第24章 ウエディングドレスの約束

廃教会の花嫁



 鬱蒼とした森を抜けた先に、焼け落ちた廃教会がある。

 それを囲むように咲き誇るラベンダーの紫の中に、長髪の女性が佇んでいた。

 花を編んで作った指輪を左手の薬指に嵌めて、太陽の光に透かす。

 流れゆく穏やかな時間に、野蛮な足音が割り込んだ。


「ここが現場ですかい、親方」


「ああ。こんなチンケな廃教会、さっさと解体しちまおうぜ」


 解体業者たちは厳つい工具を手に、花畑を踏みつけて廃教会へと歩いていく。

 意気揚々の彼らに、女性は低い声で警告した。


「来ないで」


 しかし聞こえていないのか、業者たちは彼女の声を無視して進む。

 彼らをこの場から排除せんと、女性はドス黒い情念を滾らせた。


「来ないで。わたしとあの人の場所に……!」


 彼女の怒りに応えるように、桃色の巨大鯨が現れる。

 白いベール状の鱗を纏ったその鯨が尻尾を振るうと、解体業者たちは這う這うの体で逃げていった。

 時に、ロアヴァングの出現から一週間後のことである––。


「だりぃ〜……」


 塔大の最上階・ミリアの研究室の床に寝転がって、アラシは大きく伸びをする。

 古い資料を読んでいたシナトが、だらけきった相棒を横目に見て言った。


「アラシ、お腹が出てるぞ」


「……ここは君たちの実家ではないのだが?」


 苛立つミリアに諌められ、アラシは渋々立ち上がる。

 ミリアは資料を読み終わると、机に積まれた古本を一冊取って彼に手渡した。


「いい加減休もうぜ。活字ばっかで嫌になっちまうよ」


「そういうわけにもいかん。終焉の使徒の謎を解明するためには、少しでも多くの情報が必要なのだからな」


 フィニスはユキの体を借りている。

 故に世間ではユキ並びにシヴァル国に対する疑惑や敵愾心が湧き上がり、国家間の分裂が進んでいた。


「今は詳細確認のため、オボロ博士とハタハタ君がシヴァルに出向いているよ。リョウマとシイナも災獣の動きに目を光らせているし、我々もやるべきことをやらなくては」


「へいへい。ところで、セイとミカはどこ行ったんだ?」


「二人は少し出かけているよ」


 ミリアは椅子から立ち上がり、窓の外に顔を向ける。

 彼女が見つめる先には、深い森が広がっていた。


「何か……普通の森だね」


「そうだなぁ。災獣どころか、蛇の一匹すら出やしないぜ」


 拍子抜けした様子のミカに同調しながら、セイは掌の上のリンと戯れる。

 何故二人と一羽が森の中を歩いているのかといえば、それは今朝の出来事に起因していた。

 青い顔をした解体業者たちが塔大に駆け込んで、『森に災獣が出た』と訴えたのである。

 かくしてセイとミカは、深い森の調査に乗り出したのだった。


「業者たちの話だと、出現したのはこいつの可能性が高いな」


 セイは災獣図鑑を開いて、雄大に泳ぐ桃色鯨『花束災獣ブーケトス』の画像を見せる。

 ジャングジラの近縁種であるブーケトスは空や海が生息域であり、また人を襲うということも滅多にない。

 セイは過去の事例から、この事態の異常さを読み取っていた。


「トマホークの時と同じだ。災獣たちが、本来の生態から外れた行動を取っている。一体、自然界に何が起こっているというんだ……?」


「セイ、あれ見て!」


 考え込むセイの腕を引いて、ミカが真正面を指差す。

 彼女が指し示した先には、ラベンダーの花畑と共に小さな廃教会が覗いていた。


「……確かに、業者たちの言っていた通りだな。調べてみよう」


「うん」


 セイとミカは森を抜けて、ラベンダーの花畑に足を踏み入れる。

 その瞬間、セイの脳裏に威圧的な声が響いた。


「あなたたちも、ここを荒らすつもり?」


「ミカちゃん? ……うお危ねっ!」


 不意打ち気味に繰り出されたミカの回し蹴りを、セイは間一髪で回避する。

 張り詰めた空気の中、セイの首に提げた勾玉が輝いた。


「誰かに操られてるのか。だったらこれだ!」


 セイは勾玉でミカを照らし、彼女を操っている何かをミカの体から追い出す。

 翡翠の光が人の輪郭を形作り、声の主が姿を現した。


「……あなたたちは?」


 現れた長い髪の女性は怜悧な目で二人を睨むと、警戒心を剥き出しにして言う。

 セイは印籠代わりに勾玉を突き出すと、自分たちの名を告げた。


「俺は巨神のセイ。こっちは歌姫のミカだ」


「私は『ツキヨ』」


「ツキヨか。いきなり人様の体を乗っ取るとは大した奴だなぁ、ええ?」


 セイとツキヨは睨み合い、一触即発の空気が花畑に立ち込める。

 ミカはセイを宥めると、落ち着いた口調で質問した。


「ねえ、どうして私に取り憑いたの?」


「生きてる人に意思を伝えるには、こうするしかなかったから」


「生きてる人って……じゃああなたは」


 『幽霊』の二文字がセイたちの脳裏に過ぎる。

 ツキヨは彼らに背を向けると、廃教会に向かって歩き出した。


「着いてきて」


 ツキヨが擦り抜けた扉を、セイは壊さぬようにと慎重に開けて室内に入る。

 今にも倒壊しそうな廃教会の中は、外観と同じで酷い有り様だった。


「単なる経年劣化ってわけじゃなさそうだな」


「鋭いわね。……あなたたちには、話していいかもしれない」


「……聞いてもいいかもしれない」


「じゃあ、話すわね。かつてこの教会で起きた悲劇、私が今もここに留まり続けている理由について」


 並び立つセイとミカを見て、ツキヨは静かに語り始める。

 それは、300年前のことであった。


「私は宝玉回収のため、ソウルニエからこの世界に送り込まれたの。でも災獣に襲われて……」


 大怪我をした彼女は、近くの診療所に運び込まれた。

 そこでツキヨは、町医者の青年スカイと運命の出会いを果たした。


「私たちは一目で恋に落ちた。そして退院の日、私とスカイさんは結ばれたの」


 スカイはツキヨがソウルニエ人であると知りながらも、変わらず彼女を愛し続けた。

 そんなある日、二人はこの場所に出会った。

 ツキヨたちはラベンダーの花畑と美しい教会をとても気に入り、必ずこの場所で結婚式を挙げようと誓った。

 しかし、それが幸せの終わりだった。


「結婚式の日、大勢の兵士が教会に押し入った。そしてスカイさんは、兵士の槍から私を庇って……!」


 兵士たちは自らの罪を隠蔽せんと、教会に火を放って逃走した。

 焼け落ちる教会の中で、ツキヨはスカイの体を抱き締めた。

 逃げることも忘れ、ただ愛する人を想って泣き腫らした。

 そして次に目覚めた時、彼女は幽霊となっていた。


「……なるほど。それで業者を追い払ってたのか」


「ええ。あの人と結婚式を挙げるまで、ここに手出しはさせないわ」


 ツキヨの強固な執念を前に、セイとミカは顔を見合わせる。

 何とか彼女の未練を晴らせないものか。

 ミカはふと妙案を思いつくと、セイにその内容を耳打ちした。


「……本気なのか?」


「うん。セイも協力して」


「しょうがないな。分かったよ!」


 盛り上がる二人の意図を図りかねて、ツキヨは首を傾げる。

 セイはツキヨに向き直ると、得意げに胸を張って言った。


「喜べツキヨ。あんたの未練を晴らしてやる」


「本当?」


「本当さ。じゃあ、俺は準備があるから」


 ミカとツキヨとリンを残して、セイは廃教会を後にする。

 街に出ようとした彼は、目の前に広がる光景を見て息を呑んだ。


「業者だ……!」


 揃いのツナギに身を包んだ数十人の解体業者が、思い思いの工具を手に花を踏み歩いている。

 邪悪な笑みを浮かべた彼らの姿は、仕事というより個人的な喧嘩に向かう不良のように見えた。


「この教会を壊すのか?」


「そうだ。怪我しないうちにどけ!」


 業者たちはセイの制止も聞かず、廃教会を取り壊そうとする。

 騒ぎを聞きつけて飛び出してきたツキヨは、彼らを見るなり目の色を変えた。


「あんなに忠告したのに……!」


 ツキヨの怒りに導かれて、花束災獣ブーケトスが姿を現す。

 腰を抜かして逃げ出した業者たちに、ブーケトスはあまりにも苛烈な追撃を加えた。


「やめてブーケトス! これ以上は死んじゃう!」


 ミカは攻撃を止めさせようとするが、ブーケトスの怒りは収まらない。

 このままでは未練を晴らすどころではないと、セイは勾玉を掲げて叫んだ。


「超動!!」


 セイは巨神カムイに変身し、ブーケトスを廃教会から引き離す。

 300年の未練が今、レンゴウの街を焼き尽くそうとしていた。

—————

誓いのラベンダー



「クァムァ……!」


 暴れるブーケトスを抑えながら、カムイは足腰に力を入れて踏ん張る。

 互角の勝負を繰り広げるカムイの背後に、豪快な駆動音が響いた。


「来たか、クーロンG9!」


「おうよ! 手を貸すぜカムイ!」


 クーロンG9の鉄拳が炸裂し、ブーケトスは強く吹き飛ばされる。

 カムイはその隙に変身を解くと、セイの姿に戻って呼びかけた。


「悪い、俺先に帰るわ!」


「帰るわっていうかもう帰ってるだろ! 事後報告やめろ!」


「ごめん急いでるから!」


 セイは強引に会話を打ち切ると、急いで塔大に駆け込む。

 驚いた顔のミリアとシナトに一部始終を説明すると、二人は快く頷いた。


「分かった。やれるだけの用意はしよう」


「ありがとう!」


 ツキヨの未練を晴らすため、三人は作戦の準備を進める。

 同じ頃、廃教会ではミカとリン、ツキヨがセイの帰りを待っていた。


「……そろそろ時間。急いで」


「分かったわ」


 ミカに促され、ツキヨは彼女の体に憑依する。

 実体を手に入れたツキヨは物陰に隠れると、花嫁の正装を身に纏った。

 かつてスカイとの結婚式で着る筈だった、思い出のウエディングドレス。

 今は煤やほつれでボロボロになっているものの、純白だった頃の美しさの片鱗は未だに残っていた。


「ねえ、本当にこれでよかったの? セイに頼んで新品を持ってきてもらうこともできたのに」


「私はこれがいいの」


 二人はそれきり何も言わず、戦いの音を遠くに聞きながら廃教会の扉が開くのを待つ。

 それから暫くして、運命の時は訪れた。


「花婿を連れてきたぞ!」


 神父姿のシナトとタキシードに身を包んだ青年が、厳かに廃教会の扉を潜る。

 驚愕に目を見開くツキヨに、青年は優しく笑いかけた。


「久しぶりだね、ツキヨ」


「スカイさん……!」


 互いの存在を確かめるように、二人は固く抱きしめ合う。

 壇上に立ったシナトが、重々しく宣言した。


「これより、結婚式を執り行う」


 遠くで響く爆発音が、ツキヨたちの耳に鐘のような音色を届ける。

 神父シナトは深く息をして、新郎新婦への言葉を投げかけた。


「汝スカイはこの女ツキヨを妻とし、生涯愛することを誓いますか」


「はい。誓います」


「汝ツキヨはこの男スカイを夫とし、生涯愛することを誓いますか」


「はい。誓います」


 神父の口上を聞きながら、スカイとツキヨはちらりと視線を交わす。

 それから結婚式は、指輪の交換に差し掛かった。

 紫色の宝石で飾られた指輪を、丁寧に互いの左手薬指に通す。

 式が進んでいくにつれて、二人は心臓の鼓動が早まるのを感じた。


「それでは、誓いのキスを」


 ツキヨはふっと力を抜き、細めた目でスカイを見つめる。

 あまりに無防備なツキヨとの口づけを、スカイは微かに躊躇った。

 躊躇ってしまった。


「っ!?」


 その瞬間、ツキヨの魂がミカの体から離れる。

 倒れ込むミカを抱き止めたスカイに、ツキヨは短く告げた。


「あなたはスカイさんじゃないわ」


「……バレたか」


 スカイはあっさり認めると、髪型を崩して正体を––セイの姿を現す。

 決まり悪そうなセイたちに、ツキヨは呆れて言った。


「スカイさんはこういう時、しっかりリードしてくれる人よ」


「ごめんなさい! あなたの未練を晴らそうと思ったら、これしか思いつかなくて」


「傷つけてしまったなら謝る。どうか許してくれ」


 セイとミカは深々と頭を下げる。

 しかし二人の予想に反して、ツキヨの表情は穏やかだった。


「……いいのよ」


「えっ?」


「本当は分かってたの。ここで幾ら待っていても、あの人は来ないってこと」


 けれど二人の優しさに、ツキヨはスカイの姿を見た。

 未練を断ち切ったツキヨの姿が、少しずつ薄くなり始める。

 あるべき場所に還る刹那、ツキヨは晴れやかな笑顔で告げた。


「ありがとう」


 厳かな鐘の音と共に、ツキヨは光に溶けていく。

 セイとミカは彼女の最期を見届けると、シナトに連れられて廃教会を後にした。


「あっ……」


 三人が建物の外に出た瞬間、役目を終えたかのように廃教会が崩れ落ちる。

 ミカは花畑からラベンダーを一輪摘むと、瓦礫の山にそっと手向けた。


「行こう」


 夢の名残りに背を向けて、セイたちはクーロンG9と共に戦おうとする。

 しかしその瞬間、クーロンG9と対峙するブーケトスの動きが止まった。


「……え?」


 困惑するセイたちをよそに、ブーケトスは遥か空の向こうへと泳ぎ去っていく。

 ブーケトスの巨躯をぼんやり見上げていると、アラシとミリアが駆けてきた。


「おいセイ! 戦いサボって一体何してたんだこのやろ……」


 大股で詰め寄ろうとしたアラシだが、セイたちの姿を見て何かを察する。

 少し仕返しでもしてやろうと、彼はニヤリと笑って叫んだ。


「あっ! お前ら結婚したのか!!」


「してないわ!」


「こいつぁ大スクープだ! ばら撒いてやる! 捕まえてみろほらこっちだこっち!」


 挑発してくるアラシに、セイたちは敢えて無視を決め込む。

 アラシは暫くハシャぎ回っていたが、やがて花畑に寝転がって構え構えと喚き始めた。


「全くしょうがないな、アラシ君は」


「……後でみっちり叱っておきます」


 シナトとミリアはアラシの腕を掴み、森の中へと消えていく。

 三人の姿を見送って、ミカは不意に呟いた。


「今度は、私たちの結婚式をやりたいね」


 未来への展望を語る言葉に、セイは心の中で安堵する。

 ミカは少しずつ、兄の死を乗り越えつつあるのだ。


「ミカちゃんならいい人見つかるよ」


 セイはそう言って、ラベンダーの花畑を後にする。

 背後を歩くミカの少しむくれた顔に、彼は最後まで気づかなかった。

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