第17章 失望に甘んじて

風が止んだ日



 ドローマの街を歩きながら、ミリアは興味深そうに辺りを見渡した。

 予想以上のペースで復興しつつある街並みもさることながら、人々の顔に全く憂いがない。

 逞しく生きるドローマ国民を、アラシは胸を張って自慢した。


「オレたちは皆、明日をも知れない環境で生きてきたんだ。このくらいどうってことないぜ」


「なるほど。我々もそのタフネスだけは見習わなければな」


「『だけは』は余計だっての。さ、着くぞ」


 アラシが指差した先には、シナトの住む仮設住宅がある。

 ミリアは扉を軽く叩き、中にいるであろうシナトを呼んだ。

 すぐに扉が開いて、私服姿のシナトが姿を現す。

 ミリアの後ろに控えるアラシを見た瞬間、彼の目から光が消えた。


「レンゴウのミリアだ。大事な話がある。よければ中に入れてくれないか?」


「……分かりました」


 シナトは二人を居間に通し、人数分の茶を淹れてアラシたちの反対側に座る。

 ミリアは柔和な作り笑いを浮かべると、無難な話題を口にした。


「聞いたぞ。アラシに代わり、ドローマの守護者を務めているそうだな」


「挨拶が遅れてすみません。復興作業が忙しくて」


「気にするな。それよりも私は、大した騒ぎも起こさずに混乱期の国を纏め上げている君の手腕を評価したい」


「ありがとうございます」


 シナトは丁寧に礼を言う。

 笑顔の仮面を被りながら、ミリアは慎重に本題に入る頃合いを伺っていた。

 少しずつ空気が張り詰めていくのを感じ、アラシの肌が粟立つ。

 他愛のない話が終わった間隙を縫って、ミリアが遂に切り出した。


「……そろそろ本題に入ろう。ドローマの城にして最強の防衛兵器、クーロンについてだ」


 ミリアは数枚の書類を取り出し、テーブルの上に置く。

 身構えるシナトの目を見て、彼女は単刀直入に言った。


「我々レンゴウと共に、新型クーロンを作らないか」


「……新型クーロン?」


「ああ。この書類に試作案が書いてある」


 シナトが書類を確認すると、そこには初代クーロンの問題点や具体的な改善案が事細かに記されていた。

 隣のアラシが情報提供をしたのだろうか、極めて理に適っている。

 ミリアの本気を悟りながら、シナトは務めて冷静に質問した。


「クーロンはドローマの城です。何故レンゴウがそんな提案を?」


「今、世界は大災獣の脅威に晒されている。これまでにドトランティス、ファイオーシャン、そして我がレンゴウが大きな被害を被った。この未曾有の事態に対応するためには、クーロンの力が必要不可欠だ」


「クーロンはあくまでドローマの防衛兵器です。他の国にまでは手が回りません」


「ならば守護者会議の際、わざわざシヴァルまでクーロンを飛ばしたことについても説明がほしいものだな」


 強気に皮肉を返しながらも、ミリアは心の中で舌を巻く。

 シナトは咳払いをして、話を打ち切ろうと結論を出した。


「とにかく、レンゴウにはこれまで通り、支援物資の提供だけをお願いします」


「しかし実際、クーロンの強化……少なくとも復旧は急務だろう。それはどうするつもりだ?」


「現在、アラシが復旧手段の捜索に出ています。……そうだよな? ボブ」


 いきなり名指しされ、アラシは神妙な態度で俯く。

 シナトは静かに息をすると、再びミリアに向かって言った。


「少し、彼と二人にさせてくれませんか」


「……分かった。では、私は暫く外すとしよう」


 ミリアが外に出て、家はアラシとシナトの二人きりとなる。

 シナトはアラシの仮面に手を掛けると、有無を言わさずそれを外した。


「俺の前でくらい素顔でいろよ」


「……シナト」


「新型クーロンの話、本気なのか」


 冷徹な声で問われ、アラシは思わず黙り込む。

 座ったままのアラシを無理やり立たせて、シナトは眉を吊り上げて詰め寄った。


「クーロンはドローマの誇りだ。誰より強くなるっていうお前の心意気そのものだ。それをお前は……他の誰かに売り渡したのか!」


「違う! ミリアも言ってただろ、大災獣を倒さないと世界がヤバいって!」


「他の国なんて知るか。ドローマさえよければいい」


「シナトお前!」


「俺の知ってるアラシは、そういう男だった」


 シナトの言葉に、アラシはハッと目を見開く。

 にじり寄るシナトに気圧されるがまま後退ったアラシの背中が、冷たく硬い壁に触れた。


「今からでも宝玉探しに戻れよ。そして『元通り』のクーロンを作ろう。みんなお前の帰りを待ってる」


「それじゃ駄目なんだ! 元のクーロンじゃ、世界を守れないんだよ!」


「俺たちの世界はここだけだ!」


 主張は平行線のまま、両者は真正面から睨み合う。

 やがてシナトが目線を外し、蔑むような笑みを浮かべて言った。


「……分かったよ。新型クーロンの話、乗ってやる」


「本当か!?」


「ああ。但しその場合、ドローマは未来永劫レンゴウの属国になるがな」


 自棄を起こしたとしか思えない条件に、アラシは絶句する。

 ここで頷かなければ、新型クーロン完成の機会は二度と訪れないだろう。

 しかし元ドローマ守護者としてのプライドが、アラシに決断を躊躇わせる。

 長い葛藤の末、アラシは震える声で告げた。


「……それでも、世界を守りてえ」


 セイたちとの旅の中で、アラシはドローマだけが世界ではないことを知った。

 どんな国にも人々の生活があり、守護者たちもそれぞれの矜持を持って国を治めていることを学んだ。

 そしてそれを守ることはアラシの中で、ドローマだけの発展よりも大事なものになっていたのだ。


「そうか。じゃあ、ミリアを呼んできてくれ」


 シナトの乾いた声に滲んだ失望が、アラシの胸を打つ。

 アラシは小さく頷くと、ミリアを呼ぶために外へ出た。


「……話は纏まったようだな」


「ええ。後はミリアさんがこの書類に判を押せば、契約は成立です」


 契約書には、既にシナトの印鑑が押されている。

 隣に押印しようとするミリアの腕を、アラシが不意に掴んだ。


「オレに押させてくれ」


「……分かった」


 アラシは短刀で親指を切り、赤い血の滲んだ親指を書類に押し付ける。

 濃くて荒っぽい血判が、シナトの判の隣に並んだ。


「これで契約成立だな。では、我々はそろそろ帰るとしよう」


 シナトに見送られ、ミリアとアラシは彼の家を後にする。

 二人の足音が聞こえなくなった頃、シナトはふと契約書に目を落とした。

 アラシの血判と自分の印が、仲睦まじそうに並んでいる。

 それは二人の決別を意味しているというのに。


「ちくしょう……」


 テーブルに突っ伏して、シナトは一人咽び泣く。

 その日の空模様は、初めてアラシに出会った日と不気味なほどによく似ていた。

—————

闇より這い出したもの



 氷の城の一室に、甲高い金属音が響く。

 身の丈よりも一回り大きい氷塊にノミを打ち込みながら、ユキは頻りに怨嗟の言葉を口にしていた。


「どいつも! こいつも! バカばかり! くそっ!!」


 守護者の本分は国を、ひいては世界を守ること。

 なのにミリアたちは主観的な基準でミカを信用し、ハタハタに至っては人形計画から脱退する始末だ。

 彼らの自由さが、堅物なユキには面白くない。

 怒りに任せて振るったノミが、遂に限界を迎えて砕け散った。


「……っ」


 新しいノミを取り出そうとするユキを、愛鳥ブリザードが翼を広げて包み込む。

 ユキは張り付いたような笑顔を見せると、温かい羽を優しく払い除けた。


「ありがとう。でも休んでる暇はないんだ。早く……作らなきゃ」


 新品のノミを握りながら、ユキは作りかけの氷像を眺める。

 歌姫を模った氷像に映る自分にノミを打ち込んで、彼は余分な氷を削り落としていった。

 無心で作業を続けるユキの胸に、ふと奇妙な空想が湧き上がる。

 もしもこの氷像が喋り、僕の友達になってくれたら。

 ミカのように優しく、ボブのように元気な僕の友達。

 そんな友達ができたなら––。


「……うわあっ!?」


 ユキの願いに応えるように、氷像が光を放つ。

 翼を広げて前に出たブリザードが、甲高い鳴き声で氷像を威嚇した。


「おやおや、随分派手なファンファーレだねえ」


 高く透き通るような声が、ユキとブリザードの脳内に響く。

 透明な目を明滅させながら、氷像は自らの名を告げた。


「ボクは『フィニス』。君の名前は?」


「……ユキ。こっちはブリザード」


「よろしくね、ユキにブリザード。今日から友達だ!」


 フィニスと名乗った氷像の元気な声が、静かな室内に響き渡る。

 困惑するユキたちに、フィニスは呆れたように言った。


「君が願ったんじゃないか。『友達がほしい』って。ボクはその願いに惹かれて、君の元にやってきたのさ」


「……そんな奇跡みたいなことが」


「実際に奇跡さ。大体、神様がいる世界だよ? 奇跡の一つや二つ、起こって当たり前じゃないかい?」


「そう言われれば、確かに」


 実際問題、氷像が喋っていることに変わりはない。

 そこに文句を言っても仕方ないと自分を納得させて、ユキはフィニスの手を握った。


「ボクの手、冷たいよ?」


「構わない。だって、友達だから」


「……そうだね。ボクらは、友達だ」


 ユキとフィニスは微笑み合い、固い握手を交わす。

 しかし極寒の地に灯った友情の火を見届けていたのは、ブリザードだけではなかった。


「次の指令だ」


 水晶玉に氷の城を映しながら、ソウルニエ上層部の男がシンを呼ぶ。

 生まれたままの姿で湯に身を沈めていたシンが、水面に顔を出して言った。


「次の大災獣が現れたのか」


「分かっているなら早くしろ。一刻も早く大災獣を倒し、宝玉を回収するんだ」


「……何故そこまで俺を急かす? 何かお前たちに都合の悪いことでも起こっているのか?」


 シンはダメ元で聞いてみる。

 これまで、彼の詮索に上層部が応えたことは一度としてなかった。

 しかし今回は違った。


「そうだ。生者と死者、二つの世界を隔てる壁が崩れ始めている。このままではソウルニエに封じられた悪しき魂が、生者の世界を踏み荒らすことになってしまう」


「何だと……!?」


「『何だと』とは、他人事のような言い草だな」


 男の言葉に、シンは怪訝そうに目を見開く。

 上層部の男はシンに命令する時と同じ、威圧的で無機質な低い声で語り始めた。


「……口が滑ったな。まあいい、話してやろう。貴様の大罪について」


 十数年前、ソウルニエ上層部はこの地に封印されていた災獣ディザスの研究を進めていた。

 その研究の中で、ディザスを制御するには器となる人間が必要であることが判明した。

 上層部は実験に乗り出したが、ディザスの凶悪なる力は次々に被験者たちの命を奪っていく。

 研究が行き詰まる中、上層部は遂に子供を実験に使うことを決定する。

 そして選ばれたのが、身寄りのないシン兄妹だった。


「地底で見たのは、その時の記憶だったのか……」


 右眼を押さえながら、シンは玄武を倒した後にミカと見た映像を思い出す。

 過酷な実験に傷つく自分と、その身を案じる妹。

 傷の数に比例して、シンとディザスの適合率は高まっていく。

 そして遂に、ディザスをその身に取り込む日が訪れた。


「そんな顔するな。お兄ちゃんなら大丈夫だ」


 不安げな妹の頭を撫でて、シンは優しく笑いかける。

 彼の背後では幾つもの鎖に繋がれたディザスが、踠きながら唸り声を上げていた。

 鎖の鳴る音は頼りなく、いつ破壊されても不思議ではない。

 二人と一匹を取り巻く大人たちの話し声が、シンの耳に聞こえてきた。


「これで我が国も安泰ですな」


「ガキ一人の犠牲でソウルニエが助かるなら安いもんだ」


 シンは表情一つ変えず、妹に背を向けてディザスと対峙する。

 右腕に刻まれた紋章を光らせて、彼は全身全霊で叫んだ。


「ディザスよ! 俺に従え!!」


 ディザスの咆哮が大気を震わせ、その場の誰もを吹き飛ばす。

 鎖を引き千切って突進するディザスに、シンは紋章を突きつけた。


「……っ!」


 紋章が眩い光を放ち、ディザスの体を包み込む。

 そしてディザスの姿は消え、紋章は深い闇色に満たされた。

 呆然とする兄妹の周囲で、大人たちが騒めき始める。

 あれほど恐れていたディザスは、あまりにも呆気なくシンの支配下に収まった。


「お兄ちゃん……」


 恐る恐る歩み寄ってくる妹を、シンは左腕で抱き締める。

 そして次の瞬間、彼はディザスを解き放った。


「何をしてる!? 早く戻せっ!!」


 消えた筈の恐怖が再び現れ、大人たちは大混乱に陥る。

 自らの半身と化したディザスに、シンはぞっとするほど低い声で命じた。


「やれ」


 そしてディザスは、シンの命令を忠実に実行する。

 目に映る全てを壊し、殺す度に、シンの体にもその感覚が駆け巡った。

 ディザスの暴走は物理的破壊だけでは留まらず、とうとう生者と死者の世界を隔てる時空の壁すら壊し始める。

 虚空に浮かんだ黒い穴を見上げて、シンは妹に言った。


「行け」


「えっ?」


「あの穴に飛び込むんだ! そうすれば生者の世界に行ける! 自由になれる!」


「でも!」


「早くしろ!!」


 優しい兄の、初めて聞く怒鳴り声。

 妹は覚悟を決めると、シンに小指を差し出した。


「絶対また会おうね、お兄ちゃん」


「ああ。絶対だ」


 妹は兄と指切りを交わし、穴の中に飛び込んでいく。

 その様を見届けた時、ディザスはようやく暴走を止めた。


「どうか、幸せに……」


 妹の幸福だけを願いながら、シンはゆっくりと意識を手放す。

 次に目が覚めた時、彼は妹の名前も声も顔も忘却していた。

 まるで、代償を払うかのように––。


「これが事態の真相だ。さあ、早く戦いに赴け」


 一部始終を語り終えた男はそのまま会話を打ち切り、部屋は再び静寂に包まれる。

 浴槽を出て体を拭きながら、シンはミカについて考えた。

 あの女が過去の鍵を握っていることは間違いない。

 いや、或いはミカこそが––。


「……言われなくても戦うさ」


 着慣れた服に身を包み、シンは神話の書に力を込める。

 失われた記憶を辿る旅が、静かに最終章の幕を上げた。

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