第25章 小さな巨神

合同演習



 その日、青年は日の出より早く目覚めた。

 冷たい水で未だこびりつく眠気を払うと、身支度を終えて玄米とお浸しだけの質素な朝食を平らげる。

 ようやく白み始めた空を見つめながら、彼は震えた声で呟いた。


「いよいよだ……」


 青年は下駄の鼻緒を結び直すと、長屋の戸を開けて外に出る。

 そして30分ほど歩くと、石垣に囲まれた大きな城が見えてきた。

 ラヅチ城だ。

 青年は門番に身分証を見せて入城し、早足で中庭に向かう。

 仲間の兵士たちに合流して暫く待つと、この城の主が姿を現した。


「リョウマ様!!」


 鎧姿の城主リョウマに、兵士たちは一糸乱れぬ動きで跪く。

 リョウマは咳払いをすると、腹の底に響く大きな声で告げた。


「お主ら、今日はファイオーシャンとの合同演習ぜよ!!」


 合同演習。

 それはラッポンにて年に一度開かれる、他国の防衛軍と共に行う大規模訓練。

 青年は背筋に緊張が走るのを感じながら、リョウマの演説に耳を傾けた。


「今年は去年までとは異なり、直近の資料を参照した極めて実践的な訓練内容になるぜよ。皆、心してかかるように!」


「はっ!!」


「うむ! では、時間まで休憩ぜよ!」


 リョウマは手短に話を終わらせて、屋敷の中へと引き上げる。

 兵士たちはようやく緊張を緩めると、思い思いの場所に散っていった。


「緊張したぁ……」


 青年も胸を撫で下ろして、中庭を後にする。

 頼りない足取りで歩く彼の背中を、同僚が勢いよく押した。


「うわっ! 何だよ脅かすなよ!」


「悪い悪い。にしてもかったるいよな。普通の訓練でも厳しいのに、合同演習なんて」


「あー……まあ、あはは」


 青年は曖昧に誤魔化す。

 同僚は不満たらたらに続けた。


「俺らが幾ら訓練したって、災獣相手じゃどうしようもないっつーの。戦いは巨神カムイやクーロンG9に任せて、俺らは気ままに暮らしたいもんだよ。なぁ?」


「……どうしようもないってことはないと思うよ。きっと、俺たちにしかできないことだって」


「何だよ、俺たちにしかできないことって」


 同僚に問い詰められて、青年は言葉に詰まる。

 自分でも分かっていないものを、人に聞かれて答えられるわけがない。

 青年は同僚に手を振ると、逃げるように城を飛び出した。


「俺たちにしか、できないこと……」


 町外れの道を歩きながら、青年は俯いて考える。

 例え刀で切り掛かったり弓を射たりしても、災獣には傷一つつけられない。

 知略にもさほど自信はないし、リョウマのような人望も持たない。

 それでも神話の英雄カムイに憧れ、自分も誰かを助けたいと今日まで努力を重ねてきた。

 しかし神と人の間にある隔たりは途方もなく、努力では到底埋められない。

 現実に押し潰されそうになったその時、老婆の優しい声が飛び込んできた。


「どしたの、暗い顔して」


「お婆ちゃん……」


 白髪の老婆はにっこりと微笑み、青年を自分の家に招き入れる。

 おずおずと居間に座った青年に、老婆が一本の串団子を差し出した。


「こし餡団子だ。これ、好きだろう?」


「……ありがとう。いただきます」


 青年は小さく頭を下げると、老婆から団子を受け取って食べ始める。

 二人分の茶を淹れながら、老婆は鷹揚な態度で尋ねた。


「今日は一段と辛気臭い顔してるねぇ。何かあったのかい?」


「ごめん。少し悩んでて」


「……ふふっ」


 吹き出した老婆に、青年は少しむっとする。

 老婆は『すまんすまん』と謝ると、曇りがちな空に目線を投げて呟いた。


「初めて会った時も、そんなこと言ってたと思ってねぇ」


 青年も息をして、同じように空を眺める。

 あの日も、こんな薄灰色の空だった––。


「凄い……! こんな美味しい団子、食べたことない!」


「そうかい、嬉しいねぇ。おかわりもあるよ」


 青年の絶賛を浴びて、老婆は嬉しそうに微笑む。

 彼女が二本目の団子を取りに行こうとした時、青年は何気なく呟いた。


「お店に出せるよ、この団子」


 青年の言葉を聞いて、老婆の動きが止まる。

 老婆は青年に背を向けたまま、静かな声で言った。


「出してたんだよ」


「えっ?」


「昔の話さ。若い頃、あたしはこの街で団子屋をやっていた。……あの時は楽しかった」


 だが現れた災獣により、団子屋は呆気なく踏み潰された。

 瓦礫の山になった店を見た時、老婆の中で何かが崩れた。

 それ以来彼女は団子の世界を離れ、盆栽の世話をしながら狭い長屋で生きている。

 青年は痛む胸を押さえながら、老婆の話を何度も反芻していた。


「お婆ちゃん……」


「いかんいかん、昔話をすると皺が増えるんだ。おい若僧」


「はい?」


「人助けだと思って、あたしの話し相手になってくんな。団子食わせてやるから」


「……はい!」


 それから、青年と老婆の奇妙な関係が始まった。

 月に二回ほど青年は老婆の家に出向き、団子を食べながら他愛のない世間話をした。

 時に悩みを打ち明けたり、将棋を指したり。

 そんなことを繰り返している内に、二人は何度目かの春を迎えていた。


「ま、そういうわけだ。……どうだい? 将棋、やらないか?」


 したい気持ちはあるが、そろそろ長屋を出ないと合同演習に遅れてしまう。

 青年は申し訳なさそうに誘いを断ると、急いでラヅチ城に戻った。


「ふう、間に合った……」


「お疲れぃ」


 同僚とグータッチを交わし、二人で隊列の中に加わる。

 やがてリョウマが現れ、兵士たちに呼びかけた。


「これからファイオーシャンの軍が来るから、しっかり出迎えるぜよ!」


「はっ!!」


「おーい!」


 緊張漂う中庭に、ファイオーシャン守護者・シイナの元気な声が響く。

 彼女は金色の槍と盾を装備した自国の防衛部隊を待機させると、リョウマに駆け寄って挨拶した。


「リョウマ! 今日はよろしくね!」


「おう、実りある演習にするぜよ!」


 両国の絆の象徴たる二人の握手に、双方の軍から歓声が上がる。

 いよいよ合同練習が始まろうとした、その時だった。


「……災獣!!」


 激しい地響きと共に、二体の災獣が姿を現す。

 火のついた導火線のような尻尾を持つ黒い猪に、雄々しい牙と長い鼻が目を引く巨像。

 間もなく繰り広げられるであろう惨劇を想像して、青年の顔が蒼白に染まった。


「慌てないで! 予定より実戦が早くなっただけだよ!」


「そうぜよ! 全軍、迎撃開始!!」


 リョウマとシイナに鼓舞され、二つの軍は力を合わせて災獣に挑む。

 しかし二大災獣は彼らの攻撃など物ともせずに、ただ一点を目指して進撃を始めた。


「あの方角は……お婆ちゃんの!」


「ちょっ、おい!」


 同僚の制止も聞かず、青年は弾かれたように飛び出す。

 彼は兵士たちの波を掻き分けて、先頭に立つリョウマに跪いた。


「災獣の進行方向にはまだ大勢の人がいます。私を助けに行かせてください!」


 青年の真っ直ぐな目に、リョウマは一瞬驚いたような顔をする。

 しかしすぐに豪快な笑みを取り戻すと、彼は青年の嘆願を受け入れた。


「……おう、行ってくるぜよ!」


「ありがとうございます!!」


 リョウマのお墨付きを受けて、青年は今度こそ老婆の家に向かっていく。

 老婆の無事を一心に祈りながら、彼は崩れゆく街を駆け抜けた。

—————

ヒーローイズノーネーム



 災獣出現の報告を受け、セイたちを乗せたクーロン城はラッポンを目指して飛び立つ。

 玉座で城を操縦するアラシに、シナトが災獣の正体を伝えた。


「敵は地雷災獣クレイボアと、蛮象災獣バンモスだ。バンモスの方は、二代目と呼ばれる個体らしい」


「へっ! 何代目だろうが、クーロン砲でぶっ倒してやるぜ!」


「私たちも忘れないでねー!」


 レンゴウから合流してきたカムイの背中で、ミカが大きく手を振る。

 頼もしい戦友と共に、クーロン城はラッポンの大地へと降り立った。


「超動!!」


 カムイとクーロン城––クーロンG9は呼吸を合わせ、クレイボアとバンモスに戦いを挑む。

 巨大な力の激突が、周囲に衝撃を拡散させた。


「うわっ!」


 戦いの煽りを受けた青年は転倒し、荒れた地面に叩きつけられる。

 しかし彼は即座に立ち上がると、膝小僧についた土を払って走り出した。


「お婆ちゃん!!」


 施錠されていない扉を開けて、青年は老婆の家に飛び込む。

 青年が必死になって助けようとした老婆は、呑気にも縁側で茶を啜っていた。


「何だい、騒々しいねぇ」


「騒々しいねぇじゃないよ! 災獣が暴れてるんだ、早く逃げないと……っ!?」


 老婆は青年の手を払い、再び茶に口をつける。

 愕然とする青年には目もくれず、彼女は無気力な口調で言った。


「もういいんだ」


「えっ?」


「あたしはもう充分生きた。後は災獣に踏み潰されて、それでお終いだ」


 老婆は語る。

 団子屋を破壊された日から、自分は死んだように生きてきたのだと。

 これでようやく楽になれると。

 俯く青年に、老婆は背を向けたまま告げた。


「あんたは逃げな。……今日まで年寄りのわがままに付き合ってくれて、ありがとう」


 そして老婆は立ち上がり、災獣に身を捧げるかのように腕を開く。

 青年は老婆の腕を取ると、半ば無理やり彼女を背負って叫んだ。


「お婆ちゃんも一緒だ!!」


「……は?」


「お婆ちゃんは死んでるように生きてなんかない! そんな人の作る団子が、あんなに美味しい筈がない!」


 青年は力を振り絞り、避難所に向かって走り出す。

 戦闘の余波や地面の瓦礫に何度も躓きそうになりながらも、彼は息を切らして訴えかけた。


「俺はお婆ちゃんの団子に救われた。嫌なことがあっても、あれを食べたら明日も頑張ろうって思えた。お婆ちゃんの団子は、人を笑顔にできるんだ!」


「……っ」


「俺はこれからも、お婆ちゃんの団子を食べたい。だから……ッ!」


 しかし戦闘の衝撃は、無慈悲に二人を吹き飛ばす。

 老婆を庇った青年の背中を、鈍い痛みが駆け巡った。


「大丈夫かい!?」


「大丈夫! それより急いで!」


 青年は笑顔で応じると、再び老婆を背負って走り出す。

 無我夢中で駆ける彼の視界の先に、大きな建物が見えてきた。


「……避難所だ!」


 避難所に辿り着いた二人を、職員たちが温かく出迎える。

 青年の背中を降りて、老婆が心からの笑顔で告げた。


「助けてくれて、ありがとう」


 希望に満ちたその表情を見て、青年は自分が一つの命を救えたことを実感する。

 彼は大きく頷くと、誇らしげな瞳で巨神カムイとクーロンG9を見上げた。


「クァムァッ!!」


 クレイボアの突進を受け止めて、カムイは足腰に力を入れる。

 懐に飛び込んだクレイボアが爆発する刹那、クーロンG9が駆け出した。


「今だ!!」


 鋼の拳でクレイボアを殴り飛ばし、至近距離での爆発を阻止する。

 更に窮地を脱したカムイが雷の大太刀を振るい、バンモス二代目の牙を斬り落とした。


「ダブルドラゴンキック!!」


 尚も怯まないバンモス二代目に、クーロンG9が強烈な両脚蹴りを見舞う。

 そして生まれた決定的な隙を突き、カムイとクーロンG9は必殺技を繰り出した。


「神威一刀・鳴神斬り!!」


「クーロン砲・最強爆裂波!!」


 雷鳴の如し斬撃と絶大火力の砲撃が炸裂し、二体の災獣は木っ端微塵に爆散する。

 ラッポンの街を守り抜いたカムイたちを、人々は盛大な歓声で称えた。


「ありがとうカムイ! クーロン!」


 青年は老婆が自分にしたのと同じように、心の底から二人に礼を言う。

 カムイたちが飛び去っていく空には、もう一点の曇りもなかった。


「あんた、結構やるもんだねえ」


「お婆ちゃんのお陰だよ」


 炊き出しの豚汁を食べながら、青年と老婆は並んで語り合う。

 塩気の際立つスープを飲み干して、老婆は力強く宣言した。


「決めたよ。あたしはまた団子屋をやる」


「応援するよ。お婆ちゃんなら絶対できる!」


「嬉しいねえ。というわけで、これからはあんたからも金取るからね」


「ええっ!? そりゃないよお婆ちゃん!」


 希望を取り戻した二人の笑い声が、春先の青空に響く。

 神と獣が争う大地にも、小さき命はしっかりと根を張っているのだった。

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