第4章 凍土への帰郷

8つ目の国



 レンゴウ某所の山で、セイとミカは謎の大鷲に捕えられてしまった。

 大鷲はセイたちを掴んで空を駆けた末、彼らを無造作に投げ飛ばす。

 着地した2人が周囲を見渡すと、そこは一面の銀世界だった。

 水晶と見紛うばかりの氷に、綿のような白い雪。

 初めて見る雪景色に、ミカは思わず目を輝かせた。


「綺麗……!」


「……あのクソ鳥、とんでもない所に落としやがったな」


 喜ぶミカとは対照的に、セイの顔は渋い。

 冷たい風が吹き抜けた瞬間、彼は叫んだ。


「避けろ!」


 ミカが反射的に身を翻した瞬間、立っていた地面が砕け散る。

 白い霧の中に赤い眼光だけを光らせて、大型の獣が咆哮した。


「シロクマだ。走れ!」


 2人は全速力で走り出し、捕食者から逃走する。

 しかしシロクマは圧倒的な身体能力差で爆進し、遮る全てを蹴散らしてセイたちを追い詰める。

 とうとう逃げ場を失くした彼らを目掛けて、シロクマは凶悪な爪を––。




 ––振るえなかった。

 胴体に刻まれた一文字から鮮血が迸り、シロクマはその場に倒れ込む。

 青いマントに身を包んだ少年が、首だけをセイたちに向けて言った。


「怪我はないようだな」


 ダガーナイフの刀身に滴るシロクマの血から、この少年が2人を助けたのだと分かる。

 近寄ってきた大鷲の頭を撫でながら、少年は大鷲を窘めて言った。


「駄目じゃないかブリザード。ちゃんと城まで連れて来なくちゃ」


「ブリ大根?」


「ブリザード。この鳥の名前だ。物心ついた頃より共に過ごしてきた」


「つまり、あんたがこいつの飼い主か! どういう躾してんだコラ……うおっ!」


 詰め寄ってきたセイの足を払い、彼を氷の大地に転ばせる。

 助けようとしたミカも同様に転倒させると、少年は2人の両腕に手錠をかけた。


「セイ、ミカ。お前たちを逮捕する」


 そしてセイたちはブリザードに背中を掴まれ、吹雪の中に佇む美しい城へと連行される。

 純白の大広間で、少年は堂々と口を開いた。


「僕はユキ。凍土と洞穴の国・シヴァルの守護者だ」


「シヴァルの守護者って、確か足まで届くヒゲだけが自慢の老いぼれジジイじゃなかったか?」


「先代なら去年亡くなった。……故郷のことだと言うのに、何も知らないんだな」


 ユキは蔑んだ目でセイを見下ろす。

 ミカが困惑気味に呟いた。


「故郷?」


「そうだ。セイはここシヴァルで生まれ育った。……そして8年前、国を捨てた」


「捨てられるような国が悪いんだろ」


 セイは強気に言い返す。

 暫しの睨み合いの後、彼は低い声で切り出した。


「……そんなことはどうでもいい。それより、何で俺たちを捕まえたんだ?」


「ミリア殿に頼まれたのだ」


 ミリアと言えば、レンゴウ国の守護者だ。

 セイたちにとっては、レンゴウに現れた災獣を倒したことで信頼を勝ち取った相手でもある。

 そんなミリアが、何故セイたちの捕縛を依頼したのか。

 ユキは淡々とその理由を明かした。


「お前たちがジャングジラを倒した後、ミリア殿は神話の書についての研究を開始した。そしてある事実に行き着いたのだ」


 ユキの冷徹な眼差しが、ミカを射貫く。

 重い静寂を切り裂いて、彼は告げた。


「ミカ。お前は存在してはいけない人間だ」


 予想だにしない否定の言葉が、ミカの胸に突き刺さる。

 激昂して詰め寄ろうとするセイを、衛兵たちが取り押さえた。


「くそっ離せ! 存在してはいけないってどういうことだ!」


「ミカが持つ神話の書には、国の数は8つだと記載されている。この世界に国は7つしかないのに、だ。何故か分かるか?」


 ユキに突然質問され、セイたちは黙り込む。

 ユキは間髪入れずに答えを教えた。


「それはミカの書が、遥か昔……まだ8つ目の国があった時代に書かれたものだからだ」


「8つ目の国!?」


 ドローマ、レンゴウ、ミクラウド、ファイオーシャン、ラッポン、シヴァル、ドトランティス。

 ここに連なる8つ目の国は。


「死霊と禁術の国・ソウルニエ」


「ソウルニエ……」


 言い慣れぬ国名を、セイは口の中で繰り返す。

 ミカが戸惑いを露わにして言った。


「そんな国、聞いたことない」


「歴史から抹消された国だからな。僕自身、ミリアに聞かされるまでは知らなかった」


 そしてユキは、ミリアが断片的にではあるが解読したソウルニエ抹消の歴史について語り始める。


「初代カムイが世界を救ってすぐの話だ。ソウルニエは、死者の世界と通じる闇の魔法を発見した。8つの国は協議の末に闇の魔法を禁術とし、存在自体をなかったことにした」


 だがソウルニエは密かに禁術を研究し、死者の軍勢を率いて世界中に戦争を仕掛けた。

 7つの国を圧倒したソウルニエだが、禁術の力は予想を遥かに超えていた。

 結局ソウルニエが死者の世界に引き摺り込まれるという形で戦争は終結し、後には多大な犠牲と荒れ果てた大地だけが残されたのだった。


「二度と平和が脅かされないよう、7つの国はソウルニエを永久に歴史から葬った。……禁術を使った結果自らが禁忌とされるとは、皮肉な話だ」


 この時の歴史修正で、神話の書の記述も書き換えられた。

 8つから、7つに。


「分かったか? ミカはソウルニエ人であり、消すべき人間なのだ」


「そんなのおかしいだろ。こいつが何かしたわけでもねえのに」


「だが、ソウルニエ人だ」


「それがおかしいってんだよ! 生まれで人のこと決めつけるなんて最低だ! 最悪のクソ野郎だ!!」


「……うるさい。地下牢に放り込んでおけ」


 衛兵はセイとミカを掴み上げ、城の地下牢に連行する。

 強い力で腕を引かれながら、セイはユキにありったけの恨み節をぶつけた。


「ミカに謝れバカ野郎! バカやろぉおおおおおっ!!」


 セイの放つ罵声を、ユキは生気のない目で受け止める。

 荒涼としたシヴァルの大地を、白い風が撫でていった。

—————

守護者の孤独



「分かっちゃいたけど、この国マジで罪人の扱いが雑だな」


 ボロ布を体に巻きつけたセイの独り言が、ごつごつとした岩壁に響く。

 シヴァル国に捕えられたセイとミカは現在、地下牢で処遇を待っていた。


「だからずっといい奴のフリしてきたのに……ああ、俺の24年の人生って一体」


「セイ」


「ん?」


「ありがとう」


 ミカが突拍子もなく礼を言う。

 戸惑うセイに、彼女は微笑んで続けた。


「私のために本気で怒ってくれて、嬉しかった」


「……こういう時は、怒るもんだろ」


 存在しない国の民だから死ね。

 セイからすれば、これほどふざけた理屈はない。

 数時間前の怒りを再燃させるセイに、ミカが言う。


「でも私、彼が悪い人だとは思えないの」


「いやどうみても悪人だろ。ペットのネーミングセンスも酷いし」


「だけど私たちを助けてくれた。それに……」


「それに?」


「あの言葉は、本心じゃなかった」


 ミカは守護者ユキの言葉の節々から、台本に記された台詞をそのまま喋っているような無機質さを感じ取っていた。

 ともすれば楽観主義に片足を突っ込んだ彼女の見解を聞いて、セイは不明瞭な相槌を返す。

 そして彼は大きな欠伸を一つして、硬い石床に横たわった。


「だといいけどねえ。んじゃ、おやすみ」


 光の速さで眠りに落ち、深い寝息を立てる。

 いつもより険しいセイの寝顔を眺めながら、ミカはユキが来るのを待つことにした。


「紙芝居の秘訣はぁ!」


「ッ!?」


 セイの寝言が、微睡んでいたミカの意識を引き戻す。

 よほどいい夢を見ているのだろうか、セイの寝顔は最初よりずっと腑抜けたものになっていた。


「やっぱ心ですかねぇ……ムニャムニャ」


 ミカはセイのボロ布をかけ直し、戦いの傷痕をそっと撫でる。

 窓がないので正確な時間は分からないが、もう午前3時は回っているだろう。

 待つのを諦めかけたその時、革靴の音が聞こえてきた。

 ユキだ。


「まだ眠っていなかったのか」


「あなたと話がしたくて」


「お前と話すようなことは何もない」


「あなたは私の国について聞かせてくれた。だから今度は、あなたの国や、あなた自身のことについて知りたい」


 ミカは強い意志を持った瞳で見つめる。

 ユキはとうとう根負けし、衛兵付き添いの下で彼女を牢から出した。

 黒い廊下を歩きながら、彼はぽつぽつと語り始める。


「このシヴァルは一年中ずっと冬だ。人間が住める環境ではないし、凶暴な獣も多い。だから人々は地下に洞穴を掘り、その中で暮らしている」


「じゃあ、どうしてユキは地上にいたの?」


「守護者だからだ」


 ユキは淡々と答える。

 そして彼は、自らの一族について語り始めた。


「洞穴を掘った後も、危険が去ったわけではなかった。地上の天気や野生動物の動きを監視し、人々に伝える必要があったのだ。その役目に志願したのが、僕の祖先だった」


 人々は彼に敬意を表し、溶けない氷で城を築いた。

 それから一族は先祖代々、守護者としてシヴァルを守っている。

 氷の城の冷たい玉座に、たった一人で座しながら。


「……衛兵たちは?」


「自律式の氷人形だ。意思はない」


 物心ついた時から、ユキはこの城に一人で住んでいた。

 孤独な暮らしと厳しい環境の中で彼の心は凍り、いつしかシヴァルの守護者であることが自分の全てになった。

 意思を持たない氷人形、それが今のユキだった。


「守護者はソウルニエ人を排斥する。だから僕もそうした。それだけだ」


「じゃあ、あなた自身が私を憎んでるわけじゃないのね」


「……怒らないんだな」


「怒ってる。でも私以上に怒ってくれる人がいたから冷静になれてるだけ」


 ミカはハッキリと断言する。

 セイもまた不思議な男だったなと、ユキは心の中で考えた。


「……僕にも、仲間がいたらな」


「ブリザードは?」


「彼女は家族だ」


 ユキがまだ幼い頃、傷ついた雛鳥が城に迷い込んできた。

 ユキは甲斐甲斐しく手当てをし、もう二度と来るんじゃないぞと言い含めて雛鳥を逃した。

 だが数日後、雛鳥は再び現れた。

 大きな芋虫を口に咥えて。

 そんなことを何度か繰り返した後、ユキはこの鳥を城で飼うことにした。

 命名、ブリザード。

 孤独を分かち合う一人と一羽は、いつしかかけがえのない家族となった。

 そして今、大鷲となったブリザードはユキの半身として共にシヴァルを守り続けているのである。


「これで全部だ。さあ、戻って寝ろ」


「うん。ありがとう」


 ミカはにこやかに頷いて、セイの眠る牢屋に戻る。

 何とも言えない寂しさを覚えながら、ユキも自室に引き返していった。


「……ブリザード」


 羽を広げたブリザードに、ユキはふらりと倒れ込む。

 空が白み始めた頃、セイの夢は更にスケールアップしていたのだった。


「紙芝居でワールドツアー……ぐがー」


「それはある意味実現してると思う」


 小声でツッコミを入れながら、ミカも硬い床に横たわる。

 真っ暗な天井が、星のない夜空のように見えた。

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