち誇って叫んだ。
「ケントロスの尻尾には猛毒が含まれているのさ! 鋭い剣に気を取られて、そっちには意識が向かなかったようだね!」
「セイ、しっかりして! ……こうなったら」
ミカは覚悟を決めると、気絶したセイを背負って銀世界を歩き出す。
彼女の目指す先は、地下都市に繋がる扉だった。
「セイは嫌がるかもしれないけど、地下の街に行く。街なら薬がある! セイを助けられる!」
フィニスはそれ以上口出しすることなく、意識の交信を断ち切る。
子供みたいに笑い転げるフィニスを、ハタハタが冷たく睨みつけた。
「何がそんなに面白いんですの?」
「面白いさ! だってもうすぐカムイたちは破滅してしまうんだからね! ああ、壊すって楽しい……! 殺すって気持ちいい〜ッ!!」
耳障りな笑い声を遠くに聞きながら、ミカたちは地下都市に入る。
ミカが薬をもらおうとした時、彼女は思わず愕然とした。
「お願い! 誰か薬、を……」
そこにあるのは、あまりに平和な街並みだった。
皆微塵の憂いも見せることなく、ただ漫然と日々を生きている。
守護者が闇に堕ちたというのに。
地上には災獣がいるというのに。
彼らは気づいていないのか、見ないふりをしているだけなのか。
いずれにせよ場違いな日常が、当たり前のように繰り広げられていた。
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